表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
4/10

3.――蝶は、まだ現れない

 森を抜けて半日ほど歩いた頃、街道は次第に細くなり、人の気配も薄れていった。

 舗装された道はいつの間にか途切れ、踏み固められた土と草が進路を示すだけになる。


「この辺りから、遺跡の影響圏に入るはずです」


 ラオンは地図を見下ろしながら淡々と言った。


「影響圏?」


 ティナは一歩遅れてついてきながら、きょろきょろと周囲を見回す。


「幻夢蝶が出現したという記録は、遺跡を中心に半径数日分の範囲に集中しています。因果関係は不明ですが、相関はあります」


「ふむふむ……よくわからないけど、すごそう!」


「わからないまま納得するのは、非推奨です」


「だってラオンが真面目に説明してる時点で、信頼度高いもん」


「信頼は感情的評価です」


「はいはい」


 ティナは軽く受け流しながら、足元の草を蹴った。

 小さな虫が飛び立つ。


「でもさ、ここまで来て何も起きないと、ちょっとドキドキするよね」


「不測の事態は、起きないに越したことはありません」


「えー。でも冒険って、ちょっとくらいハプニングがあった方が――」


 その瞬間だった。


 ざわり、と空気が揺れた。


 風ではない。

 音でもない。


 ラオンは即座に足を止め、杖を構える。


「……来ます」


「え?」


 次の瞬間、地面から黒い影が這い出した。


 人の形に似ているが、輪郭が曖昧で、実体がない。

 まるで影そのものが立ち上がったような存在。


「うわっ!? なにあれ!?」


「残留瘴気の凝集体です。災厄の名残ですね」


「えっ、災厄ってもう終わったんじゃ……」


「完全消滅とは、記録上存在しません」


 影は二体、三体と増え、じわじわと距離を詰めてくる。


 ラオンは即座に結界を展開した。

 淡い光が地面に広がり、影の進行を阻む。


「ティナ、後ろへ」


「う、うん!」


 ティナは素直に下がったが、完全には離れなかった。

 ラオンの背後、半歩の位置に留まる。


「……近いです」


「だって! 一人にするの嫌だし!」


「合理的理由ではありません」


「感情的理由です!」


 ラオンは一瞬、言葉に詰まった。


 だが次の瞬間、影が結界に触れ、軋むような音を立てる。


「解析完了。単体戦闘力は低い。数で押すタイプですね」


「つまり?」


「時間をかければ危険です。速やかに排除します」


 ラオンは杖を振る。

 空気が震え、圧縮された魔力が放たれた。


 影は霧のように散り、地面に溶けて消える。


 一体、二体――残りは、逃げるように後退し消滅した。


「……終わりです」


 結界が解かれ、静寂が戻る。


「す、すご……」


 ティナは目を丸くした。


「一瞬だったね……」


「脅威度が低かっただけです」


 ラオンは杖を下ろし、周囲を確認する。


「怪我は?」


「ない! ……あ、でも」


 ティナは自分の胸元を見て、首を傾げた。


「なんか、さっき一瞬だけ、胸がきゅっとした」


「恐怖反応でしょう」


「うーん……怖いっていうより……」


 ティナは言葉を探すように視線を泳がせた。


「……ラオンが前に立った瞬間、変な感じがした」


「変な、とは」


「えっと……頼もしい、みたいな……」


 ラオンは沈黙した。


 頼もしい、という評価は、明確な感情語だ。

 彼の理解範囲にはあるが、実感は伴わない。


「それは主観的印象です」


「うん。でもさ」


 ティナは少しだけ声を落とした。


「ラオンが無事でよかった、って思ったの」


 その言葉に、ラオンは一瞬だけ視線を逸らした。


 理解はできる。

 だが、なぜそれを“言葉にする必要があるのか”は、わからない。


「私は、損傷していません」


「そうじゃなくて!」


 ティナは少し焦ったように言いかけて、止まった。


「……ううん。なんでもない」


 まただ、とラオンは思う。

 彼女は、言葉を途中で引っ込めることが多い。


 それがなぜなのか、理由は不明だ。


「進みましょう」


「……うん」


 二人は再び歩き出す。


 しばらくして、ラオンはふと口を開いた。


「先ほど、後ろに下がらなかった理由ですが」


「え?」


「危険でした。次からは、もっと距離を取ってください」


 ティナは一瞬きょとんとし、それから笑った。


「それ、心配してる?」


「安全管理です」


「ふふ」


「何かおかしいですか?」


「ううん。ただ――」


 ティナは前を向いたまま言った。


「ラオンって、優しいよね」


 ラオンは返答しなかった。


 優しい、という概念は、いまだ定義できない。

 だが――


 胸の奥に、先ほどと同じ“判別不能な違和感”が、わずかに残っていた。


 それが何かを理解するには、

 まだ、時間が必要らしい。


 そしてその夜。


 焚き火の傍で、ラオンは気づかなかった。


 彼の影の端で、

 淡い光を宿した蝶の幼体が、静かに羽を震わせていたことに。


 まだ小さく、まだ不完全な――

 感情の、前兆だった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