Ⅰ.7. 花弁
ただ長い時をずっと、暗闇の中で、全身に重力を感じながら過ごした。
重たく感じるのは、自分が血に塗れたせいなのか、誰も守れなかったせいなのか。
動くこともままならない体と、こんな事態を招いた奴を、心の底から呪った。
生来、蚊をも殺さぬように非暴力を貫いてきた。だが、根っからの悪、性悪説の具現化したような奴と対峙してからというもの、世の中には悍ましい考えをもち、平然と生きているものが存在することを知った。
このままでは、いられない。一族郎党根絶やしにするしかない。あんな悪は、この世に存在してはならない。
そのような怒りに我を忘れたおかげで、時の流れは幾分か早かったが、最近はぼんやりすることも多くなった。
退屈とは、人を殺すようだった。できることといえば、食べることぐらいだった。無益な殺生はせず、自分が生き延びる分だけ食べた。少しずつ力を蓄えて、腹の底では、今か、今か、と業を煮やし、反撃の機会を伺った──。
「何千年も前に起こった魔族と人族の戦いによって魔王は退けられましたが、現在、大陸の60%以上は魔物や魔族が氾濫し、エクメーネ、言わば、居住可能地区は、40%に満たないそうです。そこで、タンランの魔族や、魔物と、仲良くできると噂の新製品に期待がされております」
今日の魔法基礎学は、ユイ先生の代理先生だった。彼の淡々と進む講義は、終鈴と共に終わりを告げた。
ユイ先生は、身内に不幸があったとのことで、里帰りの休暇に入ったとクラス全体に伝えられていた。
午前中の授業が終わり、昼休みの時間になる。三回生の教室棟の昇降口からは、生徒たちがぞろぞろと食堂へ向かう。その流れに自然と溶け込みながら、アレンを筆頭とするフォーマンセルパーティの面々が、授業の不満を口々に吐き出していた。
このパーティは、アレンが入学すると同時に学校側の計らいで急遽結成されたもので、メイナード撃破時に、讃えてくれた仲間だ。
「のお、代理の先生、わかりにくくね?」
「ふええ、そうですねえ…ていうかまたアレンくん寝てましたね。ふええ」
「いや、あの睡眠用BGMみたいな声は、不可抗力だよ……」
三人が掛け合いを続ける後ろで、キャスターのアルフォンスが冷静な口調で呟いた。ガントレットをつけた腕を窮屈そうに組み、顎に右手を当てながら、独り言のような分析を始める。
「代理の先生、なまじニエフ魔大出身だから、ちょっと詠唱に訛りあるし、僕らの魔法系統の潮流と少しニュアンスが異なってるよね。われわれ中央と、北部の暮らし方が違うからかな?なるべく寒気を肺に取り込まないように、詠唱を短くしてるとか?やはりドワーフの影響をうけて、古代語の名称や、それに伴った技術の伝播もあるのか?あ、でもそれはプラドの専売特許なのか?」
つらつらと理屈を並べ立てた挙句、アルフォンスは自らの考えに埋没しそうになりながら、銅色がかった金髪をかき上げた。
「さっすがアル。うちのキャスター、魔法アタッカーは分析も得意なんやなぁ。期末試験、頼りにしてますわー」
ラッツが振り返り、片目をつむって笑いながら、右手だけで拝むような仕草を見せる。
「ふえ……ラッツ、わたしも教えるよ。ほら、いつも補講してるし……ふええ」
心配そうに寄ってくるセシルだったが、ラッツは軽く一蹴した。
「お前はな、言葉が独自すぎてわかんねえよ」
「言えてる。セシルの言語系統、完全に独自だよな」
アルフォンスの追撃に、セシルの顔が不満げに歪む。
「ふえ……お前たち、わたしの得意分野は温度操作と思われがちだが、実は精神操作も得意なんだぞ。呪術ならもっとな……ふえ……」
青藍色の長い髪の合間から、セシルがちらりと殺気を放った。だがその雰囲気を、アレンが和らげるように軽く笑う。
「洒落になってないぞ、セシル。この二人、たぶんデリカシーを生まれたときに置いてきたんだ」
「おいおい、母ちゃんの悪口だけは許さねえぞ!」
「な?バカでしょ?」
軽口を叩き合いながら、アレンとラッツは笑顔で追いかけっこを始める。その後ろを、アルフォンスとセシルが歩調を合わせてついていった。
「あ、そろそろ飯いくやろ?昼休みの間に劇の練習もしなくちゃあかんな。てかこの前のアレンよぉ。かっこよかったやん!俺らにも教えろやその戦闘技術」
アレンの制服の襟をむんずと掴んで引っ張りながらラッツは褒めてくれた。
「そうだよ。僕なんて、DEFがなさすぎるから魔術師なのにフルアーマー着てんだからさ。戦闘は、からっきしだ。護身術程度に教えてくれよ」
