Ⅰ.2. 痕跡
ユイ先生の絶叫と、みんなの歓声は、風にさらわれるように遠のいていった。かわりに、青空がどんどん広がって近づいてくる。
二人は空の中で浮かび上がり、瞬いては消え、また現れる。アロポスの転移魔法のリズムは、どこか音楽のような心地よさを伴っていた。
「こうして上から見ると、僕らの都市って本当に丸いね!エリオンは紅茶でも注げそうな形だ!」
晴れ渡った空の下、北側に見える海が透き通るように青く輝いている。北側の海岸を上側とすると、エリオンはティーカップのようなかたちをしていた。その中央に円状の壁に囲まれれた大都市が広がっている。空から自分の住んでいる所を見下ろすなんてことは、アレンにとって初めての体験だ。アレンは興奮を隠せず、声にまで弾みが出る。
「ほお、新しい視点じゃの。エリオンは、国の形が花に似とるから、ピオニーとも呼ばれておるのじゃ。丸いのは、首都じゃもん。ほれ、その更にど真ん中にあるのが、さっきまでおった学園都市じゃろ。ええご身分じゃのお前さんたちは」
アロポスは軽い口調で言いながら、指先で下を指した。そこには、首都の壁の中により巨大な壁で囲まれた学園都市があり、建物が迷路のように並び、その中心には象徴的な塔がそびえ立つ。
アレンは思わず父から教えられた話を思い出す。「識字率が高く、学問の発展が国家の誇りである」「世界的にも高水準の教育制度を持つ国」──そんな言葉が脳裏をよぎった。
「でもさ、学園都市が国のど真ん中にあるせいで、どこに行くにも同じくらいの時間がかかるんだよな。近くも遠くもないって感じ」
東西南の“ティーカップ”の外径部分はそれぞれ他国と接していて、ここにも強固な壁が侵入者を阻むように国境を線引きしていた。
「それを贅沢な悩みと言うんじゃよ。それにな、学園祭の時期以外、部外者は学園都市に入れん。ショートカットもできんからのう。卒業したら、その便利さに甘えられんぞ?」
「そん時は、ロポのコネを最大限利用させてもらいます!」
アレンが満面の笑みで言うと、アロポスは目を丸くして大声で笑い出した。
「なっは! 小賢しいやっちゃの! でもまあ、そのくらい図太い方がこの先、生きやすいかもしれんのう」
二人の声は風に溶けていく。青空の下、転移を繰り返しながら、彼らの旅はまだ続いていく。
次に瞬きをしたときには、そこは薄暗い木造のホールの中央だった。
ホールといっても、落ち着いた静けさとはほど遠く、混沌とした様相を呈している。
天井はおそらく十メートルはあるだろうか。その半分ほどの高さの本棚が、左右に幾重にも連なり、さらに天井からも同じように本棚が吊り下げられるように幻想的に浮かんでいる。
その中心に、ひっそりと置かれた一人用の木製の机と椅子。机の上には、花の蕾のような形をしたランタンが一つ、控えめな光を灯している。そのランタンが唯一の明かりだった。
周囲には、本棚からあふれ出した本が、所狭しと積み上げられている。本の塔は背丈を優に超える高さに達し、今にも倒れそうで倒れない、絶妙なバランスを保っている。その間にできた細い隙間から、人が通るのがやっとというところだ。
足元には、アプヤヤ産の手織りの絨毯が敷かれている。その繊細な模様が、ランタンの灯りで浮かび上がったり、闇に溶け込んだりを繰り返していた。何とも神聖で、不思議な空気を醸し出している。
世間一般から見れば異様な光景──もはやダンジョンと見間違えるかもしれないが──、アレンは驚きはしなかった。何しろ、ここには自室以上の頻度で通っている。ロポが管理する図書館なのだ。
ふと、どこからともなくアロポスが現れた。彼女はアレンの前を通り過ぎ、机の方へと歩いていく。
「何を語るにも、ここが一番じゃ。落ち着くのう、ここは。アレン殿下もそう思うじゃろ?」
桃色のツインリングからピンと飛び出たアホ毛を指に絡ませながら、彼女は満足そうな顔をして言った。その様子は、どこか自慢げな子供のようにも見える。
「殿下とかやめてよね。それにしても、ほんと小綺麗で、素敵な部屋だよね。僕も、この国ではここが一番好きかも」
「はん!? 馬鹿にしたな?」
アロポスはぷくっと頬を膨らませ、腰に手を当てて睨みつけてくる。その姿はどう見ても子供そのものだったが、実際は御老体なのだから妙なものだ。
「してないしてない。それで、話って何?」
アレンは彼女の頭をぽんと軽く叩くように触れる。身長差があるせいで、遠目に見ればまるで年齢が逆のようだ。
「あっ、そうじゃった! すまねえ、すまねえ。最近忘れっぽくてな。認知症かのう」
アロポスは大げさにとぼけながら、机の近くに腰掛けた。
