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Ⅰ.13. 冥冥

 




 スレイの力に導かれるように、草原を滑るように駆け抜けるアレン。その視界の先、前方の木々が赤々と炎を上げて燃えているのが見えた。炎に照らされ、揺れるような人影が浮かび上がる。


 アレンは咄嗟に踵を立て、草原の柔らかな土を抉るようにして急ブレーキをかけた。膝に響く痛みをぐっと堪え、影に向かって声を張り上げる。


「姉様! ラッツ! セシル! アルなのか!」


(アレン、そんなに迂闊に叫ぶのは危ないだろう)

(大丈夫だよ、スレイがいるから)


 スレイの警告に、心の中で反論するアレン。その間にも、遠くの影はアレンの呼び声に気づいたのか、こちらに向かってくる気配を見せた。炎と煙が視界を歪ませる中、ゆっくりとその姿が浮かび上がる。距離にして二十メートルほど。現れたのは、見覚えのある顔だった。


 険しく眉間にシワを寄せた精悍な顔つき──アレンは息を呑む。そう、あの嫌味なまでに高慢な顔だ。


「おまえ! メイナード! あれはお前か!」


「……ああ!?」


 声を荒げたメイナードに、アレンの胸の奥に熱い怒りが湧き上がる。怒りの言葉が止めどなく口を突いた。


「お前! どんだけ腐ってんだ! 僕らに火炎魔法をぶち込んだだろ!」


「はぁ!? そんな面倒なこと、俺がするわけないだろ!」


 言葉では否定しつつも、メイナードはその場で火炎魔法を放った。赤々と燃える魔法弾がアレンに向かって飛ぶ。恐怖に目を見開き、咄嗟に防御の体勢を取ろうとするも、足が震えて尻餅をついてしまった。


 しかし、焼けつくような熱は襲ってこなかった。代わりに、背後で何かが炸裂する音が響いた。恐る恐る振り返ると、丸焦げのキラービーが草むらに横たわっていた。


(……どうやらアレンを狙ったわけではないようだな)


 スレイの冷静な声が、アレンの混乱をほんの少しだけ和らげる。


「アレン、お前ってのは本当にめでたい奴だな」


 メイナードが嘲るように言いながら、ゆっくりと歩み寄ってくる。その言葉にアレンは眉をひそめた。


「なんなんだよ、それ。どういう意味だ?」


 訝しむアレンが立ち上がろうとした瞬間、森の奥から閃光が走った。鋭い音とともに魔法弾が空気を裂き、メイナードとアレンの間に着弾する。爆風に巻き込まれ、アレンは再び地面に転がされた。


「だから言っただろうが!」


 爆煙の中で叫ぶメイナードの声が響く。だが、次の瞬間、彼の土手っ腹に魔法弾が直撃した。彼は呻き声をあげながら茂みに吹き飛ばされ、姿を消した。


 魔法弾が飛んできた方向に目を向けると、揺れる煙の向こうに数人の人影が見えた。円形の隊列を組み、慎重に近づいてくるその集団。真ん中には、見慣れたラッツの姿がある。


「無事だったか、アレン」


 ラッツが、青い炎を宿した剣を中段に構え、忙しなく首を振って周囲をみている。さきほど、襲撃してきた侵入者が近くにいるのだろうか。


(仲間か? 何やら、お取り込み中なようだが)


 どうやら先生たちが、アレンたちの巡検中の異常を探知し、駆けつけてくれたようだ。よくみると、ラッツの鎧は、式典様のような立派なものになっており、青い炎を纏った剣を持っている。予備の装備の準備までしてラッツを守ってくれたようだ。メイナードへの心配はそっちのけになってしまい、感激してスレイをより強く握った。


「ラッツ、お前も! 良かった! 本当に! 他のみんなは!」


「無事な、はずだ。それ──」

 仏頂面のラッツの声に、抑揚はない。

「ラッツ。無事ならそんな顔すんなよ」


 魔剣も手に入れた今みんなが無事ならあとは侵入者をコテンパンにするだけだ、とアレンは息巻いてみんながしているように周囲を警戒し、隊列に加わろうと歩み始めた。


「それより、その剣。キャミィに渡してくれ」


(それより?)


