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Side‡R  作者: 付焼刃 俄
1/42

プロローグ

 この長文は、


 KADOKAWA アスキー・メディアワークス


 第21回 電撃大賞 小説部門へ応募させて頂き、


 一次選考にも残らなかった集合駄文です。


 先に申し上げておきますが、面白いかどうかも保証できません。


 ですので、皆さまの日々の営みの中で遭遇する、


 招かれざる客――訪問販売員やテレビの集金員など――を、


 面白半分に相手してやるような心持ちで


 御笑読していただければ嬉しいです。


 なお、推敲はしておりますが荒削りです。


 誤字、脱字、理解不能などなど


 読者の皆々様にご容赦頂くことがあると思います。


 ですが――。


 どんな文章が小説大賞からはじかれるのか、というのを御覧になるのも、


 長い永い人生の一興ではないかと思います。


 それでは皆さん、どうかご無事で――。


 付焼刃俄

 幽霊や超能力といった超常現象が傍迷惑な隣人低度の格下げを食らった身近な明日



     現場勤務の〝へのへのもへじ〟



 近畿地方の某山中――。

 洞窟のような手掘りのトンネル内には、肌に染み込んでくる寒さと、身体にまとわりつく粘着質な闇が澱んでいた。

 梁と板で覆われた天井から滲み出した滴りが、そこかしこで『ぴちょんっ』とだましている。

 その水音をかき分けるようにして、砂利を踏みしめる足音が近づいてきた。

 床のあちこちには水溜まりができていて、いくら気を付けていても靴はたちまち泥だらけになるだろう。しかし、足音の主は靴のことなど毛ほども気にしない様子で歩を進め続ける。

 堅固けんごに足を包んだ作業靴の安心感からというより、確固とした意思力がその者の歩調にはみなぎっていた。

 〝その者〟、と言ったのは言葉のレトリックではない。

 その顔形がまったくうかがい知れないのだ。

 頭には小型カメラを取り付けた安全ヘルメットに色濃いゴーグル。さらにフェイスマスク。身体には交通整理員が着用するオレンジ色で蛍光テープが縫い込まれた作業着。

 まったくどこの誰だか分からない姿形である。

 それはそれとして、デカイ……。

 その者は身の丈にして2メートルを軽く超えていた。

 だからきょの頭は天井すれすれの危ういところを上下している。

 巨躯は身体を揺すり歩きながら、ときおり腕時計よろしく右手に着けている赤く光った小さなモニターに目を落とした。モニターには心電図のような波線と、別枠に目盛り軸が表示されいる。

 耳を澄ますと、金属的な電子音がひょうを打っていて、その度にモニター内の波線は微弱に変化していた。

 左手にがっしと握られた大型の懐中電灯でトンネルの先を照らしてはいるが、低ルクスの光線では歯が立たず、すぐ先の深い闇に飲み込まれてしまう。

 それでも、巨躯は足取りを変えずに進み続けた。

 ほどなくして、巨躯と同じ格好をしている小柄で中肉の者がトンネルの隅に屈み込んでいた。世の中の平均から見ても小柄なので、の巨躯と並べるとひとしお小さく見えてしまう。

