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第11話 足りないもの

「ダメダメ……全然、駄目ですね」


 鍛錬に使っている森の中。何度目か……もう数えるのも止めるほど吹き飛ばされ、シンは乱れる呼吸を鬱陶しく思いながらシュバルツの言葉を聞いていた。


「小手先の速さなど、『武器』とは呼べません。そんなもの、ちょっとした工夫があれば対処できてしまう」


 木刀をクルクルと回しながら、シュバルツはため息混じりに言う。

 事実、シンは自らの『速さ』を『武器』にシュバルツに挑んだものの、その攻撃全てを避けられ、こうして投げ飛ばされている。


「木刀でも、殴られればある程度は痛いですけどね。しかし、そんなもので遠慮していては刀で斬ることなんて、夢のまた夢。『日光で湯を沸かす』ってなものです」


 一見可能そうではあるが、実はとんでもなく実現不可能なことに力を注ぐこと――今のシンはそうだと、シュバルツは例える。


「覚悟が足りませんね。そんなもので、『世界』を破壊すると? そんなもの、『悪魔が笑い死にをする』ようなものです」


 馬鹿にしたように――実際、馬鹿にしているのだろうが、そう言って笑うシュバルツ。


(確かに、シュバルツに模擬戦で勝てないようでは……)


 そう思うと己が情けないし、腹立たしい。……しかし、これが現実だった。


「弱い。弱すぎます。初めて戦ったあの時よりも、弱いです。……いったい、何を悩んでいるのです?」


 シュバルツの指摘に、思わず舌唇を噛む。彼は、全てをお見通しだとばかりに「やれやれ」と大げさなポーズをとっていた。


「俺が……弱くなっているだって?」


 認めたくはない。『己の弱さを認めるのも、強者には必要なことだ』と教わった。しかし、今ここでそれを認めてしまえば、自分はもう二度と立てなくなるのではないか? そんな危機感が――いや、焦燥感か? そんなものがシンの胸の内を暴れていた。


「心の曇りは刃の曇り――そんな状態では、私は斬れませんよ」


 立ち上がり、木刀を構え直す。

 反論に意味は無い。ここで彼に勝たなければ、何を言っても意味は無いのだ。


「その刀で語りますか。しかし……君の刀は、無駄口が多すぎますね」


 距離を詰める。突き、横払い、袈裟斬り。しかし、そのどれもが軽く払われ、シュバルツに届くことはない。


(もっと、もっと速く……!)


 シュバルツの動きを上回る速さ。それがあれば届く筈なのだ。もっと無駄を削ぎ落とせ、もっと先を読め。自らに言い聞かせ、シンは木刀を振るう。


 だが、シュバルツはそんなシンの木刀を砕くと、鳩尾に右膝を叩き入れてシンを沈めた。


「ぐっ……!」


 呼吸がままならない。どうにか整えて立ち上がろうとするも、力が入らない。


「……ヤメです。もー、ヤメヤメ! 相手にするのもバカバカしいです」


 シュバルツの声には、怒りが込められているようだった。


「私に勝つには『もっと速く』、ですか?」


 考えを指摘され、シンは反論できずに黙っていた。冷静に考えれば、見破られて当然ではあったが、指摘されるまでその冷静さをシンは失っていたことに気がつく。


「速さは確かに重要です。……ですが、貴方のそれはただ単に『雑』なだけだ。そんなものは、『速さ』とは呼べませんよ」


 シンは、シュバルツの顔をみることが出来なかった。彼の指摘は、剣士として受けてはならないものだと、分かっていたからだ。


「そんなことに気が付かないようでは、いかなる修行も無駄です。……今日はやめにしておきましょう」


 シュバルツはそう言うと、シンを残して去ってしまう。


 取り残されたシンは、仰向けに倒れて木々の間から覗く空を見上げた。


「……嫌な、天気だな」


 空は、もう少しで雨を降らそうかと待ち構えているようだった。



☆ ☆ ☆



 シンが知らなかった話を聞かされてから、三日。鍛錬に付き合ってくれたシュバルツは、おそらくあの翌日からシンの『異変』に気が付いていたフシがある。


『やれやれ。とんだバッドコンディションですね』


 今にして思えば、己の剣技が鈍ったとまでは言わないが、冴えを無くしていたのだろう。それを、シュバルツに見破られていたのだ。


(あれだけの腕だ、隠し通せると思う方がどうかしている、か)