 ラッツの言い放った言葉に違和感を覚えて、足が止まる。問いただす隙もなく、ラッツの前にいるキャミィが見覚えのある変な巨杖を右手のみで構えたまま、アレンに詰め寄ってきた。


「アレン! よかった! 無事だったか! さあその剣をこちらへ!」


 キャミィの笑顔が、どこかぎこちない。視線もアレンではなく、スレイの方に集中している。侵入者が潜んでいるであろう緊迫した局面では無理もないのだろうか。


「キャミィ! なんでユイ先生の杖を持ってるの?」


「ちっ」

 ラアス先生が舌打ちする。


「ああ、これ? 今だけ借りたんだ」

 キャミィは、貼り付けた笑顔を崩し、鳥にでも狙われているかのように屈んで、上空を警戒するそぶりを見せた。


 全員、余裕がないようだ。挙動も発言もおかしい。


 円形の隊列は、ラッツを中心にして、全員外側を向いている。ちょうどキャミィの反対側の女の先生の背中がみえる。こちらに目線をくれもしない。他の先生たちも、顔だけ、女の先生の方向、林の奥に向いている。そちらに侵入者がいるようだった。


 ラッツも、額に汗をかいている。


「ラッツ、その青い剣なあに? そんなの持ってたっけ?」


「これか? これは、いいんだよ。早く」


「それに、ラッツ。さっきから、喋り方変だよ。いつものタンラン訛りはどうしたの?」


 後退りしているアレンの問いかけは、炎の硝煙の向こうに揺らぎがあったことで、中断された。


 円形のシールドを展開し、炎がそれを避けているため、シルエットが浮かんで見える。


 あれが、アレンたちを襲撃した侵入者だろうか。

 だが、あの魔法、どこかで──、


「さあ、早く。アレン」


 アレンの方に、キャミィが右手を突き出し、林の中から、近寄ってくる。代理の先生も、キャミィのカバーをするように真横にぴったりと付いてきた。


 草原に出てきたキャミィの左手は、茂みの中では見えなかったが、よく見ると、上腕から先が欠損していた。


「キャミィ! それ!」


 アレンが驚き目を見張った時、上空から見知った声が飛来し、キャミィの右手の指の先と巨杖を吹き飛ばした。そして、代理の先生の下腹部に大きな穴があき、その穴から奥にいるラッツの苦虫を噛み潰したような表情がみえた。


「アレンには、指一本、触れさせやせんぞ!」


 アロポスの声がした。代理の先生は、下腹部から変な方向に体が折り曲がっている。驚いて反応できないアレン、と悲鳴を上げるキャミィの間に、中の見えない白い球体のシールドが割って入った。


「ロポ!なにやってるんだ!先生と、キャミィだ!敵じゃない!」


 アレンは、白い球体に向かって怒鳴る。


 このシールドは、外から中は見えないが、中から外の様子は伺える。中距離戦闘の際に、相手の視認を制御し、命中率を下げる意味がある。


 アロポスと一緒に、アレンが開発した魔法だ。


「アレン。敵じゃ。それに、あれはキャミィであって、キャミィではない」


 アロポスは、シールドの周りにいくつもの赤い魔法陣を衛星のように展開している。これは、スペルチャージといって、詠唱しきった魔法を待機状態にしておき、任意のタイミングでキャストできるスキルだ。何個かストックしておくことで、詠唱中の隙を狙われずにすむ。


 これはアロポスが“多対一”を想定して編み出した技だった。


「こいつ“ら”は、敵じゃ」


 そういうと、アロポスは、アレンの周囲に浮かんでは消え、ランダムに場所を移動しながら、キャミィを風魔法で林の炎の中に吹き飛ばして、先生たちとラッツの正面に浮き、杖を構えた。


