表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
8/10

6.遺跡深部 ――兆候

 遺跡の最深部は、静かすぎた。


 風は届かず、水滴の音もない。

 石と石の隙間にすら、時間が止まっているような感覚があった。


「……おかしいですね」


 ラオンは立ち止まり、低く呟いた。


「え? なにが?」


 後ろを歩いていたティナが、少しだけ声を潜める。


「遺跡内部に、魔力の流れが存在しません」


「それって……危ないやつ?」


「危険というより、不自然です。本来、どんな場所にも微弱な循環はある」


 ラオンは杖を軽く床に当て、感覚を探るように目を伏せた。

 だが――何も返ってこない。


 まるで、世界の一部が切り取られているかのようだった。


「……無音ですね」


 ラオンはそう評した。


 自分でも、その言葉の選び方に違和感を覚える。

 いつもなら「反応なし」「異常値」と表現するはずだった。


 無音。


 それは感覚的な言葉で、感情に近い。


 ティナはラオンの横顔を盗み見る。


「ラオン、大丈夫?」


「問題ありません。異常を検出しているだけです」


 即答だった。

 あまりに即答すぎて、ティナは逆に胸がざわつく。


 二人はさらに奥へ進む。


 壁には、古い壁画が刻まれていた。

 人、蝶、そして――人の胸から生まれる光。


「これ……」


 ティナが息を呑む。


「幻夢蝶の壁画、だよね?」


「可能性は高いです」


 ラオンは壁画を見つめる。


 そこに描かれた“人の表情”を、じっと。


 喜び。

 悲しみ。

 喪失。

 そして、再生。


 理解できないはずのものなのに、視線が離れなかった。


「……説明がつきません」


「なにが?」


「壁画を解析しようとすると、処理速度が低下します」


 ラオンは小さく眉を寄せる。


「通常、私はこの程度の情報量で遅延しません」


 ――遅延。


 それは初めて起きる現象だった。


 胸の奥が、わずかにざわつく。

 違和感とも、不快とも言えない。


 ただ、“何かが動いている”感覚。


「ラオン……それって」


 ティナは言葉を選ぶ。


「もしかして、蝶が近いってことじゃない?」


 ラオンは否定しようとした。

 だが、否定するための論理が、なぜか組み上がらない。


「……仮説としては、否定できません」


 その瞬間だった。


 空間の奥――

 祭壇のような石台の上で、淡い光が揺れた。


「光ってる!!」


 ティナが思わず声を上げる。


 それは蝶の形ではなかった。

 だが、確実に“何かが生まれかけている”兆候だった。


 ラオンは一歩、前に出る。


 その瞬間――


 胸が、わずかに痛んだ。


「……?」


 彼は足を止める。


 痛みではない。

 衝撃でもない。


 理由のない、締め付け。


「ラオン!?」


「……問題ありません」


 反射的にそう答えたが、

 自分の声が、ほんのわずかに震えていることに気づいた。


 なぜ。


 解析しようとする。

 だが、原因が数値化できない。


 ラオンは初めて、自分の胸に手を当てた。


 ――そこに、何がある?


 祭壇の光は、ゆっくりと脈打つ。


 まるで、呼吸するように。


 ティナは、ラオンの手元を見ていた。


 彼が“無意識に”胸を押さえていることを。


 それが、彼女の胸を強く打った。


(……あ)


 ティナは、確信する。


 これは、遺跡の異常じゃない。

 幻夢蝶の兆候でもない。


 ラオン自身が、変わり始めている。


「ラオン」


 ティナは、静かに名前を呼んだ。


「無理しないで。今日は、ここまでにしよ?」


 ラオンはしばらく黙っていた。


 進むべきか。

 退くべきか。


 いつもなら、即座に判断できる。


 だが今は――

 なぜか、ティナの声が判断材料として重く残る。


「……一時撤退が、合理的ですね」


 そう言って、彼は踵を返した。


 祭壇の光は、消えなかった。


 むしろ、二人の背を見送るように、

 いっそう柔らかく瞬いていた。


 その光の中で――

 まだ形にならない“蝶の兆候”が、確かに息づいていた。


 それは、

 感情が戻る前触れであり、

 同時に、失われる何かの予告でもあった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