Ⅰ.3. 謁見
数刻の後、アレンとアロポスは、エリオン王城の謁見の間で玉座の前に跪いていた。二人とも面を伏せたまま、アロポスは神妙な顔をして、アレンは浮かない顔を貼り付けてる。
アレンは、内心ではどこか嵐がやってくる時の様な気分で浮き立っていた。玉座には、希少な毛皮で作られたマントを大きく広げたでエリオン国王陛下──父様が座している。
「──して? その話は確かか? アロポス」
複数の輸液パックを頭上にぶら下げ、生気は少ないが威容のある声で父様はアロポスを問い詰めた。輸液パックは虚空にまるで水に揺蕩う様にぷかぷかとしている。
金細工の意匠が施された大きな椅子は、病床の父でも無理のないように、北の国、ニエフの凍土に住まうとされるネームド級の魔物の毛皮を誂えている。それは、どんなにぐずる赤子でもたちまち眠りにつくと言われている幻の逸品だ。
「試行回数が極端に少ない。推論に過ぎんがね」
アロポスは無い髭を撫でてアレンに目配せした。
「陛下、ご提言よろしいでしょうか」
跪いたままおずおずと右手を挙げた後、父様に顔を向けてしっかりと目を見据える。
「…なんだ。申してみよ」
父様は、我々を睥睨した。
「恐れながら、少数精鋭で禁足地、並びに封牢への巡検、及び当該区域との番人との面会を進言いたします」
「ならん。先祖代々より、何人たりとて封牢の調査は行わせなかった。あそこには厄災が眠っているという言い伝えがある。パンドラの箱は開かなければ、パンドラの箱、足り得んのだ」
父様は、睥睨したまま、わずかに憐れみの表情を浮かべた。封牢を抱えたまま国王にならんとするアレンに対する憂慮なのか。
「頭が固いぞ、アラリック。結局、この年になるまで、問題を先送りにきてきただけじゃ」
父様の側近が、アロポスの無礼さに、鞘に手を当て身を乗り出すが、父様が横目をやり手を軽くあげ、遮る。
そのやりとりを懐かしげに見たロポが、息を大きく吸ってさらに続ける。
「タンランだけでなく諸外国が、虎視眈々と、封牢に眠るネームド級の何かを狙っている。先んずれば人を制す。川越えて宿取れ。旨いものは宵に食えというだろ」
「旨いものではなく、不味いかもしれん。それに、川は涸れ川かもしれん」
「それこそパンドラの箱は、ギフト・ボックスかも知れんしな。今日の一針、明日の十針じゃ」
われわれを飲み込まんばかりに大きくみえていた父様は、みるみるうちに縮こまっていった。
「体調が悪化しそうか?まぁ大事なご子息、加えて、予言の子、だしな」
「予言って」
アレンが発言しようとすると、父様は声を張り上げた
「あの予言は関係ない!!!」
父様は立ちあがろうとして大きく咳き込んだ。
臣下たちがささえようと姿勢を崩すが、父様は手で制して、話を続けた。
「アレンは、嫡男たるアレンには、我々、エルフの王になってもらうのだ……。いずれエルフが世界を統べるためにも、各国の七つの柱と共に……。人類に任せていては、いずれ世界は滅ぶ。人は愚かだ……。賢者たる我々が、持つものが、持たざる者に、尽くさねばならぬのだ」
父様の顔色は明らかに悪くなっていった。
「ノブレスオブリージュの精神はご立派だが、人が我々より劣っていると? たかたが何千年か長生きなだけで、それは傲慢とは言わないのか? 短命種は我々にはない進化を遂げるぞ。一世代の時間が短く、個体数も多い。短期間で新しい形質をもつものが突然変異で生まれでる確率は、我々よりも非常に高いのじゃ。独自の発展をとげるかもしれん。彼ら、ならではのな」
「……ぐッ!! いくら相公様といえど! それ以上は許さぬ!」
側近が抜剣しようと、構えて、隊列を乱した。
「もう、いいでしょう」
黙って父様の側に控えていた母様が鶴の一声でその場を収めた。
「もう十分だわ、アロポス。アレン、私たちはお前が大事なの。よく分かって」