 風呂で汗を流し、自室のベッドに倒れ込んだシンはこの三日間を思い返す。気分は最悪だった。


 自分が心の支えにしていたものが、他人に敷かれたレールの上に置かれたものだった。それに気が付かず、ここまで自分の選択であると信じ続けていたことが、情けなくて。その想いが、己の剣技の冴えを無くしたとすれば、どん底であるとしか言いようがなかった。


(俺の生き方って……)


 生きていることに対する疑問。あの時、死んでいれば良かったのではないか? そんな考えが頭を過る。その時死んでいれば、こんなことで苦しむ必要もなかったのだ、と。

 そこまで考え、シンは苦笑した。


(逃げてるだけじゃないか)


 辛いのは嫌だ。だから、さっさと終わらせたい。逃げたい。自分が本音ではそう思っていたのだと。シンの心はますます沈んだ。


「見透かされてるってことだ……」


 シンは、シュバルツという『人間』に改めて目を向ける。

 これまでは『仮面を着けた、妙な強さの人間』という認識でしかなかったのかもしれない。だが、今日の彼に受けた指摘から、シュバルツという人間はただ強いだけの存在ではないと認識できた。


(目に見えるものが、物事のすべてじゃない――か)


 それは、エステルに何度も言われたことだった。


『目に見えるものだけに捕らわれていると、大事なものを見失う』


 エステルが、そう言ったのだ。お前は見失うな――と。


「……出来てなかったな、全然」


 自嘲的なそのつぶやきは、誰に言ったものだったのか。誰かに聞いてもらいたかったのか? そんなことを考えると、より一層、気分は滅入った。


「休むことも必要、か」


 そんな言い訳を自分にして、シンはそのままベッドで寝ることにした。


 どこかに出かけ、帰宅したエステルが「夕飯の準備が出来ていないじゃないか」と怒ったのは、どうでも良い話だろう。



☆ ☆ ☆



「さて、昨日と違う貴方をみせてもらわなければ、今日も一日が無駄になる訳ですが」


 翌日。いつもの、森の中の鍛錬場に足を運ぶと、シュバルツが待ち構えていた。


「悩むなとは言いません。ですが、それは場面を選ぶべきです。悩みを持ち越せば、それは『迷い』に繋がる。『迷い』は技を鈍らせ、死神が付け入る隙を生み出してしまう」


 そう言ってシュバルツは、持っていた『刀』をシンに向けた。


「『死』を実感できなければ力を発揮できないというのであれば、私も貴方を殺すつもりで挑まなければなりませんね。――それで解決すれば良いのですが……」


 シュバルツの動きに、迷いは感じない。


 彼が『殺すつもりで』やるというのであれば、それは本気であろう。まだ短い付き合いだが、鍛錬を重ねる中でシュバルツという剣士がどういう人間かは、何となく分かっているつもりだった。――彼は、やる。


「貴方も、その刀を抜きなさい。互いに、殺すつもりで。……命のやりとりの中でしか、生を実感できない者だとすれば、こうするしかありません」


 腰には、あの名も無き刀がある。シュバルツの刀に対して、こちらにも武器はある。だが――刀で立ち向かったとして、彼に勝てるのか?


「ここまで負け続けた俺が、アンタに勝てると?」


 シンの疑問に、シュバルツは「その可能性は、無とは言えないでしょう」と答えた。


「貴方は、かつて経験している筈です。――死に直面し、己の中の力を呼び覚ましたという経験が」


 何のことだ――そう言おうとしたが、シンはシュバルツが指摘したことが何を指しているのかを、理解した。


 あの日、あの時。目の前に迫った刃、集まった殺意――。

 思い出したくもない、あの瞬間が、シンの力を呼び覚ました。――あの時と、同じ経験をしろと?


