第六話 二人の霊
物語はオムニバス形式であり、各話は時系列がバラバラになっています。
また、それぞれが完結しているので、
1話から順に読まなくても分かるようになっています。
どうぞ気兼ねなくお読み下さいm(_ _)m
※物語で登場する人物名等はフィクションです。
※またFC2小説、mixi、2ch系掲示板等にも投稿したことのあるお話です。
12畳ほどの和室に、正装した俺は正座していた。
部屋を見渡すとこの中には20人ぐらいの人が居て、
みんな俺と同じような格好をしている。
季節は夏だ、何と暑苦しい光景だろうか。
普段の俺ならそんな悪態の1つもつくことだろう。
ある人は俯き、ある人は泣いていた。
それぞれ取っている行動は違っていたが、一貫して悲しんでいる様子が伺える。
線香の匂いが仄かに香る、匂いの出所へ視点を流す。
その先には、綺麗に装飾された祭壇へ向かって、
頭に光沢のある坊さんが、木魚をリズム良く叩きながら、お経を唱えていた。
そう、これは葬式だ。
「ねえ、どうしてみんな泣いているの?」
俺の隣に座っている真奈美が不思議そうに周りを見ながら聞く。
「悲しんでいるんだよ」
俺は呟くように答えた。
真奈美は俺の従兄弟で今年12歳になる。
人の死について考えたことはあっても葬式など初めての体験だろう。
場の空気を理解出来なくても無理はない。
お経を詠み終え、家族や親戚が線香を上げに祭壇へと集まり列をつくる。
俺もその列に並んだ。
線香を手に持ち、祭壇を見上げる。
そこには屈託のない笑顔を見せる女の子の写真が置かれていた。
写真の女の子は真奈美だ。
真奈美には3つ下の妹がいる。
姉である彼女は何かと我慢を強いられることが多かったが、
特に不満を漏らすこともなく、妹を愛でる良い姉を務めていた。
しかし心のどこかでは誰かに甘えたいと思っていたのだろう。
真奈美は俺によく懐いていた。
もしかしたら本当は、兄か姉が欲しかったのかも知れない。
家が近所ということもあって、昔はよく遊んだ。
だが、俺が高校へ上がると、学校が遠かったこともあり、また人付き合いも増え、
徐々に会う機会が減っていった。
次に会う日が彼女の葬式だなんて、思ってもみなかった。
俺は先ほどまで座っていた席へ戻る。
「おかえり~」
真奈美はニコニコしながら俺の膝の上に座った。
年を重ねるごとに重くなっていった彼女の体重も、
子供特有の少し湿った温かい体温ももう感じない。
言葉に出来ない感情が込み上げてくる。
だけど俺はそれを堪えて飲み込んだ。
「恭くん」
ふいに声を掛けられる。
目の前に真奈美の父親が座っていた。
その顔は笑っていたが、どこか活力がなく疲れている。
俺の名前は恭介だ、ここの家族からは恭くんと呼ばれている。
普段は仕事に忙殺され、あまり家に居ないこともあって、
俺は真奈美の父とあまり話したことがない。
また、無口でしつけに厳しい厳格さも相まって少し苦手だった。
全員が線香を上げ終えた後、
真奈美の両親は葬儀に出席した親戚達へ挨拶に回っている。
当然ながら俺にも声を掛けてきたのだ。
「今まで真奈美と仲良くしてくれてありがとうね」
「いえ、この度は…そのなんて言うか」
「そんな慣れない言葉は言わなくていいよ」
言い慣れない定型的な挨拶と、彼の笑顔が痛々しくて言葉に詰まる。
「ただ、これからもたまには線香を上げにきてくれ
そうすれば真奈美のやつも喜ぶだろう」
俺は膝の上に座る真奈美を見る。
彼女は父親を心配そうに見つめていた。
「真奈美はいつもいつも恭くんの話ばかりしてね
あの子は姉だという立場もあって、色々我慢させてきた
でも真奈美にとって君は唯一甘えられる兄のような存在だったのだろう」
彼は俯き、肩を震わせる。
「私は恭くんを不良だと思っていたから
