4.魔物オタク
ギルドを後にして、アイザックが向かったのは町外れにあるラスト深林。
そこで待っている今回の依頼主と今後の計画について話し合う為に、薄暗い森の中を歩いている。
獣道の先頭を行くのは、護衛のガイスト。その後ろにアイザック。最後尾にソルが並んでいる。
黙々と目的地まで進んでいると、不意にソルがアイザックへと話しかけた。
「ねえ、アイザック」
「うん?」
「今更なんだけど、本当にゴブリンなんかと意思疎通できるのかね?」
本当に今更の問いかけに、それを聞いていたガイストがアイザックよりも先に突っ込みをいれた。
「なんだよ、この後に及んで信じてねえのか? まあ、俺もこいつから話聞いた時は半信半疑だったけどな」
「僕は自分の目で見たものしか信じない」
「「……」」
ソルの発言に、二人は足を止めて無言の眼差しを向ける。
「おまえ、そりゃあ……」
「君ってたまに可笑しなこと言うよね」
「あれ? 幽人ジョーク、気に入らなかったか」
ソルは肩を竦めて見せた。
彼はアラジャと同じ特別亜人目の、幽人である。
特別亜人目とは、一族を持たず単一の個体のみの確認しかされていない種族に当てはめられるカテゴライズだ。それ以外は亜人目の種族と変わった点はない。
幽人の種族特徴は実体を持たないこと。思念体に近い存在である。それ故に、彼の纏っている衣服の下に肉体は存在せず、故に不死身である。もちろん顔もない。
だから麻袋を被っているわけだが、感情の変化はわりとはっきりしている。
通常は青い炎を揺らめかせているが、感情が高ぶったときはそれが赤色に変化する。とはいえ、ソルは滅多に怒ったり哀しんだりすることはないので、ギルドメンバー全員が彼の感情の起伏を見たことはないのだ。
「元々ゴブリンたちは独自の言語を持っているんだ。言語体系はそんなに難しくないから、習得に難儀することはないはずだよ」
「そんなの覚えるやつなんざ、お前以外いねえよ。この魔物オタクが」
ガイストの文句に、アイザックは気にすることなく続ける。
「そもそもゴブリンたちの知能は僕らが思っているより低くない。けれど、人間の言語を理解出来るのはロワだけだ。レッサーは交雑ゆえに体躯と同じく脳も小さいから言葉の意味を理解出来る個体はそうそう居ないだろうね」
「へえ~」
アイザックの知識にソルは関心したように声を上げた。
人間より長寿であり不死身の幽人であるソルだが、アイザックのように魔物に詳しいわけではない。とはいえ、彼もそれなりに博識である。
それでもアイザックの知識はソルにとって興味深いものだった。
アイザックがこんなにも魔物に関心を寄せるのは、単純に彼らの生態に興味があるからだ。
長年、人類の敵として殺し合いをしてきた相手を誰も知ろうとはしなかった。
それはひとえに魔物を率いる王――魔王と人類が争っていた事が大きな要因だ。千年前に魔王が倒されたことで、一応の決着はみせたが……だからといって地上に生きる全ての魔物が消えるわけではない。
魔王が討たれた後、人類は魔物との共存を模索しなければならなくなった。そこで作られたのが、魔物たちのカテゴライズである。
しかし、亜人や魔人といった魔物の分類が出来たのも、ここ百年ほどのことだ。
どうしてこんなにも取りかかりが遅かったのか。それは、魔物の生態を知り歩み寄ろうとする変人が人類の歴史に出現しなかった為である。
現在発刊されている魔物図鑑大全――あれを記したのは、レムレスという魔物研究家だ。彼の影響でアイザックもこの道を志した。
アイザックにとって、レムレスが遺した魔物図鑑はバイブルなのだ。
けれど、尊敬してやまないレムレスも、完璧な図鑑を作るには至らなかった。未だ彼の記したものは未完なのだ。
それを完璧なものに仕上げるのが、アイザックの夢でもある。その夢を成す為に、彼は交渉人ギルド、異形の咆吼を創ったのだ。
話しながら歩いていると、やがて一行は天を貫く巨木の前に辿り着いた。
その根元には、数匹のゴブリンが見える。数は三匹。一匹がロワで二匹がレッサー。人間が着るような革鎧を身につけ、護衛であろうレッサーは手に槍を持ってロワの両隣に侍っている。
対して、ロワは武装もなし、アラジャのように長布を身体に巻いて佇んでいるだけだ。彼らの正装に値する何かなのだろう。ロワの首には動物か何かの骨で作った首飾りが提げられている。
彼らこそが、アイザックとの対談に応じてくれた依頼主だ。