 巨躯が気遣うように小さな肩を叩いた。

「〝もへ〟さん、どうです。この辺での反応は?」

「ま、まだ――当たり――出ません」

 声からすると二人とも男性のようだ。

 『もへ』と呼ばれた小柄の男は、屈んでいるのがよほどつらいのか、ひどく息苦しそうにぜいぜいと答えた――彼の右手にも巨躯と同じモニターが赤く光っている。

 にトンネルの奥から声が飛んできた。

「〝への〟さん〝もへ〟さん、当たりが出ました。やはり一番奥でした」

 かるんだ地面を足早に踏みしめながら、また一人現れた――皆一様に同じ格好である。

 呼び掛けてきただんせいは幾分若い。背は平均値より上くらいだ。

 若い彼が「こちらです」と奥を指差して、二人をせんどうし始める。

 〝もへ〟と呼ばれた小柄が「ぐふぅ」ともんを上げながら立ち上がり、さき々行ってしまう〝への〟と呼ばれた巨躯と若い彼を追う。

「〝へじ〟君――一番――奥って――どの辺? かなり先なのかい?」

 〝もへ〟が息継ぎに邪魔されながら質問した。それを聞いた若い彼こと〝へじ〟が、はたと立ち止まる。

 〝へじ〟がゆっくり振り向き、威圧感たっぷりの緩慢な動きでもって〝もへ〟の胸ぐらを掴むと、動作の緩慢さをそのままにトンネルの壁へ押付けた。

「『(くん)』――なんか付けて呼ばないでもらえませんか……? 作業中は『さん』。それと敬語が原則のはずでしょう。ですよねー? も・へ・さ・ん?」

 〝へじ〟は声を決してあららげていない。むしろ棒読みに近いニュアンスだった。だがその行動にはあからさまな怒りが見て取れた。

「す、すいません――でした」

 怖ず怖ずと謝る〝もへ〟。

 そこへ、

「やめて下さい〝へじ〟さん。これ以上個性は出さないように。〝もへ〟さんも気を付けて下さい」

 〝への〟がその長い手を二人の間に割り入れて仲裁した。

 それでも〝へじ〟は、

「これは帰ってから5Wですね」

 と呟き、あた一つ分背が低い〝もへ〟を、スモークゴーグル越しに睨みつけた。

 うつむいて黙ってしまった〝もへ〟を最後尾にして歩くこと数分後――。

 〝への〟〝もへ〟〝へじ〟の右手にあるモニターから一斉に「ピー、ピー」という電子音が鳴り、トンネル内に反響した。

 見ると、三人ともモニター内の波線が大きく波打ち、目盛りを振り切っている。

 一拍置いて、モニターには大きく『error』が表示された。

 〝へじ〟が両手を通せんぼするように広げて後ろの二人を止めた。

「ここです」

 振り返った〝へじ〟と〝への〟と〝もへ〟は顔を見合わせ、三人で一度頷うなずき合う。

 最初に〝への〟が口を開いた。

「さて、この場合はどうしましょうか?」

 次に〝もへ〟が、ゆるゆると顎に手を添える。

「う~ん。ここまで奥まった所となると、朝陽の力は簡単に借りられませんよね」

 続いて〝へじ〟が理路整然と言った。

「では取りあえず、ようこう照明灯から試しましょうか?」

「そうですね。それがダメなら、明日の夜明けに採光チューブを使ってみましょう」

 〝へじ〟の提案に〝への〟は照明灯を2基と予備バッテリーを2つ、それに携帯シャベル2つを〝へじ〟に取ってくように指示して、車のキーを手渡した。

 〝へじ〟が「はい」と打てば響く返事を残してトンネルの入り口へ取って返す――どうやら大男の〝への〟がリーダー格らしい。

 その足音が背後で反響を残しながらとお退いていく中――

 〝もへ〟は息を飲んだ。

「今日は私ですか?」

「仕方ないでしょう。凡ミスでもぽかをしたあなたを差し置いて〝へじ〟さんに『呼び出し』を任せるのは余りに気の毒というモノですから」

 「それでは」と〝への〟はちょうど神社をさんけいでするみたいに、高らかにかしわを二回打った。

 そして、トンネルの奥の奥に満ち満ちて揺れている闇に深々とこうべれた。

「私どもはしんな心を持って本日この場に参りました。どうか、ごゆるりとしたお気持ちで聞いて頂きたい所存でございます」

 〝への〟言葉が木霊して闇に染み込むように消え入った――。

 途端、あり得ないせいじゃくが〝もへ〟を襲った。

 周りで響いていた水音は唐突に消え去り。どうおんこつどうおんも、小柄な身体から遠く離れていった。

 まるで鼓膜に直接指をあてがわれたかのような無音の圧迫感。

 その上で耳鳴りは重なり合い、際限なくその音域を高めていった。

 不意に二人の持っている懐中電灯が明滅しだす。

 電池は現場に来る前、三人で確認し合い新品に交換しておいたはずだった。

 それなのに、今しも消えてしまいそうだ。

 〝もへ〟はせんりつに震える両足をなんとか踏ん張って立っていた。

 目を閉じてはいけない……。

 〝もへ〟は自分にそう言い聞かせた。閉じれば瞬く間に恐怖に支配されて二度と開けなくなる。

 救いを求めるように〝への〟の顔を見て――〝もへ〟ほっとした。〝への〟の口が淀み無く動いている。明滅するのない明かりの中だったが、それだけは見逃さなかった。

 〝への〟は語っているのだ。ここで起きた事件を……。

 今まさに身をもって体感している事象の原因となった伝承を……。



日本のいずかの伝承



 もう何百年も大昔のことである。

 かつてはこの地も神の領域であり、山犬や狼、狐などをどれだけ抱えてもいろせることのないしんじんたるに満ちた山をいくにも連ねていた。

 さんこくにあるこの土地にさいわいを求め、切り拓き、村をおこした人々がいた。 が、しかし、山で取れるまきさんさいを、ひと山越えた宿場町であきなうことで生計を立てなければならなくなった。

 なぜなら、川から畑に水を通すことを禁じられたからである。

 川を少し下ったところに、先に村興しをした村があったのだ。

 その村の権力者の使いから、

「この川は我が村の所有である。後から来たそんでんいんすいに取り計らうことまかりならん」

 と、ねんしょまで書かされたのだ。

 川には日替わりで見張りまで付き、その水を飲むことすら禁じられた。そのために生活にり用の水はいちも離れたのさわで汲む羽目になった。

 もし、川から水を引いて畑など作ってしまって、それが下流の村にばれたら血のを見るのは必至だった。

 争いは無益。耐えるしかなかった。

 仕方なく上流の村者達は下流の村のことを『下ノ村』とそしり、自分達は『上ノ村』なんだとなぐさめ合いながら、山を越えた宿場町に薪や山菜でもって商っては、代わりに野菜や魚を買ってなんとかやりくりした。

 暖かくなり、虫が土から顔を出し始めた頃のある日。

 宿場町で山菜を売っていた上ノ村のわかしゅが妙におおがらで立派なあごひげたくわえた男にたずねられた。

「手前は山菜というものを食べたことがない。そんなになるものなのか?」

 若い衆はこころよわらい、顎髭男を仲好いめしどころに案内した。

 そして、手ずから山菜の一つをどおしして振る舞った。

「これでもってる酒はまさに極楽です」

 と、ちょうも一本付けて男に飲ませた。

 顎髭男は山菜のうまさにたいそう感激した。

「金ならあるからもっと食べたい」

 と、顎髭男はそうせがんできた。

 しかし、そう言われても今日は手持ちがもう売り切れてしまっていたし、次に宿場に来るのは二日後だと若い衆は謝った。

「それはどういうことか?」

 と、く顎髭男に若い衆は上ノ村のことを話して聞かせた。

 若い衆の一言一言を飲み下すように顎髭男は頷いてみせた。

 そして、聞き終わと同時に、ぱしりとひとつ膝を打った。

「なんとも心の貧しき話よのう。よし! 手前に策がある。ふでをとりなさい」

 顎髭男が言う策とは、山を穿うがってどうを向こう側に抜き通せばいいというものだった。

 上ノ村が上流にあるのなら、山のより高い所にあるということ。その分、掘り出す土は少なくて済む。さらには、上ノ村に若い男手には不足がないし、来る日も来る日も沢へ行ったり、町に行ったりで、中々どうしてじょう揃いなのだ。

