序章 望まぬ始まり
「あの子と遊んではいけません」
同世代の子供が母親からそう言われているのを聞いてしまった時、何故自分が避けられているのかは分からなかったが、自分が他人とは『違う』存在なのだということを感じた。――楽しそうに遊んでいる子供の中に、自分の居場所は無いのだと分かってしまったのだ。
幼い頃から、友人と呼べる存在は皆無だった。避けられていたし、途中から自分でも積極的に他人に関わろうとはしなくなった。最初は母親に「どうして僕は皆と違うの?」と泣きついて困らせていたものだが、十二歳になった今ではそんな事も無い。ただ、去年から物好きな少女が側にいるようになったのは、今までとは違う事だった。
「シン、遊びましょ!」
「また来たのか。……君って、暇なんだね」
馬鹿にするように言ってみるも、少女――マリアは気にしていないようだった。ずっとそうだ。初めて会った時から、彼女は嫌味も気にせず、自分に声をかけ続けていた。「君と遊ぶつもりはないよ」と言っても、彼女は「でも一人だとつまらないでしょ?」と強引にあちらこちらへと自分を連れ回した。
金髪碧眼、派手ではないが綺麗な服。どう見てもどこかの貴族の子だったが、彼女は頑なに家の名前を言わなかった。気にはなったが、そのまま問い続けるのも面倒だと思い、いつしか聞くことはやめにした。そんな彼女が何故、自分と遊びたがるのか。気になってはいたが、その理由もはぐらかされるために聞くことをやめていた。
「僕と遊ぶと不幸になるって言われているの、知ってる?」
木に背中を預けて座っているシンの頭に花冠を載せているマリアに、何となく聞いてみる。
「私は幸せだよ?」
彼女はそう言って笑った。その笑顔を見て嬉しくなった自分が、少し恥ずかしくなって急に立ち上がると、マリアが驚いてコケた。
「もう! 急に立たないでよ~!」
そう言って怒る彼女だが、あまり迫力はなかった。
「女の子は女の子と遊ぶのが普通じゃないか。何だって僕のところなんかに……」
「私、友達がシンしかいないもの」
友達――彼女は自分のことを、そう呼んだ。
「僕は、君の友達なんかじゃない」
「普通、一緒に遊ぶ相手を『友達』って言うんだよ?」
そんなことも知らないの? と言いたげな彼女の顔にムッとしたが、堪える。そんなことで怒るのは、何というか……無駄だと思ったのだ。
「いつも君が来て、僕を引っ張っていくだけじゃないか……」
「でも、ちゃんとシンは私と遊んでくれるじゃない。私達は、友達だわ!」
何故か嬉しそうに笑うマリア。嬉しく思う反面、どうしても「何故、僕と遊びたいのか?」という疑問が胸の中で蠢く。そして、一度問うことをやめてしまったら、もう一度問うことが恐ろしくなってしまっていた。
何故、僕と遊びたいの? そう聞いてしまったら、今のこの瞬間が終わってしまうような気がした。
マリアと別れ、自宅へと帰る道。街の中心部へと帰るマリアとは違い、自分は小さな村に住んでいる。それを不便と感じたことはないが、今はマリアと会える時間が限られてしまうことを、どこかもどかしいと感じていた。
いつの間にか下を向いて歩いていたが、ふと顔を上げると、自宅の前に武装した男達――街の警備兵だ――が集まっていた。
(何かあったのかな?)
泥棒騒ぎも無いこの平和な村に、警備兵が来るのは珍しいことだ。しかも自宅の前にいるということで、妙な不安を覚える。
「黒髪に黒い瞳……シン・レイナードに間違いないな?」
近づくと、兵の一人にそう尋ねられる。――その顔は、やけに厳しいものだった。
「そ、そうですけど……何があったんですか?」
恐る恐る尋ねる。警備兵の顔は、学校の冷たい先生よりも怖かった。
「とある方のご命令でな……悪いが、君には死んでもらわなければならない」
一瞬、何を言われたのか理解できなかった。だが、突き付けられた剣や槍が、自分に対して向けられているのだと理解して、困惑した。
「ど、どうしてですか……? 僕は、何もしていません!」
母は、自分に常に恥ずかしくない行動を心がけなさいと言い聞かせていた。ちゃんとそれを守って、母に恥ずかしい思いをさせないようにしてきたつもりだ。殺されるようなことなど、した筈が無いのだ。
「何が罪かと言えば、その存在自体が罪なのだよ、シン・レイナード。……君には同情するが、ここで死んでもらわなければならない」
そう言って剣を構える警備兵を、「こんなの嘘だ」と、思わず口に出して見つめる。
腰が引けて、よろけたシンは尻餅をついてしまう。
そして、気がついてしまった。――自宅のドアが、半開きになっていたことに。そして、その隙間から、倒れている母の姿が見えることに……。
「母さん!」
呼びかけに、母は応えなかった。そして、これはどういうことか聞こうとした警備兵の剣が、濡れているのに気がついてしまった。
――その剣は、赤黒く……濡れていた。
「――すぐに、母親の元へ連れて行ってやろう」
その言葉で、分かってしまった。母は、もうこの世の人ではないのだと……。
「『十三番目の英雄』よ、災いを及ぼす前に、この世から立ち去れ!」
混乱する中、一方で冷静になっていく自分を感じた。
コイツらは、村の親達と同じく、自分を『呪われた十三番目の英雄』だと言う。そして、だからこそ殺すのだ、と。それが人々を守る警備兵の仕事なのだ。……だからと言って、何故母が殺されなければならない?