真奈美が近づくことを快く思っていなかった
もっと… 理解のある父親だったら良かったのだがなぁ」
それを言ったら俺だって。
俺は高校になってまで、小学生と遊ぶのは気恥ずかしさがあった。
擦り寄ってくる真奈美が正直ウザいと思ったこともある。
学校が忙しいと理由をつけて遠ざけた、彼女の立場も気持ちも分かっていたのに。
どうして今頃になってから後悔するのだろう。
何故、真奈美に理解を示さなかったのだろうか。
3日前、近所の神社で開催される祭りに、
家族ぐるみで遊びに行く予定を立てていた。
久しぶりに俺に会えると真奈美は大はしゃぎだったそうだ。
当日、先に会おうと俺の家へ向かっている途中、
真奈美は車に跳ねられたのだ。
失ってしまうぐらいなら、もっと優しくしてあげれば良かった。
真奈美、ごめんな。 本当にごめんな。
目頭が熱くなる。
「恭くん、泣かないで」
真奈美は俺の頭を撫でながら、心配そうに言う。
そのとき俺の涙は水道の栓を抜いたように流れ出した。
「おじさん、きっと真奈美なら…
こんなとき頭を撫でながら『泣かないで』って言うんでしょうね」
泣き声で、ところどころ震えながら、
彼女が俺に掛けた言葉をそのまま真奈美の父に伝える。
彼は目を見開き、俺を見ながら泣き出した。
俺は真奈美の父のこんな姿を初めて見た。
それは彼も同じだろう。
俺達は体裁など気にすることなく泣いた。
いつまでもいつまでも泣き続けた。
今は無理だとしても時間が経てば徐々にその環境にも慣れていき、
いつかこのことを語り合える日がやってくるかも知れない。
だが今、真奈美が見えている事実に変わりはないのだ。
それは否応なく、彼女の死を突きつけられる。
見えるということが、これほど辛いと感じることはなかった。
真奈美の葬儀から1週間が過ぎた。
俺は相変わらず気分が沈んだままだった。
そんな様子を察してか、ありがたくも迷惑なことに、
家族は俺の前で真奈美の話題に決して触れない。
そのことが一層気持ちを沈ませる。
俺は暗鬱とした気分を無理やり押さえて外出していた。
「恭くん、やっぱり見えていたんだね~」
真奈美は俺の横をテクテク歩きながら言った。
彼女は俺に憑いている。
だからといって自分の死を自覚していないわけではない。
葬儀の前日、彼女の死を知ったのは、彼女自身の口からだ。
『恭くん、死んじゃってごめん』
それを伝えに俺の部屋へやってきた。
霊は自らを縛る理由がなければ消えてしまう。
一般的にはこれを成仏と言うのだろう。
それが自分の意思なのか、強制的なのかは分からない。
ただ真奈美が消えてしまうのは怖かった。
今まで彼女にしてあげられなかったことをしてあげたい。
そんなものは罪滅ぼしなどではなく、
単なる自己満足だと分かりつつも強引に憑かせたのだ。
そうでもしなければ、自尊心を保てる自信がなかった。
「恭くんは昔から~
誰も居ないところを避けたり、
誰も居ないことろを睨んだり、
誰も居ないところで喋ってたりしてたから
変だな~って思っていたんだよ~」
だったら1度くらい注意してくれ、真奈美。
そうか俺はそんなに変に見えるのか…
俺は特に宛てがあるわけでもなく、商店街まで足を運んでいた。
遠くの店から同年代ぐらいの男たちが
楽しそうに喋りながら出てくるのが見える。
夏休みの高校生といったら、遊びたい盛りだ。
本来であれば、俺もあのような集団に混ざって遊び呆けていただろう。
だが、今はとてもじゃないが、そんな気持ちになれない。
「恭くん、お友達と遊びたかったら遊んでもいいんだよ?」
「ばか言え、俺は真奈美と遊びたいんだ」
真奈美の頭を撫でる、彼女は嬉しそうに笑った。
俺達はしばらく商店街にある様々な店を物色していた。
特にアパレル系の店へ立ち寄ったときの真奈美は大喜びだった。