 条件は揃っていた。これがば自分は山菜を都合で食べられらるし、上ノ村もわざわざ山を越える危険もそくろうもなくなる――。

 鼻高々に語る顎髭男に、こうとうけいな話だと若い衆はふんぱんして言い返した――最早さっきまで紙に滑らせていた筆も置いてしまっている。

「まさにやまのホラですね。それに、そんなことをすれば山のお怒りを買うことになります。

 我々は山に助けられている。そして、我らが死んだそのむくろは山の土に還り肥やしになるのです。もうずっとそうしてきているのです」

 すると、代わりに筆を持っていた顎髭男が食ってかかってきた。

「なにを言うか! 貴様は山を神だとでも思っているのか? だったら少し頭をひねってみろ。

 せんじん達はの昔、山も川も森も海も、神やあやかものや鬼のすみ()であると信じて疑わなかった。

 しかし、そのじつはどうだ? 神は人が都合良くれいしゃするだけの、あのお天道様と同じものしで測れるものだし、怪士は目と耳を脅かすだけで、風などの鳴らした音だ。物の怪は野獣か物狂い。鬼なんて肉で脹れて陽に焼けた木こりだったではないか」

 若い衆は顎髭男がかれとして言ってくれているのを知っていたので、せいを強めさせてしまった自分のれいを詫び、村をづかってくれた礼を言った。

 からかごを背負って、そろそろ帰らねばとしている若い衆の背中に顎髭男が声を投げてきた。

「なんと欲のない。もう少し欲を持ってく立ち回れば、あまる生活もできるだろうに」

 若い衆はもう一度顎髭男に礼を言ってからについた。

 その途上で、若い衆は自分が顎髭男の立てた策を頭の中でぐるぐるとめぐらせていることに気が付いた。

 そう、実はいささか心を奪われていたのだ。

 山を穿ち抜き通す話なんぞ、ひょんなことから耳に飛び込んできたたらだと、思いの大半はめているのだが、あるいは……?

 とも考えてしまうのだった。

 ふと見れば、ききの指の先から血が出ている。知らぬ間にどこかで切ったらしい。若い衆はいやはやと頭を振った。

 そのめいそうは若い衆からとこでのねむまで奪ってしまった。

 ――もしかしたら……でも、そんなこと…………いや、ひょっとすると……………………っ!

 若い衆は居ても立ってもいられなくなり床を出た。

 ――あの男は山菜が好きだと言っていた。まだ宿場にとうりゅうしていてくれたならば、明日どっさり山菜を持ってあのホラ話をしっかと聞いてやろう。多分あの立派な髭はまろうどになれる身分であるあかしなのだろう。私は村にさいわいをもたらせるやもしれん。

 かまどの脇に置いてある籠を持ち上げた若い衆は、空になったその中に転がっている白い物にようやく目が止まった。

 それはあの男が途中から代わりに策を書き付けてくれた紙だった。


 陽が昇ってから、若い衆は上ノ村の者達を説得し始めた。

 むらおさがんとして山を穿つ策に反対した。

「このほうが! 山というのはその形があってこそ、木を生やし、川を流して、生ける動物のかてとなり。また、それらを糧にするのだ。どころのないえんまんたいげん。それが山である。手など加えれば、円はたちまちにして水泡となるのだ」

 だが、若い衆はすでに、

ややを早死にさせる悲しみもきっと少なくなる」と村人に言い含めていた。

 ゆえに村長は、

「大衆や恐怖に訴えてことを成すはしょぎょうだ」

 と、憎まれ口を叩くも、村人に囲まれては黙って認めざるを得なかった。

 その日から村で足腰の立つ男達はそうで紙に書かれた通りに洞を掘り始めた。

 来る日も来る日も、掘ること掘ること。年を大きく二つまたいだ。そうして、上ノ村と宿場町をすんこくで結ぶ洞が通ったのである。

 上ノ村の者は山菜と薪を売りに行くのに、ように都合を付けられるようになり、例の顎髭男はたまに宿場町に顔を出しては、山菜が都合好く食べられるようになって寿がおだった。

 村では稚児が早死にすることも断然と少なくなった。村の丈夫は宿場町に働きに出れたし、若い娘が町で好い人を見付けて小指を繋ぐことさえあった。

 ――ようやくこの村にも幸いが訪れたのだ。

 上ノ村の若い衆は心から平穏を感じた。

 

 平穏無事が常と思えるようになり、頬をでる風が熱を帯びてきた頃。

 ある日をさかいに、下ノ村からのかわもりがぱったりと来なくなった。

 それから数日後の早朝、権力者から使いが石竜子とかげのように身体を引き擦りながら上ノ村にやって来た。

「我が村がえきびょうおかされてしまった。どうか救って頂きたい」

 そうはくゆうごとき顔をした使いは、その言葉を最後にがっくりと伏せて事切れた。

 駿しゅんそくこころのあった若い衆は下ノ村へ駆けだした。はんときもかからずに若い衆は下ノ村に着いた。

 そして、さんたんたるようそうが目に飛び込んできた。

 そこはまさに地獄と化していた。

 稚児はの如く痩せ細り、目は穿たれたようにくぼんでいるのに腹だけは張っている。 他の者と一様に苦しみ、獣のように唸りながら地を這っていた。

 にわかに村長の言葉が若い衆の頭をかすめた。

 ――これは、私が引き起こしたのやもしれん……。

 どうしたら良いのか分からず、呆然と立ち尽くす若い衆の隣に、っていたように男が立っていた。

 あの顎髭男である。

 煙の如く現れたを問う余裕もなく。若い衆は涙を流して顎髭男にすがり付いた。

「これは私が引き起こしたのか? こんなみじめを、こくを……。

 頼む! 違うと言ってくれ!」

 男は手をべろりと舐め、づくろいをするように自慢の顎髭を撫でた。

「川の流れが変わったのだ」

「そんな馬鹿な!」

 若い衆は叫び、たゆまず流れている川を見やった。

 男は髭を撫でながら言葉を重ねた。

「川はあっても、その前に地のなかまれた水の流れがある。それは善き流れとも悪しき流れともなり得るのだ。山に磨かれた水は美しき川となって流れるが、山が水を磨きそこなえば川は汚れる。お前が穿ったあの洞が、水の流れを悪しきものに変えたのだ」

