第13話 『答え』へ至る道、そして遭遇
ローグの街を、目的も無く歩く。僅かな間、住んだことのある街だが……ほとんど外に出なかったシンにとっては、馴染み深いとは言えない街である。
(掛け違えたボタン――どこで、何を掛け違えたのだろう……)
シュバルツに言われたことが、頭から離れない。『それ』に気が付くことが今のシンには必要なのだとシュバルツは主張しているようだが――『それ』が何であるのか、全くわからない。
シュバルツによる修業は、休みとなっている。シンが気が付かない限り、やっても意味は無いだろう、と。
『少し、気分転換してみてはどうでしょう?』
シュバルツに言われ、渋々とりあえず街に出たものの……シンには気分転換になるようなことが、何一つ思い浮かばなかった。
(一般的には、俺みたいな奴はつまらない奴なんだろうな……)
自虐的な思考に、思わず苦笑する。
考えても仕方がない。とりあえず街を回ってみて、食事でもして帰ろう。それで何も得られなくても、休息にはなるであろう。
☆ ☆ ☆
何件目かのウィンドウショッピングを終えたところでシンは耐えきれず、ため息を吐いた。
「……いつまでそうしているつもりだ?」
そう物陰に声をかける。ビクリ、と動く気配の後、顔を出したのは……マリアだった。
街に入ってわりとすぐに、マリアに尾行されていることに気がついた。しかし、シンはあえて声をかけずにそのまま放っておいた。……が、さすがに耐えきることは出来なかった。
「ご、ごめんなさい……」
シュンとして項垂れるマリア。言いたいことは色々あったが、その姿を見て言葉が出なかった。
(俺もお人好しだな……)
ガリガリと頭をかく。何故だか、自分が物凄く恥ずかしくなる。
「――で、何でこんなことをしたんだ? 今更、俺の監視って訳でもないだろうに……」
言ってから、シンは「しまった」と思った。――マリアは、傷付いた顔をしていた。
あの日の出来事が脳裏に浮かぶ。――あの、裏切られたと思った『あの瞬間』が。
「わ、私はただ……シンが心配で」
心配。――マリアが、自分を?
「マリアに心配されることなんて、無いだろ?」
ため息混じりにそう言うと、マリアは首を横に振った。
「だって、シン……笑わないんだもの。昔は、あんなに笑ってくれたのに、笑ってくれないんだもの……!」
笑う……? 妙な違和感を感じた。――笑うって、何だっけ……?
「笑う……俺が?」
言われて、ふと振り返る。最後に笑ったのは、いつだったか、と。
いや、そんなことはない。シンだって、笑っていた筈だ。何気ない冗句に笑ったり、していた筈だ。でも――本当に、笑っていたのか?
「それだけじゃない……昔は、『僕』って言っていたのに。シン、無理して強がっているみたいで……!」
一瞬、心臓でも掴まれたかと思うような衝撃。まさか、マリアにそんなことを――自分でも意識しないようにしていたことを、指摘されるなんて。
そこで、シンはハッとなる。――まさか、これなのか、と。
(シュバルツは、これを俺に気が付かせたかったのか? 俺が、自分自身でも分からなくなっていたこと――俺が、俺自身を分からなくなっていたことを……)
マリアの指摘で気が付かされるとは。――彼女には悪いが、自分が情けなくなった。彼女ですら気が付いたのに、と。
「今のシンは、お鍋の沸騰しているお湯だわ。吹きこぼれる寸前の、目を離したらいけない状態なの。――なのに、それをシンは気が付いていないみたいに……。私は、そうしてシンがまた、何処かに行ってしまうんじゃないかって、怖いのよ……!」
そう言って、マリアは泣いた。人通りが多い訳ではないが、少々目立ち過ぎた。
「マリア、とりあえずこっちへ」
人通りを避けると、シンはマリアにハンカチを差し出した。
「大丈夫、洗ってある」
「そんな心配してない……」
差し出したハンカチを受け取り、マリアは涙を拭った。
少し落ち着いたように見えたので、シンは話の続きを促した。
聞くのが怖いという気持ちもあったが、その先を知りたいという欲求の方が強かった。
「……俺が、また何処かに行ってしまうって?」
「……そう。そんなの……あんな気持ちになるのは、もう、沢山だわ」
少し怒った顔で、マリアはそう言う――『あんな気持ち』とは、何だろうか?
