REI:研究と技術の間の相互作用 その九
志空の落胆を知ってか知らずか、博生は淡々と言葉を重ねた。
「悟成君がこの職種を人より忌み嫌っているのは巧から聞いた。君も、愛子と似た境遇らしいな。でも、君が思っているほど酷い職場ではない思うんだ。
二十年前の『死の革命』発表から、生者と死者の境界線は著しく細くになった。幽霊が無光体などと正式名称を与えられてからというもの、人々は幽霊の存在を全面的に認めだした。
言霊というのか、大勢の人々が関心を持ち、受け入れるという力が集中するとあらゆる柵を越えて世界に影響を与えるらしい。
それが功を奏したのか、祟ったのか。数年前から、まるで冥府の門が開け放たれたかのように、世界中のあちこちで幽霊が跋扈している。
新聞やニュースで見た事もあるだろう? 今や〝霊害〟と銘打つ社会現象にまでなってる」
「従来の世情の例外にしてね」
巧が口を挟み、「そうだな」と博生が戯笑を返してから続けた。
「腰が重く小回りの利かない政府が、対策予算案会議と責任の持って行き所を議論しだしてから早くも一年が過ぎてる。事実上の放任状態だ。
まあ、おかげでこちらに仕事が回ってくる。それこそ、自己暗示から神懸かりまでのピンキリでな。取憑き、憑依、騒霊現象と、入ってくる依頼は枚挙に暇が無い。世間で霊感商法だなんだと揶揄される職業ではあるが、実際対処できない人々からのニーズが高まってきているのが現状だ」
「つまり、実入りもそれに比例している」と言葉を切ってから博生は愛子を見やった。
「今ウチで顧問をやってくれている愛子は、私の育て方の所為でもあるが、はっきり言ってまだまだ子供だ。たまに突飛な行動に走る事もある。だから、ここに通わせて世間や一般常識をもう少し深く学ばせたい。つまり、これからは歯抜けにしか仕事をこなせなくなるだろう……。
歴とした形而上学科の卒業生で、説明不要のREI能者を迎え入れられたら、我が社にも箔が付く。だが、君にも色々と葛藤や主張はあると思う――」
「だからどうだろう」と前置きしてから博生は一呼吸おいた。
「一週間の職業体験実習という形で、ウチの会社を見てみる気はないか?」
そう訊かれたら志空の答えはONだ。だがそれは口からは出なかった。
なぜなら――。
愛子がすごく嬉しそうな顔で自分を見ていたからだ。
――そんな顔をするなよ。どう答えて欲しいか丸分かりのそんな顔……。
志空が何も言わないでいると、愛子に憂いの翳が差した。
――だからやめろって……。
「でも俺、バイトがあるし――」
「就活でしばらく休むと申請しただけで馘にされたって、この前ぼやいてたじゃないか」
「言い逃れは許さないよ」と顔に書いてある巧が口を挟んだ
――あんた少しは教え子の味方してくれよ!
「いいじゃないですか悟成さん。六十二社の求人にはじかれるなんて、景気回復したこの時勢にあり得ませんよ。今更三社受けたからって梨の礫確定ですって。この巡り合わせは何かからの啓示か、取り成しか、陰謀なんですよ」
肩をぺんぺん叩きながら仁美がまくし立ててきた
――人の落ちた会社の数なんかご丁寧にカウントしてんじゃねぇ! それに言ってる事も段々エグくなってるよ!