 ――なんと言うことか……村長の言う通りだった。

 しかし、若い衆にも申し開きはあった。

「しかし、あなたがあの策を教えてきたのではないか!」

「手前は教えただけ、やったのは貴様だ」

「それでも、私は村の幸いを願ったのだ! 善かれと思ったのだ!」

 涙ながらに訴える若い衆の言葉を聞いた顎髭男の目は、まるで獣みたくかっと見開かれた。

「そうだ! この下ノ村の者達も村の幸いを願い、善かれと思って川を我が物と占めたのだ」

 なにやらおろかな堂々巡りにまり込んだように思われ、若い衆は頭を抱えてその場にへたれ込んだ。

 その首根っこを男に掴まれ、無理矢理に目を下ノ村のさんじょうへ向けさせられる。

「な~に、この低度のことで自らをさいなむまでもなかろう。今まで貴村を苦しめてきた心根の貧しい餓鬼の如き連中だ。それが四肢に浮彫られて目に見えるようになっただけのこと。

 さらに言えば、川に水の流れがあるなど、他の者には見当も付かんだろうよ」

 そのすぐ後の最後の言葉が、若い衆には頭の中で響いた気がした。

『見なかった思えばよいのだ!』

「そんな身勝手に用はない!」

 若い衆は恐怖からそう言い放つと、逃げるように上ノ村に取って返した。

 背中から顎髭男のろう々たる高笑いが追いかけて来た。

 宿場町の町医者を引き連れ、下ノ村に飛び込んだその時には、もう顎髭男の姿はなかった。

 病に負けた者達は助からなかったが、危ういところで下ノ村は命を繋いだ。

 下ノ村の者達は、今まで上ノ村にしてきた身勝手な振る舞いを心の底から謝り、必ずこの恩に報いると言ってきた。

 それを快く許した上ノ村のふところの深さににかんめいを受けた下ノ村は『神ノ村』とたたえ始めた。

 しかし、若い衆は浮かない顔だった……。

 ――もし、自分のしょぎょうがばれてしまったら、どう償えばよいのだ……。

 

 それでも、時の流れという見えない究極の前では、どんな思いであろうと風化され、散らされ、人は生きて行けるものである。

 おうのうしていた若い衆も、二つの村にへんかくをもたらしたとして村長に祭り上げられ、野菊のように凜と咲いた嫁をめとり、子まで成した時には、あの罪意識もかすれてしまっていた。