「やだなあ、おばあちゃん。夕飯ならおととい食べたじゃない? この国一番の頭脳が何言ってるのさ」
調子を合わせて、顔を伏せつつやれやれと手を広げてみせる。
「むう、また馬鹿にしおってからに!」
アロポスは再びぷりぷりと怒るふりをしてみせたが、ふと真剣な顔になり、声を落とした。
「実はな、エリオン近郊で、侵入者がおったのじゃ」
視線を戻した時には、机の上にいたアロポスの姿は消えていた。どうやら本の塔の中に潜り込んでしまったらしい。
「学園祭の関係者じゃない侵入者が二人おってな。捕まえようとしたんじゃが、奴ら、火炎魔法で自死しおったわ。危うくわしまで巻き込まれるところじゃった。相当なやり手じゃぞ。はあ......悩みが尽きんわい。最近はタンラン周辺もきな臭いしのう。また戦争じゃなきゃいいが」
アロポスの声だけが本の塔の陰から響いてきた。
「物騒だね。その侵入者ってどんなやつだったの?」
「二体とも、頭から足の先までまるでわからん。死体を見ても、炭化しすぎて男か女かも判別できんかった」
「手がかりなしってことか。あとタンランって、西の大国だよね? あのお金にうるさい国?」
「そうじゃ、タンランは西方の国。金の亡者の巣窟と言われるだけある。奴らは魔物の使役具を独占しとるから、金なら腐るほどあるはずなんじゃが、それでも足りんらしいわ」
「らしいね、父様も言ってたよ。『歩けば銭の音がする国』だって。それにタンランと交渉するなら、まずコストの話をしろ、ともね」
「ところでアレン。夕飯は毎日出せよな。ボケが古典的じゃの、どこで覚えた?」
アロポスの声が本棚の合間を縫うように聞こえてきて、ちょっと前ののアレンの小ボケに遅れてツッコミ を入れてきた。
「ボケはロポの本棚にあった小説に書いてたよ」
「有害図書はロックをかけているはずじゃが?」
「規制って突破するためにあるんだって偉い人が言ってたっけな?」
「やかましいわい」
そのままロックをどう解除をしたか追及されそうだと察したアレンは、話を強引に侵入者の事件への戻す。
「それで、侵入者事件の方は迷宮入りしそうなの?」
「一応、一体は国の鑑定治癒術師に依頼をかけておるが、あの有様では望み薄じゃろうな。それにしても、他のもう一体は......。まあ、あの国のネームドの噂も絡んでおるようじゃがの」
「ネームド?」
思わずぽかんとしていると、アロポスが机の反対側から呆れた顔をこちらに向けてきた。
「む? ユイくんに習わんかったのか?」
「最近忙しくて……寝ちゃったんだよね。それにロポの話が面白すぎて」
「感心せんのう。それに、わしを言い訳に使うでないわ」
「言い訳じゃないよ! 本当に楽しくてさ、夢中になっちゃうんだ」
アロポスは一瞬困ったような顔をしたが、やがて肩をすくめた。
「……仕方ないのう。ネームドというのは、諱付きの武具のことじゃ。七つの国が一つずつ持っておる。どれも国の礎となるほどの力を有しており、知性まで備えとるとされる。一説では、創世記の時代から存在するとかのう」
「エリオンにはないの?」
「わしの知る限り、ないのう。……まあ、わしがネームドみたいなものかもしれんがな!」
「それはどうかな」
軽口を叩こうとした時には、アロポスはまたいつの間にか本の塔の中に姿を消していた。
「ちなみにじゃが、当のタンランのネームドは『ゴルド卿』と称されとる。黄金を操るとかなんとか言われとるんじゃ。お主もいずれ王子として外交するじゃろうから、知っとけ。とはいえ、ネームドの詳細はどの国も国家機密じゃが、あのタンランだけは妙に情報が出回っとる。内部からリーク情報を売る輩がいるらしいわ」
どこにどう隠れたのか、声だけが届く。アレンは仕方なく椅子に腰掛けて、また戻ってくるのを待つことにした。
「やだねえ、金、金ってさ。そんなに金が大事?」
半ば独り言のように問いかけた。アレンは本棚の隙間を覗き込んでみたが、中はびっしりと本で埋まっていて、どうにも手を出す気にはならない。これを触って崩したら、確実にアロポスに文句を言われるだろう。
「金が全てじゃとは言わんが、ある側面ではそれもまた事実じゃ。タンランは特にその典型じゃろう。我らがエリオンに近いこともあって、あの国の動きは見過ごせん」
今度は後方から声がした。どうやらアロポスは、寸分違わず空間転移を繰り返しているらしい。あまりの高度な技術に少し眩暈を感じたアレンは、机に手をついた。その先にあった一冊の本にふと目が留まる。表紙には薄着の女性がポーズを決めている。
「……これも大事な資料ってやつ?ロポ、こんな本まで読んでるの?」
