第9話 シュバルツとの邂逅
しまった、と思った時には手遅れである。――そう教わったし、修行中の経験としてもそうであった。「しまった」などと考えている間に、事態は最悪の方向へと進んでいるのだ。
(接近に、ここまで気が付かないなんて……)
自宅付近の森の中で鍛錬中だったシンは、近づいてくる存在に自分が気がつけなかったことに驚愕しつつも、身構える。
これまでの刺客とは違う、シンに己の気配を悟らせない実力者……『敵』だとすれば、厄介な相手だ。
(気配を消して近づいてくる相手が、『敵』ではないなんて……甘い考えだよな)
腰の刀を、いつでも抜けるように構える。――いつでも斬れるように。
「やぁやぁ、驚かせてしまったみたいだねぇ」
現れたのは――『赤い涙を流す白い仮面』を着けた、黒スーツの男(?)だった。
「誰だ、アンタ」
シンの質問に対し、仮面は「おぉ!」と手を打った。
「申し遅れました。ワタクシ、シュバルツと申します。とある御方のご依頼により、シン・レイナード様にお会いするべく参上いたしました」
恭しく礼をする、シュバルツと名乗る男。
細身の長身――シンよりは背が高いか? 一見、ただの優男(?)風に見えなくもないが、感じる『雰囲気』からは、鍛えられた『戦士』の匂いがある。
「『とある御方のご依頼』、ね……。それで、アンタの雇い主は、俺に何の用があるんだ?」
「その御方は現状を大変憂いていらっしゃいます。現状を打破すること――それが、その御方の望みです」
――現状の打破。その『現状』とは、何を指すのかでソイツの立場は変わる。
「現状の打破、ね……具体的には、どうしたいんだ?」
「簡単な事です。貴方が英雄として認められること、それだけですよ」
求めている答えを吐く奴ほど警戒しろ。耳障りの良い言葉を信じるな。――エステルの教えを思い出し、警戒する。
「俺は、英雄になるつもりはないんだけどな」
そう答えると、シュバルツは笑った。
「――何が可笑しい?」
「いや、失礼いたしました。――聞いていた通りの方なのだなと、思ったので」
聞いていた通り、か。――その依頼主とやらは、シンについてそれなりに調べているということか。
「『世界』を破壊し、新しい『世界』を切り開く。それが貴方の望みだとお聞きしています」
シンは、警戒を強めた。シュバルツは――彼の依頼主は、自分の望みを知っている。シンは普段、声を大きくしてその望みを口にしている訳ではない。それを知っているのは、親しい者――フォートラン家の者か、シンを襲撃してきた者達だけだ。
「究極の二択だな」
「――は?」
思わず零れた言葉に、シュバルツが不思議そうに(?)首を傾げる。
「ただの独り言だ。……それより、その依頼主は俺が世界を破壊することを容認する立場に立っていると、そう解釈しても良いのか?」
「そのような解釈で構わないでしょう。そして、その行いこそが貴方を英雄にするとお考えであるとも、言っておきましょう」
シンにとっては都合の良すぎる立場だ。相手の言葉をそのまま真に受けるのは、危険な気がした。
「ふざけた仮面の奴に言われてもな」
「信用できませんか? ……まぁ、無理もないでしょう。ワタクシが貴方の立場でも、そう思うでしょうからね」
苦笑しているらしいシュバルツ。
「まぁ、この仮面はちょっとした拘りでしてね。申し訳無いのですが、外すことは出来ないのですよ」
「顔を隠す奴は信用されない。それが、常識だと思ったけどな」
「仰るとおりです。ですが、その常識を忘れて頂いて、信じていただくしかありません」
「勝手だな」
「仰るとおりです」
嫌味は通じない。
(相手のペースになっているな)
エステルと話している時と似たような、『負け』意識がシンの中で生まれつつある。相手のペースに飲まれているという自覚があった。
「こちらとしても、貴方が英雄として安定した人生を送れるようになれば、色々と好都合であるとだけ、お伝えしておきましょう」
「英雄として安定した人生を送る、ねぇ……物語の中だけの話だろ、そんなのは」
思わず苦笑する。
「いつの時代も、大きな力を持った者は疎まれる。実際に、これまでの英雄達も少なからず揉め事に巻き込まれている『歴史』ってもんがある。報奨金を得て金持ちになればそれで良い、って訳じゃない」
「なかなか痛いところを突かれますね。まぁ、それは否定できません。ですが、今よりも貴方にとっては過ごしやすくなるのではありませんかね? 名実ともに『英雄』となった貴方を害したところで、得られる利益なんてものは無いでしょうから」
「無い訳じゃないだろ。もしも貴族になれば、そこに利権が絡んでくることもある。その場合、不利益を被る奴も出てくるだろう」
「なかなか意地悪ですね、貴方も」
シュバルツは苦笑したようだが、「まぁ、そんなものは今に比べれば問題ない程度でしょう」と強引に結論づけた。
「ほぼ毎日が刺客に命を狙われるのと、将来的に命を狙われるかもしれない、というのでは、もう天と地ほどの差でしょう?」
「結局は命を狙われているけどな」
「狙われるかもしれない、ですよ。そうでない可能性もあります。――それに、そんな未来はいくらでも回避のしようがあります。そこは、貴方次第ですね」
うまくやれ、ということか。
「で、アンタは具体的には何をするんだ?」
望みは聞いた。では、その望みを叶えるためにする行動とは?