 アレンは唖然として、目の前の光景を、自分の目の異常を疑い、信じられずにいた。


「ダメよ!アレンくん!!耳をかしちゃ!!」


 女の先生は慌てふためいて、杖をアロポスに向けて火炎弾を打つも、全てシールドに弾き返される。草原に三つほど火柱が上がった。


「そうだ!アレン!あれはアロポス様じゃない!姿を隠しているのはそのためだ!こちらにこい!」


 ラアス先生も、拳を構えて、小刻みにフットワークをし、焦ってアレンに迫ろうとする。


「さあ早く剣を!ラアス先生に渡して!それさえあれば敵をやっつけれる!」


 女の先生の言葉は、どこか利己的に聞こえた。


「よすんじゃアレン!このクソ教師どもは、ニエフのスパイだ!エリオンに仇なすものじゃ!」


(この声。吾輩を──。──か?)

 アロポスの声に、スレイがなにやら思考している。


「アレン!僕たちを信じて!」


 現場は収拾がつかなくなっていた。もはや、アレンにとって誰が敵とか、そんなことはどうでも良かった。ただ一つだけ、確認しておきたいことがあった。


「ラッツ!セシルとアルと姉様は!」


 竜巻、火球、氷槍、雷棒、ありとあらゆる魔法が飛び交っては、球体にぶつかり、撒き散らされる。


 ラッツは答えない。答える代わりに、青い剣を球体に振るい、刀身から湧き出た人の形をした青い炎をいくつも浴びせていた。


「アレン!!三人ならワシが保護している!タイミングをみて、解除するからお前も入るんじゃ!」


 近くにワープしてきたアロポスの声が、アレンにそう呼びかける。何を信じればいいかわからない。ただ、嘘でもいい。みんなに会いたい。その一心で、シールドに駆け出した。


「だめよ!アレンくん!!」


 炎の林の中から、いるはずのないユイ先生の声が聞こえる。アレンは、球体に入るすんでのところで、立ち止まり、魔法弾を受けた球体はワープしていってしまう。


「ユイ!今は違う!出てくるな!」


 ラアス先生が、林にむかって叫ぶ。


「いえ。もう、これしか道はないわ」


 林の中から、眩い緑色の光を放ち、左腕と、右手の指を生やしながら、キャミィの装備を着て巨杖を持ったユイ先生がこちらに歩んでくる。


「貴様、ユイ。アレンの心労を考えろ」


 球体が、ユイ先生に向かって、氷魔法より冷たい声を放った。


 反対に、アレンは、ユイ先生から、今までで一番優しい声で語りかけられる。


「アレン。キャミィは、私が殺したの」

 優しい口調で、鬼のようなことを平然と述べた。


「な……に、もう、もういいよ。もう十分だ。これ以上はもう無理だ。先生が侵入者ってこと?僕に、嘘ついてたの?」


「ふふ、当たりよ。でも、多分誤解しているわ」


「あなたがこの数日間過ごしたキャミィは、私よ。アレン。あなたが授業中に私に起こされたあの日、封牢にいたキャミィに抱きつくように特攻魔法をして殺した後、私だけ治したの。抱きついた時にキャミィの体をコピーさせてもらって、授業が終わってから、私の体の中で再現できるようにしたってわけ」