しかし、普通の人間には彼女が見えない。
店員には女性物の服を手に取っては、
1人でぶつぶつと話す高校生がどのように写っただろう。
だが、真奈美が楽しんでいるのであれば、そんなことはどうでも良かった。
突然、真奈美が立ち止まり、前方を指差す。
「あの人」
真奈美から笑顔が消え、警戒したような表情に変わる。
俺は彼女が指し示した人物を見て驚いた。
頭に黒く靄のかかった不規則に蠢く球体が付着している。
部位と形状からアフロのようにも見えるそれは、
決して笑えるようなものではなく、どこか不気味に感じた。
そして何より、あれは俺の友達だ。
「真奈美には分かるのか、凄いな」
霊が他の霊を認識するのは珍しいことではない。
だが悪霊を悪霊だと判断できる霊は珍しい。
だからこそ、あれらは近づいた霊を取り込み成長する。
「だけど、あれは霊じゃない」
あれは目印だ。
場所に縛られ、身動きの出来ない悪霊が、
人や他の霊を呼ぶためのマーキングというべきか。
あいつ、何かに目をつけられたな…
子供というのは周囲の変化に敏感だとよく聞く。
それは霊となった今の真奈美も例外ではないのだろうか。
俺の微妙な表情を見て、何かを察したようだ。
「友達なの?」
「ああ、同じ学校の菊地っていうやつ」
真奈美は俺の手を引っ張って、菊地の方へ歩き出す。
何か力になってやれ、ということなのだろうか。
彼女は昔しからこうだ。
甘えん坊で、寂しがりやで、泣き虫なくせに、おせっかいだ。
菊地のことは心配だけど、正直今は何かしてやろうなどとは思えない。
菊地が俺に気づき、まっすぐ向かってくる。
やはり彼には真奈美が見えていないようだ。
もちろん、1週間前、従兄弟の葬儀に参列したことも
それが原因で俺の気分が沈んでいることも知らないだろう。
「よう、高梁」
菊地は貧血で今にも倒れそうな顔をしながら挨拶をする。
もともと色白であるのも手伝って、一層不健康そうに見えた。
「おいおい、元気そうだな」
菊地は学生服を着て大きめのカバンを持っている。
中身は参考書などが入っているのだろう。
彼には目指す大学があり、今は夏休み返上で、
学校側が主催する受験対策の長期講習に参加しているのだ。
こんな家と学校と塾の往復しかしてないような菊地が、
一体どこで霊に目をつけられたというのか。
適当な会話をしていると、
菊地の横顔に大きな痣があるのに気づく。
「お前、その痣」
「ああ、家でちょっとね」
以前、母親の再婚相手と馬が合わなく、
少し家が荒れているという話を聞いたことがあった。
菊地はあまり話したがらないから内情は詳しく知らないが、
何をされたのかは、その痣を見れば容易に理解できる。
こいつはこいつで大変なのだな…
「これから講習なんだ、また電話でもする」
「おう、頑張れよ」
高い志を持つ学生様は大変だな。
俺は遠ざかる菊地の背中を見送った。
俺も菊地も互いに話していないことが沢山ある。
別に悩みを打ち明けなくても、言動の節々から何となく察してやる、
ずっとそういう付き合い方をしてきた。
きっと俺達にはそれが丁度いい距離感なのだろう。
真奈美はニコニコしながらシャツの袖を引っ張る。
「会話するのも気分転換だよ~」
真奈美の前では見せないようにしていたのに、
俺が落ち込んでいることなど、とっくに見透かされていたらしい。
彼女の頭を撫でる。
「ありがとうな」
真奈美の言う通り、少しだけ気持ちが楽になった。
目覚ましがけたたましく鳴り、目が覚める。
今日も気分は最悪だ。
俺の隣でベットへ溶け込むように真奈美が寝ている。
その寝顔は棺を開けたときに見た彼女の死に顔を彷彿させた。
本来なら霊には時間の概念などない、そもそも住む世界が違うのだ。
彼女が寝るのは、生前の習慣を覚えているからだろう。
「あ、おはよ~」