母様の隣で、アレンの弟である四男がしかめ面をしてこちらを睨んでいるのが目に入ったが、目線はくれずにじっと母様を、みつめた。
「十二分に。承知しております。ですが、やらねばやられると口酸っぱく私にご教示にしてくださったのは母様たちでは。強くあれと」
「それは…」
「そろそろ子離れする時間だ。二人とも」
「この子じゃなきゃいけない理由はあるのか」
「いくつかワシが読んでいる線がある。その一つであればあるいは」
ふーっと長いため息を、父様が謁見の間に吐き出した。
「……アレン、アロポス、両名に禁足地への巡検ならびに、封牢の調査を許可する」
「やった! 父様ありが……あ! ……陛下。感謝申し上げます」
「もうよい。くずせアレン。そなたたちには負けた。病が悪化してしまうわ。はっはっは」
「あなた…」
わずかに、場の空気が明るくなった。
「ふふ、アレンに感化されたかね。アラリックたちよ」
「まぁ、我々を字名で呼ぶのは世界広しといえど貴方だけよ。アロポス」
「お前らの息子も、唯一ワシをあだ名で呼ぶよ」
「似たもの同士だね。ロポ」
「なっはっは。敵わんのう」
ひとしきり笑い合ったあと、父様は顔を作り直し、兵達に厳しい顔を向ける。
「水面下で進めよ。箝口令を敷く。お前たちここでの会話は他言無用だ。無論一字一句な」
「ハッ!!!ブラッドオブエリオン!!」
兵たちは姿勢を正して、掛け声を出し、最敬礼をした。
────────────────
「──であるからして、お前ら駆け出しの生徒どもでは、太刀打ちは絶対に不可能だ。俺でさえ、逃げるのがやっとだ。封牢には、絶対に近づくな以上だ」
図書館でのアロポスとの会合、王との謁見が昨日のことである。
講壇では深緑のショートボブの女性が、マイクに齧り付き、演台の両端を掴むようにして両手を置いてる。そして、鋭い眼光を両目から放ち、我々生徒に睨みをきかせていた。
ここは特別講堂であり、高等部の全校生徒千人が余裕を持って座ることのできるキャパシティを有する。はるか昔から存在し、今もなお文化遺産として厳重に管理されており、厳かな雰囲気である。
アレンとアロポスは、国王から認可がおりて、すぐに封牢の赴き、封牢の第一人者である彼女に接触した。アロポスがいう周辺施設は封牢のことであり、管理者とは彼女のことだった。
「彼女が無事で、良かったには良かったんじゃが……」
講義をしてくれとは頼んだが、生徒を恫喝してくれとは一言も伝えていない。
「あ、あのう…ふぇ」
講堂の左前方から、おそるおそる震える手が挙がる。マイクランナーが即座に駆け寄り、さっとマイクが手渡される。
「そこの。なんだ」
演台を今にも握り潰そうとしている彼女は、目線だけ一瞥をして、演台から垣間見える柔和なボディラインとは別のものにみえ、ちぐはぐにみえた。
「ふぇ!? ……あの、三回生、熾組セシルと申します。なんの講義にもなっていなかったんですが。結局封牢には何が封印されているんでしょうか……ふぇ」
質問をした彼女の言葉で、講堂全体に一気に緊張が走る。今にも消え入りそうな声で、核心を突く質問をした彼女は、高等部三回生の次期⦅エレメンタラー》と期待されているセシルだ。なかなかに厳しい一撃だが、教卓の女ヤクザはどう出るのか生徒が注目した。明日の朝日を拝めず、近くの湖に沈められやしないかみな固唾を飲んだ。この場の全てが、セシルの双肩にかかっているように思えた。
「んな! な! なんで! セシルちゃん、わかりやすかっただろう!? それに何が封印されているかは、国家機密!トップシークレットなんだ!」
張り詰めていた緊張の糸は、思いがけない変な方向に切れていった。今にも折れそうになっていた演台は、彼女から解き放たれ安堵するように音を立てた。
手を離し、その両手を頬にあて、先ほどのヤクザはどこへやら、彼女は赤面し、慌てふためいた。セシルは、そこに容赦ない言葉を浴びせる。
