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ダイスロール

 ブブブブ──。

 男は暗闇の中にいた。膝を抱え、両手で頭を抱えるようにして耳を塞ぎ、壁の隅に必死で体を押し込む。

 このまま闇に溶けてなくなってしまえたなら、どれだけ安堵できるだろうか。

 しかし、四角く切り取られた白い光は男の姿を暴くべく、細く白い手をスルスルと伸ばして、その足首や腕を撫でていく。

 ブブブブ──。

 微かな振動音の正体を男は知っている。三十年という決して長くはない人生の中で、もっとも長い時を共に過ごしてきたもの。パソコンの本体に内蔵されたファンの音だ。

 だが、本当にそうだろうか?

 男には見えていた。暗闇に蠢く影が。

 それは、白い手に暴かれた男の姿をじっと見つめている。

 ブブブブ──。

 これは、悪魔の王(ベルゼブブ)の羽音だ。

 男は囚われたのだ。

 そして、犯してしまったのだ。

 それは、罰されることすら赦されない大きな罪だ。

 そのあまりの重さに、男は声にならない嗚咽を漏らす。

 男はただ、一秒でも早く夜が明けることだけを願って、震えているしかなかった。


 ◇◇◇


 ダイスロール ???→13


 ぐらり、と視界が揺れて、星奈(せな)は顔から地面に倒れ込んだ。

 口の中に土や草が入ってきて咳き込むが、頬を地面に擦り付けたまま立ち上がることができない。

 これは恐らく『乗り物酔い』と同じような状態なのだろう。

 ただ、車や電車に酔ったのとは比較にならないほどの重態だが。

 例えるなら、巨大な洗濯機に人間を放り込んで十分ほど回したら、こんな状態になるのではないだろうか。

 脳ミソがシェイクされたかのように、ぐるんぐるんと視界が回り、胃から食道にかけて吐き気がゾワゾワとせり上がってくる。

 いっそのこと吐いてしまえばスッキリしそうだが、女性として枯れかけたゲーマーでも夜はお茶しか飲まないように気をつけているので、そもそも吐き出せるものが胃の中に残っていなかった。

 生理的な涙を零しながら目だけで周囲を伺うと、視界を溢れんばかりの緑の奔流が支配した。

 背の低い草むらが絨毯のように大地を覆い、木々が星奈を囲むように豊かな葉を茂らせる。時折、そよそよと枝葉をざわめかせる風は少し冷たく、しかし、柔らかな陽射しには暖かみがこもっていて春の陽気を思わせた。


(てか、なんで外・・・?)


 今の今まで、星奈は自分の部屋にいたはずであった。

 そのことに一瞬疑問が首をもたげるが、吐き気と眩暈に思考という思考は全て押し流されていった。


(気持ち悪い・・・救急車・・・)


 手の届く範囲を手で探っても、携帯電話らしき感触は返ってこない。

 身動きが取れないほどの酷い体調のまま人気の無い林の中に放り出され、その上、連絡手段まで絶たれたことで、星奈はパニックを起こしていた。


(誰か・・・!誰か、助けて・・・!)


 生命の危機を感じた星奈は気力だけで地面を掴み、ずるり、ずるり、と体を引きずって這って進んだ。

 星奈がその方向に向かったのは偶然に近かったが、這いつくばった状態で十歩ほど進んだところで、急に草が途切れた。

 無理やり顔を左右に振ると、真っ直ぐ剥き出しの地面が続いている。どうやら道に出たらしい。


「誰か・・・助けて・・・誰か・・・」


 星奈は縋るような思いで声を上げた。

 しかし、カラカラに乾いた喉から出てくる声は頼りなく掠れ、世界中に何十億といる人間のただ一人にすら届かないのではないかと思われた。

 それでも、星奈は手のひらに爪が食い込むほど拳を強く握り締め、あらん限りの力で声を上げ続けた。


「誰か・・・!誰か・・・!」


 それから、どれほどの時間が過ぎただろうか。実際は五分も経っていないのかもしれないが、星奈には何時間も、何十時間も経ったかのように思えた。

 這いつくばった地面を微かに揺らし、何かが近づいてくる気配を感じる。

 星奈はグルグルと回り続ける頭を無理やり上げて、気配のする道の先を凝視した。

 すると、ずっと先の方に人影らしきものと、土煙が立っているのが見える。それは初め、ゆらゆらとゆっくり揺れていたが、ふと動きを止めると、急に速度を上げてこちらに向かってきた。