真奈美が目を覚ました。
「恭くんが私より先に起きるなんて珍しいね~」
真奈美は笑いながら言う。
彼女の微笑ましい笑顔を見るたびに心が痛む。
生きてさえいれば、様々なことに干渉が出来た。
しかし相手が霊である場合、それには限界があるのだ。
真奈美に何もしてやれなかった自分が許せなくなる。
デレデレデレデレデーンデン
ドラクエの冒険の章が消える着信音が鳴った。
菊地からの電話だ。
気分が悪いから無視してやろうかと思ったが、
あまりにしつこくコールするので仕方なく応答する。
「モーニングコールなら間に合ってるぞ」
「よかった、出てくれた」
電話越しから聞こえる雑音が大きい。
どうやら菊地は外にいるようだ。
「今病院の外から掛けているんだけど、ちょっと頼みがあってさ」
菊地の話によると、
実は夏期講習へ行っている間に仲良くなった女子がいるのだが、
腕を骨折してしまい、ひとまず今日は学校へ行けない。
菊地が来ないとなれば、その子はきっと心配するだろう。
そこで、骨折のことを伏せながら、
今日は休む旨を伝えて欲しいとのこどだった。
「ほほー、それは、けしかりませんね」
「あほか、そんなんじゃない」
心配を掛けたくない気持ちはよく分かる。
だが何故俺が、お前らの充実した日常の手助けをしなければいけないのだ。
学校で行われている夏期講習というのは、受験対策ではなくて合コンか?
「しかし菊地、それはもう我慢するレベルじゃないぜ?」
「ああ、だけど扶養されている立場だと色々難しくてな…」
骨折の原因はおそらく義父だろう。
菊地の抱える家族間の問題に、単なる友人の俺が、
口を挟むべきでないことは十分に分かっている。
だからといって、目に見えて取れる外傷を負わされた彼を
放っておけるほど薄情にもなれない。
「わかったよ、名前は?」
「花岡っていう」
「これは貸しだからな」
俺はわざとらしく恩の貸し付けを強調して電話を切った。
借りはいずれ返さなければいけないのだ。
菊地は日々鎬を削って勉学に勤しんでいるのだが、
最近は義父の暴力もエスカレートしてきている。
もしかするとそれらの抑圧から自暴自棄になって、
命を粗末にし兼ねないのではないかという不安があった。
もちろん、それは考えすぎかも知れない。
だが真奈美の件で、嫌な連想が頭に浮かぶ。
身近な人間を失いたくないと強く思うようになっていた。
菊地の用件を済ませるため、
夏期講習が始まる時間を見計らって俺達は学校へ来た。
「大きい学校だね~」
真奈美は目を丸くして校舎を眺めている。
俺の通う高校は大学の付属高校であり、また県内でも有名な進学校だ。
中学の頃の学業、芸術、スポーツなどの成績が良ければ、
何か問題を抱える生徒であっても受け入れる体制から生徒数はかなり多い。
それに伴い校舎も度々増築されきたのだ。
特に遊びに行くわけではないのだから、
真奈美を連れて行こうか迷った。
だが俺の居ない間にベットの下に置いてある雑誌を見られたら、
非常に気まずいので一緒に行くことにしたのだ。
それにどうせ花岡という女子には真奈美が見えないだろう。
実は俺以外の霊を認識できる人間には会ったことがない。
俺自身のコミュニティが狭いということもあるが、
仮に認識でる人間が居たとしても無自覚か、
自覚していても自ら名乗り出たりはしないだろう。
何故なら、普通の人間にとって俺のようなヤツはホラ吹きなのだから。
「さて、用件を済ませるとするか」
この学校への出入り口は正門とに西門の2箇所あり、
俺は家の方角から、いつも正門を潜って校内へ入る。
菊地の話では西門に入っての右手にあるブナの木の下が、
いつも花岡と待ち合わせる場所なのだそうだ。
一体どこのギャルゲーだというのか。
俺はこの学校の生徒ではあるが、
