1.底辺ギルドへの洗礼
その日、冒険者ギルドは騒然としていた。
「おい、これはどういうことだ!?」
沢山の冒険者がギルドの受付へと詰めかける。彼らの手には号外紙が握られており、くしゃくしゃになった紙面からは集まった冒険者たちの怒りが感じられた。
「わ、私どもに言われましても……今回の件につきましては冒険者ギルドの管轄外なので、子細は交渉人ギルドのギルドマスターにお尋ねくださいっ!」
何度同じことを聞かれても、受付からの返答は変わらない。
それに痺れを切らした冒険者たちは、悪態を吐きながら件の交渉人ギルド――異形の咆吼の噂話を募らせていく。
「あの底辺ギルド……また余計なことしやがって」
「まあ、ギルドマスターが変人だからな。それにギルドメンバーも化物しかいやしねえ」
「せめて俺たちの邪魔さえしなけりゃ、内輪で何やってもいいんだよ。それが、こんなことしでかしやがって!!」
怒りに任せて、冒険者の大男が号外紙をテーブルに叩き付ける。
握り潰された紙は、交渉人ギルドのギルド報だった。
それぞれのギルドは活動を表立って公表しなければならない義務がある。魔術師ギルドならば新たな魔法技術開発の進捗。各々の生産ギルドならば、消費者のニーズに合わせた商品の情報など……多岐にわたる。
もちろんそれらの情報は魔物と戦う冒険者にとって重要なものだ。だからこそ注目を集めることになるのだが……交渉人ギルドのギルド報に載っている内容は、彼らの怒りを大いに買うことになった。
「まさかあのゴブリンが、魔人から亜人に編目改正されるとは……どうやったらそんなデタラメな事が出来るってんだ!?」
「本当ですよねえ。びっくりしちゃうなあ」
怒りの声に混じって、のほほんとした穏やかな声音が割り込んでくる。
それに一斉に周囲の視線がある人物へと集まった。
ぼやいていた男の傍には、いつの間にか黒髪の癖毛の男が立っていた。
彼はにこにこと笑みを浮かべながら、自らに突き刺さる眼差しをものともせず人波を分け入って一番目立つであろう受付のカウンターへ足を掛けて上がる。
黒に赤色の刺繍が入ったローブを翻して、男は静寂にひびを入れるかの如く、パンッ――と手を打った。
「ええー……皆様、此度はこうしてお集まり頂き……なんて、退屈な挨拶はいらないですね。私が交渉人ギルド、異形の咆吼ギルドマスター、アイザックです。どうぞ、お見知りおきを」
アイザックは口上を述べながら、大衆に向かって笑みを振りまく。ともすれば人を小馬鹿にしたような態度を醸し出す彼に、固まっていた冒険者たちはざわめきを取り戻していく。
「てめえ、ふざけんなよ!!」
「余計なことしてくれやがって!!」
「あんなクソギルド、さっさと畳んじまえ!!」
「地獄に落ちろ!!」
次第にヒートアップしていく罵詈雑言に、アイザックは笑みを崩さない。
足元に掴みかかってきた男を靴先で蹴り上げて、カウンターの上を右へ左へ歩きながら彼は淡々と話を進めていく。
「既に皆様も知っての通り。此度の我らの活動報告は、ゴブリンの魔人目から亜人目への格上げ。これによって彼らは討伐対象から外されることになります。今日から一月の間は施行猶予期間になりますが……もしこの間に彼らと何かしらのトラブルを起こした場合、かな~り重い罰則が待っているので、十分に気をつけてくださいね」
アイザックの説明に、ギルドホールの端にいた新人冒険者の少年が難しい顔をしてあるものを取り出した。
彼が背嚢から引っ張り出したのは、冒険者ギルドが発刊している魔物図鑑大全――魔物と戦う冒険者にとっては必需品である。
この書物には、魔物のことが事細かに記されているのだが……その中にも三つの分類があるのだ。
――亜人。
――魔人。
――魔獣。
上から順に、人間と友好関係を結べるかでカテゴライズされている。
亜人目は、森人や鉱人、鬼人、竜人なんかが当て嵌まる。
彼らは独自の言語を用いたり、人間と同じ言語を使って会話をする。人間社会に上手く溶け込んで共生している者たちが殆どだ。彼らと人間は対等な関係を維持する事が国の法でも決まっており、もしそれを破ってしまえば投獄や罰金、最悪死刑など重い罰則が待っている。
次いで、魔人目。これは、人間と意思疎通を図る事が出来る。またはそれを可能にする知能を持ったヒト型の魔物がカテゴライズされている。
