Ⅰ.11. 襲撃
翌朝、全員で無人の小屋に一礼をし、玄関先で整列してから出発した。ランタンの火はきちんと消したし、寝床も元通りに整えた。誰もいない家ではあったが、ここで一夜の安息を得られたのだから、その感謝を忘れるべきではないとアレンは思った。
門をくぐったとき、小屋の裏手に目を向けた者は誰もいなかった。しかし、今になってふと振り返ると、そこには広々とした高原が広がっている。陽の光が草の海を金色に染め、朝露がキラキラと輝いていた。
「ちょっと、聞こえない?」
姉が急に立ち止まり、眉間に皺を寄せた。彼女の耳は一行の中で一番鋭い。アレンたちも耳を澄ますと、どこからか人の悲鳴のような音が聞こえてくる。
「待て!」
キャミィが声をあげたが、すでにラッツが弾かれたように駆け出していた。誰よりも先に音のする方へ向かうラッツの背中が、瞬く間に高原の向こうへと消えていく。
追いかける一行の前に、突然視界が開けた。小高い丘が点々と続く草原の中で、その丘のうち二つが――動いている。
「……これは厄介だわ」
キャミィの声が低く響いた。丘だと思っていたのは、実際には巨大な熊だった。二頭。
「ハングリーズリー……!」
アレンの口から言葉が漏れる。魔物学の授業で聞いた名前が頭に浮かんだ。先生が警告していた通りだ。
『こいつはハングリーズリー。常に空腹で、気が立っている魔獣だ。血の匂いに敏感で、人間の声を真似て獲物をおびき寄せる。もしその声を聞いたら、反対側に逃げろ――声の主はお前を罠にかけるための囮だ』
「あ、ありえない……。普段群れないはずのあいつらが二頭も……しかも番だなんて……準ネームド級だぞ……」
アルが震えながらつぶやいた。
目の前の二頭の熊は、こちらの存在を察知したのか、巨体を揺らしてじりじりと近づいてくる。その足元では、高原の草が踏み潰され、地面が唸りをあげていた。
「ぐう……いいか、聞け!」
キャミィが短く叫び、一行を振り返る。
「私が二匹とも惹きつける。その隙に、全員で北の丘を目指せ!アレン姉が指揮を取れ。丘を越えて全力で五分走れば、ドワーフが作った要塞が見えてくる。そこまで行け!」
「でも、キャミィ!」
アルが悲痛な声をあげる。
「私のことは気にするな。一応、ここらの番人だ。こいつらとは何度かやり合ったことがある」
「いや……迷子にならないかって……」
アルの予想外の一言が、場の空気をほんのわずかだけ和ませた。
「迷子か!それは……なんとかする!考えてる暇はない!」
キャミィは笑いながら右前方に走り出した。それを追うように、一頭の熊が進行方向を変える。そしてもう一頭も、しばらくこちらを睨んでいたが、やがてキャミィの方へゆっくりと向かい始めた。
「行け!」
キャミィの声が風に乗って届く。アレンたちは決心を固め、北の丘を目指して駆け出した。
キャミィが吠えた。「ええい、ままよ! やってやらあ!」
彼女の声が草原に響き渡る。振り返る余裕はなかったが、その頼もしい響きが一行の背中を押してくれるようだった。姉を中心に、リンドウは北の丘を目指して一直線に走り出す。
「俺、あんな森のクマさんの一撃、受け止めるの!? 無理無理無理!」
ラッツが泣き言を漏らすが、姉が振り返りざまに叱咤した。
「受け止める必要なんてないわ! キャミィがうまくヘイトを取ってくれてる。私たちはとにかく前進して熊をやり過ごしたら、そのまま全力で奥へ逃げるわよ!」
キャミィの邪魔にならないよう、向かって左側を選び、走り続ける。だが、その途中で異変が起こった。
こちら側に目を向けていたハングリーズリーの一体が、空加動きを止めた。次の瞬間、こちらへ向きを変え、四足を地に叩きつけながら突進してきた。
「来るぞ!」姉が叫んだが、キャミィはもうー体と交戦中で手が離せない。迫りくる熊に、こちらも備えを整える暇もなく戦闘態勢を取ることになった。
「バフをかける! 時間を稼いで!」 セシルが詠唱を始める。アレンはそれを援護するため、無詠唱で魔法を放った。
《雷棒》