校内は広いため、実はまだ行ったことのない箇所が沢山ある。
西門もその1つだ。
この機会だから、少し散策してみるのもいいだろう。
暫く歩いていると、真奈美が俺のシャツの袖を引っ張り言った。
「恭くん、もしかして迷子?」
「う…」
校内には来客用のため、所々に地図が設置されている。
俺は地図を眺めながら西門の位置を確認した。
どうやら間逆に歩いてきたようだ。
だが決して方向音痴なわけではない、そうこれは散策なのだ。
本来なら、20分も掛ければ十分に辿り付ける西門へ
倍の時間を掛けて到着した。
校舎から西門へ向かって左手に大きなブナの木が生えている。
枝打ちされていない枝の先からは青々と葉が茂っており、
西門の半分を覆い尽くしていた。
ブナの木は成長が早いから民家に生えている場合、
切り倒すことが多いと聞いたことがある。
学校は民家ではないにしろ、
よくもまぁこんなに大きくなるまで放置していたものだと
皮肉るような、関心するような気持ちで見上げた。
そのまま目線を下へ向ける。
1人の女子生徒がブナの木の下に立っていた。
なるほど、あれが花岡か。
「あの人…」
真奈美は怪訝そうな顔で花岡であろう女子生徒を指差す。
俺は真奈美の右手を強く握り、彼女が居る木の下へ歩みっ寄って行った。
近づくと徐々にもやもやとした嫌な気配が流れてくのが分かる。
それはまるで、水を注いだドライアイスから発生する白煙のように、
重くゆっくりと伝わってきた。
だが、決して拒絶してしまうような気配ではない。
もしこれを色に例えるとしたら、
さしずめ黒になりきれない灰色と言ったことろだろうか。
「よう」
花岡に声を掛ける。
彼女は少し驚き、それから戸惑ったような表情で俺を見た。
「そうか、お前が花岡か~」
「あなたは?」
「菊地の友達の高梁で~す」
自己紹介に合わせ、真奈美はお辞儀をする。
これは生前の記憶にある彼女の父のしつけによる癖なのだろう。
だが花岡は目もくれず俺を真っ直ぐ見ている。
どうやら、彼女には真奈美が見えていないようだ。
俺はさっそく用件を伝える。
「菊地からの言伝だ
『今日は行けない、ごめん』ってさ~」
彼女は暗い顔で俯く。
菊地のことを心配しているのだろう。
それもそのはず、今日学校へ来れない理由を話していないのだ。
菊地と花岡がどれほど親密なのかは知らないが、
これまで2人が接してきた理解の範囲で色々な想像ができるだろう。
だが俺にはそんなことなど、どうでも良かった。
「さて、菊池の用件は伝えた
ここからは俺の用件を伝える」
真奈美の手を更に強く握る。
「恭くん?」
真奈美は既に肉体的な痛みを感じない。
だから強く手を握られているという認識しかないだろう。
しかし、俺の感情の変化を察して声を掛ける。
先日の菊地に憑いていた目印の原因は、この女だ。
俺の中で言いようのない怒りが込み上げてくる。
「お前、死んでいるだろ」
花岡は一瞬固まった。
どうやら俺の言葉の意味を理解出来ないらしい。
こんな突拍子もない質問をされたなら当然の反応だろう。
だが、彼女は霊だ。
聞き方に問題はあっても、全くの見当違いな発言ではない。
俺は花岡の首元に視線を移す。
彼女の首には何かできつく絞められた跡がついていた。
霊の姿形は色々あるが、大体は生前で記憶が鮮明だった時期の姿をしている。
花岡の場合、死ぬ間際が人生の中で一番印章深かったのだろう。
だから死ぬ原因となった痕跡が残っているのだ。
更に彼女の頭上を見る。
そこには俺がぶら下がっても折れそうにない太い枝が真横に伸びていた。
特に現場を目撃したわでもなければ、検死の結果を知っているわけでもないが、
彼女の死因は明らかだ。
「ここで自殺したから、ここに縛られているんだろ?」
花岡は困惑しながら、ゆっくりと首に手を当てる。
どういうことだ?