「この二時間で伝わったのは、次の四つですぅ…。ひとつめはぁ…、【封牢にはネームド級の何かが、エリオン発足と同期間封印されており、世界戦争の抑止力となっている】。ふたつめはぁ…、【封牢は、禁足地のさらに奥にある岩山のどこか】。みっつめはぁ…、ふぇえ【外国からの侵入は不可能であり、中に入るにはエリオン国内からでないといけない】あとはぁ…【封牢には世界でトップクラスの強さをもつ番人がおり、癒着を防ぐために三年に一回、各国から派遣され交代している。貴方はそこの番人であり、何人たりとも封牢には近づけさせない】ですぅ」
伝えたいことはシャキッと言いなさいとセシルは周りからこっぴどく怒られているため、要点だけは別人のようにスラスラと淡々と話す。要点以外は腑抜けた声のため、初めてセシルと話す人は面を食らうだろう。赤面した彼女も例外ではなかった。
「え、ちょっと! でも! セシルちゃん、私は先生でもなんでもない! ただの番人なんだ! 仕方ないだろう!?」
両手をバタバタさせ、髪の毛を振り乱し、目の涙を溜めながら、今度は我々に慈悲を訴えるように懇願する。決着の時だった。
「慣れない先生役をかってくれてありがとのう、キャミィ! また、上手くまとめてくれたのう、セシル!とういうわけじゃ! みんな封牢には近づいてはならんぞ! 何かあってからでは遅いからの! では各自解散じゃ!」
いつのまにか講壇に立っていたアロポスが、パンパンと手を叩き講義の終わりを合図した。
なんだか狐につままれたようだが、ニ時間強の講義にほとほと疲れた生徒たちは、ぶつぶつとなにか文句を垂らしながら各々離席していった。
「なんでこんな長時間の枠にしたんだ! アロポス!」
生徒があらかたいなくなったことを確認してから、唾を飛ばす勢いでキャミィは喚いた。
キャミィを労うためと、アロポスを怪力から守るために、アレンも講壇に登った。
「話したいことが沢山あると思っての。ワシの早とちりじゃて。堪忍じゃ」
アロポスはべろをちろりとだし、ウィンクする。このあざとさは、封牢周辺の恐ろしい魔物ですら許さざるを得ないだろう。
「……ハァ……セシルちゃん怖すぎ。山籠りする百倍は疲れた。そもそも普段一人きりで、独り言もままならないのに。こんな大勢の前で話すなんてできなかったんだ」
先ほどのキレはどこへやら、キャミィは講壇の隅っこに向かい体育座りをしてしまった。封牢の番人が纏う強者の雰囲気はそこには無く、まるでアロポスより小さな少女がいるように錯覚する。
「ぼ、ボクはすごくわかりやすかったですよ。封牢の位置とか大まかにあそこかなあって検討つきましたし」
あまりにキャミィが不憫で見てられなくなったアレンは、顳顬に人差し指をおき、フォローの言葉をどうにかして絞り出す。額の汗が垂れてくるのを眉毛を持ち上げて、落ちないようにした。
「それはむしろ分かってはいけない気がするんじゃが…」
アロポスが虚空に呟く。余計なことを言わないでくれと目で訴えた。
すると、講壇の隅にいたはずのキャミィが顔を、目で追えない速度で上げて、距離を一瞬にしてつめてアレンの目の前で満面の笑みを振りまいた。その速度で床が焦げたと疑うような煤けた匂いがした。
「ほ、それは本当か! だろう! 昨日寝ずに原稿を考えたんだ! その甲斐があったよ!!」
「あれで寝ずに考えたんだ……素敵な講義でしたよ……はは…はははは」
まさかあの内容で徹夜かよとは口が裂けてもいえず、目が泳いでしまった。だが、そんなことには気づきもせず、調子を得たキャミィは見るからにはしゃいでいた。
「だよな! だよな! お前、わかってるガワだな!」
女性らしいグラマラスな体型とは裏腹に、がははと笑いながらアレンの背中を粗雑にバンバンと強く叩くキャミィは、封牢の番人の名に相応しい力をアレンの体にこれでもかと示した。
アレンの背中の、手の形をした発赤は、ヒリヒリとした灼熱感とともに、数日間消えることはなかった。