私服のプレートアーマーをガシャガシャさせながら、膝に手をつき少し息を切らしたアルが恨めしそうに言う。
「ふぇ…アルは脱げばいい。ふぇえ…わたしもAGI低いから…いざって時の体の動かし方を知りたい…」
いつも前に垂らしている前髪を少し耳にかけて、実は綺麗である顔を、珍しく出しながら少し俯き気に言った。
(ううむ。どうしたものか。頼られるのは嫌いじゃないが、人に教えられるほど先生をしたこともない。でも、たしかに、この事態だ。パーティの増強は急務である)
思案を巡らせていると、そこに一人の適任が脳裏に浮かんだ。というか、脳内で堂々とあぐらをかいていた。ロポがいるではないか。
「あ、ねえ!僕のお師匠様を呼ぼう!」
「まじで?」「アロポス様にあえるの!?」「ふええ私もロポって呼んでいいのかなあ?」
みんなの声が、ワントーン上がったところを見ると、やはり彼女は、人気者なのだと再認識する。
食堂への道中で、私語に忙しかった生徒たちが、静まっていく。一斉にこのパーティの会話に集中し、聞き耳を立てた気がした。この感じ、愉悦感がなくはない。
「じゃあ早速、ロポに、ネンポ送るね」
念報送信板、通称ネンソールとよばれる携帯型コミュニケーションツールは、自分の思ったことを、遠方の特定の相手に送れる念報、通称ネンポを扱えるシロモノだ。ドワーフの技術と魔法が組み合わさった最新の機器だ。
「送信っと、たぶん即レスくれると思う。僕のこと大好きだからさ、ロポ」
言ったそばからアレンたち、周りの生徒たちの期待通りになった。
アレンの背後から、巨大な薄緑色の花の蕾が、硬い舗装された道を貫いて出てきた。蕾から赤色の花が開くと、中から、桃色の塊が、顔を出した。花から、なんとエリオンの宰相が咲き乱れた。
「よう!勉強熱心だのう!関心関心!」
右の掌をこちらに向けて、花弁から地面へと大袈裟に足を振り、降り立った。
「本物だ!握手して!」
「あの!俺ら!アロポス様の色々を教えてほしくて!」
「ふえ…アロ…アロポス様…お名前を…」
みんな一斉に話し出すので、誰が何をいっているのか混線状態になった。遠目から我々を見守っていた生徒たちもいつのまにか輪に加わっており、通りは喧喧囂囂となった。
それを正すようにアロポスが右手の人差し指を立てる。途端に水を打ったように静まり返る。
「さてお主ら、水を差すようじゃが、戦闘術のレクチャーはまた今度じゃ。急用ができてしもての。しばらくの間、お暇する」
期待を裏切るつもりらしい。全員が動かしていた口を開けっぱなしにした。いまならここにいる全員の口に指を突っ込んで口蓋垂を引っ張り出して集められそうだ。もちろんアレンの分も、含めてだ。
「ま、ワシよりも適任の先生を呼んどいた。あとは頼むぞ先生」
言うが早いが、竜胆の花の蕾がアロポスの背後からにょきにょきと芽吹き、今度はキャミィが生えてきた。何度見ても見慣れない奇妙な登場の仕方である。
「ちょっと待ってよ!ロポ!あの約束は!」
放心状態から、いち早く復帰したアレンは、アロポスを引き止めるため、花に駆け寄る。
花弁から飛び降りたキャミィと、入れ替わるようにアロポスは、花弁に飛び乗った。
駆け寄ってきたアレンだけに聞こえるように、竜胆の花のめしべと一体化したアロポスは、体を前のめりにして囁く。
「鑑定師の第一報によると、残された侵入者の遺体の身元だが、どうやらエリオンの民ではなさそうだ。外国からの侵入者だとしたら……。封牢には、行ってはならん。アレン」
「え、ロポ!ちょっと待っ!」
また蕾の状態になって、間から優しい瞳をアレンに向け、アロポスは地中にもぐっていった。
「てよ」
アレンの言葉を最後まで聞かずに去ってしまった。初めてのアロポスの態度に、戸惑いと寂しさが胸を締め付けた。そこまで事態は切迫しているのだろうか。アレンがお荷物なのではないか。アレンは失意の中に、沈みつつあった。
ポンと、アレンの左肩に、手が置かれる
「神出鬼没のアロポス様、つってもなあ、あれはねえよなあ、アレン」
右手首にひんやりとした手のひらが添えられる
「ふぇぇ、ショックだ。ま、また今度だ。アレン。ふぇ」
背中を、ドンと叩かれる
「仕方がないかな。今って、お祭り騒ぎで、すっごく忙しいだろうしさ。アレン、元気だしてよ」
あっけらかんとしている仲間たちに、アレンは気持ちを引き上げてもらえた。
「そ、そうだよねー。ひどいなーロポったらもー」