(ああ・・・人がいた・・・)


 星奈の視界が急にぼやける。それが自分が流す涙だと気付くのとほぼ同時に、星奈は気を失っていた。


 ◇◇◇


 差出人:かみやん

 件名:爆殺(笑)のお誘い

 本文:聞いてくれよセツナちゃん!来月1日、ついに・・・ついに・・・レジェンド・オブ・ロードの公式が復活だぜー!

 っつーことで、さっそくセッションのお誘いだ!

 3日(土)の夜10時から開始予定

 今んところメッセージ送ってんのは、セツナちゃんとAYAと聖司とセバスちゃん、あと2人くらい来る予定だな

 あ、あと新人も入るかもしれないから、今回はキャンペーンじゃないんだ

 レベル1のキャラ作るか、セレナのレベル下げといてくれ

 じゃ、あとで返事くれよ!爆殺の精霊術師(エレメンタラー)サマ!(笑)


 星奈がTRPGプレイヤーとの情報交換に使っているSNSにそんなメッセージが届いたのは、一ヶ月ほど前のことであった。

 星奈は二つ返事で参加を決めると、レベル6まで成長していた〈セレナ〉のレベルを1に戻し、セッション当日を待った。

 そして当日、〈レジェンド・オブ・ロード〉の公式サイトにアクセスし、指定のボイスチャット・ルームにログインした。

 ログイン直後、何故かパソコンの画面中央に、くるくると回転する二個の六面ダイスのグラフィックが現れた。

 TRPG用に作られたチャット・ルームには、ダイス結果が全員で確認できるようにダイスロール機能が付属されているものもあるので、起動するときに間違って作動させてしまったのだと思い、何気なくマウスのアイコンをダイスに重ねてクリックした。

 ダイスがピタリとその場に停止する。

 その瞬間、ジェットコースターで垂直に落下したかのような浮遊感と重力感が全身を襲い、景色がもの凄い勢いで回転して見えたと思ったら、次の瞬間には草の根っこに顔を突っ込んでいた。


(ダイスは確か・・・赤が6、白が2、足して8だったな・・・)


 星奈はベッドに横たわったまま、ぼんやりと自分が眩暈と吐き気で死にかける前のことを思い返していた。

 星奈がいるのは、六畳ほどの簡素な部屋だった。

 天井も壁も板を貼っただけの剥き出し。窓にはガラスがなくて、蝶番で留められただけの板を木の棒でつっかえている。

 二十センチほど開いている窓からは朱色の光が差し込み、これまた木片を繋ぎ合わせただけのような小さな机と星奈が横たわるベッドを赤色に染め上げているが、刻一刻と陽が傾きつつあるのだろう、徐々に赤色に青色が混じり、間もなく部屋が闇に包まれるであろうことが分かる。

 小さな机にはランプが置いてあるが、灯りは入っていない。

 LEDランプなら横になっていてもスイッチ一つで付けられるのだが、あいにくこのランプは油を差して火を付けるタイプのものだ。

 いまだ眩暈の余韻が残る頭では、起き上がる気にもならない。

 先ほどから薄い壁を通してかなりの人間のざわめきが聞こえてはいるが、誰かが様子を見に来ることもないし、仕方が無いので気を失う前の自分の行動を思い返して、こんな事態に陥った理由か原因がないかと探っていたのだった。