黄色い閃光が熊の横っ面を捉える。巨大な体が地面に転がり、草原に大きな傷をつけた。だが、すぐに熊は立ち上がり、 歯を剥いて唸り声を上げる。その目には明らかな怒りが宿っていた。
距離を詰める熊に対し、リンドウは後退しながら態勢を立て直す。セシルの詠唱が終わり、一行にバフがかけられた。
アレンは体が軽くなる感覚を覚え、皮膚が突っ張るような感覚に気づく。おそらくAGIとDEFが上がったのだろう。
「俺が引き受ける!」ラッツが盾を地面に突き立て、スキルを発動する。その咆哮は、敵の注意を引きつけるためのものだ。
ハングリーズリーがそれに応えるように、右前脚を大きく引いた。
「来るぞ!」ラッツが身構える。盾の後ろで踏ん張 り、その一撃に備えた。だが──
衝撃がこない。
「......え?」
数瞬待っても攻撃が来ないことに気づき、ラッツは盾の隙間から敵の様子を伺った。そして次の瞬間、彼は理解する。
ハングリーズリーはラッツを無視して突き進んでいたのだ。
「待て!」
声を上げる暇もなく、熊は全力でアルに向かって走り出した。
「アル!!!!!」
悲鳴のような叫びが一行の間に響き渡る。
巨体が迫る直前、アルの詠唱が途切れる。その声は熊の咆哮にかき消され、一瞬の静寂が草原に落ちた。 そして次の瞬間──
ドンッ!
鈍い衝撃音とともに、アルのフルプレートアーマーが宙を舞った。光る金属の塊が信じられないほど軽々と放り投げられ、まるで風に飛ばされた羽根のように草原に転がり落ちる。
ラッツの叫びが空気を切り裂いた。
「アルゥゥゥッ!!!」
ラッツが盾を地面に放り投げ、倒れたアルのもとへ駆け寄ろうとする。
「待って! 陣形を崩さないで!」
姉の鋭い声が響く。彼女は盾を構えたまま、眼前のクマをにらみつけながら指示を飛ばす。
「でも!!!」
ラッツが叫ぶが、その言葉を遮るように、数十メートル先でアルがよろよろと膝をついた。彼は杖を地面に突き立て、ふらつきながらも何とか体を起こそうとする。
「僕は……大丈夫だ……まだやれる……」
アルの声は弱々しく、喉の奥で詰まったような喘鳴が混じる。その直後、湿った咳とともに血が口元から流れた。
見ると、彼の自慢の甲冑の胸当てがひしゃげている。呼吸が浅く苦しそうだ。先ほどの一撃で呼吸器を損傷したのは明らかだった。
「アル……! ごめん! 俺が挑発したのに、クソッ!! 動くなよ! 前傾姿勢を保て! すぐそっち行くからな!」
ラッツは悔しそうに叫びながら、タワーシールドを掲げて突進の態勢に入る。
「やめなさい! 陣形を維持しろ! ラッツは前衛の役割を全うして!」
姉の冷静な声が飛ぶ。しかし、その場の誰もが焦りと混乱に飲み込まれつつあった。
ハングリーズリーは、こちらの様子をうかがいながら、ゆっくりとアルに向かって歩み寄っている。その巨体が草を踏みしめる音が重く響いた。
「ふぇ……このままだとアル君がやられる!」
セシルが声を上げる。
「だけど、あのクマには知性があるわ! アルを囮にして私たちを動揺させようとしているのよ!」
姉がそう言い放つ声には、悔しさと焦りがにじんでいた。彼女は奥歯をかみしめ、唇を噛んだせいで血が滲んでいる。
「ふぇ……とにかくアル君に近づかないと……」
セシルが恐る恐る言うが、パーティ全員の顔には焦燥と恐怖が浮かび、その額は汗で濡れていた。
それは、アレンも同じだった。心臓は激しく鼓動し、手のひらには冷たい汗がにじんでいる。
(どうする……このままだと……)
焦りに駆られ、アレンは必死に考えを巡らせていた。
ただ一つ、僕はみんなと違う。
迷っている時間なんてない。
ここで仲間を見捨てるなんて、選択肢に入らない。
僕が、みんなを守る。
「レベルキャップの解放を宣言。上限の一を棄却する」
セシルが驚いた声をあげた。
「ふぇアレン、何を言ってるの?」
彼女の問いを無視して、僕はラッツに向かって叫ぶ。
「ラッツ!10秒だ!持たせてくれ!」
ラッツはすぐに応じる。
「10秒か!そんなもんでいいんだな!」
「十分だ。顕現す!」
瞬間、空気が変わった。
