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Side‡R  作者: 付焼刃 俄
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REI:研究と技術の間の相互作用 その壱

     REI:研究と技術の間の相互作用


 (さた)()(ゆき)(たか)はもうふらふらだった。大学の研究室に入ると、長机にリクルートバッグとオーバーコートを放り出してパイプ椅子に沈み込んだ。

 ――随分歩いたし、姿勢も正しすぎた。足と腰と首筋にストレス性の(だる)い痛みが居座っていて吐き気がする。

 夕さりの最中に電灯を点けていない部屋は、夕陽の目が届かない所に影を澱ませている。ホワイトボードが鮮やかな橙色に染まり。ファイルキャビネットとその上に地震対策などおかまい無しに置いてある人体模型、脳の模型、ニューロンの模型、犬や猫のぬいぐるみなどは、月よろしくの陰り方だ。

 背凭れに体重を傾けると錆の浮いたパイプ椅子がしゃっくりするように軋んだ。

「……人生間違えた~」

 ネクタイを緩めて溜め息とともにこぼした志空は本日の(ちょう)()を思った。

 今日だけで三社の就職面接である。普通の会社なら何でも良い。とりあえず営業や工場作業とかの現場勤務はさけて、経理などの座業をやりたかった。自宅から近い事を最優先事項にして片っ端からアタック。今日までで既に六十社余りの面接に行った志空だったが。

 コストをぎりぎりまで切り詰めた薄っぺらの封筒が届くか連絡無しという結果だった……。

 ――なんでだ? ニュースを見る限り景気は幾分か回復して――別に政治の(おん)(けい)に寄るところでは無いけど――新卒雇用は増加の一途を辿っている(あお)()()いラッシュのはずなのに……。

 他の学部の飲み仲間から聞かされる一発内定の報告は、志空の耳には嫌みとしてしか残っていなかった。実際嫌みの含められたニュアンスで「幽霊学生の履歴書じゃあ普通企業は難しいかもな」と笑われている。

 逸らしていた背中を今度は丸めた。

 ――やっぱりそうなのか? 〝霊学〟と揶揄されるこの学科に居た事が人生の重荷になっているのか?

 二ヶ月もすれば卒業だが、このままだと志空は浪人だった。

 しかし、こうやって志空が頭を抱えて思う事はいつも同じだった。事実は、就職するのが目的で面接を受けている罪悪感と、かくも非生産で将来性の無い活動への悲観だった。

 開放感が極めて断続的だと分かっているのに、そのくせ束縛の心地好さに依存する未来。

 ――それに何かが足りないような……面接を受けても受けても、誰も俺を必要として無いんじゃないかと思えてくる。それは、なんでなんだろう?

 頭を抱えていると扉が開く音がした。

「あれ? 悟成君、しばらくは就職活動じゃなかったのかい?」

 顔を上げると三十代前半の男が段ボール箱を小脇に抱えて入って来た。

 (みつ)(くに)(たくみ)。生徒だけでは無く、誰に対しても微妙にタメ口を使うこの(やさ)(おとこ)は、志空の専攻する学科の教授である。志空とは干支一回りも離れていないのに教授職に就いた珍しい存在だが、おそらくそれほどの苦労はしていないだろう。志空と並んでも、歴然とした貫禄の違いは見えず、顔つきに年齢の差異がほとんど無い。なので、学科の連中と一緒に飲みに行けば、(たい)(がい)にして同期に間違われるのが常だった。巧はそんな自分を恥じる事も無く。ただ己の若さを生徒にひけらかすのだった。おまけに現代っ子にありがちな日本語はテレビで覚えた口で、(きっ)(すい)の関西人なのに、操る言葉は完全な標準語である。