「ワタクシの担当は、戦闘面でのバックアップですね。貴方の鍛錬にお付き合いしますし、有事の際は貴方の手助けを致します。それがワタクシへの依頼ですね」
(『ワタクシの』、か。たまたまそういう言い回しになったのか、それとも別に動いている奴がいるのか……)
「アンタが相当強い奴だってのはわかる。――ただ、胡散臭い。そんなアンタを相手に鍛錬をしろと? 戦闘中に背中を任せろと?」
「そこは、信用していただくしかありませんね。それに、ワタクシなら貴方の師匠よりも刀の扱いを、もっと上手く教えることが出来ると思いますよ?」
エステルについても詳しいようだ。だが、エステル以上に刀の扱いを上手く教えられる、という自信が何処から来るのか。
彼女は刀を使う剣士としては、凄まじいものがある。それは学院に入って多くの人間と模擬戦を繰り返し、そして先日のラウル・クリューガーとの戦いで実感したことだ。
「先生よりも、ねぇ……?」
「疑わしいですか? ですが、今の彼女は刀の扱いに難がある。――昔の彼女ほどの鋭さは、今はありませんね。それは、教えることにも影響していると、ワタクシは判断しています」
昔のエステルを知っているかのような口ぶり。そして、彼女が刀に対して思うところがあるのを知っている……?
「アンタ、一体何者なんだ……?」
シンの問いに、シュバルツは苦笑したようだった。
「何者でしょうかね……かつて馬鹿な夢を見て、飛べると信じて崖から飛び降りた馬鹿者の成れの果て――でしょうか?」
シンは、エステルから聞いた昔話を思い出した。エステルが潰した『とある家』の話――シュバルツは、その関係者ではないのか?
「……まぁ、ワタクシが何者かなんてのは、どうでも良いことです。大事なのは、まずは貴方がワタクシを殺せるくらい強くなることです」
とんでもないことを言い出す。
「自殺願望でもあるのか?」
「いえいえ。――ただ、英雄に殺されるのであれば、それも悪くはないなと思うだけですよ。剣は人を殺すためにある。相手を殺さないで済ませる剣なんてものは、子供のおもちゃみたいなものです」
シュバルツの言葉に、妙な重みを感じる。コイツは、殺すために剣の腕を鍛えてきた――そう直感した。
「貴方の師匠は、本来の実力としてはワタクシよりも上でしょう。ですが、今の彼女は本来の実力を発揮できないでいる。それは、『殺す剣』に対する迷いです。生死を分ける戦いの中で、その迷いは致命傷です。ですから、ワタクシが代わりに、貴方に『殺す剣』を教えましょう」
「その剣で、俺が斬るのは貴族になるとしても?」
「血が流れないで済むのなら良いですが、そうなったとしても仕方ありませんね」
「それで国が混乱しても?」
「それが『世界』を破壊するということでしょう」
シュバルツの言葉に、ふざけた感じはなかった。
「わかった。アンタの言葉を信じたつもりになってやる」
「信じたつもり、ですか?」
「信じて欲しければ、仮面を取るんだな」
そう答えると、シュバルツは「師匠に似て手強い人だ」と笑ったようだった。
☆ ☆ ☆
シンは、目の前で起きていることを信じられなかった。
(追い切れない……!)
