File.5 訓練
「ぎゃ――――――――っ!!」
穏やかな昼下がり、この世の終わりを迎えたかのような悲鳴が署内に響き渡った。朝から、特異課のレクチャーを受けた大祐は短めの昼休みを取った後、地下の訓練スペースで沙紀から能力訓練を受けていた。その結果がこの悲鳴である。
「馬鹿! 避けるな! 避けたらレベルチェックにならないでしょ!」
沙紀は、大祐の悲鳴を軽く受け流し、反射的に回避行動を取った大祐を厳しく叱責する。
「避けなきゃ、死にます!! マジで!!」
「大袈裟ね。その程度で死ぬわけないでしょう。せいぜい打撲程度よ」
訓練室の床に転がった大祐は、必死に抗議の声をあげるがその抗議の声は沙紀に一蹴される。
「いい? これはあなたの防御能力のチェックなのよ? これでレベルが測れなきゃどこから訓練するかも決められないの!」
「無理です!本能が避けろと言ってます」
「ちっ! ……無駄に危機察知能力が高い」
沙紀は舌打ちをすると手に持ったバインダーを開き眉間によった皺をグリグリと伸ばした。特記事項が訓練に影響を与えるとは想定外だ。
(どうしたものか。そもそもここの人間は自分の能力はある程度使えることが前提だから)
ことの起こりは訓練開始時に戻る。地下の訓練室に再度移動した二人はピッチングマシンが一台設置されたスペースへと向かった。
「あなた、能力訓練受けてないらしいわね?」
「はい。実を言うといまだに自分がここに配属された理由が分らないんですが。そりゃ、小さい頃から幽霊っぽいのは見ていますが………」
「あー、その程度か。…………本当に上は何を考えてるんだか」
(大方、警察庁の上の人間が名目上は警察の一部機関であるうちに正規の警官を置いて手柄をそっちにもっていきたいんでしょうけど…………。いくらなんでもねぇ)
沙紀は、上が決めた犠牲者一号に認定された大祐を多少不憫に思いながらも、それはそれだと心を鬼にすることに決めた。ここで訓練を怠れば確実に彼は生き残れない。
「これを渡しておくわ」
そう言って沙紀が大祐に手渡したのは小さい水晶だった。
「何ですかこれ?」
「これは、特別な水晶で能力者の力を高めることが出来るの。これを持っていれば、能力保持者から力を引き出し安定して力を使えるように出来る。つまり、これを持っていればあなたみたいな素人でも多少は、能力者と渡り合えることができるようになるの」
「へ―――――」
大祐は手渡された水晶を親指と人差し指ではさみ、ライトとにかざして見た。色は無く無色透明で丸みを帯びており、ペンダントトップの仕様になっている。
「後で、鎖をあげるから。肌身離さず持ってなさい。…………死にたくなければね」
「はっ、はい。」
(死にたくなければって…………そんな)
真顔で恐ろしいことを淡々と告げてくる沙紀が少しばかり怖かった。
「まずは、シールドを張ってみましょうか。あなたにはこれが今一番取得すべき能力だと思うから。で、シールドを張るって言ってもぴんとこないでしょ? ちょっと端によってて」
沙紀はそう言うと、自分達が今立っているのとは反対側のピッチングマシンある方向に向かって大声で叫んだ。
「スタートして」
その直後、ピッチングマシンから剛速球が沙紀を目がけて飛んでくる。ビュンという空気を切り裂く音と共に。
(危ないって!!)
反射的に、沙紀の前方へ飛び出そうとした時だった。彼女の前に透明な壁が一瞬で出来上がっていく。
そして、飛んできたボールは沙紀に当たることはなく、出来上がった壁に当たり跳ね返っていった。
「何だ??」
大祐が今起こった出来事に戸惑い茫然とする。そんな、相手の反応にはまったく気付かずに沙紀は、くるりと振り返るなり言った。
「分った? 今のがシールドよ。方法としては、頭の中でイメージするといいわ。壁をね」
そう言うなり沙紀は、大祐に特訓の開始を宣言する。
「じゃあ、ここに立ってちょうだい。最初はそうね……。40キロくらいの速さかしら」
その言葉に我に返った大祐の目の前には、満面の笑みで笑う天使の顔した悪魔がいたのだった。
そんなこんなで始まった特訓だったのだが、大祐は顔面に襲ってくる球に恐怖し、どうしても壁をイメージすることが出来ない。そして、つい反射的に避けてしまう。そんな大祐を見て沙紀は、最初は仕方ないと思って我慢していたが、三十分以上避けつづける大祐についに切れた。
「あなたの反射神経の良さは分ったわよ! いいから避けないでシールド作れ!!」
そして冒頭の場面に戻るのである。沙紀の言葉に大祐はフルフルと首を振ることしか出来ない。心なしか顔も青ざめているよだ。
(ちっ、このへたれ野郎が!!)
沙紀は、キッと大祐を睨みつけながら、心の中で汚く罵しる。そんな時だった。一触即発なムードの訓練室にのんびりとした女性の声が響いたのは。
「さっちゃん、新人君を苛めちゃ駄目よ?」
「へっ?」
大祐がその声の主に目を向けるとそこには、一人の女性が立っていた。年の頃は二十代後半で、肩までの茶髪に毛先を緩く巻いたどこか色っぽい女性だった。
(すげーー、ナイスバディ!!)
大祐は、それまでの恐怖を忘れ思わず見とれてしまう。
「皐月ちゃん! お帰りなさい!」
一方、沙紀も今まで見せたことのない可愛らしい甘えた表情を浮かべてその女性に抱きつく。
「ただいま、さっちゃん。教育係になったんですって?」
「そう。でも全然駄目。ありえない。見習いにもなるかどうか………」
抱きついてきた沙紀の頭をなでながら皐月は、視線を大祐に移し、笑顔で話しかけてきた。
「はじめまして。特異課の刑事で藤田 皐月と言います。よろしくね?」
「はっ、はい。自分は大熊大祐と申します。よろしくお願い致します」
大祐は、急いで立ち上がり敬礼をした。
「ふふふ。そんなにかしこまらないで? 仲良くしましょ?」
「別に仲良くしないでいい」
「そんな事言っちゃ駄目よ。さっちゃん」
大祐は、皐月の言葉に体中の体温が急速に上がっていくのが分った。そんな大祐を見て微笑みながら皐月は言った。
「君、しばらく実践は無理ね。当分、訓練をしながら雑用でもしてるといいわ。それから、さっちゃん。彼の場合精神修行からしないと駄目だと思うわ」
その言葉に沙紀は、深くため息をつくとつぶやいた。
「やっぱり?」
「うん」
これが、特異課の他のメンバーとの最初の出会いであり大祐のこれから続くであろう地獄の訓練の幕開けだった。