自覚がないのだろうか?
しかし彼女は首に残る感触を覚えているようだ。
死因の跡が示す通り、今の姿が死んだ直後のものであれば、
そのときの記憶はあるはずだ。
そもそも死を自覚していなければ悪霊にはなれない。
意図的に記憶を封印しているのか、
あるいは別の理由で忘れてしまったのか。
人は行動を起こすことで記憶を蓄積していくものだ。
そこに強い思い入れがあれば、相応の強い感情が生まれる。
だが彼女は根源となる記憶が不確かないだけに強い憎悪も抱けない。
だから悪霊というには弱々しい気配なのだろう。
問題は花岡が悪霊となり菊地に目印をつけた事実だ。
菊地が花岡を気にする理由は、おそらく惚れっぽい性格というだけではない。
あの目印が多少なりとも菊地の気持ちに介入しているのだ。
そして菊地はこれからも彼女に会いに来る。
また彼女も悪霊である以上、良からぬ影響を与えてくるだろう。
菊地とは中学のときに知り合った。
当時、人付き合いが煩わしいと思っていた俺とは対照的に
クラスメイトの一円にいつも居て、
誰にでも隔てなく優しい社交的な彼が始めは嫌いだった。
しかし本人が霊だと自覚していないだけで、
悪霊に限ってだが、見えたり感じることが出来ると知って以来、
興味を持ったのだ。
だからといって俺と菊地は性格上の不一致から、
親友と呼べるような深い間柄ではないし、助けてやる義理などないのだが。
俺は真奈美を見る。
もう身近な人間を何もしてやれないうちに失いたくはないのだ。
真奈美の存在が不安を煽る、俺は冷静でいられなかった。
菊地が悪霊に関わっていることを死に直結させる発想は飛躍し過ぎだとしても、
花岡は菊地の命を脅かす因子であることに変わりはない。
真奈美への罪悪感と、花岡への不信感は、更なる怒りを掻き立てる。
「お前の事情に菊地を巻き込むな
もし連れて行くつもりなら、諦めろ」
花岡は虚ろな目で俯いた。
もしかしたら、彼女は可哀想な霊なのかも知れない、
事情を知れば俺は同情したかも知れない。
しかし聞く耳を持つ気などなかった。
自分のことで精一杯なのに、いつも優しい。
本当は誰かに頼りたいのに、いつも一人で抱え込む。
心が悲鳴を上げているのに、いつも笑っている。
あいつはそういうヤツだ。
菊地は花岡に心配を掛けたくないから、わざわざ俺に言伝を頼んできた。
それは、菊地にとって彼女が大事な人だからだ。
ようやく見つけた自分の支えになり得るかも知れない存在が、
何故お前なんだ…
花岡をこのままにしておくわけにはいかない。
例えば、他人とのコミュニケーションを成立させるためには、
どのようにすれば良いだろうか?
得手不得手はあるだろうが、相手が人間であれば方法はいくらでもある。
では相手が霊である場合はどうだろうか?