バチバチッという音と共に、僕のステータス画面が勝手に開かれ、枠が点滅し始める。
「待ってろ、アル」
僕は剣を握り直し、全神経を集中させる。
「⦅雷剣 サンダーソード⦆!」
目の前が真昼のように光り輝いた。
巨大な雷の刃が放たれ、暴熊の巨体を貫いた。
雷のエネルギーが激しく爆ぜ、暴熊は黒焦げになり、そのまま高原に沈み込むように倒れる。
動かなくなった巨体を確認して、僕は息を吐いた。
雷属性が効いていることは一撃で分かった。
だからこそ、さらに上位の魔法をぶつけたのだ。
焦げた肉の匂いが風に乗って漂ってくる。
同時に、全身に高揚感が駆け巡る。
レベルが上がったときの、あの独特の感覚だ。
でも、それを喜ぶ余裕はない。
僕はすぐに次の行動に移る。
「アル、大丈夫か?」
守るべきものがいる限り、僕は立ち止まらない。
すぐさまアルのもとへ駆け寄りながら、忘れないように、レベルキャップを元に戻す。今となっては無意味かもしれないが。
「まだだ!まだ息があるかもしれん!」
ラッツの声は、焦燥に満ちていた。
「大丈夫だ、ラッツ!」
僕は短く言った。「もう片付けたよ!」
「なんでそんなことが分かるんや!さすがに一撃じゃ……」
「不安ならステータス画面を見てみろ!」
ラッツを一喝し、僕はアルに視線を戻す。「それよりもアルだ!セシル、ヒールを!」
「ふぇ。私!」
セシルの声が裏返る。
「ふぇ……呼吸器は苦手で、えっと、えっと……どうしよう。アル君、血が……息が……どうして!」
彼女の顔は動揺から頭に血が上った様子で赤黒く染まり、完全に混乱していた。
そのとき、服を血に染めたキャミィが荒い息をつきながら駆け寄ってきた。
「遅くなった!みんな、大丈夫か!?もう一体はどうした?まさか倒したのか?」
キャミィの目が僕を見て、一瞬驚きが走ったが、すぐにアルへと注がれる。
「いや、それは後で聞く。今はアルだ!アル、自分でヒールできるか?」
アルは、弱々しく首を振る。その動きは本当に力がなく、目を見れば痛みと疲労が滲んでいるのが分かった。
それでも彼は微かに口角を上げてみせる。
その笑みに、僕の胸の奥がきしむように痛んだ。
間に合ったのか、それとも──。
「自分で行うヒールは、体が原型を覚えてるからか綺麗に治りやすいが……これはもう外的に行うしかない。ただ、内部構造を疎かにする可能性があるから、最悪もある」
「もっとも呼吸器に長けているものは!」
「おそらく、セシルかアルではないでしょうか。つまりセシルが適任だ」
「いやお前やろアレン」
「お前の知識、どうなってん。今言うことやないが、お前いつもテストの自己申告、低くいうてたやろ。ごめん見ちまったんだわ。お前のテストの点。満点ばっかやんけ」
一瞬狼狽えるが、バレてるなら話が早いと切り替える。躊躇っている場合ではない。
「やってアレン」
手早く胸当てを外して、患部にそっと両手を添え魔力を掌に集中させる。
その上に、キャミィが手を重ねる。
「私のも使え」
その様子を見ていたみんなも、手を重ねて、目を閉じ、集中する。
じんわり掌が熱くなる。
「アル、回復痛、相当痛いよ。我慢してね」
片目をあけて様子をみると、アルは、無表情に近い血の気のない顔をして見つめ返してきた。
「吸って、吐いて」
「止めろ!」
「今!」
「⦅ヒール⦆!!」
鈍い赤い色の光がアルの胸部から漏れ出た。
(赤い色の光、失敗した──)
アルは、大きく咳き込んで、数回吐血した。
「アル!」
肺を埋めていた血を吐き出したのか。苦痛による眉間のシワが徐々に浅くなる。肺あたりから緑色の光が漏れると同時に、呼吸は深くなった。
「はああ──」
全員のため息がその場で混ざりあい、リンドウのメンバーは、背中から草原に倒れ込んだ。
「もうMPもほぼないっす。しんどいっす。キャミィさんちまだですか」
アレンには、起き上がる気力も無かった。
「幸いにも熊に追いやられた方向が、私んちだったようだ。ほら、あそこに灰色の壁とその横に大きな湖が見えるだろ。古代遺跡を改造したみたいで、ドワーフ様がちょちょっと手入れしてくれてな。アルを運び込むぞ。手伝ってくれ」