乾いた笑い声は、確かに出せた。顔の筋肉を無理やり動かして、ぎこちなく笑顔も張り付けた。でもそれは、ただ表情を作っただけのこと。胸の奥底では、寒々しい風が吹き抜けているようだった。
アレンの仲間たち──友であり、時には家族より近しい存在の彼らは、アレンがエリオン王国の第一王位継承者だという事実に縛られることはなかった。敬意を払うでもなく、恐れるでもなく、そして何より、腫れ物扱いもしない。そんな彼らとの関係は、アレンにとってかけがえのないものだった。けれど、アロポスの言葉が胸に刺さり、傷を抉るように響いていた。
「どうしたんだい、アレン」
アルが優しい声で問いかける。柔らかな瞳が心配そうにアレンの顔を覗き込んでくる。
「いや……ロポが変なことを言うからさ。味方が敵かも、なんてね」
アレンはそう答えたものの、声がどこか頼りなく震えていた。
「なんだそりゃ。変な話だね」
アルは眉をひそめながら首をかしげる。その仕草には、疑念よりも、ただの戸惑いしか見えない。
「ねえ、みんなは──みんなは敵じゃないよね」
不意に飛び出た言葉は、アレン自身が意図したものではなかった。けれど、それは確かに、心の奥深くで燻っていた不安の欠片だった。
「ふぇっ……アレン、そんなにショックだったの? 可哀想に。ふぇ」
セシルは驚いた表情を見せたあと、アレンの背中を優しく叩く。「私たちはいつでもアレンの味方よ」
「そうだよ。僕らが敵なわけないじゃない」
アルも真剣な声で続ける。
「ひっどいこと言うやんか、アロポス様も!」
ラッツが頬を膨らませながら言うと、今度は少し強めにアレンの背中を叩いた。三人とも、いつもと同じように賑やかで、温かい。けれど、アレンはその温かさにすら、ほんの少しだけ罪悪感を覚えてしまう。
「そ、そうだよね……ごめん、弱気になって。しっかりする!」
声に力を込めて言うと、三人はそれぞれ「そうだ、それでこそアレンだ!」と声を合わせて笑い出した。その光景にアレンもまた、つられるように笑みを浮かべた。
でも、アレンの胸の内では別の決意が固まっていた。
──僕がしっかりしなければならない。彼らの未来のために、僕がすべてを守らなければ。たとえどんな犠牲を払おうとも──
そう心に強く誓ったアレンは、笑顔のまま拳を握り締めた。
ただ、叶うことなら、堅物の王国軍に囲まれて七つの国を連れられるよりも、このメンバーで、七つの国を旅して、ネームドたちと渡り合いたい、と波打ち際の泡沫のように儚い願いを胸に秘めた。
アレンが感情的になっていると、忘れられていた花弁の中のもう一人が声を上げた。
「……ここは……?お前たちは…?」
どうやら碌な説明もせず、キャミィを拉致って来たらしい。
「あ、あのう。この前は、懇切丁寧な講義をしてくださり、ありがとうございました。じゃあ僕たちはこれで──」
あの残酷な二時間が、皆の脳裏に過ぎったとき、誰よりも早く機転をきかしてアレンは、脳から指令が出る前に、脊髄反射で口から言葉がつらつらと出てきた。
背を向けようとしたそのとき背後から、熊のようなハードなプレッシャーと、ベアクローをもろに両肩に受けた。
周りにいたはずの野次馬たちは、蜘蛛の子を散らしたように逃げ、元々の流れに戻っていた。
「おいおいおい。相公様といい、貴様たちといい。エルフの血は何色だあ?!」
血走った目で啖呵を切った番人様は、アレンの肩を捥ぐつもりらしい。死ぬほど痛い。
「痛いです!!すいません!命だけは勘弁してください」
「にがさんよ!私を、封牢まで、送り返してもらうか!」
「いや、あの《花弁送》使えるの相公様だけです」
アレンの言葉を聞き、キャミィは一気に脱力し、抵抗していたアレンは、キャミィという止金を失い、前につんのめった。
「え、じゃあ私どうやって帰れば」
掴むものを失った両手をだらんとさげ、キャミィは勢いを失った。
「徒歩ですかね」
禁足地の番人の居住地の目測もつかず、思うままにそう言った。
「私の家、どっち方面かわかる?」
「分かんないです。それでは!」
アレンはそういって、機敏に右手をあげて、左足を出そうと膝を高くあげた。
「ちょっとまて!ひどすぎるだろう!エルフのために!わざわざ故郷を捨てて!エルフのために!監視を任について!もう3年は経つ!そろそろ交代の時期のはずなのに祖国から一報もない!私はこのままだと婚期を逃してしまう!誰か私を攫ってくれ!」