 新たな村長が決まり、村がさらに活気づいてから幾つかの季節をを巡った頃。

 宿場町の飯処に、下働きに出ている下ノ村の娘がいた。

 りょう好しであったので、あっという間に店の看板娘となり、朝から晩まで盆を持ってかまどと客の間を行ったり来たりした。

 中天に昇る陽射しも足元を暖めきれなくなってきたある日。

 店仕いをしてから酒に顔を赤くした店主が、仲間達と機嫌良く昔話に花を咲かせていた。

 その中に上ノ村の話が出てきた。

「あの山菜売りだった若い衆、今では村の名を『神ノ村』とまでしょうさせた上に、自分は村長にまで上り詰めおった。まったく大変した大物じゃ。

 わしはあいつがてんけいを得た所をこの目で見たんじゃよ。まるで狐に憑かれたようなうつろなつらで飯食った後、

 『紙と筆を持ってこい!』

 と、今まで見たことないほどの大柄な態度で命令してきよった。じんじょ)ではない様子に出る客はあっても入る客がなかったくらいだ。

 いきなり手が空いてしまって、なんとはなしにその若い衆を見ていたんだが、なにごとかひとごとをしながら、熱心に筆をはしらせておった。

 見ると、なぜかすずりも使ってないのに筆が紙の上を滑るから不思議に思ったんじゃが……。

 するとあれじゃ、知っとるじゃろう? ウチで帳簿に使っとる紙は酷く荒い紙なんじゃ。それなのに野郎、余りに早く書き付けようとするもんで、紙を破っちまった。

 そうしたらよう。結構な鋭い目付きでめつけてきやがって、仕方なしにもう一枚差し出してやったら、ひっ掴んで取り上げられた。もう獣でも相手してるみたいじゃったよ。

 今度は上手く書き上げたらしくてな。満足そうに礼を言って帰って行きおった。

 後で店を片付けている時に、破れた方の書き付けがたくに忘れられているのを見付けたんじゃが……。

 読んでみて背骨が氷柱になった気がしたわい」

 そこで、店主は懐に手を突っ込んだ。

「これがその書き付けじゃ」

 と、いわく付きのぜにでも取り出すように引っ張り出したそれを、店主は仲間に回してやった。すると、みな一様にろうばいしてみせた。

「どうじゃ、恐ろしいじゃろう?」

 書き付けに目を通した仲間はおぞに身を震わせ、くわばらくわばらと揃ってが顔をそむけた。

 気になった娘は、その紙を見たいと言って店主にすり寄った。

「しかし、お前は下ノ村の生まれじゃろう。見んほうがええ」

「そこまで聞かされたら、見たいと思うのが人情ですの!」

 言うが早いか娘は紙を取り上げて目を通した。

 途端に目の前に暗雲が垂れ込めたらしい娘は気を失った。

 その書き付けには洞の穿ち方がこくめいに記された後に、下ノ村に対するうらつらみが紙いっぱいに延々と書き綴られていた。

 字はすべて汚い茶の色で書かれていた。

 えた墨で書かれたのではない。

 それは血でもって書き綴られていた……。


「この下衆がぁ!」

 その日の内に寝床を叩き起こされた若き村長は、のままふん縛られ、下ノ村と上ノ村の者達皆に取り囲まれた。

「違う! 聞いてくれ! 私は山師の法螺吹きにたばかられたのだ! それを書いたのも私ではない! 宿場町にたまに逗留している山菜好きの大柄で立派な顎髭を蓄えた男だ」

 誰も若い衆の申し開きを信じなかった。

 一応、宿場町をたずね回ってみたが、そんな男は見たことも聞いたこともないと、皆異どうおんに口を揃たし、それに――。

 書き付けの筆運びは間違いなく若い衆のものだった。

 しかし、それまで山菜の扱い方しか知らなかったような奴が、どうして山を穿つ技法など発起できたのか?

 そこが奇妙だった。

 確かに宿場には多くの役人や旅客、浪人が集まって来るので、なにかの機会に聞きかじったのかもしれない。だが、そんな聞きしに勝るような偉業の策を噂にしない町人はいないだろう。

 ではなぜ……?

 娘は飯処の店主の言葉を思い出した。

 『まるで狐に憑かれたような虚ろな面で』『獣でも相手にしてるみたいじゃった』

「この男は狐憑きじゃ!」

 村では俄にそうささやかれ始めた。

 村から憑き物が出た。

 そんなことがちまたに知れれば村は焼き討ちされ、皆殺しにされてしまう。

 おびえた両方の村の者達はけったくして口を閉じた。

 ある者は宿場町に、ある者は土地自体から離れる算段を立てた。

 だが、その前にやらなければならないことがあった。

 村人達ははやいま々しく見える洞に、若い衆の一家を引っ立てた。

 洞の入り口は闇をたたえ、ぽっかりと大きく口を開けている。

 見えるか見えないかの光が洞の向こう側に怪しくまたたいていた。

 あたかも黄泉に通じているかのように……。

「待ってくれ! 妻と息子は勘弁してくれ! そそのかされたのは私だ! 罰は私だけで沢山だ!」

 下ノ村の権力者のわかとうは聞く耳を持たなかった。

 あきらめ悪くきもがく若い衆を引きずって洞の中ほどに着くと、

「分かった、これはお前だけで勘弁しておいてやる」

 暴れる彼の顔に力一杯拳こぶしを叩き付けた。

 若党は数人掛かりで無傷の部分がなくなるほどに殴り、蹴り付けた。

 その激痛に若い衆が気を失う頃、洞のはりを壊され、一家は生き埋めにされた。


 ばかりの時が経ったのか……。

 一条の明かりも射し込まない、静寂に包まれながら若い衆は目を覚ました。

 身体がへしゃげた籠になったような心持ちで、全身に残るとうつうに苦悶を上げる。

 舌で探った口中には、片手で数えられるほどしか歯が残っていなかった。

「妻子よ……。どこに居る? 声を……返事をしてくれぇ――」

 返ってくる言葉も、二人のいきづかいすらも聞こえない。

 折れた枝のような指で耳を探ると、ぬるりと暖かいものに触れた。耳から血が溢れていたのだ。

「頼む……。手に……、足に……、頭に……、腹に……。何処でもいい手を伸ばして触れてくれぇ――」

 痛みがうずくへしゃげた身体を、大の字いっぱいに張らせてた時――。

 土や板ではない、反物と人の柔らかさに触れた――しかし……。

 ――なぜだ……冷たいぞ……。

 傷に火照った若い衆の指先が凍り付いた。

 まさか、と考えるのを必死に抑えた。考えればこのめいが形を成してしまう。

 そう思えて仕方がなかった。

 若い衆は目茶苦茶になった身体を無理矢理に起こし、今し方触れたその闇を手で探った。

 壁に寄り掛かる妻と子の手触りがあった。

 若い衆の手が妻の頬と唇に触れた。妻の腕に抱かれた息子のにこを指に絡めもした。

 しかし、そのすべては胸が締め上げられるほどに冷たかった……。

 触れる度に、その輪郭が縁取られていき、いつしかはっきりと見えるように闇がしゅうれんする。

「可哀想に……寒かったろう……」

 若い衆は曲がった腕で二人を抱きしめた。

 温めてやろうと、放しはしないと抱きしめた。

 ふっと、一筋の細い光が射し込んできて若い衆の目を突いた。

 目に痛い光にすがめになって振り向く。

 ざくざくと土がけられて、天井当たりに月を思わせる丸い穴が開いた。

 そこから、なにか飛び込んで来た。

 と、思った時には、穴からの明かりを後光に背負って、あの顎髭男が立っていた。

 骨みたく白い袴をまとい、この暗がりの中でもはっきりと姿が浮き上がっていた。

 若い衆は、その男が人ではないことにようやく気が付いた。

彼奴きゃつらめ、いい加減な仕事をしおって。まぁ、おかげで掘り易かったがの」

 そいつは手を舐めてから力無く髭を撫で、頬骨の突き出た顔で近づけて来ると、若い衆の抱いているものを指差した。

「どんな心持ちだ?」

 の失せた声でそう訊かれた。

 若い衆は妻子に向きなおった。

 明るめられ、闇が退いたその先が目に映った瞬間――。

 妻子との出会いからここまでの記憶を、彼はまばたきする間に何周もした。

 死に怯えぬよう、妻は息子を絞め殺し、みずから手首を咬み切っていたのだ

 ――その酷な決心をするのに、幾ばくの覚悟で心を切り刻んだことだろう……。

 感情の底が抜けたような涙がそうぼうからあふれだし、彼の膝元に溜まった。

「なぜだ……。どうして、私をここまで苦しめる」

「手前も、村の連中が元仲間だった貴様にそこまでにやるとは思わなんだ。どういう訳か、人の群れが行う害意という名の所業は、はなはかたよってもたらされるようなのだ」

 そいつは胡座をかいた。

「少し話をしよう」

 そう前置きを挟んだ後、とう々と口を動かしだした。

「手前共もかつて、貴様らにこの山を追われたのだ。手前にも愛しい妻がいた。可愛い子供を五つ(こしら)えた。山を穿って居心地の好い寝床を造り、そこに住んだ。誠に幸いだった……。