「……僕が、『十三番目の英雄』だから――母さんは、死ななきゃいけなかったのか?」
「この世にお前を産んでしまったことが罪であり、庇い立てしたことも罪だ。……抵抗しなければ、死ぬことはなかっただろうがな」
誰にともなく問うたその問いに、母を殺したであろう警備兵が答える。
母は、自分を庇ってくれた。その事実だけが清らかなものであり、今この場にある現実は、吐き捨てたくなるようなものだった。
「――死ねば良い」
「……何だと?」
思わず口をついて出た言葉だったが、もうそれを隠そうとは思わなかった。
母が罪人だと? だったら、ただ息子を守ろうとした母親を斬り捨てたお前達は罪人ではないのか?
「母さんが殺されて、お前達が生きているなんて……おかしいじゃないか?」
身体が、熱い。内側から、何かが溢れ出てくるような感覚がある。
思わず叫びだしそうになる、不可思議な『勢い』を感じていた。
「お前らなんか……死んでしまえ!」
身体の内側で暴れる『力』を、抑えようとはせずに、全部出してやる。叫んでしまえば良い。――シンは、己の直感とでも言うべきその衝動に従った。
我慢する必要なんて、無い。それで何かが終わったとしても、どうでも良い。母が死んだのだ。もう、何も気にする必要はない。
そして、遠くなる意識の中、まばゆい光に辺りが包まれていくのを見ていた。
☆ ☆ ☆
「――ド。シン・レイナード」
誰かに抱きかかえられている。重い瞼を開けると、そこには二十歳前後くらいの、金髪碧眼の青年の顔があった。
「――誰、ですか……?」
身体が怠い。まるで重い風邪をひいてしまった時のように、喋るのも辛かった。
「私はレオン・フォートラン。――フォートラン家の次男で、王立騎士団の騎士だ」
フォートラン家。――たしか、国でかなりの力を持つと言われる家だ。子供だって知っている、有名な貴族の名だった。
「遅くなってすまない。もう、大丈夫だ」
この人は、何を言っているのだろうか? 彼の言う、「もう大丈夫」とは、何のことだ……?
そこまで考え、シンは自分の身に何が起きたのかを、ようやく思い出した。
「――そうだ……帰ってきたら、警備兵がいて……死んでもらうって……母さんが……」
「もう良い。今は、ゆっくり休むんだ」
レオンはそう言うが、じっとしていられる筈がなかった。
「――母さん……母さんを、助けなきゃ!」
レオンの腕を振り払い、ふらふらと立ち上がる。
しかし、己の視界に飛び込んできたその光景に、身体中の力が抜けてしまい、膝を着いてしまった。
「――何だ、これ……」
家があった筈のそこには――僅かな瓦礫以外、何もなかった。
「――状況から、おそらく君がやったんだろう。推測に過ぎないが、君の怒りが、引き金になったのかもしれないな……」
冷静に、そう告げてくるレオン。
「――僕が? ……これ、を?」
そこで、うっすらと思い出す。意識が無くなる直前、自分が何を望んだのかを。そして、最後に見た光景を……。
「お兄様! シンは……?」
聞き覚えのある声に、ゆっくりと振り向く。――そこには、駆け寄ってくるマリアがいた。
「マリア? どうして……」
そこで、シンは気がついてしまった――何故、自分の側に彼女がいつも居たのか。理由を聞いても、何故答えてくれなかったのか。
「そういう、こと、なんだ……」
何故か、おかしくなった。笑いが止まらない。
「シ、シン……?」
心配そうな声をかけてくるマリア。――その声が、たまらなく嫌だった。
「もう、内緒で見張る必要なんか、無いんだから……どっか、行けよ」
自然と厳しい口調になったが、それで心が痛むことはなかった。
「シン、私は……」
その先を聞くことは出来なかった。彼女は、その先を口にしなかった。
「馬鹿みたいだ。勝手に運命を決められて、コソコソ見張られて……ついには、母さんを殺されたよ」
「シン・レイナード、我々は――」
「アンタ達が何だって、もう、どうでも良いよ」
興味なんか無かった。今、目の前にあるのが現実だ。その裏話を聞いたところで、母は生き返らないし、今日起きた出来事が無かったことにはならない。
馬鹿みたいだ。こんな自分にも、友人と呼べるかもしれない存在が出来たのかもしれないなんて、分不相応に思ってしまったりして。その罰が『これ』だとしたら――神は、何て容赦の無い存在なのだろうか。
「ほんと、おかしいよ……」
笑いが止まらない。
おかしかった。この世が。振り回されている自分が。
それなのに。
「あ~あ」
どうしてだろう。
涙が。
「ほんと、馬鹿みたいだ……」
涙が、止まらなかった。
シン・レイナード、十二歳。この日、唯一の家族である母を失った。それは、彼が『十三番目の英雄』と予言された者だったからという、それだけの理由で――。