転生したらモブ顔の癖にと隠語で罵られていたので婚約破棄します。
モブ顔の癖に――――
それが婚約者のフェリクスの口癖だった。
ニコルは初めて言われたとき、モブ顔という言葉が何を意味するのかわからなかった。
フィーネリア王国の言葉ではないし、近隣諸国の言葉でもなかったから。
何度も呟かれているうちに、それが蔑みを含んだ言葉だと感じはじめてはいたのだが――
フェリクスはそんなニコルをあざ笑う一方で、他の令嬢には自分の金髪碧眼の美貌を最大限生かして、絵に描いたような王子様のように振舞っていた。
「フェリクス様がニコル様を差し置いて、私を特別扱いしてくるの」
それを聞いた令嬢たちにクスクス笑われ、ニコルは婚約者に相手にされない可哀そうな令嬢として名を馳せた。
そのころにはもう、フェリクスがニコルの顔が地味なのが気に食わないのだということに気付いてもいた。
情けなさに視線が下がり、おどおどとした態度からよりいっそう嘲笑の的になった。
フェリクスは、ニコルのミュジャン伯爵家とフェリクスのバレロン伯爵家は同等だとでもいうように、彼からは贈り物どころか、手紙の一通すら届かなくなっていた。
ニコルのほうはというと、そんな婚約者に対しても半月に一通はご機嫌うかがいの手紙を送り、彼の誕生日に渡そうと上等なカフスを用意していた。
ニコルが王子様のようなフェリクスに一目惚れをして、父に無理を言って結んでもらった婚約だったからだ。
恋心というのは、人から冷静な判断力を奪う。
(それを責めても、仕方のないことなのよ……)
――と。
ニコルに転生した理子は思う。
「サラ、この扉を開けて」
「かしこまりました」
普段あまり使われることのない客室の扉を、侍女のサラに開けさせる。
目の前に飛び込んできた男女の淫らな光景に、サラは悲鳴を上げ、当のフェリクスも女性かと思うような悲鳴を上げ、義妹のマリーナだけが笑っていた。
マリーナはほぼ服を着ていなかったし、フェリクスの衣装も乱れていたから、何をしていたかは一目瞭然だ。
(この世界、娯楽が少なすぎてギャンブルや女遊びが盛んなのよね……)
理子は室内で何が行われているか理解していた。
そう仕向けたのは、理子だったから。
パンパンと二つほど手を叩き、執事を呼びつける。
ミュジャン伯爵家の執事は静かに現れ、客室内の二人の様子をつぶさに観察したあと、ニコルに頭を下げた。
「しかとこの目に焼き付けました。旦那様に詳細をご報告いたします」
「頼んだわ」
鷹揚に頷くニコルに、フェリクスが声をあげた。
「違う、これはマリーナにそそのかされて」
「そんなぁ、ひどいですぅ、フェリクス様ぁ」
急いでマリーナから離れようとするフェリクスを、マリーナはひしと抱きしめて離さない。
「もうほとんど済んでしまっているのでしょう? 無理に離すと拗れますわよ? そのまま離さず、愛を貫いてはいかがでしょう?」
「お、俺の話を聞いてくれニコル」
「なんでございましょう? 婚約破棄のあと、我が家からの援助が絶たれるのを恐れていらっしゃるというお話であれば、まぁ、なんというか、ご愁傷様です、と」
形勢逆転とはいかない状況にフェリクスの顔色が変わった。
ニコルは……理子は、それを見てニヤリと笑う。
「モブ顔令嬢との婚約など本意ではなかったのでございましょう。平凡な、どこにでもいる、印象に残らない、その他大勢の顔で、フェリクス様のお目汚しとなったこと、心よりお詫び申し上げますわ」
「なっ……」
「あなた様がモブ顔の癖にと私を罵るたび、私は言葉の意味がわからず不安そうな顔をしたり、ときには震えたり、悲しそうな顔をしていました。あなた様はそれを見るたびに愉悦の表情を浮かべていらっしゃいましたね。卑劣な隠語で純粋な令嬢を嬲るのは楽しかったですか?」
理子がニコルに転生したのは、フェリクスとマリーナの浮気現場を見たときだ。その時はまだ、庭園の奥まった木の陰でキスしている程度のものだったが、ニコルはショックを受けて前世を思い出してしまったのだ。
(ニコルはあまりにも純粋培養だったから、フェリクスの浮気を目の当たりにしてショックを受けたけど……そもそも婚約者として丁重に扱われていなかったのよ……)
しかも、ニコルの知らない『モブ』という言葉で、十四歳から十七歳という、一番多感な時期に罵られ続けた。
フェリクスの底意地の悪さには反吐が出る。
「マリーナ。よかったわね。前々から地味な私より美しい自分の方がフェリクス様に似合うのにって主張していたから」
血のつながりの全くない義理の妹であるマリーナは、なぜか唇を噛みしめている。
フェリクスが自分に対して遊びであると、そんなことはマリーナだって理解しているのだ。
単にニコルが悲しむところが見たい、ただそれだけだったのだろう。
(愛だの恋だの浮気だの、ついでに女同士のマウンティングも、私はもうたくさんだっつうの!!)