「ん? ああ、それか。参考資料じゃよ……隠しておいたんじゃが、忘れとったな。あ、あったあった! これがその手がかりじゃ! って、うわあっ!」
突然、アロポスの悲鳴が響いた。同時に右前方の本の塔が派手に崩れ落ちる。
「ロポ、大丈夫!?」
アレンは慌てて読んでいた本を机に叩きつけるように置き、椅子を蹴り飛ばして立ち上がった。
「ふう、危ないとこじゃった……。む?椅子はちゃんと起こしておけ。それから、本は丁寧に扱え。この部屋の資料はどれも貴重なんじゃからな」
下敷きになったはずのピンク髪が、いつの間にかアレンの真横に立っていた。あまりの瞬間移動ぶりに驚いて声を上げてしまう。
「うわっ! もう、いいけどさ! とにかく気をつけてよ、ロポ!」
「む? まあ後で積み直すからええわ。それより、これを見てくれ」
アロポスが手元の紙束をひらりと宙に放ると、それはゆっくりとばらけて、一枚ずつ目の前の空間に整然と並んだ。焦げ跡が残る紙が何枚かある。アロポスがその中の一枚を指差すと、そこにはタンラン語でこんな記述があった。
『エルフの国、エリオン周辺で瞬間的に極大な魔力反応を検知。数秒で消失。』
「極大な魔力……? それが消えた? まさか……」
「ああ、そのまさかじゃと、わしも睨んでいる。このタンラン語の紙は、さっきの侵入者から唯一回収できたんじゃ。一緒にこれも焼こうとしたんじゃろうが、熱風で飛ばされて逃れたようじゃわ。ただ、ところどころ焼け落ちとる。ある程度復元に時間がかかっての。読了次第、ワシの独断で、すぐさまタンランとエリオンの間をくまなく捜索したのじゃが、特に得るものはなくての。タンラン側が何を企んでいるかわからぬ。が、よからぬことじゃろうて、悟られんように戻ってきた」
アロポスは、人差し指を何度も、紙に叩きつける。イライラしているときのロポの癖だ。
「謝ることがある。殿下、申し訳ない。先ほど一体の遺体は鑑定治癒術師に依頼をかけたと言ったが、もう一体は何故か跡形もなく消えとった。誰かを使わしてなんとしてでも周辺を探索し、回収するべきじゃったが、殿下も分かっとるように最近国内も信じれるものが少ない」
「え、誰がどうやって……。見間違いじゃないの、ロポ。実は一人だったとか」
「ワシが駆けつけた時は、すでに爆炎魔法の詠唱中で、詠唱時の光が二人分のシルエットをしていた。あまりに光の苛烈さに、魔法の威力を鑑みて、少し離れた物陰から観察していたんじゃが、見間違いではないはずじゃ」
「そうか。でもそれを聞く分には、侵入者の同士討ちってこと?」
「殿下。シルエットしか見えなかったのじゃ。他国同士の小競り合いも可能性がある。周辺施設の管理者の可能性も考慮して、連絡はしているが、今の所返事はない」
「いずれにしても、良いことはないって話ね」
「ああ。至急調査せねば。して、その紙の続きじゃが、その魔力は、各国が有する最大の軍事兵器⦅ネームド》に匹敵、またはそれ以上じゃったと綴られている」」
「そんな魔力! 我々が気づかないわけがない!」
「それが、そうでもないんじゃ。観測された日付を見とくれ」
観測日は、四年前の八月一日だった。
「ボクが十歳の時の夏、そうか。お父様が」
あの時を思い出し、声が上擦ってしまう。
「そうじゃ。国王が、凶刃に抗った日じゃ。辛い思い出をぶり返して申し訳ない。ワシもあの時、不在にしていたとこを、今でも悔やんでいる。あの日ワシさえいれば、ルイスは今も前線に立っとるじゃろうに」
アロポスは、肩を落とし、顔を伏せて、いつになく落ち込んでしまった。
「大丈夫だよ。父様は、他国の使者とも会話できる様なくらいには精神面、肉体面ともに快復してきているしさ。たまたま現場近くにいたからって、国連平装から除隊してでも駆けつけてくれたユイ先生のおかげでもあるけどね」
両手をアロポスの肩に置き、努めて気丈に振る舞った。ユイ先生は、ニエフが立ち上げた国際連合平和維持装置の元医務総監だった。立場が上すぎて現場担当ではなかったそうだが、エリオン国周辺にたまたま出張しており、エリオン国王暗殺未遂の報をきき、いち早く駆けつけてくれた。
「そうじゃな。医務総監という立場を捨ててまで来てくれたユイちゃんに改めて感謝せねば」
きらりと目の淵に光るものを溜めながら、アロポスは笑顔を作ってみせた。国の砦、要など言われてきた彼女だ。責任を感じているのだろう。
「確かにこの日なら、国中、いや世界中が混乱していたからね。気づかなくても、訳はないか」
アレンは無意識に、ため息を漏らしていた。
「そうなんじゃ。そしてこの魔力の正体だがおそらく」
「「封牢か」じゃ」
二人の声が。一つの単語でユニゾンする。
その響きは、薄明かりの図書館に仄かな暗い影を落とした。