1.幻夢蝶コレクター(自称)ティナ
ラオンが王都を発って三日目。
街道沿いはよく整備され、昼は商人の馬車が行き交い、夜は旅人が焚き火を囲う。世界は平和だ。瘴気に覆われた災厄は完全に消え、王国の人々は久しぶりに穏やかな日々を過ごしていた。
ラオンは淡々と歩き続ける。
目的はただ一つ――幻夢蝶の手掛かりがあるとされる遺跡へ向かうこと。
荷物は軽い。必要最低限の道具と乾燥パン、水筒、魔術の記録帳。そして、古文書に描かれた地図。
旅路は静かだった。
感情がないというのは、旅をやけに簡素にする。
景色を眺めて感動することもない。
空腹は感じるが、美食への興味は薄い。
休息は必要だから取る。
それだけ。
「世界とは、案外、無音でも成立するものだな」
ラオンは小さく呟く。旅人らしい感慨深さは皆無だが、自己分析としては正しい。
そして、彼は森を抜ける小道を淡々と進む。
そのとき――
ズドン!
前方で爆発音が響いた。
煙がもくもくと上がり、森の木々が揺れる。
ラオンは立ち止まり、軽く首を傾げる。
「何でしょうか。山賊、または魔物の可能性もありますが……爆発音の周波数が妙に軽い気もする」
彼は杖を構え、静かに林を分け入る。魔物対策として魔術障壁を張る。
すると――
森の切れ間に、小さな開けた空間があり、そこで一人の少女が煙に包まれていた。
少女は地面に膝をつき、頭に星を浮かべ、全身に煤。
爆発の中心は、どうやら彼女が手にしていた奇妙な捕虫網らしい。
「ま、また失敗したぁぁ~~~!!」
少女は高らかに叫んだ。
その声量に、小鳥が群れで逃げたほどだ。
少女は栗色の髪をツインテールに結び、麦わら帽子をかぶっている。服は胸当てつきで、色とりどりのポケットがつき、腰には瓶や小さな虫籠がいくつも吊られていた。
ラオンはその姿を分析する。
「見た目は……野外活動家でしょうか。あるいは、爆発事故の愛好家?」
少女は立ち上がり、あたりを見回すと――ラオンを発見した。
「わわっ!! 見られたぁっ!? 大丈夫!? けがしてない!? 私、いま爆破しちゃって!!」
ラオンは淡々と答えた。
「大丈夫です。距離を取っていたので。あなたは大丈夫ですか?」
「えっ……え? あれ? 怒ってないの?」
「怒る要素がありません。爆発の原因は何ですか?」
少女は胸を張る。
「幻夢蝶捕獲用・爆発式飛行網!」
ラオンは一瞬だけ瞬きをした。
「蝶を捕まえるのに爆発する理由は?」
「速度です! 逃げる蝶を一気に包むのです!」
「蝶は生身です。爆発したら粉々では?」
「えっ」
少女は絶句した。
数秒かけて自分の発言を分析し、顔を青ざめさせた。
「……確かに!!? 幻夢蝶を捕まえるために爆発させてどうするの私!!!」
「解析完了して何よりです」
少女はしょんぼりし、網の残骸を握りしめる。
「はあ~~~~私ってほんと、天才に遠い……」
「天才に近づくには、対象を爆破しない発想が必要でしょう」
「……~~ッ!何も言えない!」
ラオンはひょいと煙を払う。
「あなたは蝶を探しているのですか?」
少女は目を輝かせた。
「そう! 私は幻夢蝶コレクターのティナ! 蝶を見つけて、世界初の“心の蝶専門家”になるの!!」
「世界初というのは、前例がないからでしょうね」
「そうだよ! 誰も捕まえたことないし、どこにいるのか誰も知らないし、そもそも本当にいるかも怪しいって言われて……」
ティナの声が少し落ちる。
「でもね、わたしは見つけるって決めたの。どうせやるなら、伝説にしたい!」
「よくある野望ですが、根拠は?」
「根拠って……ロマン?」
「それは論理的根拠と呼びません」
「いいんです!! 夢に根拠はいらないんです!!」
ラオンはわずかに眉をひそめた。
夢、という概念がよくわからない。
夢は感情から発生する思考で、目標で、希望で、人生の意味とも絡む。
しかし、感情がないラオンには、それが“なぜ人がそんなに固執するのか”理解できなかった。
「あなたは蝶を捕まえて、どうするのですか?」
ティナは胸を張る。
「その蝶をね、町の人たちや悲しんでる人に見せるの。そしたら――心を少し取り戻せるかもしれない!」
ラオンは小さく考えた。
「幻夢蝶の効能を信じているわけですね」
「うん! だって、蝶が心から生まれたって言うなら……それって、すてきじゃない?」
「すてき、という評価はできませんが、理論的には面白いです」
「面白いんだね! 良かった!」
「正確には、検証する価値がある、という意味です」
ティナはにっこり笑った。
「そういう言い方、逆に好き!」
ラオンは静かに言った。
「感情的評価はありません」
⸻
ティナはラオンの杖を見ると、ぱっと表情を変えた。
「ねぇ、あなた、魔術師さんでしょ!? 王都の方角から来たよね!」
