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6.兆候は羽音より先に

 遺跡の空気が、わずかに変わった。


 温度でも湿度でもない。

 数値にすれば誤差の範囲に収まる変化だが、ラオンは即座に気づいた。


「……魔力密度が上昇しています」


「えっ? 敵?」


 ティナが身構える。


「魔物反応ではありません。環境要因です」


 通路の先は、これまでよりも広い空間へと続いていた。

 床は滑らかで、天井には細かな結晶のようなものが埋め込まれている。


 それらが、淡く光っていた。


「きれい……」


 ティナが思わず呟く。


 光は一定ではない。

 呼吸するように、ゆっくりと明滅している。


 ラオンは結晶に手をかざし、反応を測る。


「感情反応型の魔力増幅装置……に近い構造です」


「感情?」


「はい。感情を持つ存在が近くにいるほど、反応が強くなる」


 ティナは一瞬、自分を指さした。


「……わたし?」


「可能性は高いです」


「え、えぇ……?」


 ティナは少し気まずそうに笑ったが、その直後、空間の奥で別の光が揺れた。


 結晶ではない。

 もっと小さく、もっと不規則な光。


「ラオン、あれ……!」


 光はふわりと浮かび、ゆっくりと移動している。

 羽ばたきのような動き。


 ラオンの内部で、即座に情報が接続された。


 ――幻夢蝶。


 古文書の記述。

 光の粒子構成。

 感情反応性。


「……存在確率、急上昇」


 声が、わずかに震えた。

 それを自覚する前に、ラオンは歩みを進めていた。


「待って!」


 ティナが腕を掴む。


「慎重に行こうよ! あれ、本物かもしれないんでしょ?」


「はい。しかし、観測距離を詰める必要があります」


「でも、罠とか……!」


「現時点で危険反応は検出されていません」


 それは事実だった。

 だからこそ、ラオンは進んだ。


 判断としては、正しい。


 光は近づくにつれ、形を持ち始める。

 淡い羽。輪郭は曖昧で、存在と非存在の境界を揺れている。


「……ちょうちょ……」


 ティナの声が、震えた。


「これが……幻夢蝶……?」


 光の蝶は、二人の周囲をゆっくりと回る。

 触れそうで触れない距離。


 結晶の光が、強く脈動した。


 その瞬間、ティナの視界が揺れる。


「……っ!」


 足元がぐらりと傾き、彼女は思わず目を閉じた。


 次に目を開けたとき――


 そこは、遺跡ではなかった。


 草原。

 風。

 遠くで、誰かが笑っている。


「……え?」


「ティナ!」


 ラオンの声で、景色が崩れる。


 彼女は遺跡の床に座り込んでいた。

 ラオンが肩を支えている。


「今……外に……」


「幻視です」


 ラオンは即答した。


「幻夢蝶による、感情投影型の視覚干渉」


「……幻視?」


「はい。実害はありません」


 その判断は、論理的には正しかった。


 だが、ティナの胸はまだ、強く脈打っている。


「ねぇ……ラオン」


「何ですか」


「さっきの景色……すごく、懐かしかった」


 ラオンは答えなかった。


 幻夢蝶は、少し距離を取り、空間の奥へと漂っていく。


 まるで、誘うように。


「追います」


 ラオンは即座に決断した。


「え、今!?」


「接触機会は貴重です」


「でも……今の、ちょっと危なくなかった?」


「危険性は低いです」


 ラオンはそう言い切った。


 彼の中で、「危険」の定義が、わずかに変化していることに気づかないまま。


 幻夢蝶は、壁をすり抜けるように消えた。

 その先には、細い通路が続いている。


 地図には、記載がない。


「未記録エリアです」


「……行くの?」


「行きます」


 ティナは唇を噛んだ。


 本当は、不安だった。

 けれど、ラオンの判断はいつも正しい。


 これまでずっと。


「……わかった」


 そう言ってしまった自分に、ティナは小さく違和感を覚えた。


 通路に足を踏み入れた瞬間、背後で結晶の光が一斉に消えた。


 暗闇。


 それでも、ラオンは迷わない。


 幻夢蝶の羽音が、確かに前方から聞こえていた。


 それは音ではなく、

 感情の奥を撫でるような、微細な振動。


 この日、幻夢蝶はまだ捕まらない。

 だが、「存在」は確定した。


 そして同時に、もう一つの兆候も、はっきりと姿を現し始めていた。


 ――ラオンの判断が、早くなりすぎている。


 それを、異常として認識できる者は、

 まだ誰もいなかった。


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