 しかし、思い当たるようなことは何も無い。いつも通り仕事をして、コンビニに寄って買い物をして、帰るなり食事もそこそこにパソコンに向かっただけだ。

 そして、パソコンのディスプレイを見ていた状態から眩暈を起こして、倒れたらいきなり林の中にいた。

  その間の記憶に不自然に途切れているところはない。そう、星奈が『眩暈を起こした』とはっきり自覚していると言うことは、つまり、意識はあったと言うことなのだ。

 人間の記憶なんて曖昧なものだから、催眠術か何かで後からそういう風に思い込まされたのだ。と言われたら仮定の立てようもないが、自分の記憶を全面的に信じるなら、星奈は一瞬のタイムラグもなく、アパートの一室から林の中に瞬間移動したことになる。

 つまり、無茶苦茶である。ファンタジーである。

 いっそのこと、部屋に黒服集団がなだれ込んできて、強制拉致された記憶が挟まっていた方が、まだ幾らか納得がいくくらいである。


(これはつまり、そう言う事なのかなぁ・・・。

  でもなぁ・・・これ認めちゃってから実は違ったら、とんだ中二病患者だよね、私・・・)


 星奈はそんなことを思いながら、何度目になるか分からない溜め息をついた。

 実は一つだけ、全ての状況を許容できる『可能性』に心当たりがあった。

 あまりに荒唐無稽で、バカバカしくて、人に話したら十中八九吹き出してしまいそうな『可能性』だ。

 バカバカしいにも関わらず、その『可能性』は今のところ最も真実に近いような気がする。

 ここがどこかと言うことよりも、その『可能性』を否定したくて、星奈は記憶の検索を再開した。


 それは、記憶の再生が五回目に差し掛かったときだった。唐突に『可能性』は『確信』に変わった。変えざるを得なくなった。

 つらつらと記憶を巡らせていたせいで外への意識が欠けていた星奈は、コンコンと軽やかに扉が叩かれるまで人の気配に気が付かなかった。

 星奈が思わずびっくりして半身を起こすと、ためらいなく扉を押し開けたその人とバッチリ目が合う。

 一足先に夜の帳が訪れた部屋の薄暗がりではよく分からないが、その人は四十代くらいの女性のようだった。

 それにしては、背がとても低い。星奈も百五十センチちょっとしかない身長だが、それより頭ひとつ分は低いのではないだろうか。

 恰幅はそれなりに良いので、ぬいぐるみが歩いているかのような微笑ましさを感じる。

 その女性も星奈と目が合ったことに驚いたようだったが、すぐにニコニコと人懐っこい笑顔を浮かべて部屋の中に入ってきた。


「アンタ、目が覚めたんだねぇ!良かった良かった!

 半日も寝てたんだよ?お腹すいてないかい?ああ、先に水だね。

 灯り付けるから、ちょっと待っとくれ」


 星奈が何か反応を返す間もなく矢継ぎ早にそう言うと、女性はさっさと持ってきたものを机に置き、ランプの傘を外して、エプロンのポケットから手の平くらいの大きさの赤い石を取り出した。

 女性がその赤い石をランプの芯に近付けると、ポ、と小さくくすぶるような音をたてて火が灯った。

 火打石のように何かを打ち付けたのではない。ただ近付けただけで、石から火が起こったのだ。

 そして、星奈にはそれが『見えた』。火が灯る瞬間、石の周りに集まって一瞬で消えた、真紅の羽虫のような『それ』が。

 突如、突き付けられた現実を噛み砕くのに手間取って星奈は固まっていたが、女性はお構いなしに自分のペースで話を続ける。


「最初はびっくりしたよ!粉引きのダンナが泡喰って飛び込んでくるんだもん。

 外指差してわぁわぁ言うから荷車覗いたら、女の子が一緒に積まれてるじゃない!

 最近は大人しかったけど、またゴロツキか魔物でも出たのかって、店の中まで大騒ぎよ!

 ま、怪我もないしお金も無事だし・・・何か色々あったんだろ?

 ああ!別に言わなくてもいいからね!この辺じゃ何も無いヤツの方が珍しいくらいさ!

 かく言うアタシもこの通りだしね!