「なにより、保険くらいは掛けておくべきじゃあないのかい?」
巧がとどめとばかりに言い。どんどん立つ瀬と弁明の余地が無くなってきた志空はいよいよ開き直って帰ろうかと思い始めた。
鞄に手を伸ばそうと志空の意思が決定を下し、脳から筋肉に指示が発信された。
「……わたし志空さんと一緒に仕事してみたい」
愛子の言葉が耳に入り、途端に抑制性情報が伝達された志空の動作は、アクションが起こる前に止められた。
生まれてこの方、受け取った事が無い刺激。『求められる』、という真っ直ぐな意思表明の言葉だった。その情報刺激の整理が追いつかない志空の神経細胞は大混乱を引き起こした。平たく言い換えれば、パニクってしまったのだ。
「え? ああ? は?」
巧が「おやおや」と目を細め、仁美は「このこの」と小学生レベルのリアクションで脇腹を小突いてきた。が、それらが気にならないほどに志空は困惑の極みに居た。
「わたしは志空さんと一緒に仕事がしてみたいです」
誠実さに溢れる丁寧語で言い直された。それに呼応して博生が畳み掛ける。
「通常給料は歩合制なんだが、こちらから申し出ての実習だ。その誠意と言ってはなんだが、期間中は時給二千円、最終日に手渡しでどうだろう? 勿論、途中で辞退しても文句は言わない。どうか、前向きに検討してみて欲しい」
勝手に状況が不利な方に展開されていく中、博生の最後の言い回しが気になった志空はじりじりと座り直した。
――まさに〝生みの親より育ての親〟ってやつか? 流石は親子だな。息ぴったりって感じだ。
自分以外が異論派の完璧なアウェー。あらゆる過渡における重要な決断は、往々(おう)にしてこのような場で行われるのが人の社会の常態なのだろう。と、志空は胸の内で痛罵できた。
――でも、それはこの場にだけある一点の違いを差し引けばの話だ……。
見れば、愛子が寂しそうに笑っている。
――ここまで来たら俺の悲劇も喜劇なるか……。
志空は自分以外は誰にも理解され無いだろうテキトーな解釈を見付けて納得し、小さくも深いもったいぶった息を一つ吐いた。
「分かりました。一週間ですね」
愛子の顔がぱっと明るくなり、志空は今日初めて報われた気がして笑い返した。
「ああ! じゃあ、取りあえずここに名前と連絡先を――」
博生が名刺を裏向けてボールペンを取り出した。志空は粛々(しゅく)と書き付けた。
「悟りを成して空を志す……良い名前だね」
博生に渡したそれを覗き込んだ愛子が感慨深そうに言葉を紡いだ。本好きの人が言いそうな感想。事実上捨てた親に付けられた名前だが、褒められた事が素直に嬉しい。
志空が尻をこそばゆくしていると、くぐもった振動音が無粋に響き、場を素面にする。
「スマン」と言って博生が後ろのポケットから携帯伝電話を取り出した。二、三言交わして通話を切った。
「仕事だ」
「りょうか~い」
習慣を感じさせる〝つうと言えばかあ〟の問答だった。びしっと敬礼する愛子を見て、巧が感嘆の声を上げた。
「ほう、超過勤務だねぇ。悟成君この一週間は書き入れなんじゃないか?」
「寧ろこれからがウチの勤務時間だ」
立ち上がったSEの二人越しに見える窓は、もう夜のしじまを吸い込んでいる。確かに、日光が無い分、敏感になった神経は普通の人にも無光体を感じ易くさせるのだ。巧に言わせれば、双方に勘違いする奴が増える時間である。
「別れ際がなおざりになってしまって悪いな。できれば酒でも飲みたかったんだが」
「いやいや、仕事を優先するのは当たり前だろう」
――どの面下げて言いやがる!
巧と博生の会話を聞いて志空は頭の中で毒突いた。
「それじゃあ、悟成君。事務所の住所は渡した名刺に書いてある。明日はゆっくり休んで、明後日の朝八時から来てくれ」
「志空さん、改めてよろしくね」
愛子の紅葉のような手がこちらに伸べられて、志空は軽く握手した。
――余り強く握ると余計な誤解もされるだろうしな……ん?
志空の手に奇妙な感触が広がった。コルクを掴んでいるような乾いた手触り……。
――これが〝良く働く人の手〟というやつなんだろうか?
「それじゃね」と博生の後に付いて行き、愛子は研究室に背中を向けた。その足元から嫌みな響きが迫ってきた。
『どうした小僧。愛子に絆されたか?』
なぜかまた保羅が茶々を入れてきた。志空はもうお手上げだと思い、色々と正直に言ってやる事にした。
『この場合、情が移らない方がおかしいだろう。そう言うお前はどうなんだよ。明無さんの事が好きだからそんなにくっついてんだろう?』
『……!』
目を丸くした保羅は口を『かぁっ』と開けて威嚇してから愛子の後を追いかけていった。
「科塚から聞いたよ。あのキツネさん――山凌さんだっけ? 君の問い掛けにあの仕草、割と可愛いじゃないか」
「ええぇ? あれは好意的ではなかったでしょう」
志空と巧のやり取りを見ていた仁美が控えめに手をあげた。
「……だから人を置いてけぼりにするような話題はやめてくれませんか?」