そして、魔獣目。これは魔人目と同じで、魔物の形態……ヒト型ではないものがカテゴライズされる。
この二つは、人間に危害を加える事も多く、未だ友好的な関係を築けていないものが分類されている。
先ほどのアイザックの説明では、ゴブリンは魔人目にカテゴライズされている魔物だった。けれど、今回は亜人目に格上げされたということになる。
だから、冒険者ギルドの討伐依頼から外されるのだ。
「うーん、なんだか嘘くさいなあ」
少年が零した感想に、傍に居た鎧姿の男がひょっこりと顔を覗かせた。
「やっぱりそう思うよな」
男の着込んでいる鎧は、王国の聖騎士が纏うものだった。階級は見えないが、聖騎士が冒険者ギルドにいることなどまずない。
国王の次に権力を握っている教会に属する騎士。彼らには様々な特権が与えられ、聖騎士になれたなら人生は安泰であると言われるほどである。
そんな聖騎士の男は、少年の眼差しを意にも介さず続ける。
「ゴブリンって言えば、今まで散々悪さをしてきた魔物だった。魔人にカテゴライズされたのもここ数年の話なんだ。だから、あいつらが言うことだって分からなくもない」
「……本当にゴブリンの被害がなくなるんですか? 村を襲ったり、家畜の被害がなくなるとは思えないけど」
冒険者ギルドに舞い込んでくる依頼の大半は、王国の周辺に点在している村々からのものである。そして、彼らの頭を悩ませているのが件のゴブリンだ。
この魔物は、残虐で略奪行為を繰り返す質の悪い魔物の筆頭のような存在だ。村の近くに巣穴が見つかれば、村人は安心して夜を明かせないと言う話は良く聞く。翌朝に村が無事である可能性が低いからだ。
それ故に少年はたった今アイザックから聞かされた話を疑問視した。あのゴブリンと友好的な関係を築けるとは到底思えないからだ。
少年の疑問に、男は喉奥で笑った。
「少年、疑問はもっともだが……あの男、嘘は言わねえよ。やると言ったらやるぜ。それに先方とはもう話はつけてあるんだ。だからこうして冒険者たちに釘刺しに来てるんだ。余計な事はするなってな」
「……え?」
男の言葉に少年は目を見張る。
どういう意味だと尋ねる前に、聖騎士の男は声を張り上げた。
「アイザック!! 用が済んだならさっさと戻ってこい! 皆待ちくたびれてんだよ!!」
男の大声に、アイザックは手を挙げて応える。
カウンターの上から飛び降りた彼は、乱暴に掴んでくる荒くれどもの手をすり抜けて、あっという間に男の傍まで辿り着いた。
「ガイスト、来てくれたのか。もしかして、僕に何かあったらって心配してくれたのかな?」
「んなわけねえだろ!? お前を一人で出歩かせると永遠に戻ってこねえからだよ! 変人のお守りを任される俺の事も少しは考えてくれ」
グチグチとしつこいくらいに文句を言い出した聖騎士――ガイストの話を聞き流しているアイザック。
当の本人はそれを気にも留めないで、未だ怒号が溢れる冒険者ギルドから出ようと出口へと向かう。
しかし、それを阻むように冒険者の何人かが行く手を塞いだ。
「ばかやろうが! こんなことしでかしておいて、素直に帰すと思ってんのかよ!?」
「そんなことを言われても……実際、今回の改訂において損を被るのは冒険者のあなた方だけだ。ここに依頼を持ってくる村民からは泣いて喜ばれたんだけどなあ」
今回、冒険者たちが怒り狂っているのは、今までゴブリンの討伐依頼が彼らの小銭稼ぎ……ひいては立派な収入源になっていたからだ。
ゴブリンという魔物は、駆け出し冒険者が最初に相手にする魔物の代名詞として名高い。故に経験を積んだ冒険者からは、手応えがなく見向きもされなくなるのだが……しかし、そのゴブリンが村々を襲い略奪行為を働いている。数も多く相手にするには厄介な魔物なのだ。
しかし、実際に被害に遭っている村があるわけで、彼らが持ってくる依頼を冒険者ギルドは無視できない。
よって、ゴブリン退治に報酬を上乗せしたのだ。一匹あたりに銀貨一枚。ゴブリンの巣穴に潜んでいる数はおおよそ二十前後。それなりに稼ぐことの出来る依頼であると、冒険者連中は我先にと討伐依頼を取り合った。
実際、追加報酬がもらえるのならこれほど美味い話はない。ゴブリン退治は、汗水垂らして働くのが馬鹿らしくなるほどに金払いが良い仕事である。