「シンは、シンのままなのに……なのに、無理して『十三番目の英雄』を演じている気がするの」
演じている、か。マリアの指摘は、シンにはユニークに思えた――指摘で、怒りを覚えることは無かった。
「シンは、シンよ。それ以上でも、それ以下でもないわ。違う人間にはなれないのよ。無理してそうすれば……それは、いずれ破綻するわ」
破綻する――シュバルツがシンに伝えようとしていたこと、それが今になって、何となくわかったような気がした。――気がしただけ、なのかもしれないが。
「なるほどね……マリアは、のんびりしているようで、鋭いところがあるよな。昔っからさ……」
思わず苦笑する。――あぁ、マリアが言っていた『笑う』というのは、こういうことじゃないんだなと、漠然とした実感が今のシンにはあった。見えていなかったことが、少しずつ見えてきたような……そんな感覚があった。
「のんびりは余計よ……」
少し拗ねたような、そんな表情を見せるマリア。それを見て、シンは何故か自分が安堵したのを感じていた。
「確かに、あの『予言』はシンの人生を変えてしまったわ。でも、それでシンが変わる必要は、無いのよ……シンは、シン・レイナードのままであるべきなのよ。『十三番目の英雄』なんて、訳の分からない存在になりきる必要なんて、無いの」
断言するマリア。
「じゃあ、俺は……いや」
そこで、シンは言葉を止めた。
「――僕は、どうなるべきなのかな? 僕は、『シン・レイナード』という人間が、もう分からないんだ」
そう言うと、マリアはほんの少しだけ、ショックを受けたようだった。
「教えてよ、マリア……僕は、何なんだ? この世界が憎い、壊したい――その想いは、変わらない。それが僕らしくないなら、僕らしいって、何なんだ?」
「シン……」
マリアは、答えてはくれなかった。いや、その答えを持ち合わせてはいない、というのが正しいのだろう。
「こんな世界、間違っている――そう思って、それを壊そうとするのが間違えだと言うのなら、何が正しいんだ? 僕には分からないよ……」
弱音。そう、これは弱音だ。誰にも言うものかと、心の中に留めておきたかった、弱音。それを今、マリアに対して言ってしまっている。
自分の弱さを痛感する。しかし、そこで己の考え違いに気がつく。
(違う……僕は元々、弱い。それを今更自覚するのは間違えなんだ。強くなったつもりだから、自分の弱さに心を揺さぶられる……)
修業を経て、強くなったつもりだった。だが、それはあくまでも過去の自分との比較としての成長であり、相対的な強さに結びつくものではない。『子供部屋の子、世界を知らず』という言葉が、今の自分にはピッタリなのかもしれない。
「ごめん、泣き言を言っていても仕方ないよね」
この話はやめよう、そう言いかけたシンにマリアは「そんなことない」と、否定した。
「前に進むためなら、弱音を吐いても良いんじゃないかな。弱音って、簡単には人に言えないでしょ? それをシンが私に言ってくれた……だったら、私はそれに応えてあげたい」
そう言って、マリアはシンの両手を取り、握った。
「前に進みたいから、『見えない先』をシンは見たいと願っているのよ。私は、そう思う。――だから、私は一緒に『見えない先』を見てあげる。二人なら、怖くないでしょ?」
照れくさそうに微笑むマリア。
『二人なら、怖くないでしょ?』
行ったことの無い森に行くと、マリアがシンの手を取ったことがあった。その時、シンは知らない場所は危ないと、拒否したのだ。あの時も、彼女は笑ってそう言った。
「変わらないな、マリアは」
何となく、諦めた気分でそう言うと「馬鹿にしてるでしょ」と、マリアは少し怒った。
「違うよ……マリアは、マリアのままなんだな、って。あの時から、色々なことがあって……色々なものが変わってしまったと思った。マリアも、もう以前のようには見れないなんて、そう思っていたんだ」
でも。そうではなかった。
「変わったのは、僕なんだ。マリアは変わってなんかいなかった。僕がただ、現実から逃げて、全て憎めば良いと思い込んで……投げ出しただけだったんだ」
きっと、それは及第点が貰える『答え』ではないだろう。それでも、シンにとっては価値のある『前進』に思えた。
「まだ、『答え』は見つからないけど……マリアのおかげで、前には進めそうだよ」
そう言って笑うと、マリアは「本当?」と、少し訝しげだった。
「怖いわけじゃないけどさ。二人なら、たぶん一人よりも見えるものは多いと思うんだ。だからさ……」
「……だから?」
その先は、何だか照れくさくて言葉に出来なかった。
「そうだな……これからもよろしく、ってことだよ」