「嫌なことを思い出させてくれる……」

「貴方の弱さは、そこなんでしょうね」


 シュバルツの指摘に、反射的にイラッとする。お前に、何がわかる?


「貴方は、過去を乗り越えていない。過去に縛られたまま、何処にも動けないでいる」

「乗り越えたさ! だから、この世界を壊してやると誓ったんだ!」

「その答えは正しくない。乗り越えたことと、世界を壊すことは並列になるものではない。己を偽ったままでは、貴方は世界に……私にすら、勝てない」


 シュバルツは断言した。そして、刀を構える。


「『英雄殺し』の汚名など、痛くも痒くもありません。時代を混乱させるだけなら、いっそ私がこの手で葬り去っても良いでしょう」


 殺気。今までにも、シュバルツから闘志としての殺気を感じたことはあった。だが、今度のは違う。これは、『結論』だ。シュバルツがシンを殺すという、『結論』。それを回避する術を、シンは持っていない。それが、直感的に理解できた。


(殺される)


 それは予感ではない――事実だ。シュバルツの殺気が、それを指し示している。


(それでも、何もせずに死ねるか!)


 抜刀。それに応えるかのように、シュバルツが跳びかかってくる。


(――速い!)


 これまでにも翻弄されてきたシュバルツの『速さ』。慣れてきたつもりだったが、今のシュバルツはシンの中にあるシュバルツとは別人のようである。『速さ』が、違うのだ。


(ただ速いだけじゃない――リズム、そう……リズムが全然違うんだ!)


 どうにか繰り出される刀を受け流してはいたが、攻めに転じることが出来ない。それどころか、徐々に押され始め、彼方此方に傷が増えていく。


「いつまで耐えられますかねぇ?」


 シュバルツの言葉に悔しさがこみ上げてくる。しかし、実際問題、このままでは耐えられるとは思えない。状況を変えられなければ、シンは死神の抱擁を受けることになる。


(そんなのは、ごめんだ……!)


 強引に前に出る。無傷で済まないのであれば、ある程度は捨てても構わない。その意志を込めた前進に、流石にシュバルツも距離を開けた。


「腕一本を犠牲にしても、ですか? ……そうじゃないんですけれどもねぇ~」


 ガッカリした、とでも言いたげなシュバルツに、こちらから仕掛ける。

 読み、判断、キレ――その全てをギリギリまで上げていく。それこそが『速さ』に繋がる。昨日、ガムシャラに突っかかってシュバルツに敵わなかったのは、身体の動き――キレだけを優先させようとしたからだ。


(実力では敵わないかもしれない……でも、ここで死ぬ訳にはいかないんだ!)


 ひとつ、ふたつ、みっつ。シンとシュバルツの刀が交差する。先程までとは違い、防戦一方ではない、駆け引きができる状態にまで持って来られた。ただ、それはほんの少しの差。僅かにでも崩れれば、バランスは一気に傾く。


「少しはマシになりましたかね。でも……足りませんね、全然」


 加速するシュバルツの刀。五分五分の競り合いだった筈のそれは、徐々にシュバルツ優位へと傾いていく。その傾きを、抑えることが出来ない。


「くっ……!」


 遊ばれている――そんな感触があった。圧倒的優位にある獣が、獲物を仕留める前に遊んでいるような……そんな感触が。


 勝てない。


(ここで、死ぬのか……?)


 シュバルツを殺すことは、自分には出来ない。


(まだ、何も出来ていないのに……)


 ラウルとの戦いで感じた、屈辱的なまでの差。それが、ここにもあった。


(何も変えられない……何も、守れない……)


 何が『十三番目の英雄』だ、こうしてこんなところで死にかけているじゃないか。これの、どこが『英雄』なんだ?