「では、ごゆっくり」
踵を返し、ニコルは颯爽と部屋をあとにした。
「お嬢様、その……」
サラは事の成り行きについていけず、思わず声を漏らした。
「大丈夫よ」
計算通りの婚約破棄だ。
父はすぐに相応の慰謝料を請求するとともに婚約破棄を遂行するだろう。
父は実母が亡くなったあと、早くに夫を亡くした美しい義母を後妻にしたが、妹は義母の連れ子であり、血のつながりはない。
養子縁組もしていないから、正式にはマリーナは平民だろう。父はマリーナにも貴族としての教育を施していたが、彼女は不真面目で授業をサボってばかりいた。教養という意味では貴族へ嫁ぐのは厳しいはずだ。
(マリーナに淑女としての教養が備われば、お父様は養子縁組したはず……)
教師を付けられている意味を理解せず、ニコルだけが伯爵令嬢として扱われることにマリーナは不満を抱いていた。使用人に虐げられてはいなかったが、扱いは違う。婚約者がいるのもニコルだけ。
少し考えれば当然のことも、マリーナは理解できなかった。
お義姉様だけズルいと、何度言われたかわからない。
(お勉強すればよかっただけなのに……義母もマリーナも理解してなかったのよね)
教育の意味を教えるはずの義母も、娘の立場が弱いことを気に病んでばかりで、マリーナを甘やかしていた。
義母の元夫は男爵であったが、夫が亡くなってすぐに夫の弟が男爵家を継いだ。
その弟には嫡男がおり、争いの元になりそうなマリーナをわざわざ引き取る理由がない。
つまり、次男のフェリクスとマリーナが結婚したら平民同然ということになる。
フェリクスの実家がどの程度彼を援助するかにもよるが、それはあまり期待できないだろう。
フェリクスに優しくされたことを自慢していた令嬢たちもフェリクスとは遊びだった。火遊びのついでに、顔のいいフェリクスからモテてモテて困ってしまうわアピールができるのだから、いい浮気相手だっただろう。
(フェリクスって転生前、よほどモテなかったのね。性欲むき出しでキモいのよ)
これまでに聞き及んでいたフェリクスと令嬢たちとの浮気を思い出して、理子はげんなりした。
ニコルも令嬢たちとの浮気ならまだ我慢できたのだろう。
しかし、義理とはいえ妹との浮気、しかも我が家の庭園。
ニコルの心は擦り切れてしまった。
「ガゼボでお茶を飲むわ」
「承知いたしました」
サラは庭のガゼボまでニコルを送ると、茶の準備をするために屋敷に戻った。
「思ったよりスッキリもしないし、解放感も得られないし、ちっとも楽しくない……」
(ザマァなんて、小説で読んでるぐらいがちょうどいいのね……)
理子の中にいるニコルは悲しんでいる。
それを無視できるほど非情にもなれなかった。
心を尽くしたとして、それが返ってくるとは限らない。
それを知り尽くしている理子でさえ、浮気の苦しみは一度でたくさんだと思う。
理子が前世の夫の浮気を知ったとき、耐えがたい屈辱を味わった。
たった二年の結婚生活を終え、離婚してから気付いたのは、夫の根底にはいつも「こいつは俺のことが好きだから、何をしても許す」という傲慢さがあったということ。
理子はどんなに自分の仕事が忙しくとも、お昼のお弁当を欠かさず作り、夜は必ず手作りの夕飯を用意して夫の帰りを待っていた。
しかし、弁当を持っていくのを拒むようになったころ、次第に帰りが遅くなり、そのうち寝ないで待っていると疎まれるようになっていた。
毎日夫の顔色をうかがい、どうすれば関係が改善するか悩み、心はどんどん擦り減っていく。夫婦らしい生活などもちろんない。ただの使用人のような生活が続き、そのうち夫の浮気が発覚した。
離婚してからは女性としての自信を失い、男性と付き合うことに慎重になってしまった。そして、その気持ちがようやく薄らいだころには周りは既婚者ばかりになっていた。
再婚は諦めて、来世こそいい男を捕まえよう。
そんな風に思っていたのだ。
(それなのに、転生したら浮気されてたなんてね)
