5.遺跡内部探索(ラオンの判断ミス)
遺跡の入口は、思っていたよりも小さかった。
岩壁に半ば飲み込まれた石造りの扉は崩れ、蔦と苔に覆われている。王都の文献で見た図版より、ずっと控えめで、ひっそりとしていた。
「……ここが、幻夢蝶の記録が残る遺跡」
ラオンは淡々と呟き、杖を軽く地面に当てる。
魔力の反響を測るための、いつもの癖だ。
「わぁ……思ったよりロマンある……!」
ティナは目を輝かせ、崩れた石段の前でくるりと一回転した。
「ね、ね! いかにも“何かが起こりそう”じゃない!?」
「起こりそう、という感覚は信頼できません」
「もう! そこはちょっとワクワクしよ!」
ラオンは返事をせず、遺跡内部へ視線を向けた。
空気が違う。
湿り気と冷気、そして――微弱だが、確かに残る魔力の滞留。
(魔術痕……だが、劣化が激しい)
危険度は低い。
少なくとも、表層部に限れば。
「内部は不安定です。足元に注意を」
「はーい、隊長!」
「隊長ではありません」
二人は並んで遺跡に足を踏み入れた。
⸻
内部は思った以上に広かった。
円形の通路、崩れた柱、壁に刻まれた古い文様。
ところどころに、蝶を模した浮き彫りが残っている。
「ねぇラオン、この蝶……羽の形、ちょっと変じゃない?」
ティナが指さす。
ラオンは近づき、文様を観察した。
「通常の蝶より、翅脈が複雑です。魔術回路に近い」
「やっぱり! 幻夢蝶だよ、きっと!」
「断定はできません。ただ――」
ラオンは言葉を切り、文様の奥に目を凝らす。
「感情反応を前提とした設計です」
「……?」
「この遺跡は、感情を持たない者の侵入を想定していない」
ティナは一瞬、言葉を失った。
「それって……」
「感情を持たない存在には、罠が作動しない可能性があります」
静かな分析だった。
危機感はない。
だが、その言葉に、ティナの胸がざわついた。
「……ラオン、それって……」
「合理的です。私が先行します」
ラオンはそう言って、一歩前に出た。
それが――判断ミスだった。
⸻
次の瞬間。
床の文様が、淡く光った。
「……?」
ラオンは足を止める。
魔力反応が、急激に変質した。
(感情検知式――!?)
遅かった。
通路の奥、壁に刻まれた蝶の文様が、一斉に羽ばたくように光を放つ。
空気が震え、魔力が奔流となって噴き出した。
「ラオン!!」
ティナが叫ぶ。
ラオンは即座に障壁を展開する。
だが――
「……弾かれた?」
障壁が、内側から拒絶された。
感情反応が、必要条件。
それが、今になってはっきりと理解できた。
(感情がないから、起動条件を満たさない――違う)
逆だ。
(感情がない“異物”として、排除されている)
魔力の奔流が、ラオンを包み込む。
身体が宙に浮き、壁に叩きつけられた。
「ラオン!!」
ティナは迷わなかった。
理屈も、安全も、全部投げ捨てて走り出す。
「来ないでください!!」
ラオンが叫ぶ。
珍しく、声が荒れていた。
「あなたが近づくと、罠が完全起動する可能性が――」
「そんなの関係ない!!」
ティナは叫び返す。
「一緒に行くって言ったでしょ!!」
その瞬間。
遺跡全体が、わずかに脈打った。
感情反応――
それも、極めて強いもの。
罠の挙動が、変わる。
「……何が……」
ラオンは、初めて理解できない現象に直面していた。
ティナの感情が、遺跡に干渉している。
怒り、恐怖、焦り、そして――
強い、強い「離れたくない」という感情。
魔力の流れが変わり、ラオンを拘束していた圧力が弱まる。
「今だ!!」
ティナはラオンの腕を掴み、全力で引いた。
次の瞬間、床の文様が砕け、光が霧散する。
遺跡は、沈黙した。
⸻
しばらく、二人は床に座り込んでいた。
荒い息。
崩れ落ちる石の音だけが、遺跡に残る。
「……私の判断ミスです」
ラオンが、静かに言った。
「感情を持たないことが、常に安全とは限らない。考慮不足でした」
ティナは何も言わず、ラオンの袖を握っていた。
離さない。
「ティナ」
「……なに」
「あなたが近づかなければ、私は排除されていた可能性が高い」
「うん」
「危険でした」
「うん」
「……それでも、助かりました」
言葉は淡々としている。
だが、それは――初めての“事実以上の言葉”だった。
ティナは、ゆっくり顔を上げる。
「ねぇラオン」
「はい」
「今の、怖くなかった?」
ラオンは、少しだけ考えた。
胸の奥に残る、説明できない違和感。
鼓動の速さ。
判断が鈍った、あの一瞬。
「……危険認識はありました」
「それだけ?」
「それ以上の評価は――」
言いかけて、言葉が止まる。
うまく定義できない。
だが、はっきりしていることが一つある。
あの瞬間、
ティナが傷つく可能性を想像したとき――
思考が、乱れた。
「……未分類の反応がありました」
「なにそれ」
ティナは、少しだけ笑った。
「それ、感情じゃない?」
「断定はできません」
「じゃあさ」
ティナは、そっと言う。
「それが何か、一緒に確かめよ」
ラオンは、答えなかった。
ただ、
彼女の手を振りほどかなかった。
遺跡の奥で、
淡い光が、また一つ瞬いた。
幻夢蝶が、確かに――
近づいている気配がした。