「最後の面接が大学の近くだったんですよ。言葉通りに足が重くて休憩に寄ったんです」

「羽休めと言う事か?」

「足ですって……」

 段ボールを机に置いた巧が冗談めかしたが、志空にはまともに相手する気力も失せていた。うなだれる様を誰かに見られても、まったく気にもならないくらいに……。

 得心いった顔の巧は大袈裟に両手を持ち上げて肩を竦めてみせた。

「SEになればいいじゃないの? 君には才能があるんだから」

 そう言って巧は段ボールをいじり始めた。志空は嫌そうに顔を歪ませる。

「……あれは未だにマイナーだし、第一にやる気が起きないんですよ」

「やりたい事とやれる事というのは、もどかしい事に()(およそ)一致しないモ(現)ノ(象)だ」

 巧は段ボールから大きな白い布を取り出すと、窓の方に寄って行った。布に付いているフックをカーテンレールに引っ掛けている。どうやら実験用のカーテンのようだ。

「どうかな?」

 カーテンを掛け終えた巧が穏やかな声でそう訊いたのは志空にではない。ホワイトボードの三分の一を(せん)(ゆう)している一枚の絵画に対してだ。

 巧が自ら描いたその絵は、本人曰く「どんなコンクールに(しゅっ)(てん)しても人後に落ちない会心の作」らしい。

 『ミューズ 愛しき人』と名題されたその油絵は、柔らかい木洩れ日の下、(あさ)(つゆ)に濡れる芝生にゆったりと座って、いかにも女神然とした純白の織物を身に纏った女性が一人描かれていた。長い黒髪を風に梳かれて竪琴を持ち、分け隔て無い(にゅう)()な微笑みをこちらに向けている。

「その実験、いつからやってるんでしたっけ?」

「これは実験でじゃない! もっと崇高な空間規模の試みだよ」

 ――だからそれを実験というんじゃないのか? 志空はキャビネットに置かれたぬいぐるみを見ながら思った。無礼者とでも言いたげな(しか)めっ(つら)を、巧は瞬時に真顔に変えた。きりっと眉を張ると、(うやうや)しく絵に向かって手を伸べ、歌い上げるように言った。

「僕はね、(こう)(たい)という存在として彼女を造り上げたいのだよ」

「へえ、神にでもなったつもりですか?」

「そんなつもりは無いし、あんな大抵が大衆偶像の副産物であったモノに用は無い」

 揚げた足をはたき落とすように言われた志空は少々語気を強めた。

「形は似たようなもんでしょう!」

「全っ然違うね! まったく類似点は無い。いいかい? 大衆偶像とは〝これを求める、でもそれは嫌だ〟という都合の好い感情の寄せ集めであって、生み出される人格は招き猫の如きがらんどうな存在だ。例えその存在が感知されても、人と金を集めるぐらいにしか役に立たない」

 荒らげていた声を急に穏やかにして巧は続ける。

「僕は造り出したその人格に対して理解に努める姿勢を持っている。一方的では無く、相互的でなければ温情な精神は育めない。そうで無ければ救いは無い。それがこの試みだよ」

「つまり無から有を発生させるんですか?」

「さすがにそこまで(ごう)(まん)でいる気は無いよ。材料はほら、ここと――」

 「ここにある」と、巧は自分の頭を指で突っつてから、中空に得意気な目をすいすいと泳がせた。

 それを見ていた志空には悪戯心が生まれた。

「でも、造り出した光体が教授を拒絶したらどうするんです?」

「そんな事は無い。拒絶されるのは他の学科の教授と一部の勘違いさんだけでもう沢山だ」

 巧がそう(うそぶ)いたので二人して笑った。しかし巧はすぐに真摯な顔になる。

「でも、もしそうなったら、愛されるようにも努めるさ……」

 段々、普段の調子が戻って来た志空は、巧との会話を楽しむくらいの余裕も出てきた。

「愛し合えたら、その後はどうするんです?」

「決まってるだろう。空間が無くなるまで、ずっと寄り添い合って行くのさ」

「かみさん探した方が早いんじゃないですか?」

「それを言うなよ~」

 また二人して笑った。

 ふと、志空は壁の時計を見やった。

「四時過ぎましたよ。今日は公開講義でしょ」

「そうなんだよ、今日もいっぱい来るんだろうな~」

 肩を怠そうに回した巧は、カーテンの入っていた段ボールを別の教材で満たして抱えた。研究室の扉を開けようとしたところで志空はその背中に訊いた。

「羽休めに俺も受けていいっすか?」

「扉は開けてある。あの講義は来る者は拒まずだ」

 嬉しそうに巧は扉をを開けた。

「それに、悟成君が居てくれると助かる。この間は一部の勘違いさんが暴れて大変だったんだ」

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