ラッツとキャミィで肩を貸し、アルの鎧はアレンと姉とセシルで運んだ。こんな重いものつけてたらそれは動けないだろうに。
逆によくここまで動けていたなと感心していると、壁が見えた。
古代遺跡を改造したとだけあって、壁の質感は石のようだがのっぺりしていた。
門を開錠してもらい、みなそのままの勢いでキャミィの家、もとい駐屯施設に雪崩れ込んだ。
「疲れたー」「しんどー。さて、そろそろやな」「お疲れ様でした」
ラッツは、施設の時計を気にしている様子だった。アレンは、無理に魔力を叩き起こしたため、体と意識のズレが生じて、動けないほど疲れていた。なおかつみんなの鼓動と体温を感じた安心からか、瞼が重くなっていき、目的も忘れて、気絶するように寝てしまった。
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何かの物音を聞いた気がする。目を開けるも、カーテンからは、西日が指していた。いつのまにかアレンはフカフカのベットの上に横になっていた。
「よう。おはよう。といってもまだ夕方だがな」
そう言われてアレンは上体を起こした。
薄着のキャミィが、右手の人差し指を艶やかな唇にあてて、半身になり左手を後ろでに広げる。
たわわな胸元が危ういキャミィの後ろには鉄製のベットが並んでおり、皆んなそこでそれぞれの寝相で寝ていた。
「巻き込んで悪かった。私がもっとしっかりしていれば。ついさっきまでこいつら、看病してくれたんだぞ。礼をいえよ」
「ま、礼を言うのは私の方か。ありがとうございます。アレン殿下」
「なんのことです?」
アレンはキャミィの薄着にどぎまぎしてそれどころではなかったが、寝ぼけているふりをした。
「レベルキャップとはな。どおりでな。強いわけだ。とにかくここは安全だ。また起きたら飯でも食おう。おやすみ」
キャミィは言いながら、鉄製の扉に手をかけて、静かに扉を閉めて出ていった。
キャミィの姿が目に焼きついてしまい、妙な既視感を覚えて、多少眠気は飛んでいたが、横になった途端、泥のように寝た。
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悪夢を見た。内容は思い出せない。とにかく酷い夢だ。早く終わってくれと願っていた気がする。
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爆音と怒号が響いた。悪夢がまだ続いているのか、現在なのか、すぐには判断がつかなかったが、キーンとした耳鳴りの痛みで、現実と気がついた。
粉々になった硬い物体が、掛け布団越しにアレンに降り注いだ。
たまらず飛び起きた。
拍子で鋭利物で足を切る。
「なんだよ!」
状況を把握したいが煙と塵埃で周りがよく見えない。
咳をしながら目を凝らすと、隣に並んでいたはずの鉄製のベットがひしゃげて転がっている。
周囲に血溜まりのようなものもあるようにみえた。
「姉様!ラッツ!セシル!アル!」
返事はない。
まだ耳鳴りがしている。
眩暈もしているようだ。
平衡感覚が保てない。
たまらず四つん這いになった。
「ゴホゴホ……キャミィ!どこだ!」
装備もどこにあるかわからない。
自分の装備を確認するが、薄着だけになっている。
あたりを手探りで動く。
盾代わりにするためにベットの後ろに隠れた。
「おい!」
急に物影から人が飛び出てきて、アレンの口を塞いだ。
体が強張る。
身構えようとするも相手の方が力が強い。
「私だ!キャミィだ。説明している暇はない!こっちに来い!」
口を塞いでいた手で腕を掴まれ、なかば引きずられながら部屋を出た。
正面に玄関らしいものが見えたが、そちらではなく奥の回廊に誘われ走った。
「敵の数どころか、状況把握もできてない。とりあえずこの箱に入って、開いたら出ろ。ここが一番安全のはずだ。出た場所で待機していろ!絶対に奥に行ったりするなよ!片したらすぐいく!」