 子供が一人前になった頃――皆、殺された。

 下ノ村の奴らに煙をたかれてな。捕らえられ皮を剥がれたのだ。だから、仕返しの機会を窺っておったのよ」

「ならば、私の村に関わりはない」

 そいつは大きく首を横に振った。

「いいや、次に来たのが上ノ村だ。手前は次なる寝床を追われた。そして上ノ村には貴様がいた。える眼とける耳とを持った貴様がな」

「だからと言って、私だけを苦しめるのか。それでは怒りの道理が通らんぞ!」

 若い衆の荒らげた声を聞いたそいつはへいし切った息を吐いた。

「それはこちらとて同じことだ。なぜ、後から来た貴様らそくの如き群れに、手前共の領土でのさばられなければならんのだ。なぜ貴様らの都合を押し付けられて、なぜ手前だけ妻子を取り上げられねばならなかったのだ」

 また愚かな堂々巡りをしているような気分になった若い衆は口を閉ざした。

「山の平穏を取り戻したくて、人の力を借りるしかなかった。だが、思い付きでやるものではないな。山を傷付け過ぎた。ばかりかの季節が巡るまで元には戻るまい。

 手前とお前はよく似ているな。お互い、得た物も持っていた物も失った」

「……似させたのはあなただ」

「そうだな。でもやられっぱなしというのは、どうにもしゃくに思うしょうぶんなものでな。

 詫びる気などは毛頭無い」

 と、笑ってからそいつは続けた。

「手前はもう疲れた――人と付き合うて行くことに、ほとほと疲れた」

 そいつはそっを向いて横たわった。

 少ししてから、ふっと思い出したような声で、かんがい深そうに呟いた。

「あの山菜は美味かったなぁ。酒も楽しかった」

 それきり、そいつはなにも言わなくなった。

 若い衆の怒りは、瞬く間に影をひそめた。

 怒りをごうまんに放ったその先に待つしゅうえんの体現者が、目の前に伏していたからだ。

 幸いと虚夢の間で魂を揺らしながら妻子を温め続け、ついに己の温もりも使い果たし――。

 彼は永い眠りについた。

 