ニコルはフェリクスの顔が好きで強引に婚約を結んだことを後悔しながらも、どこかで彼が自分の元へかえってきてくれることを期待していた。
その期待は虚しいだけだと理子は知っている。
理子としての記憶を思い出したからには、誰にもニコルを傷つけさせない。
そう心に誓ってフェリクスを屋敷に呼び、ニコルは急用で出かけることになったという嘘を吐いた。
「フェリクス様に折り入ってお話があるとのことで、このままお待ちいただきたいとのことです」と執事に言わせ、フェリクスを客室に留めた。
空の馬車を屋敷から出した後は、普通に自分の部屋でのんびり過ごした。
そもそもニコルに手紙の一通すらよこさないフェリクスが、ニコルの呼び出しに応じることがおかしいのだ。目的はマリーナとの逢瀬であることが明らかだった。だからあとは勝手に二人が盛り上がるだろうと思い、実際その通りになった――というわけである。
「ごめんね、ニコル……」
フェリクスと幸せになりたいというニコルの願いは叶えてあげることはできない。ニコルの抱える『こんな私と無理やり婚約させられたフェリクス様も被害者だ』という懺悔ごと、理子は引き受けることにした。
理子としては浮気男と夫婦になるのは二度と御免だからだ。
「私があなたを幸せにするからね」
自身の美しさやら家の財力、はたまた婚約者の自慢まで、相手より自分が優れていると示さなければいられないのは、どこの世界でも共通なのか。
王子様のようなフェリクスと婚約したことを自慢していた時代がニコルにもあった。
婚約したばかりのころで、幼さからくるものではあったが、モブ顔の癖にと罵られるようになってからは、自慢していた過去の自分にもニコルは苦しめられていた。
フェリクスと浮気している令嬢にマウントされる度に、過去の自分の行いを恥じていたのだ。同じことを、以前の自分もしていたと――
(誰にだって、後悔の一つや二つ、あるものよ……)
ニコルはまだ未婚なのだ。
これからいくらでもやり直せる。
「ニコルに幸せにしてもらえる御仁が羨ましいね」
物思いに耽っていた理子の背に声がかかった。
「……あぁ。お父様ね」
声の主を察して端的に言い、振り返った。
詳しく言うならば『お父様が決めた次の婚約者様ね』だ。
「隣に座っても?」
「いいえ、そちらになさって?」
手のひらで横の席を示す。
カルロス・アレグリアは肩をすくめて指定されたソファーに腰かけた。
「で? ニコルが幸せにするのは誰? あのフェリクス坊やじゃないんでしょ?」
「私よ」
「なんだって?」
「わ・た・し!! 私が私を幸せにしないで、誰が私を幸せにするというの?」
「へーーー? 恋愛ごっこが大好きで、恋愛小説ばかり読んで、顔だけ王子様のフェリクス坊やと婚約までしたニコルが? やっぱり君、本当に中身が入れ替わったんだね?」
「お父様に聞いたのね」
理子はニコルに転生した際、父にすべてを話した。
父は理解したとも言わず、つまらなそうな表情のまま「そうか」と言っただけだった。
父はニコルを亡き母の形見として大切にしている。
実に貴族らしい人なので、表立ってニコルを甘やかすこともなければ可愛がることもない。
他人からは冷めた親子関係に見えるだろう。
「お父様はフェリクス様がいずれ浮気をするだろうとわかっていて婚約者にしたのね……今ならよくわかるわ。止めても無駄だったのよ、ニコルは」
恋に恋している女の子だ。
止めればもっと厄介なことになる。
フェリクスに純潔をささげ、家出でもされたらたまったものではないだろう。
だからフェリクスと婚約させて、ニコルにはよりいっそう淑女教育を課した。そのかいもあって、ニコルはフェリクスと適切な距離を保っていた。
(体を触ろうとするフェリクスを拒むたびに、モブ顔の癖にって言われてたんだけどね……フェリクスの言いたいことは、モブ顔の癖に勿体ぶってんじゃねぇってところかしら?)