そういうと鍵束をガチャガチャ触った後、壁の出っ張りを押すと壁が開いた。
はなにやら光っている箱の中で、ボタンを押した後、よくも分からずその中に独り押し込められた。
まだ眩暈と耳鳴りがする。
縦においた棺桶なのだろうか。
棺桶にしては広い気もするし、灯りがあるのも不思議だ。
どれくらいの時間がたっただろう。
すこし耳鳴りがマシになった頃、扉が開いた。
なかば這うようにして箱を出る。
移動した気配がなかったのに、さっきとは違う場所にいるかのようだった。
あたりにも静かさがただよっており、先ほどよりも、明らかに冷えた場所にいた。
四つん這いになった手足に、冷たい水が触れる。
じんわりと気持ちよく感じた時、やっと手足の熱傷に気づいた。
「待機しろって言ったって……あんたも、みんなもあぶねえ……だろ……」
振り返って立ち上がり、両手をつき出すも、後ろはいつのまにか壁になっていた。と、同時に暗くなっていた。
訳がわからなかった。
魔法の類なのか。
古代文明のなす技なのか。
とにかくじっとしていることはできなかった。
《星燈よ》
左手の人差し指に光を灯す。
暗闇から目が、解かれていく。
目に飛び込んできたのは、見慣れない大きな文字のようなものと、色褪せた青い大きな看板が右手の壁にくっついてる状態だった。
そして、目の前には下へと降る十数段の階段、その先には鉄製の扉があった。
壁にはいくつもの水滴がついており、結露している。
頭上の遠くから爆音や振動が伝わってくる。
それにつられるように水滴が天井から落ちてきた。
「冷た…!…なんなんだここは…寒い…」
独り言で吐いた息が白いモヤに変わることに気づく。
そっと壁を触ると、ひんやりとした水が指についた。
舐めてみると、少し苦い。アルカリ性だろうか。
ふと、右手首が光っていることに気づいた。
硬甲が着信を拾っていた光だった。
光っているボタンを押してみる。
「もしもし?アレン君?聞こえる?大丈夫?」
「今そっちに向かっているからね!いまどこ?」
「ラアス先生!!みんなが!それと…よく分からないですが、おそらくキャミィさんちの地下かと」
「位置情報で大体の位置はつかめてるよ!そこは……。時間がない。よく聞いてくれ。そこが、封牢と呼ばれる場所」
「封牢!そうかここが」
「時間がない!そこの先にある剣をとって、上に戻ってきてくれ!その剣があればみんなを助けられる」
「剣?剣があるんですか?」
「そうだよ!」
「分かりました!けど先生なんでそんなことご存じなんですか?」
「説明してるは時間はない!とにかくお願い!アレンくんにしかできないんだ!」
一方的に捲し立てられた通信は、またもや一方的に切られてしまった。再度かけようにもやり方がわからない。ラアス先生め……。取説くらいよこしやがれ。
「行くしかないか。剣か。パンドラでは無さそうだな。父様の心配性め。僕がその剣とやらを扱うことができれば……ッ!みんなを助けられる」
ぐらつく体に、鞭を打ち階段を駆け下りた。
鉄製の扉を開こうとしたが、ガチャガチャいうだけでびくともしない。
鉄製の見た目と反して予想よりかなり軽く、アレンの軽い力で扉全体が動く。
めんどくさくなったアレンは、ドアノブのあたりに魔法弾を放った。
炸裂音がこだまする。
観念したかのようにドアはしゃがれた音を立てて手前に開いた。
鍵の構造を見ようと思ったが、不思議なことに特に大きな錠前はなかった。鍵を魔法で完全に破壊してしまっただろうか。それとも魔法のプロテクトによるものだろうか。解明している時間はないので、無視して突き進む。
目線を前に移すと、洞窟のような地下道だが、洞窟にしては無機質で、こざっぱりとしており、長い下り坂になっていた。整えられているのが変に不気味であり、無論明かりは無かった。
「急ぐっきゃないか」
誰に聞かれるわけでもないが、決意を口に出さないと、暗く狭い濡れた道を一人で走るには不安だった。
誰からも返事のない中、寝る前までの暑さと賑やかさとは正反対の、寒さと静けさに押し潰されぬよう、必死に手と足を前に掻き出した。