 ――数日後。

 夜な夜な山からとどろいてくるどうこくの如きふうらいが宿場町に響き渡り、町の者達は気味悪がった。

 それも毎夜毎夜となると、上ノ村と下ノ村の者達がどれだけ口をつぐんでいても、『狐憑き』の噂は否が応でも町に広がった。

 それにともない、山を下りて来た村人は町人から町を追い出された。

 山は町の者達に忌み嫌われ、誰も近寄らなくなった。だが、おどろおどろしい慟哭も人々が気にしなくなるに従って聞こえなくなり――。


 いつしか忘れ去られた……。


 そして、何百もの四季を越えたある日。慟哭がまた轟き始めたのである……。



     現場勤務の愛子



 〝へじ〟がトンネルから外に出ると、空はその蒼さに吸い込まれそうな快晴だった。

 いくら真冬でも、これだけ天気がよければ汗が滲んでくる。

 トンネルを出てすぐの場所に駐車してある白いバンに〝へじ〟は駆け寄った。

 リモコンキーのスイッチを押し「ピョッピョッ」という軽快な電子音と共に開錠されたバックドアを開け放つ。

 固定されている幾つもの大型ツールBOXを開けていき、炊飯ジャーほどもある照明灯とバッテリー、固定具などを取り出してツールBOX一個分にまとめた。

 その他諸もろ々の工具や携帯シャベルは、腰に巻き付けたツールベルトに差し込んでいく。

 〝へじ〟が一人でゴソゴソやっていると、中部座席からさやかな声が飛んできた。

「〝へじ〟さん、でいいんだよね? 今日のところは」

 顔を上げた〝へじ〟の視線の先に、箸が転んでもおかしい年頃の少女がヘッドレスト間から顔を出している。

「はい、そうです。愛子さん」

「どう、わたしって今日はなにか役に立てる?」

 そう言って愛子と呼ばれた少女は身を乗り出してみせる。それに〝へじ〟は淡々と答えた。

「まだ作業を始めたばかりですから、なんとも言えません。ですが、必要となったらお願いします」

「ふ~ん。ところでさ、本当に〝へじ〟さんにも聞こえないの?」

「……なにがですか?」

 〝へじ〟は少々うっとうしそうに質問で返したのだが、あいはんする軽々しい口調が聞こえてくるだけだった。

「あ~あ、やっぱり聞こえないんだ。すっごく泣いてるのに……」

 〝へじ〟は話をさっさと終了させよう決めた。

「聞こえようが聞こえまいが、私は自分のやれることをやるだけです」

「相手が嫌だって思ってても?」

「私情は挟みません。それが仕事に最も求められる要素ですから」

「それって、つまんなくない?」

 歯軋りをかみ殺した〝へじ〟はかえって声を穏やかにした。

「愛子さん、あまり小言は言いたくないんですが。あなたの場合は特に個性を抑えるように心掛けて下さい。現場にどのような影響が出るか分かりませんので」

「りょうか~い!」

 びしっと敬礼してみせた愛子はシートに座り直した。

 溜め息を吐きたい。という欲求を辛抱強くこらえ、バックドアをゆっくりと閉めた〝へじ〟は、

「よし」

 と、気を取り直してトンネルに踵を返した。

 かさばる荷物でいくぶんやかましくなった〝へじ〟の足音が遠退いていく。

 車内で俯いていた愛子は、ぽつんと一言こぼした。

「かわいそう……」


 〝へじ〟がトンネルに入った途端に奥から叫び声が上がった。

 木霊を残して消えていったのは〝への〟の声だった。

 一度深呼吸をした〝へじ〟は、まったく慌てない様子でツールBOXの照明灯と持っていた懐中電灯を交換した。

 照明灯の電源装置を肩に掛けて点灯スイッチを押す。昼の日差しに匹敵する高ルクスの明かりが灯り、トンネル内の闇を穿うがって数十メートルが先が一気に見通せるようになった。

 明るめられた通路の先に蛍光テープの照り返しが見えた。〝への〟巨躯と、うずくまってことさらに豆助になった〝もへ〟を確認して〝へじ〟は平然と歩を進めだす。

「〝への〟さーん。どうかしましたかー」

「〝へじ〟さん早く来て下さい。〝もへ〟さんがブルッてしまいました」

 それでも〝へじ〟は決して駆け出したりはしなかった。二人の元に辿り着くと、〝もへ〟壁を向いてうずくまりながら、ぶつぶつと何事か呟いていた。

「可哀想に、寒かったろう? 可哀想に……可哀想に可哀想に可哀想に可哀想に――」

 その様子をいちべつしただけで、〝へじ〟は照明灯を設置し始めた。

 そのかたに訊く。

「何があったんですか?」

「『呼び出し』の途中で目を閉じてしまったんですよ。何度も目を開けて下さいとお願いしたんですが。どうやらまた彼らにどう調ちょうしてしまった様子です」

 トンネル内に響く水音に、すすり泣きと金属音、ててくわえて〝へじ〟と〝への〟の淡然としたやり取りが不自然に折り重なっていた。

「じゃあ、取りあえずひとつは〝もへ〟さんに向けておきますね」

「そうして下さい。彼を引きずって帰るのは大変ですからねぇ、回復して歩けるようになるまでそっとしておきましょう」

「もうひとつはどうします?」

「こちらに向けて立てて下さい」

 〝への〟は人差し指で奥の壁を指した。よく見ると壁の上部に穴が空いている。

「『呼び出し』は上手くいきました。現場をしばらく照らしてから再度脳波チェックして、ダメなら今日のところは引き上げましょう。取りあえずは確実にいらっしゃいますよ」

「そうですね。見たところいらっしゃるでしょうね」

 2基目の照明灯の設置をしながら、〝へじ〟はまだむずがっている〝もへ〟を見やった。

 数分後、照明灯の固定が完了した。

 携帯シャベルを組み立てた二人は壁を掘り始める。

「このトンネル、伝承に寄れば鎌倉時代からったんですよね。まさかとは思いますがほうらくしたりしませんよね?」

「現代まで残っているということは、時間の経過で土がしまっているか、上の木がしっかりと根をはらせて土をつかんでいるのでしょう。ですがまあ、私は地質学者ではないのでよく分かりませんね。

 それよりも、これだけ穴だというのに、鼠一匹住んでいません。

 これもきっと、ビンテージな霊妙さの成せる術なのですよ。

 愚かな人間が少し手を加えたぐらいでは、起きがけのしっぺ返しを食らうことはあっても、壊れることなどあり得ません」

 言われて〝へじ〟は、

「そうですね」

 と、またぞろ〝もへ〟をちら見した。

 そうしたら、もう泣きやんでこっちを見ている〝もへ〟と目が合った――と言ってもゴーグル同士なので目が合ったかどうかはさだかではない。

 ふらつきながらも立ち上がった〝もへ〟はゴーグルを外して目を擦り、鼻を啜る。

「……〝への〟さん、〝へじ〟さん、すいませんでした。私も手伝います」

 それを聞いた〝への〟が巨躯に似合わぬ優しい口調を聞かせた。

「じゃあ、交代でやりましょうか。まあ、〝もへ〟さんはもう少し休んでいて――あっ! まだ照明からは出ないように」

 しばらくして〝もへ〟が回復し、交代で掘り進めること2時間が経った頃。

 壁は完全に崩されて、奥の間がきれいに見えるようになった。

 六畳ほどの空間が2基の照明によって真昼のように照らし出される。

 その中には、壁に寄り掛かりなにかを掻き抱くような格好をした人間のミイラが一つ――その体勢は先ほど、〝もへ〟のとっていた格好によく似ていた。

 それから、少し離れたところに動物の白骨体が一つ見つかった。

「それじゃあ、十分間はこのまま照らしておきましょう。お二方、くれ々も礼を欠かないようにして下さい」

 入るな、という意味である。

「分かってますよ。それにしても、さすがは伝承級にされるだけありますね。密閉もされずに軽く八百年は経っているはずなのに、当人達には大した風化が見られませんよ。

 おまけに当時の霊能者がに優れていたかが、この情景に如実に表れ――!」

 言葉とは裏腹に無味乾燥なニュアンスの応酬を続ける二人を尻目に、〝もへ〟がミイラに歩み寄っていた。

 それに気付いた〝へじ〟が初めて語気を強める。

「ちょっと〝もへ〟さん! なにやってるんですか!」

 その声がまったく耳に入っていない様子の〝もへ〟は、ミイラの前に屈み込み、うるみ声で呟き始めた。同時に〝への〟の右手に付いているモニターから電子音が鳴り響く。モニターの破線はぜんとして激しくうねっている。