わかりにくいが、父はニコルが可愛くて仕方がないのだ。
頃合いでニコルに諦めさせ、予定通りカルロスと婚約させるつもりだったのだろう。
手塩にかけて後継教育を施した幼馴染のカルロスと――
「あの溺愛親父め……」
「なんだって?」
「いいえ? なんでもないわ」
カルロスは細い黒目を見開いてニコルを見つめている。
フェリクスの実家から慰謝料をとり、今まで援助した分をきっちり回収してから婚約破棄となるだろう。
父は抜かりない。
そして、理子としてはカルロスが非常に好みであることが少々悔しい。
カルロスは父の親友、アレグリア伯爵の次男でニコルより八つも年上で、すでに風格すら感じる。
(四十年、理子として生きた私にはわかる……こいつはいい男だ)
なんたって、溺愛親父に性格がそっくりなのだ。
(父親が理想だなんて!!)
転生して真っ先に思ったことが『お父様、私と結婚してください!!』だったのだ。
理子の思う理想の男とは。
抜け目がなくて仕事ができ、浮気はしないという、この世界では珍しい男。
父は若くして母を亡くしたので、義母の存在は察するところだ。父はそこのころ、まだ二十代前半だったのだから、男性として色々あったのだろう。それはもう、色々と。
理子としては残念だが、父親とは結婚できない。
ではフェリクスと婚約破棄したらどうしよう?
そう考えはじめた理子だが、理想を絵にかいたようないい男がすぐ傍にいることに気付いた。
趣味は仕事という男、カルロスが。
領地運営の知識だけでなく、王都に構えるカルロスの貴族向けの服飾店の売り上げは凄まじい。
良い品を見つける目も尋常ではないが、特筆すべきは交渉力だろう。
この国の貴族とは取引きしないと言い張っていた人物でさえ口説き落とし、カルロスの元になら卸してもいいと希少な生地を取引きした。
その生地を用いたドレスは光沢の美しさで王都中の貴族女性を虜にした。
(そんな人物がいるというのにニコルってば、フェリクスを選ぶなんて!!)
だが、恋は人を馬鹿にする。
身に覚えもある。
やはり、致し方無いことだったのだ。
だから、私が私を幸せにする。
そのためにも、浮気をしない誠実な仕事のできる男と結婚する。
ニコルは一人娘なので、婿が必要だから。
だから理子は『さすがはお父様ね。このタイミングでカルロスを寄こすのね』と感心したり、やっぱりカルロスが理子の好みだとバレていたのかも、という不安を抱いたり、私が私を幸せにするなんて格好つけた台詞をカルロスに聞かれたことを、恥ずかしく思ったりした。
「口説いてもいないのに真っ赤になってるってことは、自分の台詞が恥ずかしくなってきたころか」
「そういう、あけすけに乙女心を暴く感じがニコルに嫌われてたってわかってるくせに、なんで言うの!?」
「すまんな、性分なもので」
しれっと言いながら、サラから紅茶を受け取る。
「サラ、次はコーヒーで頼む」
「かしこまりました」
「まだ伴侶でもなければ婚約者でもないのだからサラに命令しないで!!」
「はいはい。お前もコーヒー好きだろ?」
「それはそうだけど!! えっ、もうそんなことまで知ってるの!?」
しまった、と思ったときは遅かった。
カルロスが口の端をあげていた。
ニコルはコーヒーが苦くて飲めなかった。
理子はもちろん好きだ。
「ニコルの中にいるお前は、どんな人生を生きたんだ? 俺はそっちに興味がある」
「お前なんて言い方をする人には教えないわ」
「ふーん。まぁいいや。明日、婚約の書類にサインしにくるから」
「早いわね!?」
「まーね。これでもフェリクス坊やにヤられてないか結構心配してたんだ」
「へっ?」
「当然だろ? あいつは発情期の犬だし」
「あぁ、まぁ、それはそうね?」
「俺はニコルを大切にするし、ニコルだけでいい。今のお前も面白いし」
「おもしれー女枠かよ!!」
思わず叫んでしまったら、カルロスは「なんだそれは!?」と言いながらお腹を抱えて笑っていた。
その後、もつれるようにしてガゼボに走ってきたフェリクスは、カルロスの護衛騎士二人に左右の腕を掴まれ、連れ去られる宇宙人のような格好で引きずられて行った。
もう二度と、この屋敷の門をくぐることはないだろう。
服と髪が乱れたフェリクスは、見るも無残だった。
「これからはニコルだけを愛するからぁ」などと叫びながら引きずられていた。
元夫も、離婚した後からどんどんショボくなっていった。
浮気相手とも上手くいかなくなったらしく、忘れたころ「まだ俺のことが好きなんだろう?」という胸糞悪いメッセージがスマホに入ったのでブロックした。
事後処理で仕方なく連絡先を残しておいたのが仇となった。
クズ野郎は、いつまでも別れた女が自分のことを好きでいると思っている。
(そんなの、妄想だからな!?)