マリアの手から逃れ、背を向ける。今は、少しだけ顔を見られたくない気分だった。
「シンが嫌だと言っても、私はシンの側にいるからね」
背中に向けて、マリアの言葉が投げかけられる。以前だったら嫌な気分になりそうなものだったが、今は不思議と悪い気分ではなかった。
☆ ☆ ☆
何だかお互いに気恥ずかしい感じになり、路地裏から出ると辺りが騒がしくなっていた。
「城が近いってのに、野盗か?」
「いや、クーデターだったらありえるんじゃないか? 襲われているのは貴族の馬車らしいし……」
近くにいた商人らしき男達の会話から察するに、近くで襲撃事件があったらしい。
「マリア、人通りの多い道を選んで帰るんだ。出来るよね?」
「子供扱いしないでよ。……もしかして、見に行くつもり?」
「襲われている相手次第では、今後に影響が出るかもしれないしね」
相手次第では見殺し――なんてことをするつもりはないが、後々で面倒事に発展する可能性は潰しておきたい。恩を売っておくのも悪くない。
「いいね、人通りの多い道だからね!」
「シン!」
男達の会話から、大体の方角は掴めている。それに、僅かに魔術を使っている気配がある。それを頼りにすれば、場所は特定できる。
(間に合えば良いけれど……)
通りを駆け抜けつつ、シンは最悪の場面に遭遇した場合を考え、少し気分が悪くなった。
☆ ☆ ☆
街と街を繋ぐ街道。その中で、ローグ南に位置する森を通る街道がある。襲撃事件は、そこで起きていた。
(随分と多いな……)
服装、装備はバラバラ。特に顔を隠すでもなく、野盗と言われて誰もがイメージしそうな連中が割と豪華な馬車を襲っていた。
馬車の側には鎧を着た兵士――いや、騎士と呼ぶのが相応しいであろう金髪の青年が立ち、野盗を相手に奮闘していた。しかし、多勢に無勢。魔術を行使して野盗に対抗しているようだが、魔力が尽きれば押されるのは明白であった。
(何処の家か分からないけど、恩を売っておこうか)
鞘から刀を抜く。深呼吸。
駆ける。
「ぐはっ……!」
まず、一人を背後から峰打ち。後頭部を打ったため、とりあえず意識を刈り取ることは出来たようだ。
即座に近くにいた男の右脇腹対して横薙ぎに打ち込む。ここでシンの存在に気がついた数人がこちらに意識を向ける。
「誰だ、てめぇ?」
「誰だって良いさ、殺しちまえ!」
距離を縮めてくる男達。だが、相手の距離で戦ってやる必要はない。
「ファイア・ストーム」
火炎の渦が男達を包む。
「うぉわっ!」
「こ、こいつ魔術を使いやがる……!」
致命傷にはならない、筈だ。戦意を削げたら上出来。
「シャイニング・ブリッド」
光速の、光の弾丸がばら撒かれる。数人の野盗に撃ち込み、馬車への道を切り開く。
馬車に接近すると、騎士は僅かに警戒した。
「一応、敵じゃない」
シンの言い方に「一応……?」と訝しげな騎士だったが、シンが馬車を守るように身構えるとシンとは別方向に意識を向けたようだった。
「とりあえず、話はこいつらを倒してからにしましょう」
「そうするしかなさそうだな」
渋々、といった感じで応える騎士。
残りは、五人か。
「面倒だな」
いちいち相手にしているのも面倒に思った。
「シャイニング・ブラスト」
一人、焦げる。
「サンダー・ストライク」
二人、焦げる。
「ファイア・ストーム」
二人、焦げる。
「お前……」
騎士が、何故か呆気にとられたような表情でシンを見ていた。
「大丈夫、峰打ちだ」
「魔術に峰打ちなんてあるものか!」
冗談が通じなかった。
☆ ☆ ☆
「助けてくれたことには礼を言おう。私はリューク・ランチェスター。君は?」
「シン・レイナード」
名乗ると、騎士――リュークは「そうか、君が……」と一人で納得していた。
「噂には聞いているよ、『十三番目の英雄』。剣術も魔術も、大した腕前だよ」
「それはどうも。……で、貴方の主は無事なのかな?」
そう尋ねると、何故かリュークは警戒したようだった。
(これは、かなり大きな家の人間か……?)
少々、面倒臭いことになりそうだなと思い始めた矢先、馬車の扉が開いた。
「助けていただいたのに、名乗らないのはご無礼ですわね」
そう言って、馬車から顔をのぞかせたのは、長い金髪が美しい、色白な少女だった。
「アリシア様……!」
騎士が慌てて少女の手を取り、馬車から降りるのを手助けする。
そして、シンは少女が何者なのかを悟った。顔は知らずとも、名前くらいは聞いたことがある。
「はじめまして、シン・レイナード様。私はアリシア・レイナード。レイナード皇国第一皇女でございます」
シンは、恩を売る相手を間違えたと、そう思った。
「やっと会えましたわ、シン様」
そう言って、皇女は微笑んだ。