3.同行という非合理
翌朝、焚き火の残り火が白い煙を上げている頃、ラオンはすでに起きていた。
睡眠は回復行動の一つに過ぎない。
必要な時間は把握しているし、目覚めに感情の良し悪しは存在しない。
隣では、ティナが毛布にくるまって眠っていた。寝息は規則正しく、ときどき小さく身じろぎを打つ。
ラオンは彼女を見て、無意識に記録帳を閉じた。
――同行者がいる場合、起床行動の最適化がずれる。
一人旅であれば、すでに出発している時間だ。
だが、彼は起こさなかった。
理由は単純だ。
彼女の睡眠を妨げる合理性が、どこにも見当たらなかった。
「……非効率ですね」
独り言は、誰に聞かせるでもない。
しばらくして、ティナが目を覚ました。
「ふぁ……おはよ……」
「おはようございます」
即答に、ティナは少し驚いた顔をする。
「もう起きてたんだ」
「必要な作業は完了しています」
「そっかぁ……」
ティナは伸びをし、焚き火跡を見て言った。
「ラオンってさ、朝が得意とか苦手とかある?」
「評価不能です」
「そればっか!」
ティナは笑いながら立ち上がり、荷物をまとめ始めた。
二人で歩き始めると、自然と並ぶ形になる。
ラオンは歩幅を調整しているわけではないが、結果としてティナの速度に合わせていた。
それに、本人はまだ気づいていない。
「ねぇラオン」
「何ですか」
「昨日さ、魔物倒すの、あっという間だったよね」
「最適解を選択した結果です」
「でもさ」
ティナは少し考えてから言った。
「普通の人なら、ちょっと迷うと思うんだよ」
「迷う必要がありません」
「……うん」
ティナは頷いたが、その表情は晴れない。
「それってさ、怖くない?」
ラオンは足を止めた。
「なぜですか」
「だって、間違えるかもしれないって思わないってことでしょ?」
「正確には、誤差範囲を許容しています」
「それが怖いの!」
ティナは思わず声を上げてから、慌てて口を押さえた。
「ご、ごめん……」
ラオンは彼女を見つめる。
怒りも、不快も、存在しない。
「あなたは、なぜ恐怖を感じるのですか?」
「え?」
「間違える可能性があること自体は、事実です。それを理由に行動を制限するのは、合理的ではありません」
「……そうかも、だけど」
ティナは視線を落とす。
「もし、間違えたときに……誰かが傷ついたらって、考えちゃうんだよ」
その言葉は、ラオンの思考に引っかかった。
――誰かが、傷つく。
かつて、彼はその「誰か」を守るために、感情を切り捨てた。
結果として、多くを救った。
だが、その判断を下した瞬間、迷いはなかった。
「その可能性は、事前に排除できます」
「できないこともあるよ!」
ティナは食い下がる。
「未来なんて、全部分かるわけじゃない!」
「不確定要素は、確率で処理します」
「……それが、怖いの」
沈黙が落ちる。
森を抜け、街道に出ると、遠くに遺跡の影が見え始めていた。
巨大な石造りの輪郭が、地平線に浮かんでいる。
「……あれが、目的地です」
「おお……」
ティナは息を呑んだ。
「ほんとに、あるんだ……」
その声には、畏怖と期待が混じっている。
「ねぇラオン」
「はい」
「もしさ、幻夢蝶が見つからなかったら、どうするの?」
「別の仮説を立て、次の検証対象へ移行します」
「……そっか」
ティナは少し笑った。
「ラオンらしいね」
「評価基準が不明です」
「褒めてるの!」
歩きながら、ティナは続ける。
「でもさ、わたしは……見つからなかったら、きっと落ち込むと思う」
「なぜですか」
「期待してるから」
「期待値は、不安定要素です」
「でも、それがあるから頑張れるんだよ」
ラオンは返答せず、遺跡を見つめた。
期待。
不安。
恐怖。
それらは彼の中には存在しない。
だが、同行者の中には確かに存在している。
――同行。
本来、不要な要素だ。
一人の方が判断は速く、誤差も少ない。
それでも彼は、彼女を同行させている。
その理由を、彼自身がまだ言語化できていない。
夕方、野営の準備をしながら、ティナがぽつりと言った。
「ねぇ、ラオン」
「何ですか」
「もし、わたしが危ない目に遭ったら……どうする?」
質問の意図を測る。
冗談か、確認か。
「状況次第ですが、保護行動を優先します」
「……即答なんだ」
「同行者ですから」
ティナは少し驚いた顔をしてから、微笑んだ。
「それ、なんか嬉しい」
「感情評価はしていません」
「知ってる!」
ティナは焚き火に薪をくべる。
「でもさ……それでも一緒にいられるなら、いいなって思うんだ」
ラオンはその言葉を、記録帳に書き留めることはしなかった。
数値化も、分析も、しなかった。
ただ――。
同行という非合理が、いつの間にか前提になりつつあることを。
彼は、まだ「異常」として認識していなかった。
それが、後に大きな意味を持つとも知らずに。




