杉の香
マリーが正面玄関の豪華な扉を開くと、戸惑った様子で彼女を見上げる少年がいた。
「おねーちゃんが魔女?」
「そうじゃ。
童に叶えてほしい願いがあるのだろう?」
少年は恐怖と嬉しさが混ざった複雑な顔のまま頷く
「話は中で聞こう。
ついてきなさい」
マリーは少年を城へ招きいれると扉をゆっくりと閉める。
少年は不安に満ちた表情でマリーを見上げるが彼女はどこ吹く風で歩いていく。
「少年。
城でも迷いたいのか?」
マリーの一言で少年はゴクリと喉をならして恐る恐るマリーの後についていった
少年が案内されたのは豪華なシャンデリアが輝き部屋全体が真っ白に染められている立派な一室だった。
部屋にあるもの全てが純白で、まるでこの部屋には何も無いような錯覚を覚える、そんな部屋だ。
少年はマリーを見た。
真っ白な部屋に彼女の紅い髪と漆黒のドレスが異様な存在感を出している。
マリーは大きなソファに寝ころび少年に座るように指示をする。
少年が適当な席に腰かけるとタイミングよく扉がノックされ、黒い髪の少女が入ってきた
「オレンジジュースでよかった?」
「う、うん」
音もなくテーブルに置かれた冷えたオレンジジュースと湯気の立つ紅茶
カップを置いた少女はそのままマリーにいちばん近い椅子に腰かけた。
「まずは自己紹介、じゃな
童はマリー。こっちがエリーゼじゃ。」
「ぼくはアランっていいます。」
「ではアラン。
ここにくるほど叶えたい願いとはなんじゃ?」
「ぼくのママが病気なんだ。
病院に行っても治らなくて…」
マリーは寝ころんだまま少年の話を聞いた。
マリーには家族と呼べる者がいない。
もちろん母の愛など感じたことがないし、子供が母を思う気持ちもわからない。
しかし、彼女には知識や経験があった。
知識としてはそれらを理解していたし、同じような願いも叶えてきた。
まだ小さな子供や、生まれてきていない子供からの願いもあった。
マリーは差別が嫌いだ。
したがって少年の願いがどんなに興味がなくとも叶えることはできる。
「つまり母の病が治ればいいのじゃな。
アラン、貴様は病を治す代わりに童には何をくれる?」
「え…と?」
「まさか願えばなんでも叶うとは思うまい?
願いを叶えるにはそれ相応の対価が必要じゃ。」
「ぼく、今はなにも持っていないんだ…」
「なにも今すぐにとは言ってはおらぬ。
何年たってもよい。
貴様が病を治すのに必要なだけの対価を払えばいいのだから。」
「…ぼくにできることならなんでもするから、はやくママの病気を治して!」
「その言葉、後悔するでないぞ」
話がまとまったところでエリーゼが小さな包みをアランの目の前に置いた。
「それが病を治す薬じゃ。
母に飲ませるがよい。」
そしてアランがそれを手にとったときエリーゼが再び包みを置く。
「それは童からの選別じゃ。
城から出たあとはそれを肌身離さずに持ち歩くといい。
どうなっても童には関係のない話だがな。」
「うん!
ありがとう!」
少年は期待と希望を胸に帰路へついた
「マリー、あれは杉の欠片でしょ?」
「あやつにはぴったりの選別ではないか」
飲み終えたカップに再び紅茶を注ぎながらエリーゼはマリーを見る
彼女はつかれたとでも言いたげな表情で大きな欠伸をすると再びソファへと体を沈めた。
「ママ!
ぼく魔女にあったんだ!
ママの病気を治したいって言ったらこの薬をくれたよ」
「魔女に?そんなもの信用でいないわ!
今すぐに捨てなさい!」
「でも、この薬でママの病気が治るって」
「いい?
魔女は本当に危険なのよ!
何回も言ったでしょ?」
「でも、ぼくにもプレゼントをくれたんだ!」
少年がポケットから包みを取り出すと母親はそれを奪ってゴミ箱へ投げ捨てた。
「魔女のことは忘れなさい。
アランは普段どおりに過ごしていればいいのよ」
「うん…」
一週間後、幼い少年とその母親の葬儀が行われた。
母親は病が急激に悪化して病死、少年は原因不明の即死だったという。
「杉の花言葉は“死”じゃ。
すでに瀕死の母を助けることなどできぬのだよ」
「マリーまた来たみたいだよ」
「…今日はもう終いじゃ。
森にでも放置しておけ。
願いを勝ち取るのは一人じゃ」
「“番犬”がまた増えるよ?」
「かまわぬ。」
マリーはすっかり冷めてしまった紅茶を一口飲んだ。