腰に泣きつかれる。バランスを崩しそうになり両足で踏ん張りながら、両手を回した。まるで、ぼくが泣かしているようになり、周りから白い目で見られてしまっていた。
「わ、わかりましたから!じゃあぼくらで案内しますから!ね!まずは落ち着きましょ!お家の方向はわかります?」
まるで子供をあやすように、できる限り努めて優しい言葉をかけた。と、同時にアロポスの狙いは、言葉と裏腹だったことなのかと疑い始めた。
「あ、私そういえば、お家の手伝いを頼まれてたのでしたふええ」
「僕も…そうだ!!お習字の習い事がござましてえ」
「俺もなんかあれがこうやった気がするわー」
パーティのタンクはアレンじゃないはずなのに、アレンを置いて逃げるコマンド一択のPT。万死に値する。
「セシル。お前の家には、召使がいんだろ」
「アルフォンス。習字なんていつから行き出したんだ?みみずがのたうちまわった字はアイデンティティって声高らかに叫んでたよな?」
「ラッツ。適当すぎるやり直し」
全員の顔面に、逃げることができない旨の戦闘継続の文言を突きつける。
「ふえ!召使さんの召使に……」
「いくぞ」
セシルのローブの襟を掴んで引きずる。
引きずられるセシルにはなす術なく、力がなかった。
「ちょっと芸風を変えようかと」
「お前もいくぞ」
アルの鎧を転がしながらキャミィの前に引き摺り出す。
「歴史を学びに図書館にいかんと」
「ちょうどいいじゃないか。歴史を学びにフィールドワークにいこう」
ラッツの手を引き、番人様の御前まで連行する。これで皆んな連れ戻した。
「いややあああ」
「だってそもそも禁足地だから行けないじゃん!」
「私まだ死にたくないです……」
たしかに、アレンとアロポスは禁足地への巡検の許可を国王からもらっているが、彼らはない。それに拒否反応が出てしまっている。我がPTながら情け無い。
その反応を切り捨てるように、キャミィが言った
「私が、ラッツ君、セシルちゃんとアルくんの分は許可を出す。問題はない」
どうやら禁足地の権限はキャミィにも付与されているらしい。
「ん?」
ラッツが、腕を組み首を傾げる
「ふぇどうかした?ふぇ」
「お前ら、フィールドワークするために、巡検免許とったろ?」
巡検免許とは、初等部の6回生の折に、学外活動のために中等部に上がる前に取る免許だ。国民の義務である。
「…はい」
「まだです」
「嘘です。こいつ嘘をついてます。エリオン中等部はみんな持ってます」
詐欺師ラッツは、判事の目の前に吊るされた。
項垂れる銀髪は心なしか萎えていた。
「さ!じゃあいこう!あの赤い山の方だ!」
ずんずんと往来を歩く速度を早めるキャミィ。
「二つありますけど」
アルが後ろから、キャミィの歩みの確かさはどこからくるの確認する。
「どっちかだろ!行くぞ」
おおよそ適当な返事である。
「ふええ、行って違ったらどうするんですぅ…!」
地面に根を張ることを諦めきれないセシルがぐずる。
「下ってまた登るが?」
キャミィがこちらを振り返って、呆れた顔をする。
「もしかしてキャミィさん…方向音痴です…?」
「そうだが?」
「吾輩お腹が痛いですアレン閣下」
詐欺師がまた小癪な演技をする。
「野糞しろ、一等兵。諦めていくぞ。ラアス先生には連絡しといた。キャミィの名前を出したら、一個師団に相当するから護衛の必要はないだとかなんとか。なんかあったら駆けつけてくれるようだ」
どのみちこの人を放置しておくことの方が、学園にとって不利益を被りそうだと判断したアレンは、パーティを鼓舞した。
「そ、そんな強いのかこの人」
項垂れていたラッツの目にわずかに光が戻った。
「ああ、まだ会うのは2回目だけど、体に教え込まれてるよ」
背中の手形を思い出し、現在進行形でヒリつく肩をさすった。
「ふえ……これはもはや教師絡みの脅迫……」
根を張ることを諦めたセシルがやっと歩み出す。
「ロポ、もしかしたら狙ってやってるかもな」
ふと、我が師のスパルタっぷりを思い出す。
「え?」
「いや、なんでもない!遠足だぞ!わがパーティ!」
「そういやもうそろそろ高等部も卒業なのに、パーティ名つけてなかったな」
「ふえ……さっきのお花綺麗でしたし、リンドウはどうでしょう……」
「いいねそれ!そうしよ!」
「適当だなおい」
軽口を往来に響かせながら、リンドウ一行と、引率のキャミィは歩みを早めた。
彼らの笑い声に、後ろから忍び寄る足音は消される。一つの影が何かを探るように彼らを追いかけていた。