シュバルツの「まずは一回、貴方の力を直に確認させてください」との言葉に、シンは応じた。シュバルツは素手だったが、シンには刀を使うようにと勧めてきた。
『本気で来てください。そうでなければ、意味が無いですからね』
言葉にそのまま従うのは癪だったが、シュバルツの実力を確かめるためにはそうした方が良いのは分かっていた。だから、全力でシュバルツに向かった。
しかし――。
「駄目ですね、ダメダメです。そんな『遅さ』では、刀を活かし切れない」
苦戦したあのラウル・クリューガーよりも強い。それは明らかだった。先程から攻撃は受けていないが、それがただ逃げているだけでないことは、シンにはわかっていたのだ。
(いつでも攻撃できるのに、それを敢えてしない……実力に、差がありすぎるんだ)
下唇を噛む。まるで相手にならない。奴の言う通り、エステルの本来の実力がシュバルツ以上であるとすれば、確かに今のエステルは本来の実力からは程遠いのだろうと思わされる。
「刀が死んでいますよ。なかなか良さそうな刀なのに、勿体無い」
追いかけても、捉えられない。待ってもシュバルツの『攻撃をしない接近』に手も足も出ない。
(奴が殺す気なら、とっくに死んでいる……)
それは、紛れも無い事実。スーツでこれだけの動き、もしも戦闘用のちゃんとした装備だったら……奴が、武器を手にしていたら……。
シンは、ゾッとした。かつて味わった死の恐怖――あの、全身の血が凍りつくかのような感覚を、今、再び味わっていた。
死ぬのは、嫌だ。
パニックになりかけた思考が、急激に冷まされていく。
刀を鞘に納める。勝負は一瞬。
足りない速さは、どうにもならない。だったら、自分の最高の速さで挑むしか無い。
単純明快。生き延びるための道は、そこにしかない。
「諦めましたか? それとも、覚悟を決めましたか?」
奴の言葉に動揺することもない。やることを、やるだけだ。
距離をなるべく縮める。闘気で身体中の筋肉を活性化させ、その瞬間に備えて力を貯める。
一瞬で良い。一瞬で爆発させ、勝負を決める。
勝つか、負けるか。生か死か。
間合いギリギリ。
(決める……!)
強烈な力で踏み出し、距離を縮める。
鞘から刀を抜き、勢いそのままにシュヴァルツを斬りつける。シンにとって最速の剣技、『居合い』。防御なんて考えず、その一撃に集中した。
――渾身の一撃は、『何か』に弾かれた。
吹き飛ばされ、尻餅をついたシン。シュヴァルツを見ると、彼の右手には、光り輝く『闘気の剣』が握られていた。
「いやぁ、今のは危なかったですね」
そう言ってシュバルツは『闘気の剣』を消した。
「思わず奥の手を出してしまいました。出さなくても大丈夫だと思っていたのですが、侮りすぎでしたね」
闘気をあそこまで集中させ、武器として扱うのはかなりの闘気量と『センス』が必要だと、かつてエステルに教えられた。シンは、未だにあれほどの『闘気の剣』を形成することは出来ない。エステルが言うには、闘気のコントロールが雑なせいだということだが。
「貴方の現状の実力は把握出来ました。ひとつひとつが惜しいレベルで足りないですね。結果的に、総合でかなりのマイナスになっていると言えるでしょう」
シュバルツの評価に、シンは何も言えなかった。
「しかし、絶望的ではありません。貴方なら、ワタクシや貴方の師匠よりも強くなれる。そう確信出来ました」
「アンタよりも、強く……?」
これほどの差を見せつけられ、シンにはその言葉が信じられなかった。
「基礎部分は申し分ありません。ですが、貴方は少々、思考の部分に難がありますね。そして、それぞれの技術的部分にも粗さがある。それらを解決すれば、強くなれますよ。貴方よりも強いワタクシが言うのです、信じてください」
胸を張るシュバルツ。その身振りを見て、シンは苦笑した。
(何だか、コイツは憎めないな……)
何故か、彼に対する不信感は和らいでいた。無い訳ではないのだが、信じてやっても良いだろうと、そんな風に思えるようになっていた。
「わかった。シュバルツ、アンタに鍛えてもらうことにする。どちらにしろ、俺は今、アンタに殺されたようなもんだ。だったら、この後でアンタに殺されても同じことだ」
そう言うと、シュバルツは「妙な悟り方ですね」と苦笑したようだった。
「まぁ任せて下さい。きっと貴方を立派な『英雄』に育ててみせますから」
「よろしく頼むよ」
シンはその『赤い涙を流した仮面』の男に右手を差し出す。
「ワタクシも貴方も、一度は死んだも同然の身。死んだ筈の人間同士、仲良くやりましょう」
よくわからないことを言いながら、シュバルツはシンの右手に応えた。
☆ ☆ ☆
シンは自宅に戻ると、エステルに「何やら騒がしかったな」と問われたが、「少し派手にやり過ぎました」と惚けた。「そうか」と言うと、エステルはそれ以上何も聞いてこなかったので、シンもそれ以上は何も言わなかった。
エステルに対して隠し事をしているのは心が痛んだが、彼女が『わかっていて』聞いてこない以上、シンも何も言うつもりはなかった。