 ユイ先生は、授業中かのようにスラスラと説明した。


「まんまと騙されたのじゃワシらは」


「あら?アロポス?あなたもアレンに言ってないことがあるんじゃないの?」


 ユイ先生は、球体を仰ぎ見て、目を細める。


「貴様!!やめろ!!」


 球体から発射された爆裂魔法によって、ユイ先生の四肢が爆散するが、すぐに治癒魔法で緑色に発光し、うつ伏せのダルマ状態から、四肢が生えてゆっくり起き上がる。


「アレン、あなたのお師匠様はね」


「やめろといっておる!」


 今度は氷漬けにされた上に炎に包まれるが、中から緑色の光とともに、炭化した人の形のものが歩いて出てくる。


「封牢で、その剣を奪おうとしてたみたい」


「嘘じゃ!アレン!ワシは封牢にはいったが、盗ろうとなんて微塵も思っとらん!」


 アロポスの声が上擦る。おかしい。ロポが嘘をついている時の声だ。


「まぁ、いいのよ。そんなことはどうでも。それでね、私、何が言いたいかというとね。アルファンスを救ったのは、貴方じゃなく、私よ、アレン。貴方のヒールは、彼の呼吸器をぐちゃぐちゃにしちゃってて、貴方は、彼を一度、殺しているわ。その証拠に一瞬、赤い光がでたでしょう。でも、私がそれを上書きして、彼を死の淵から救った。私は、アレン、あなたのお友達を助けている」


(アルを──殺した──僕が──アルを──)


 腸が中から焼かれるような精神的な苦しみをアレンは受け入れられない。


「それに、なにより私は、あなたのお父様をお救いしているわ。あなたのお姉様の喘息だって私が見ている。あなたの真の味方って誰かしらね」


「私なしで、あなたは、好きな人たちを救えるの?」

「私と来て頂戴。これは取引じゃない。命令よ。私たちの祖国ニエフが、戦争を仕掛けられそうなの。今度は私を救って頂戴」


 球体が飛び回っているせいなのか、それとも情報を一気に摂取しすぎたせいなのか、まわりの景色が回っているように感じ、アレンは膝から崩れ落ちた。封牢の数倍の、目眩と耳鳴りが襲いかかり、加えて、頭が割れるほどの頭痛がしてくる。たまらず髪を引っ張って、表面的な痛みで、その耐え難い痛みを書き換えようとした。


(おいおい、戦場のど真ん中だぞ、しっかりしろ。心中はごめんだぞ。聞こえてるのか)


 スレイの声を意に介さず、アレンは、強くなる痛みに比例するように髪を引く力を強くする。ぶちぶちと捻髪音がした。何本か髪がぬけて腕の重みを吊るせるものがなくなり、両手を地面につく。草原に爪を立てて、そのまま手のひらを閉じた。爪の中に砂利が入りこみ、草が引き抜かれていく。もうなんでも良い。みんなに会えるだけでいい。僕が、アルを助けたこと。あの魔獣をみんなで一緒に戦い、僕がトドメを刺したこと。ラッツのグミで胃もたれしていること。分かち合って、できたら褒めてもらいたかった。──ラッツのグミ?巡検に強烈な匂いがする物をもっていくなんて、普段のラッツならありえないミスだ。いくらなんでも、ラッツは、そこまで馬鹿じゃなかったはずだ。


「ラァアアッツううう!!!」


 草の根が見えるほど土を抉り、アレンはラッツに咆哮する。


「なんだよ。そんなでけえ声出さなくても、聞こえてるわ。喧しい王子やんな」


 ラッツは、アレンを馬鹿にするように語尾を訛らせた。


「お前ぇ、グミになんか仕込んだか」


 アレンは、自分でも意図して出したことのない迫力のある声でラッツに凄む。


「おーおー怖い。エリート様なのに、察しの悪いことで。遅効性の眠剤だよ。おかげでぐっすり眠れただろ?感謝しな」


 ラッツが剣をクルクルと回して、青い炎を球体にぶつけながら、ランチ中の雑談と同じ調子で言った。


「お前ェ!!」


「なんだよ?殺してえか?そうだよナァ?騙してたんだもんナァ」


「……親友だと、思ってたのに」


「ああ、ああ……。わりぃな」


 二人の会話の最初の勢いは消え失せた。トーンダウンしたラッツが居心地が悪そうにしている。


 ラッツの言葉の意味は分かるが、頭の中では全く理解しえなかった。ラッツの方をみるために精一杯持ち上げた顔は、首の筋力を失って徐々に地面へ向く。


 なんで皆が殺し合いをしているのか、まだよく分からない。悪い夢でも見ているのではないか。アレンの目の縁に、涙が浮かんできた。戦意を喪失したアレンは、四つん這いのまま、完全に俯いた。目の縁にあった涙が、重力にまけて眼球全体を覆う。水中に潜ったように視界が滲んでいく。アレンは、涙を拭わなかった。拭う気力がないのもそうだが、水のフィルターがかかっていた方が、もはや心地がよかった。


