二
「意識同期率、98.7%」
鳴海は端末を外し、椅子から立ち上がった。オフィス街の喧騒が窓の外から聞こえる。2078年10月3日。記憶編集リハビリ制度が始まってから5年が経過していた。
壁に埋め込まれたディスプレイが青く明滅する。朝のフレーム同期診断。政府が義務付けた日課だ。30フレーム、すべて正常。異常なし。
「お疲れ様でした、鳴海様。本日の診断結果を記録いたしました」
管理AIの声に頷きもせず、鳴海はコーヒーメーカーのスイッチを入れた。豆を挽く音が室内に響く。人工的な静寂を破る、数少ない生の音だった。
「新着メッセージが3件届いています。優先度の高いものが1件」
「後で」
ソファに座り、液晶窓の濃度を下げる。眼下に広がる東京の景観が鮮明になった。ガラスとスチールの森。その中を、無人車両が規則正しく行き交う。歩道では、通勤する人々が足早に駅へと向かっていた。
全員が、30フレームの意識を刻んでいる。
コーヒーの香りが漂い始める。鳴海は右手の平を見つめた。そこには何も表示されない。5年前、研究所の端末を置いて以来、彼は二度と記憶編集装置に触れていなかった。
しかし時折、瀬川の最期の言葉が蘇る。
「新着メッセージを再生します」
制止する間もなく、ホログラムが空中に展開された。
「鳴海廉様。国家安全保障局、三上です」
低く落ち着いた声。画面には、整然としたスーツ姿の中年男性が映し出されている。
「被験者の連続暴走事案について、あなたの見解を伺いたい。至急の面会を求めます」
鳴海は映像を凝視した。暴走事案。確かに、ニュースで断片的に報じられていた。記憶編集を受けた服役者たちが、突如として異常行動を起こす事件。
「本日午後2時、当局までお越しください。強制力のある召喚状の発行は避けたい」
映像が消える。残されたのは、生温かいコーヒーと、朝の静寂。
鳴海は立ち上がり、クローゼットから黒いスーツを取り出した。5年前に最後に着用したものだ。研究所に最後に出勤した日の装い。
ポケットから、古い端末が出てくる。電源は切れていた。