紫陽花の香[1]
ああ、この世界はなんてすばらしいのだろう。
誰もが振り向く美貌を持ったこの私。
いるだけで幸せになれる、“私”という存在。
“私”が存在することで輝く色彩を持つこの世界。
ああ、愛おしい。
さらりと流れる絹のような黒髪
澄んだ瞳に、ぱっちりとした目
すっと通った鼻筋に、化粧など必要のない白い肌に薄く紅のさした頬。
日本人ならではの魅力を十分に持った彼女は、人望も厚く、大変人柄もよいことで、男女共に人気を得ている。
その美貌から、幾多の芸能事務所からスカウトされているが、彼女は自身の美貌を鼻にかけることもなく、全て断わっている。
そんな彼女は、夜、見知らぬ森を歩いていた。
自身の記憶が正しければ、すでに床についているはずなのだ。
森には一切の明かりはなく、薄く広がる紫色の霧。
それは、奥に行けば行くほど濃くなっているように見える。
薄いほうが出口だろうと、先ほどから歩いているが、それもだんだんと濃くなる一方だ。
なにも履いていない足も少しずつ傷ついてきて、蝶よ花よと大切に育てられた彼女には、まさに地獄のような場所だった。
ガサリ
突然、周りの森がざわめき、得体の知れない寒気と頭の奥で鳴り響く警報とチクチクとした頭痛。
森も先ほどよりもざわついてきた。
彼女は怖くなった。
足が痛いとか、全身に力が入らないとか関係なかった。
ただ怖くて怖くて、ひたすらに恐怖したのだ。
だから走った。がむしゃらに走った。
周りなんて見えていなかった。
自分がどんな道を走っていて、そこに何があるかわからなかった。
自分の持つ全速力で走った。
どれくらい走ったかなんてわからない。
足の感覚がなくなり、心臓が破れそうなくらいドクドクとなっている。
呼吸するのもままならなくなり、頭も霞がかってきた。
もうだめだ。
その一言が頭をよぎると、途端に体中の力が抜けて、その場にぺたりと座り込んでしまった。
荒れる呼吸を落ち着かせようと、深呼吸を繰り返すが、なかなかうまくいかない。
涙で揺らぐ視界をふと上げると、遠巻きにも見える城が見えた。
彼女は幼いころに見たある童話を思い出す。
薄暗い場所にある城には野獣が住んでいるという童話だ。
しかし、このまま当てもなく森をさまよっていても仕方がない。
たとえ野獣であっても、童話では、女の子に優しいはずなのだ。
彼女は立ち上がって城を目指す。
近づくたびにその大きさに圧巻される。
いままで見たことのないような大きさで、深い森と霧で禍々しさをかもし出している。
だが、城の前にある巨大な門は白に金の装飾を施されていて、暗く陰湿で蔦が絡んでいる、という廃墟のような薄気味悪さなどない。
むしろ毎日丁寧に管理されているかのような清潔さだ。
自身のイメージの違いに一時呆然としていたが、こんな綺麗な場所に野獣が住んでいるわけがない、と確信すると、ほっと息を吐き、門の外からでも見える城を見上げた。