 頭上で、なにかが弾ける音がする。女の先生が先ほどから放っている火柱が、少し遅れて後方であがった。もうどうにでもなれ。仕方がなく、顔を上げると、球体が目の前にある。

 シールドがこちら側の一部だけ剥がれていく。


「アレン、ほれみい。セシルも、アルも、お前の姉もおる。安心するんじゃ」


 アロポスは、シールド内部の彼女の足元に倒れた三人をこちらに見えるようにした。


「生きてるの?」


 アレンは、視界を覆っていたベールを拭いた。目線だけ動かしてアロポスの足元をみる。

 たしかに三人の人が、シールドの内部にいるように見える。


「うむ。こっちへくるんじゃ、アレン」


 アレンに嘘をついていたアロポスの言葉が、今回も本当かどうかは疑わしい。だが、他に頼るところのないアレンは、俯いて四つん這いのまま、赤子のように地面を這ってシールドに向かった。


「いってしまうのね、アレン」


 ユイは静かに、その様子を見つめる。


「ッ!──だから言った!長年かけた作戦は失敗だ!ラッツ!切り替えるぞ!魂の収集にうつれ」


「ちっ、結局、こうなるのか。気乗りしねえな。敵国とはいえ、数年暮らしてた町に、これをぶっ放すのはなあ」


「貴様ら!何を!」


 アロポスは、アレンを迎え入れるために、シールドを少しだけ開けておかねばならなく、かつ、飛び交う魔法の迎撃に手間取っており、周りがよく見えていない


「やめて、ラッツ。それは国際人道法に違反する」


 ユイが、ラッツとラアスを引き止める。


「祖国が戦争に負けるぞ。ユイ!お前の家族も、死ぬことになる!いいのか!」


 ユイの肩を揺さぶり、ラアスはラッツの方に顔を向けた。眉間に皺を寄せた二人をみて、ラッツは剣に話しかける。


「まぁ、そうだよなあラアス。やるしかねえわな。なあ、ドゥーシア。やれるか?」


 ラッツが、隊列を離れ、エリオンの方角に向かって静かに直立し、剣に語りかけた。ゆったりとした動作で、青い剣を両手でもち、先が天を指すように、胸の前に構える。剣の青い炎が、揺らめく。


「ぼちぼち」


 青い剣がやる気のなさそうな声を出すのを、合図に、ラッツは、ドゥーシアを地面に突き刺した。ドゥーシアの青い炎の勢いが徐々に強まっていく。


「やはり喋りおったか。ネームド、それもニエフの。マズイな。こうしては、おれん。アレン。早くシールドに入れ!」


 アロポスが叫んで、アレンに手を伸ばす。アレンは、アロポスの方にやっと顔をあげた。


 アレンは、たった二、三日会っていなかっただけなのに、アロポスの顔をかなり長いこと、悠久の時が流れたとも思えるほど、見ていなかった気がした。久しぶりにみるその顔には、アレンがみたことないほどに、険しい皺が刻まれていた。


(みんなでグルになって、僕を驚かそうとしているんじゃないか?悪い夢なんじゃないか)


 まだ現実を疑うアレンの精神は、かつてないほどに弱っていた。


「ロポォ……、僕、何を信じればい「お前に会うまでは、お前ほどの悍ましいモノが存在しているとは思わなかった」


 アレンの悲哀のこもった哀願を、スレイが遮った。


「人の優しさにつけこんで、また同じことを繰り返すつもりか?反吐が出る」


 スレイは吐き捨てるようにアポロスを罵しり、アレンの意識を、心の奥の方へ追いやった。アレンは夢見心地になり、全ての事柄が他人事に思えてくる。アレンの体は、スレイのものとなった。



