嫌われる絵 それのかたち
絵を描くということは、自分にとっては脳内に渦巻くイメージを具象化するということだ。
それは頭の中にあるうちは掴みどころがない。ふわふわとしている。そのふわふわひらひらとしたイメージの輪郭を捕まえる。色を感じる。線を引く。この辺にこれが。ここにこんな色が。そんな光の。その世界の。その空気の。
絵がまだまだ描けなかったころ、それはほとんど捕まえることができなかった。イメージがゆるすぎる。捕まえようとすると霧散してしまう。しかとイメージが固まっていたとしても、描けるようにしか描けないから、技術が表現が追いつかなくてそのイメージと同じにならない。描き終わった絵に首を傾げることになる。自分は確かにこう描こうとした。しかし頭の中にあったものとは少し違うように思える。
そんなことの繰り返しで、やっと最近になってかなり頭の中の画面に近く描けるようになってきた。あるいは自分の描ける範囲であったり、技量であったりを心底理解できてきたのかも知れない。どのくらいまでイメージできれば迷わないのかわかってきただけかも知れない。でもとにかくイメージと現物の絵との乖離にストレスを感じることはない。これはものすごく気持ちがいい。自分の絵は万バズしたりとか、フォロワーがぼろぼろ増えるとかそういうことは一切ないが、そんなことはどうでもよくなる。自分は描きたいものが描けるのだ。これ以上のことはない。
先日、生成AIを使って画像を作るのは自分のイメージを出力することができなかった人にとっては救世主だったのだ、というポストを見た。
なるほど。と思った。絵が描けない、文章が書けない、言語化がうまくできない。でも頭の中に確かに渦巻くものがある。これはつらい。つらいだろうと思う。つらかった。自分も。ふわふわフラフラと掴もうとすればするほど形を変えるそれを引きずり出してなんとか形を与えるのは。「イメージ通りに/近く描けた」と思えるようになるまでは。AIにそのふらふらとしてひらりと逃げるぼんやりとしたものを、単語でもいい、雰囲気だけでもいい、入力すれば何らかの形にして与えてもらえる、それは確かに希望だと感じられるかもしれない。これこそ自分が出力したかったイメージなんだと。結果に首を捻ることもない、実力の不足に唸ることもない。そこに忽然と、完成度の高い「自分の世界」が現れる。
しかし自分にはどうしてもそれを「素晴らしい」とは思えない。
別に「生成AIだから」というのはどうでもいい。ドラえもんの道具だっていい、形にならないその頭の中のものを、何かが確かな具象に変えて出力してくれる、それを全然素晴らしいとは思えないのだ。
だってそれはとてもふわふわしているからだ。強引に手を突っ込めば消えてなくなるくらいに定まっていないからだ。そのとき頭に思い浮かんだキーワードをちょっと生成AIに打ち込んだくらいで、本当にそれがそのかたちになってでてくるはずがない。何が起こっているのかというと、生成AIが勝手に「あり得そうな形」「統計上そのキーワードでよく検索される形」を組み合わせて出しているのだ。そしてその一見きちんとして見える「完成形」が目の前に提示されてしまうことによって、「自分が見たかった形はこれかもしれない」と思い込んでしまうんじゃないかと思う。でもそれで膝を打つ人に尋ねたい。「ほんとうに?」と。その、どこかで見た構図、どこかで見た絵柄、説明的なポーズ、それが本当にあなたの頭の中にあった景色なのか、と。
自分はそれを承服できないのだ。そんなものじゃない。そんな色じゃない。そんな表情じゃない。そんな世界ではない。その世界は自分の世界ではない。あんたはそんな誰かの「よくある統計に基づいた」寄せ集めの世界に自分の世界がすり替えられて何とも思わないのか? それともすり替えられたことに気づかないのか?
「だいたい合っていればいいんだ」というのは一つの考え方だと思う。自分もまだ思った通りになんてぜんぜん描けなかったころに生成AIがあったら使って出して「まあこれでいいか」と言っていたかも知れない。ただ一旦自分の思う通りに描けるようになってしまうと、自分の脳みその中身の断片すらわかってない訳知り顔のAIなんかに勝手に作られた「それっぽい」偽物なんてあるだけ邪魔だ。それはむしろ自分の中にある幻のような淡いイメージを塗り潰して消してしまう。しかもそれで充足するならば、今のように「思い通りに描ける」状態まで自分を持っていかなかった、その必要を感じなかっただろう。自分が未熟なころに生成AIというものが存在していなくて本当に良かった。
頭の中を具象に変える、というのは、どんなに細かく指示を出そうと、例えば人間のイラストレーターに頼む時でさえ、その脳みその持ち主本人にしかできるわけがないと思っている。自分の脳みその中身は自分にしか見えず、それを目にしているのは世界中で自分だけで、それは統計とか確率とか流行り廃りで割り出せるものではないからだ。




