第12.5話 その頃彼女は その2
アリシアは馬車の窓から流れ行く景色を眺め、そっとため息を吐いた。
『英雄の末裔が、シン・レイナード様を襲った……?』
父から聞かされたその話に、アリシアは心臓に何かを刺されたかのような衝撃を受けた。
『それで、ご無事なのですか……?』
『ああ。かなりの被害が出たという報告があったが、『彼』が退けたそうだ。……一週間程前の話になる』
最後の言葉を聞き、アリシアは自分が『彼』の情報から遠ざけられているように感じた。
『何故そのことを、もっと早くお教えくださらなかったのですか!』
『言ったところで、どうする?』
そう言われれば、アリシアに何か出来た訳ではないのだが……それでも、早く知らせて欲しかった。
『彼には護衛を兼ねて、『指南役』を付けた。しばらくは、何とかなるだろう』
『そうですか……』
空を眺め、アリシアは何度目かもわからぬため息を吐く。
(あれから三日……)
父は、アリシアの行動にかなりの制限を付けていた。きっと、一人で『彼』に会いに行くのを防ぐためであろう。
(何故、会っては駄目なのでしょうか……)
父に尋ねたこともあったが、答えはいつも得られなかった。
「アリシア様、御気分が優れないようですが……」
護衛を務める騎士……名前は何と言ったか――父が信頼に足ると紹介してくれた、腕の良い騎士だという。その彼が、薄茶色の優しげな瞳でアリシアの様子をうかがっている。
「いえ。少々考え事をしていただけです」
「そうでしたか。失礼いたしました」
きっと、彼にはごまかしであるとバレているだろう。それでも、互いにそれで納得したという形に落ち着いていればそれで良いのだ。
馬車は目的地からの帰り道をひたすら進んでいる。もうしばらくすれば、帰ることが出来るであろう。
(あの辺りは、『彼』の住んでいたところ……)
遠くに見える丘。その近くが『彼』の住まいのある地域であった筈だ。
昔はお忍びでよく来ていたものだが、『あの事件』を境にアリシアもお忍びで出歩くことは出来なくなった。
(わりと自由奔放に振る舞わせてもらっている自覚があったけれども、あの日を堺に、お父様は私が自由に出歩くのを許されなくなった……)
あの事件――シン・レイナードによる警備兵死傷事件――そのものは、アリシアに何の影響も与えない筈だった。――だが、たしかにあの事件以後、父はアリシアが『彼』に会いに行こうとするのを『邪魔』しようとしている節がある。
(お父様は、何を恐れているの……?)
いつも沈着冷静な父が恐れるものとは、何か? それはアリシアにはわからない。ただ、あの父がそこまで慎重になるからには、何かがある筈なのだ。
(だから、私も勝手に『彼』に会いに行くことは出来ない……)
気持ちに身を任せて会いに行くことも、不可能ではないだろう。だが、それをすることで生じるかもしれない『何か』を、アリシアは恐れた。
(鳥かごの中の鳥も、こんな気持なのかしら?)
答えの聞けぬ問いを心の中でつぶやくも、アリシアはそれがとても無意味であることに苦笑する。
「アリシア様?」
「なんでもないわ」
馬車は、まだ着かない。
☆ ☆ ☆
「アリシア様、身をかがめてください」
突然停車した馬車。騎士はすぐさまアリシアにそう言うと、外を確認していた。
御者の方を見ると、そこに居るはずの御者の姿がなかった。
(襲撃……?)
まさか、と思う。しかし、騎士の様子からその予想が残念ながら当たりであることをアリシアは確信した。
もうすぐ帰れるであろう位置の筈だ。そのタイミングで襲撃に遭うとは、何と運が無いのか。アリシアは己の不運を嘆いた。
「数は多くない……ですが、囲まれているのは不利ですね」
そうつぶやく騎士。焦りは見えなかったが、それでも余裕という訳ではなさそうであった。
「戦えるのですか?」
アリシアは、そう尋ねてから己の言葉を後悔した。
「それが、私の仕事です」
そうだ。それを問うのは、彼の忠誠を信じないのと同じことなのだ。それは、彼を侮辱しているに等しい行為だ。
だが、今はそれを恥じて謝罪している場合でもない。アリシアは、無事に逃げ延びることが出来たら彼に謝罪しようと、密かに誓った。
「野盗の類ではなさそうですね……この馬車が何であるのか、知っていて襲ったとしたら……とんでもない連中ですよ」
騎士の言葉に「まさか」と思うが、己の身分を考えれば、無い話でもないのか、と思い直す。
だとしたら、この襲撃の犯人の目的は、アリシアの身柄――またはその生命、か。
「私は、ここで死ぬ訳にはまいりません……!」
下唇を噛み、アリシアは見えない敵への恐怖を感じつつも、怒りに燃えていた。
2014/09/12 一周間→一週間
聴けぬ→聞けぬ
襲ったとしたらとんでもない→襲ったとしたら……
無い話でもないのかと、→無い話でもないのか、と