 瞬間、ダンと、鈍い音がする。


 数拍の間を置いて、数々の魔法を跳ね返していた堅牢なシールドが粉々に砕け散る。


「は?」


 ラッツが間抜けな声を上げる。ドゥーシアの青い炎の勢いも、穏やかになった。


「許さぬ。お前だけは」


 スレイという(せき)から、刷毛(はけ)のように噴出した、アロポスの大量の血液が、もはや傀儡となったアレンを泥濘に沈ませた。


 エリオン封牢の魔剣が、エリオンの宰相を串刺しにしている。その場にいる全員が状況を飲み込めず、戦闘は一時中断された。草原の雨風と鮮血だけが、動的だった。


 ピンクの髪を有した者の全身の筋肉が声もなく虚脱する。同時に、魔剣の持ち主のはずのエリオンの王子が絶叫した。独りだけの慟哭が、曇天を貫いた。





 暗雲からの雨足が強まっていく。数秒経つと、木の枝が折れ始めた。落ちてくる雨の速度が異常に早くなっている気がする。スレイは直感的に危険を感じ、雨から逃げるようにエリオンの方へ、アレンの体を使い飛び去った。


「一人失った上に、目標に逃げられたな」


 ラッツが、クラスメイトに話しかけるような面持ちで言う。


「終わりよ。ドヤされるわ。まぁ、もう、いいでしょ。十分やったわよ。帰還しましょ」


 先生という職務を放棄するように女は豪雨に辟易して、パーティの上を傘状に覆えるようにシールドを展開する。


「──、どうする」


 雨の音が、会話を困難にさせるほどに大きくなっていく。


「あ、そういや。アレンは、やばい水魔法持ってるらしいぞ」


 雨粒というよりも弾丸に変化しつつある雨が、シールドの端をいくつもチッピングさせる。


「私のシールドが──欠けた?」


 愕然とする女を横目にしながら、ラアスは焦る。


「お前、ラッツ。それ早く報告しろ」


「だってアレンは、国に封印されてるって」


「現に、発動してるだろ!これは……大災害になるぞ」


 時間に比例して、雨足が強くなっていく。エリオンの国に流れていく積乱雲をみて、ラアスは声を震わせる。


「ユイ?わかってるな」


「ええ。そこまでお人よしじゃない。ただ、私は任務を続行する。別の方法で、またアプローチしてみる」


 ユイは、滝のような雨の中、緑の光を瞬かせながら、走り抜けていった。


「おい!独断専行は、軍法会議ものだぞ!」


 無茶をする背中に、ラアスは喚いたが、雨音の方が大きかった。


「はは、アレン。お前、マップ兵器持ちだったのかよ。こりゃ適わねえわ。ドゥーシア頼む」


「めんどくせぇなぁ」


 青い炎が、分厚い雲を穿ち、晴天が彼らを照らし出す。彼らの姿は蜃気楼のように、霞んで上空に消えていった。



 ────────────────




 魔剣は、ほくそ笑んでいた。当の魔剣に顔などついていないのだが、借り物の体からは笑いが止まらなかった。アレンの口角が、吊り上がっていた。


 スレイは、自分を封印した一族の王城に、王家の子の身体を動かし、目にも止まらぬ早さで向かっていった。





 気づくと、アレンは、謁見の間に立っていた。

 まだ、夢見心地だ。


 わからない──どうやってきた──。

 ロポは、みんなは、どうなった──。


「聞こえているのだろうアレン!飲まれるな!」


 ぼぉと重低音の耳鳴りがする。水の中から声を聞いているかのようだ。父様が、僕の膝に縋り付きながら泣いている。


「アレン!この国に伝わる伝承は真だ!各国のネームドを味方にしろ!」


 くぐもった声が聞こえてくる。


 ねえ、おとうさま、()()()、まけんをてにいれたよ。


 褒めて、父様。


 母様、父様、みんな血涙を流して、僕に抱きついてくる。


 そんなに泣かなくてもいいんだよ。僕は生きてる。




 場面が飛んだ──。





「我がエリオンは、主の意思ままにある!コードオブエリオン!」


