File.31 新しい日常
事務所の地下駐車場に車を止めると二人は、事務所へと向かう。今日は、訓練室には誰もいないようでとても静かだった。大抵誰かしらいるのに珍しいものだと沙紀が眺めていると、隣にいる大祐がひどく緊張し始めた。昔飼っていた犬のタロがいたずらを叱られる前の様子に似ている。
(…………何をそんなに怯えているの?)
上に向かう階段の扉前にあと少しというところで、勢いよくその扉が開いた。沙紀は、反射的に後ろに下がりそれを避ける。しかし、大祐は緊張のせいで回避行動が遅れたのか顔面に開いた扉がぶつかる。その痛みに呻き声を上げてその場にしゃがみ込む。
(あー、あれは痛い。全く誰よいきなり扉を全開にしたのは?)
扉の先にいる人物を確かめる為に視線をやるとそこには、笑顔を浮かべた皐月が立っていた。その笑顔を見てまずいと思った沙紀は、そっと大祐から離れる。
「大祐君、あなた私の訓練メニューは終えたのかしら?」
「…………終えてません。けど!」
「あら、さっちゃん。おはよう。悪いけど、このお馬鹿ちゃんは借りるわね?」
「う、うん。おはよう。私は、退院報告してくるから。どうぞ、持って行って」
「さぁ、行くわよ。おさぼりをした子には、罰を与えないとね」
「い、痛いっす。皐月さん、痛い…………」
皐月は、しゃがみ込んでいた大祐の耳を思い切り引っ張る。悲鳴が上がると今度は、首根っこをつかんでそのままズルズルと引きずって行ってしまった。
「あー、皐月ちゃんの鬼軍曹モードが発動されている。まぁ、気に入られてしごかれているんだから問題ないわよね」
沙紀は、訓練室へ消えていく二人を見送ると扉を閉めて上へ向かった。事務所へと続く階段の途中で初老の男性とすれ違った。会釈をするとその人も笑顔を浮かべて会釈を返してくれた。
「誰だろう? 事務所に来るってことは、事件の関係者?」
男性はそのまま表の玄関から、外へと姿を消した。その後ろ姿を何となく最後まで見送ると沙紀は、事務所へ足を踏み入れた。
「おはようございます!」
「おー、さっちゃん。無事のご帰還何より!」
「入院と言っても検査だからね。それより、課長は?」
デスクで書類を作成しながら挨拶をする田丸に返事をして、沙紀は荷物を自分のデスクへと置く。退院報告をしようと課長の姿を探すが見当たらない。
「あぁ、お客さんが来てたからな。今は、応接室だよ」
「お客さんって、さっきのお爺さん?」
「あぁ、あのおっさんとお嬢ちゃんの雇い主の爺さんだよ。今後の事とか面倒みてるガキ共のことで話し合いがあってな」
「あの二人の。そっか、子供達の面倒をあのお爺さん一人じゃ、見切れないか」
「そういう事。まぁ、あの判事さんが色々と手を尽くしてくれてるみたいでガキ共は、ホーム。ホームに入れる年齢を超えている奴らは、大人向けの訓練施設に行ってコントロール訓練。それが終わったら面談して今後を決めるってさ」
「随分と仕事が早いのね。その手腕はさすがね」
あの佐々木判事の優秀さは、本物のようだ。彼なら、子供達の今後に不安はないだろう。
「そう言えば、幼い子供達の代わりにブローカーに売られた子達はどうなったの?」
「ここ数年の内に売られた子の半数は亡くなってた。残りの半数も保護出来たのは一部だ。もっと昔に売られた子らは、どこに行ったかも分からない」
「…………そう。もしかしたら、何処かで会うことになるかもしれないか。そうならない事を祈るけど」
彼等が生き残る為には、犯罪に手を染めるしかない。そうやって割り切って生き残った子達は、今も何処かで犯罪に関わっている可能性が高い。
「そん時はそん時だろ? 俺らは起こった犯罪を解決するしかないんだから」
「そうだよね。あー、後味の悪い事件だった! …………内線? はい、九重です。って、大熊?」
「大祐? あいつ、さっちゃんを迎えに行ったはずじゃ?」
「そうだけど、下で皐月ちゃんに見つかって訓練室に連行されたのよね。もしもし?」
沙紀の問いかけに対して、大祐の悲鳴が響く。その声の大きさに思わず受話器を離す。その悲鳴は、田丸のデスクまで届く。
「ちょっと、見てくる。さっちゃん、悪い。この書類の確認してもらえるか」
「了解。さすがに訓練で病院送りはまずいから、止めてきて」
「はいよー」
沙紀に書類を手渡すと田丸は、駆け足で訓練室へと向かって行った。その姿を見て、きっと今のこの光景が日常になっていくのだと沙紀は思った。
「頑張ってね、新米警察官さん」