 刀が、弾かれる。手から離れた刀は、大地に突き刺さる。


「終わり、ですかね?」


 シュバルツの、仮面越しに見える瞳が、冷たい光を放っているかのようだ。

 殺される――シュバルツの目は、シンを殺すと告げているようにみえた。


「せめて苦しまぬように……」


 上段に刀を構えるシュバルツ。そこに、『死』をみた。


(――いや)


 まだだ。まだ、死ねない。


 咄嗟に、シャイニング・バーストでシュバルツへの反撃を試みる。威力のコントロールなど、考えもしない。その瞬間に、込められる全ての闘気と魔力を。


 突き出した右の掌底。反射的にシュバルツはそれに対して刀で応戦する。


 勝ったのは、シンのシャイニング・バーストだった。シュバルツの刀は折れ、勢いそのままにシンの掌底はシュバルツの胸部に叩きこまれた。


 吹き飛ぶシュバルツ。シャイニング・バーストは、シュバルツに届いたのだ。


「か、勝ったのか……?」


 ふらつきながら、シュバルツの様子を窺う。コントロールせずに放った所為で、シンの右腕は血を吹き出してボロボロになっていた。これでは、二発目は撃てないだろう。


 これで勝てなければ――そう思ったその時、シュバルツはゆっくりと起き上がった。


「いたた……なるほど、魔術と闘気の技の融合、ですか。これは面白いものをみせてもらいました」


 ダメージが無い訳ではないのだろう。だが、それは想定されるよりもかなり軽度であることが、シュバルツの見た目から予想された。


「……届いたと、思ったんだけどな」


 シンが唇を噛んでそう告げると、シュバルツは「届いてはいますよ」と苦笑したようだった。


「魔術的なダメージは避けられませんでしたけれどもね、闘気によるダメージは受け流すことが出来ましたので。……まぁ、多少は喰らっちゃいましたけどねぇ」


 あの瞬間で、そんなことを? シンは、それを聞いてお手上げだと思った。今のシンには、彼の上を行く技も知識も無い。ダメージ的にも、こちらの方が状況は悪いだろう。


「完敗、か……」


 死を覚悟する。もう、やれることは、無かった。


「諦めが良すぎますね」


 そう言ったシュバルツの声は、いつもと調子が違ったように聞こえた。


「先程の『君』は、死が目前に迫った状況で最後まで足掻いてみせた。絶望的な中でも、生きるために必死だった。その必死さが、今の『君』にはない」


 いつもの、おどけているような調子は無かった。


「生きることを諦められない奴……最後まで生き残れるのは、そういう奴だ。そういう奴らにある必死さが、『君』には足りない」


 そう言ったシュバルツの顔から、仮面が割れて落ちる。


 そこにあったのは、知らない顔だった。――知らない、筈なのだが。


「……アンタと俺は、前にどこかで会っていないか?」


 思わず、そう告げる。だが、シュバルツは首を横に振った。


「今は、『俺』の正体なんてのはどうでも良い。シン・レイナード、改めて『君』に問おう。――『君』は、生き延びるために、相手を斬れるか?」


 シュバルツの目は、まるでシンを射抜くかのような鋭さを持っていた。


「俺は……」


 すぐに、答えられなかった。心の何処かに、迷いがあるのか?

 それを察したのか。シュバルツは、折れた自分の刀を拾うと、その今はなき切っ先をシンに向けた。


「刀に限らないが……武器を持ったら、それは相手を殺すことだと理解しなければならない。そして、それはどんな理由があろうとも、相手を殺せばそれは『殺人』だ。そこに正義も悪も無い。それを理解し、お前は刀を振るえるのか?」


 母を殺され。世界を恨み。世界を変えるために、この世界を壊してやるのだと……そう誓い、武器を手にした。その過程で誰かを殺すことになるだろうと、理解していたつもりだった。だが、しかし……。


(ラウルと戦い、こうしてシュバルツと戦って……俺には、絶対的に足りないものがあると、わかった……)


 技ではない。力とか、そんなものではない。今のシンに欠けているもの……それは、この世界に対する執着――何が何でも生き抜いてやるという、意志なのだろう。


「たぶん、『君』は優しすぎるんだ。本当なら、こんな世界に居るべき人間じゃないんだろう……でも、『君』はこうして生まれてしまい、巻き込まれてしまったんだ。だから、選ばなければならない」


 シュバルツはそう言うと、少しだけ、哀しそうな表情をした。


「他の誰かを殺して生き延びるか、殺さずに死ぬかを……」


 シンは、答えられなかった。


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