「浮気男の末路って、ダサくなるの。ほんと不思議よね」
「そーゆう奴は、女にモテたことで謎の全能感を得てるタイプだな」
「あぁ!」
ポンと手を叩いた理子は、この男とは気が合いそうだと思いながら頷いていた。
さすがに次の日とはならなかったが、ニコルとカルロスの婚約は一か月後、つつがなく結ばれた。
フェリクスはマリーナとの結婚をフェリクスの父、バレロン伯爵に命じられ、父もそれを了承したようだった。令嬢の純潔を奪うというのは、本来そういうことなのだ。
婚約者と既にいたしており、上手いこと火遊びを楽しんでいた令嬢たちとは違う。マリーナが純潔だったかどうかは、定かではないが。
義母はマリーナの素行を詫びて、父に離婚を願ったようだが、父はそれには了承しなかった。
さすがにニコルと一緒に暮らすのは気まずいらしく、義母は領地へ行ったきり王都には帰らなくなった。
そんな義母に会うために父は領地へ赴くので、きっとそこには愛があるのだろう。意外と情熱的なんだなぁと思い、理子はこそばゆくなった。
カルロスは婚約してからも甘い言葉を囁くことはなかったが、宣言通り浮気することなく、想像以上によく働き、結婚して子どもができると子煩悩な父親になった。理子もまた、カルロスが経営する店舗に赴いては前世の知識を生かして貴族婦人と商談をし、売り上げに貢献している。
わかりやすく『可愛い』という顔をして我が子を慈しむカルロスと幸せに暮らすニコルは、大きいお腹をさすりながら二人を見つめていた。
*
一年前。
大きな商談を理子が成立させたときのこと。
カルロスが頬に唇を寄せてきて、チュッと音を立ててニコルにキスを贈りながら「気難しい人だから大変だっただろう? 本当に助かったよ。ありがとう」と顔をほころばせた。
思わず頬を押さえて見上げたら、カルロスが目を細めてニコルを見つめていた。笑うところはたくさん見てきたけれど、こんな表情は知らない……。
(心からの『ありがとう』なんて、フェリクスにも元夫にも言われたことなかったわ……)
このときニコルは、初めてカルロスに恋をした。
「もしかして、カルロスって私のこと好き?」
「は!?」
「え!?」
「いくら俺でも、さすがに好きじゃない女とは結婚しないぞ? 婚約だって、元は俺から願ったことだし。フェリクス坊やに横取りされたけど、ずっと好きだったよ。ふにゃふにゃ笑うところとか可愛かったし、一緒にいたら楽しそうだなって昔から思ってたし、実際楽しいよなぁ?」
「確かに楽しいけど!! 好きとかそういう大切なことは、もっとちゃんと伝えてくれなくちゃ困るわ。その類い稀なる交渉力を嫁にも発揮してよ!! ぜんっぜん、気付いてなかったわ。政略結婚からの家族愛かと思ってた」
「嘘だろ……」
愕然としながらカルロスが呟く。
どうやら何か大きなすれ違いがあったらしいということに、私たちは結婚三年目にしてやっと気付いた。
「わかった。もっとちゃんと伝える。ちょうど二人目が欲しいと思ってたし」
「は? え? ちょっと待って!?」
問答無用でカルロスに米俵のように担ぎ上げられたニコルを、サラが微笑ましいという顔をして見ている。
カルロスの従者と護衛は、何も見ていません、聞いてません、という顔をして扉の脇に控えてしまった。
「サラ!! 微笑ましくないからね!? ないからね!?」
ニコルの叫び声が屋敷中に響く。
第一子である息子は、サラに抱かれたままキャッキャとはしゃいでいた。