これがあるから冒険者を定職にする者も少なくはなかった。リスクはあるが、それ以上に稼げる仕事なのだ。
そのゴブリン退治が今後出来なくなる。それに憤慨している冒険者はかなりいるだろう。もちろん、その事をアイザックが知らないわけがないのである。
「ああ……もしかして、自分の食い扶持が減るから怒っているんですか? だったら悪い事をしてしまったかもしれないけど……村人の不幸を前提に貴方たちの仕事があるんだ。自分勝手な偽善で僕を追い詰めるより、することは他にあると思いますが」
「……っ、テメェ! 言わせておけば、好き勝手言いやがって!!」
男のひとりがアイザックの胸ぐらを掴む。振りかぶった拳が、思い切り顔面を打ち抜くと衝撃でアイザックがよろめいた。
彼の背中が、背後にいたガイストの鎧に支えられたことで無様に床に這いつくばることにはならなかったが、異形の咆吼のギルドマスターを殴ったのだ。
男の粗暴に、喧騒で満ちていた周囲が急激に静まりかえる。
「いったあ……なにするんだよ」
情けない声を出したアイザックの頬は赤く腫れていた。しかし、すりすりと頬を摩っている彼は男にやり返す素振りを見せない。
周囲を取り囲んでいる冒険者の連中からは、弱腰のギルドマスターだと思われているだろう。
しかし、アイザックはやり返さないわけではない。そうする必要が無いのだ。
「――おい。お前、今こいつを殴ったよな?」
直後に、怒りを押し殺したような低い声が聞こえてきた。
男に話しかけたのは、アイザックの背後に佇んでいたガイストだった。
彼はでかい上背から、男を見下して淡々と言葉を紡ぐ。
「だ、だったら何だってんだよ」
「――っ、ふざけんなよ。俺らのギルマスに手ぇ挙げやがって」
憎悪の籠もった眼差しを男に向けるガイスト。彼の視線が物語る――今すぐ土下座して謝罪しろ。さもなくば、顔面が倍に腫れ上がるほどにボコボコにする、と。
「――ひぃっ」
強烈な眼力に、男は小さく悲鳴を上げた。
けれど、怯えきった男を前にしてもガイストの怒りは納まらないらしい。
「俺がどうしてこんなに怒っているか。わかるか?」
「あ……ギルドマスターを殴ったから?」
「ざんねん! 不正解だ!!」
歪んだ笑みを浮かべて、ガイストは男の頭を鷲掴むと思い切り床に叩き付けた。
「良いか、耳の穴かっぽじってよおく聞け。俺はこいつに散々酷い目に遭わされてきた。それでも文句は言うが、手だけは挙げてこなかったんだ。どれだけムカついても涙を飲んで耐えてきたんだよ! わかるか!?」
「ふぁい」
「それをお前、俺よりも先に殴りやがって……許せねえよ」
「ゆ、ゆるしてくだあい」
男は懇願するが、ガイストは掴んだ頭から手を離そうとはしない。
こういった乱闘が起こった場合、聖騎士が駆けつけて場を納めるのだが……今回はその当事者が聖騎士なのである。
誰も手出しが出来ない状況を止めたのは、先ほど男に顔面を殴られたアイザックだった。
「弱い者いじめをするのは感心しないなあ。こんなことをしていると、我がギルドの評判も地に落ちてしまうよ」
「元から底辺だろうが! 誰かさんのおかげでよ!」
怒りを飲み込んでガイストは男から手を離した。
直後に、周囲を取り囲んでいた冒険者たちが、彼らを通すように出口までの道を開けた。
「ギルドには全員揃ってる?」
「一応、揃っちゃいるが……各々好き勝手やってるぜ」
「いつも通りなら問題なしだね」
仕事の話をしながら、ギルドの外に出ると彼らの行く手を再び誰かが遮った。
「交渉人ギルドの皆様には幾ら感謝してもしたりません。ほ、ほんとうに何と礼を言っていいのやら……!」
老人は二人に何度も頭を下げる。
どうやら彼はどこかの村の村長らしい。ゴブリンの被害を一番被っていた彼らだから、冒険者連中と違い異形の咆吼の面々に、懇切丁寧に接してくれるのだ。
「頭を上げてください」
そんな彼にアイザックは丁寧に対応する。
「我々も最善を尽くすつもりです。しかし、法制化されるまで……調印式までまだ時間はある。その間に全てを反故にされる可能性だってあります。何か問題が起こったのなら、まっさきに我々にお伝えください。すぐに駆けつけますから」
「おっ、おお! ありがとうございます!」
涙を流して手を握る村長。
彼と別れると二人揃って交渉人ギルド、異形の咆吼へと向かった。