あくまで俺の経験則ではあるが、
大抵の霊は俺に気がつかない、だが触れれば気づくのだ。
もっと具体的に言えば、互いに深く干渉し合うことができるようになる。
もし霊媒の専門家が居たとして、
俺の行動を見れば愚かだと批判したかも知れない。
何故なら友達のためとは言え、人外のものを相手に
自分から厄介事を背負い込もうというのだから。
本来であれば、霊との交信方法は他にもあるのだろう。
だが、俺はこの方法しか知らない。
花岡に近づき、彼女の肩を掴んだ。
その瞬間、彼女の記憶と感情が流れ込んでくる。
受験のために来る日も来る日も勉強をした。
そこに自分の意思がなくても、親が望むから、先生が望むから、
止めることが出来なかった。
ただ、成績だけが存在価値を決める鬱屈とした日々に、
せめて小さな抵抗をしてやろうと花岡は自分を傷つけたのだ。
だけどまさか本当に死んでしまうとは思わなかった。
特にこのブナの木に思い入れがあったわけではない。
皮肉なことに死ぬ間際が、一番生きていることを実感させた。
それが自殺したこの場所に縛られる原因となってしまったのだ。
生徒達の往来を眺めながら花岡は考えた。
軽率な行動に走ったことへの後悔。
家族や友人達に対する自責の念。
生きていることへの逆恨み。
様々な感情が彼女の心を埋め尽くす。
だが普通の人間に彼女は見えないし、彼女自身も他の霊が見えない。
相談は愚か、同調してくれる相手も居なかったのだろう。
花岡は孤独だった。
いつしか自分が何者であるかなど、すっかり忘れてしまっていた。
そんなとき、はじめて人に声を掛けられる。
それが菊地だった。
菊地との会話は他愛もないものばかりだったが、
そこには懐かしい温かさがあり、損なわれた自分らしさを取り戻せる気がした。
会話を重ねるたびに、彼に依存していく自分の変化に気づく。
それは花岡にとって心地の良いものだった。
ある日菊地もかつての自分と同様に、
抜け出せない悩みを抱えていることを知る。
しかしそれで彼が壊れてしまうぐらいなら、
そこから逃げてしまえばいいと思った。
彼も自分と同じ世界へ来ればいい。
そうすれば様々な柵に振り回されることなく、
ずっと一緒に居られるかも知れない。
逃げ方なら知っている。
「だから連れて行こうとしたのか」
花岡は驚いた表情で俺を見た。
同時に彼女が自分の首にロープを掛ける描写が脳裏に映る。
それは自殺したときの彼女の視点だった。
込み上げてくる吐き気を飲み込む。
つくづく厄介な力だ、見たくないものまで見えてしまう。
「連れて行こうなどと思ってはいなかった」
「同じだ、自殺を促すつもりだったんだろう?」
俺は花岡の弁明を覆す。
他にも生徒なら沢山居るだろう、相手は誰でも良かったはずだ。
何故菊地なのだ。何故俺の友達に目をつけたのだ。
俺から大事なものを奪おうとしたこいつが許せない。
「恭くん、だめだよぅ」
ふいに真奈美が声を掛けた。
彼女は今にも泣きそうな顔で俺を見ている。
言葉の意味が分からず戸惑った。
「恭くんは、どうして私と一緒にいるの?」
真奈美の問いかけに俺はハッと我に返った。
頭へ上っていた血が一気に引いていく。
俺が真奈美と一緒にいる理由。
それは彼女に何もしてあげられなかった後悔と謝罪。
だけどそんなことで心の穴を埋めるなど出来やしない。
彼女と過ごした1週間で十分に痛感したはずだ。
何故なら真奈美はもう死んでいるのだから。
そこまで分かっていて、それでも一緒に居る理由。
俺は寂しかったのだ、ただ一緒に居たかった。
真奈美は俺にとって大事な人だと気がついたから。
自己満足のために霊を使役するなど良くないと分かりつつも、
彼女を引き止めたのだ。
だがそれは、菊地を連れて行こうとした花岡と何が違うというのか。
花岡の記憶を垣間見たにも関わらず、
どうして気持ちを分かってやれなかったのだろう。
俺が花岡に向けていた怒りは、ただの八つ当たりだ。
悔しいが俺は間違っている。
真奈美がそれに気づかせてくれた。
「ここに居て、また菊池と会うのは面倒だ。