 その途端、地面が揺らぎだした。

「地震? 自然現象でしょうか……」

 〝へじ〟が言ってる間に、立っているのがやっとの大きな揺れに変わった。トンネルその物が、あたかも大蛇の体内みたくのたうち、入り口の明かりがぐるりと輪を描いた。

 〝への〟と〝へじ〟がなんとか倒れないようにする中で、照明灯が2基とも倒れた。

 けたたましい音と共に保護フィルターにひびが入る。が、何とかランプは割れなかったらしく、明かりは消えていない。

 トンネルのあちこちでは、天井からばらばらと土が落ちだしていた。

「もう十秒は経ってるのに治まりませんよ」

「これは不味いな。〝へじ〟! 愛子を連れて来い!」

 突然、口調を変えた〝への〟が感情剥き出しで叫んだ。

 しかし、走り出した〝へじ〟は足をもつれさせる。

「無理です! 歩けません!」

「ダメか――おい! かい、お前まだトランスしてたのか! とにかくそこから出て来い!」

 〝もへ〟改め雨海は、この異常現象を気に掛けないのか、あるいは気付いていないのか、虚ろな顔で俯きぶつぶつと唇を動かし続けている。

「〝への〟さん、入り口!」

 叫ぶ〝へじ〟の視線の先にある明かりが、降り積もった土の影に今にも塗り潰されそうになっている。

 そんな危うい明かりの中に、飛び込んで来る人影が見えた。人影は立ち上がり、うねるトンネルの中をこちらに向かって一直線に駆けて来る。

 〝への〟と〝へじ〟、二人の表情にぱっと希望が差した。

 間髪入れず〝へじ〟が叫ぶ。

「愛子さん!」

 現場に立った愛子の顔はうれいにかげっていた。

 流し目に〝への〟と〝へじ〟を見やる。

「どうして、いつも虐めちゃうの?」

 小さく口を動かしてそう非難し、足元に横たわる動物の白骨体にしゃがみ込んだ。

「友達が先に居なくなっちゃって寂しかったんだよね? 結果がどうだろうと、友達と造ったこの場所に入って来て欲しくなかったんだよね?」

 愛子の説得するような、慰めるような言葉がトンネル内に響く――。

 揺れが治まりだした。

「あの二人はね、どんなに口に出せても本当には謝れなくなっちゃった人達なの。だから、代わりにわたしが謝る……ごめんなさい」

 揺れがいんを残して消え、土が落下を止める。

 トンネル内はまた水音だけが響き始めた。

 そこに愛子の独り言が重ねられていく。

「――――。うん、それはそうなんだけど。ねぇ、わたし達にどうして欲しい?

 ――――――――。でもそれだとずっと独りだよ。

 ――――――――――――――――。だから! それだと、これから先もず~っと悲しい気持ちは消えないし、ず~っと泣くことになっちゃうんだってば!」

 沈黙を挟んでは、白骨に向かって声を荒らげる少女を、〝への〟と〝へじ〟は見ているしかなかった。

 そして、さらに長い沈黙の後、愛子はすこぶる楽しそう言った。

「だからさ! 一緒に色んなモノ見に行こう。わたしが連れ出してあげる。悲しい気持ちはね、楽しい気持ちで埋めちゃえばいいんだよ。ね?」

 またしばし沈黙した後、愛子は悪戯っぽく笑った。

「それにお酒も飲めるよ」

 その声がトンネルの外まで抜けていくように響き渡り、その響きに連れて行かれるように、滴る水音も連れて消えていった。

 不意に、静寂の中に「ぱきっ」と乾いた音が鳴った。

 見ると愛子の膝先で、転げた頭骨が余韻をもって揺れていた。

 面長のそれを、水面を掬い上げるように優しく両手で包むと、愛子は胸に抱いた。

「うん、行こう……もう寂しくないよ」

 見入っていた〝への〟が大きく息を吐いた。

「……愛子、もう大丈夫なのか?」

「うん、分かってくれた」

 そう言うと愛子は立ち上がった。

「愛子さん、あちらの即身仏はどうですか?」

 〝へじ〟が顎をしゃくったミイラの前には、まだ雨海が座り込んでいた。

「あの人はもういないよ。家族と別れた訳じゃないって安心したから飛んで行っちゃった。雨海さんは優しいからああなっちゃったんだよ」

 言い終わると同時に、

「それじゃ」

 いきなり愛子が走りだした。

「どうしたんですか? 愛子さん」

 〝へじ〟の投げ掛けに、愉快そうな声が返ってくる。

「慌てた方が良いよ~。ここはもうお山に還っちゃうから~」

 二人の表情にずんっと絶望がおりた。

 申し合わせたように、天井のあちこちで板が裂け、梁が折れ、土砂が降り始める。

やな! お前は照明灯持て! 私は雨海運ぶ!」

「は、はい!」

 死のただなかから逃げ出すため、二人は血相を変えて慌てに慌てた。


 ――その日の夕食時。

 山のふもとにある町の飲食店で、店主が顔をしかめる一団がボックス席に着いていた。

 体中を泥だらけにした交通整理員風の男が三人、地元で取れた山菜の天ぷら定食にがっついている。

「雨海、帰ったらお前5Wの提出な!」

「社長、どうせなら2Hと3Mの反省書類も書いてもらいましょう」

「……いや~、申し訳ないです」

 酒が入っている三人はあい々と飯粒を飛ばし合っていた。

 そのテーブルの端には動物の物らしき頭骨が置かれ、茹でた山菜と地酒が供えられていた。

 どこか笑っているように見えるそれに向かい合って椅子に座る愛子は、嬉しそうに浮かせた足をぶらぶらと揺らしていた。

「なんて名前にしよっか?」

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