「そうですが」
「もしかして、あの災厄を封じたって噂の――」
ティナはじっとラオンの顔を観察する。
「無表情でクールな天才魔術師ラオン様!?」
ラオンは一度だけ瞬きした。
「それは外部評価です」
「本物だぁぁぁ!!」
ティナは両手を広げて跳ね回った。
ラオンの感情は動かないが、彼は心の内でこう思っていた。
――なぜ跳ね回るのか。
ティナは続ける。
「旅人が噂してたよ! 感情を封じて国を救った魔術師がいるって! その人が旅に出たって!」
「その人物が私である可能性は高いです」
「やっぱり!! ねぇねぇ、あなたの旅の目的って、もしかして!」
ラオンは静かに答えた。
「感情を取り戻す可能性がある幻夢蝶を検証しに行く途中です」
ティナは感動したように胸に手を当てた。
「やっぱり!いい旅ね!!」
なぜ感動できるのか、ラオンには理解できない。
だが、理解できないことが世界には多い。
それは旅を始めてから気づき始めた事実の一つ。
ティナはラオンの荷物を確認するように覗き込んだ。
「だったらさ!」
ティナは人差し指を立て、決定的な宣言を放つ。
「わたしも一緒に行きます!!」
ラオンは首を傾げた。
「なぜですか?」
「わたしも幻夢蝶を見つけたいし、あなたは蝶の専門書みたいな古文書を持ってるし、魔術強いし、わたし一人だと爆発するし!」
「最後の理由が最も深刻です」
「でしょ!? 一緒にいれば、爆発の危険が減る!!」
「減るのではなく、無くしましょう」
「無くなる? そんな高度な技術が!?」
「蝶は爆破してはいけません」
「わたし、目からウロコです!!」
ラオンは静かに言った。
「同行は自由ですが、足手まといになる可能性は?」
「わたし、足速いです!」
「蝶の捕獲に速度は不要です」
「えっ」
ティナは再び沈黙した。
⸻
それでも、ティナはまるで当然のように荷物をまとめはじめた。
小瓶や虫籠、奇妙な道具、爆発式網の残骸を名残惜しそうに袋へ入れる。
「この爆発式は思い出に残しておこう……」
「不必要だと思われます」
「思い出が大事なんです!!」
「感情成分ですね」
「そういう言い方は何か違うけど、合ってる!」
ティナは満面の笑みでラオンの隣に立った。
「さぁ、出発!!」
ラオンは歩き出す。
ティナはその横を小走りで追いかける。
「ねぇねぇ、ラオンって呼んでいい?」
「構いません」
「旅ってさ――ワクワクするね!」
「私はしません」
「でもきっと、いつかするよ!」
ラオンは淡々と歩きながら言った。
「起こり得る未来は無限ですが、期待値は低いです」
「わたしは期待値高い!!」
「根拠は?」
「ロマン!!」
ラオンは一瞬だけ空を見た。
なぜ彼女は、そんなに軽やかに笑えるのか。
なぜ人は、何も確証がないのに未来を肯定できるのか。
理解不能――だが、どこか心地悪くはない。
ティナは草むらに目を輝かせて叫ぶ。
「見てラオン! 蝶!!」
ラオンが視線を向けると――
目の前には、ごく普通の白い蝶が舞っていた。
ティナは網を取り出し、猛然と走り出す。
「ちょっと待って! それは普通の蝶です!」
「違う! わたしの目には幻夢蝶に見える!!」
「願望が混ざっています」
ティナは蝶を追いかけ、転び、帽子を落とし、さらに転がり、ラオンは淡々と拾い上げる。
「蝶は逃げました」
「わーーーー!!」
ティナは芝生に大の字になり、空を見上げた。
「いつか……本当に幻夢蝶が見たいなぁ……」
ラオンは立ち止まり、ほんの少しだけティナを見下ろした。
「いつか、見えるといいですね」
ティナはぱっと顔を起こした。
「ラオン! 感情あるっぽい!」
「ありません。社交辞令です」
「社交辞令でも嬉しい!!」
ラオンはため息をつく代わりに、呼吸を一つ整えた。
感情はない。
何も感じない。
世界は無音。
それでも――
ティナの笑い声だけが、なぜか耳に残る。
音として記憶しているのか、
それとも不要な情報として脳に残留しているのか。
ラオンには判別がつかなかった。
「……騒音レベルが、やや高いですね」
「えっ!? うるさい!?」
「否定はしませんが、排除対象でもありません」
「それ、褒めてる?」
「評価不能です」
ティナは少しだけ頬を膨らませ、それから、いつものように笑った。
その瞬間、ラオンは気づかなかった。
彼女が一歩だけ、
自分との距離を詰めたことに。
そして、二人の足元――
草むらの影で、淡い光を帯びた蝶が一匹、静かに羽化していたことに。
それはまだ名を持たない、
感情の残滓から生まれた幻夢蝶。
誰にも見つからないまま、
旅の始まりを祝うように、そっと宙を舞った。
旅は、少しだけ賑やかになった。
それは無音の世界に、
初めて落ちた――雑音ではなく、予兆だった。