 ホラ、遠慮しないで食べな!今日くらいは奢ったげるから!」


 その小さい体のどこにそんなパワーがあるのか。というくらいの女性の勢いに押されて、星奈は慌てて起き上がってカップと皿を受け取った。


(でも、正直、今はこのおばちゃんの勢いがありがたい・・・)


 星奈は、カップに注がれた水がランプの光を映して赤く染まるのを見ながら、そう思った。

 頭の中はぐちゃぐちゃだし、いまだに眩暈の余韻は残っているが、ストレートな善意を向けられたお陰で気持ちだけは落ち着いている。

 今のこの状況が、誰かが仕組んだことなのか、災害のような偶発的なものなのかは分からないが、どうやら『この世界』は星奈から理不尽に搾取したり、排除する気はないらしい。

 今はそれだけで十分だ。

 星奈はカップの水面から顔を上げた。


「ありがとうございます。あの・・・」


 星奈が言葉を詰まらせると、女性はすぐに察して膝を叩いて豪快な笑い声を上げた。


「あらヤダ!アタシったら名乗りもしないでペラペラ喋っちゃって!

 これだから『オバチャン』って言われちゃうのよねぇ!

 アタシは〈クレーニュ〉ってんだ。

 アンタは〈セレナ〉ってんだろ?

 そうだそうだ!コレを返さなきゃいけなかったね!」


「え?私は・・・」


 〈セレナ〉じゃなくて〈星奈〉ですけど。と続けようとした言葉は、クレーニュがずい、と目の前に差し出したものによって遮られた。


「勝手に持ち出して悪かったね。

 でも、最近はますます物騒でねぇ。こんな小っちゃな町でも〈証〉を出さなきゃ出入りできないのさ」


 クレーニュはそんなことを言いながら、まだ手を付けていない皿を引き取って、星奈の手にそれを押し付けた。

 〈証〉と呼ばれたそれは、クルクルと巻かれた紙のようだが、ただの紙にしては厚みがあって茶色い。

 もしかしたら、これが『羊皮紙』というものなのかも知れない。

 もちろん、生粋の日本人である星奈に羊皮紙など縁遠いものだが、クレーニュの口ぶりだと、これは星奈のものであるらしい。

 不思議に思いながらも巻かれた羊皮紙を解いて、ランプの光にかざす。

 そこに書かれた内容を認めた瞬間、星奈は思わず噴き出さなかった自分を褒めてやりたいと思った。

 これは果たして、ご都合主義と取ったらいいのか、バカにしていると取ったらいいのか・・・。

 恐らくとんでもなく間抜けな顔で笑いを堪えている星奈に、クレーニュはどこまでも人の良い笑顔でトドメを刺した。


「アンタ、〈魔女〉だったんだねぇ!

 ウチの〈魔晶石〉、何個か切れそうなんだ。

 良かったら〈魔力〉足してくれないかい?」


 星奈は今度こそ笑い出した。

 その羊皮紙に書かれていたのは、書式こそ違えど、星奈がゲームの中で──〈レジェンド・オブ・ロード〉の中で使っていたキャラクター〈セレナ〉のステータスそのままだったのだ。

 もちろん、英語やこの世界独自の言語で書かれているわけでもなく、思いっきり漢字と仮名文字で。

 その上、人からさも当たり前のように〈魔女〉と呼ばれては敵わない。


(キャラクターシートが身分証明書の世界って・・・どんな世界だよ!!)


 急にどうしたのかと訝しがるクレーニュを横目に、星奈はクスクスと笑い続けた。

 ひとしきり笑って気が済むと、目尻に溜まった涙を指先で払って、真っ直ぐクレーニュに向き直る。

 そして、わざとらしく少々芝居がかった調子でこう答えた。


「一宿一飯の恩義、必ず果たして見せましょう!

 だって、私は〈魔女〉ですから!」


 それは、〈星奈〉が〈セレナ〉として生きるという決意であり、この世界に対する宣戦布告であった。


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