俺が触れたから、お前は俺に憑くことができるだろう、ついて来い」
俺は彼女の手を取り、学校を後にする。
地縛霊を連れ出すには、縛られている対象を変えればいいのだが、
その場に強い思い入れがある霊は容易に離れることが出来ない。
しかし花岡の場合、縛られている理由が場所でないため、
簡単に離れることが出来た。
「どこへ行くつもり?」
「俺んちで清める」
花岡の質問に笑って答えた。
だが笑い事ではない、徐霊と浄霊は違うのだ。
徐霊は人や物に憑いた霊を取り除くこと。
これは普段からよくやっている。
浄霊は悪霊になってしまった霊を清め鎮めること。
俺はこれが非常に苦手なのだ。
過去に1度だけ浄霊を試みたことがある。
その霊を完全に清められたのは1年後のことだった。
今度はどれだけの労力と時間を費やすことになるのだろうか。
もちろん花岡には同情するが、気が進まないなら止めればいい。
しかし真奈美はそれを強く望むだろう。
やれやれ…
惚れた弱みと言えば、語弊があるのだが。
懐かれているつもりが、
いつの間にか俺の方が懐いてしまったようだ。
真奈美と菊地のために、
花岡を清めることになってから2週間が過ぎた。
自宅のPCで2チャンネルを見ながら、
俺は浮かび上がった2つの疑問について考えていた。
1つは学校のこと。
あの後、今からの過去5年までに、
この街で取り上げられた記事を図書館とネットで調べたのだ。
検索した内容は高校生の自殺について。
確かに3年前の8月の記事に花岡の名前があった。
学校側と生徒の遺族間で訴訟問題に発展したが、
何故か教育方針の見直しや教師側の責任は問われず、
うやむやに終わっている。
まぁ私立である以上、何かしらの裏事情はありそうだが、
今更掘り下げても無意味な話だ。
ただ1つ気に入らないのは、あのブナの木だ。
3年前に女子生徒が自殺したその木を
未だに手もつけず当時のまま放置しているのは何故だろう。
学校側は生徒の尊厳や命など、どうでも良いのだろうか。
もう1つは真奈美のこと。
子供は環境の変化に敏感だと聞く。
だが、真奈美は本当に察しが良いだけなのだろうか。
あのときの俺と花岡の会話だけでは、俺の考えなど到底分かるはずがない。
それをまるで心の声を聞いていたかのような彼女の一言で
俺は怒りを抑えることができたのだ。
もしかして真奈美は本当に心が読めるのだろうか?
だとしたらそれは、非常にまずい。
迂闊なことを考えられないではないか…
「真奈美ちゃんはそこに居る?」
俺の顔を覗き込み花岡が聞く。
相変わらず、花岡には真奈美が見えていないらしい。
始めは真奈美のことを彼女に打ち明けるつもりはなかった。
だが誰も居ないはずの空間に向かって話しかける俺が、
気持ち悪いと言いやがったので教えてやったのだ。
そもそも悪霊であるお前に気持ち悪いと言われることが腑に落ちない。
「な~に?お姉ちゃん」
俺の膝の上に座っていた真奈美が花岡を見上げる。
花岡を連れ帰ってから数日後、
何故か彼女は真奈美の声が聞こえるようになったのだ。
本当に何故だろう。
清めることで、花岡に何かしらの変化をもたらしたのか。
あるいは、俺や真奈美の傍に長く居たことによって、
彼女自身の霊質が変わったのか。
霊に対する知識は共存するに当たって必要に迫られた結果であり、
結局のところ俺は、あちら側の住人のことをまるで知らない。
「真奈美ちゃんてさ、何だか菊地に似ているよね」
真奈美はキョトンとした表情をしている。
当然だ、真奈美は菊地をほとんど知らないのだから。
しかし菊地を例えにするとは、皮肉にも受け取れる。
「つまりは、お人好しということか」
俺は笑いながら答えた。
「それを言うなら、恭くんもだね~」
真奈美がニコニコしながら会話を繋げる。
花岡はそれを聞いて頷いていた。
お人好しとは必ずしも褒め言葉ではない。
だが、悪い気はしなかった。
俺は照れ隠しに真奈美の頭を撫でる。
立場も憑いている理由も異なる2人の霊と過ごす、
俺の賑やかな日常はもう少し続く。
いずれやって来るであろう別れの日まで。