 目の前の兵隊たちが突然血飛沫をあげて崩れていく。


 右手には、血だらけの魔剣が握られている。



 また、記憶が飛ぶ──。


 クラスメイトたち、みな一様に僕の名前を叫んでいる。


 大丈夫。


 泣かないで。


 聞こえているよ。


 血を流している大変だ。


 でも生きてたのか。


 良かった。


 目の前が真っ赤になる。


 街が燃えている。


 寮が赤い。


 さっきの赤さより眩しくどこか綺麗で儚げだ。


 夢を見ているのか。


 みんな頭を上げない。


 かたいかたいよ。ロポにおこられるよ。


 壁も、授業棟も、全て最初からなかったかのように、平らになっている。


 生まれ、愛し、育った国が、全て。


 ──何が良かったんだ。


 ──なぜみんな、こんなに泣いているんだ?


 ──そうか、またいつもの悪い夢さ。


 アレンの悪夢は逆夢にならず、正夢となる。


 一晩で、地図から国が一つ消滅した。



 目覚めると、全身が筋肉痛で、動くこともままならない。


「ようやくお目覚めですか。ご主人。よくお眠りになられていたようで」


 (わざ)とらしく(うやうや)しい態度をして大剣は怪しく光った。


「ん、ああ。スレイ。ごめん寝ていたよ。なんかさっきまで、みんなが泣いていたような気がするんだよね。あはは、寝てたくせに変だよね」


 悪夢だと思っていた。スレイは、最初に見た時より三倍ほどに膨れて上がっており、象牙色だった刀身は、鈍い紅の色に染まっていふ。

 アレンはスレイに操られていた。分かっていながら、それを脳の後ろで縮こまって、臆病な動物の様に全てを傍観していただけだった。不快だった。何もできなかった自分も、何もかもが、全て。


「王太子殿下。いや、王太女殿下。記憶がないのか?」


「なにが?何を言っているんだスレイ。僕にはさっぱり」


「本当にないのか?そうか、では」


 スレイはまるで用意した原稿を読むようにスラスラと、話し始めた。


「アロポスは、二千年前、吾輩を騙した上に、仲間を殺し、意識のない吾輩を殺さずにあえて現代まで封印しおった。アレンお前に恨みはない。アヒンサーであることも本当だ。わかってくれとは言わない。この惨状は、吾輩のせいだ。恨むなら吾輩を恨め」


 スレイが何を伝えようとしているのか、脳が拒否反応を起こしていた。喉が焼けるように痛い。目が熱い。奥歯がギギギと聞いたことのない音を立てる。


 目の前の大剣が大きく歪んで見える。

 先ほどまで膨れていた剣が一回り縮んでいた。

 この世界で、最も不要なものが目の前にある。


「オマエ!!なにが不殺生だ!!こんなものお!!!こんなものお!!!」


 つかを握る手と反対の手で瓦礫を拾った。拾う時に血で滑り、尻餅をつく。

 全身が筋肉痛で動く度に軋む。そんなものは一切無視し、拾った瓦礫を高々と持ち上げた。


「おい、吾輩はそんなものでは壊れんぞ」


 打ちつけた。何度も何度も、柄を握っている自分の右手を、何度も。


「こんなもの!こんなものォ!!オオオオオ!!」


「アレン。自分の手は大事にしろよ」


「ぅうううるさああああい!!!」


 みるみるうちに、手が変形し色が変わり腫れていく。


 打ちつける手を止める。周りを四顧(しこ)し、肉塊を睇視(ていし)した。

 見知った顔ばかりが苦痛に顔を歪めて、その目から血なみだを流してこちらを睨んでいた。


 焦土と化した小国に独りの(いなな)きが虚しく響いた。

 叫びながら、アレンはもう耐えられなかった。体の痛みも感じなくなった。周りの景色が、音が遠くなる。一人、意識の下に隠れる様に気を失った。




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