地球最後の人類は射殺されていた。
「……こちらБφ、7日ぶりに地球人の死体を発見した。性別はまた男で、死後半年といった所だな」
仲間にテレパシーを送って一言。
改めて、この星は美しい。
初めてこの星を訪れた時、俺達には暑すぎると感じたものだが、寒い所で種族を進化させるより、暑い所で大いなる繁栄に挑むべき時が、俺達にも来たと考えている。
「……こちらβμ、これだけ大規模な調査をしても、地球人の死体は見つからなくなってきている。どうやらそいつが、地球最後の人類とみて良さそうだな。Бφ、合流しろ」
南半球、地球人の言葉ではサモアと呼んでいたらしい地域の島々を訪れた俺達は、地球人の呼ぶ所の太陽系惑星、土星の衛星エンケラドスからやって来た。
まあ、所謂宇宙人だな。
俺達から言わせれば、今ここに転がる死体こそが宇宙人だが。
「……βμ、待ってくれ。まだ1ヶ所、地球人の言葉でナウロッパ島という小島だけ調査をしていない。そこに寄らせてくれ」
俺達は、地球の人類がまだギリギリ繁栄を続けていた21世紀に、初めてこの星を訪れている。
当時の地球人は、かなりの文明を持っていたにも関わらず、未だに宇宙空間の移動に『UFO』と呼ばれる乗り物が使われているという、馬鹿げた空想を捨てられずにいた。
調べ尽くした太陽系であれば、俺達は単体で潜入出来るし、地球人の外見に近づける事も容易なのだ。
まあ、これだけ生物の繁栄に理想的な環境が与えられていれば、努力や研鑽と縁遠くなっていくのも理解出来る。
その証拠に、今、地球人は絶滅したと言っていい。
俺達は地球上のあらゆる地域を調査し、何らかの原因で文明が衰退した地球人が、野生での生活に回帰した現実を理解した。
だが不思議な事に、寒冷地では人間が暮らしていた形跡こそあったものの、死体は遭難や自殺と推測される古い白骨だけ。
まるで、人類絶滅のリミットが決められており、各々が覚悟を決めた様に、温暖な南半球に移動を始めていたと考えられるのである。
ふう、やはり海に入るのは心地がいいな。
俺達の故郷エンケラドスでは味わえない、生温い海水。
こうして水の中を泳ぐ方が、大地を踏み締めるより自然な生き方だと感じる。
地球人の脚力だけは褒めてやる。
俺達の調査で、もうひとつ気になった事。
それは、何処の地域にも判別が容易な死体は男ばかりで、女が男よりも早く絶滅したらしいという事。
生物学的には、オスよりメスの方が生命力が強く、オスもメスのいない生涯を受け入れるとは思えない。
種族の絶滅がかかった一大事でこそ、メスは大切にされるはずなのだが……。
おっと、ナウロッパ島が見えてきたな。
サモアの無人島の中でも最小のこの島は、確かに地球人の調査をする必要などない場所かも知れない。
だが、この島には生命体の反応が高い。
おや、隣を泳ぐのはウミガメか。
どうだ、俺達は何の仲間に見える?
こうして自然を見渡すと、人類が絶滅した事で起こる地球の変化は、さほどなかった事が良く分かる。
人類の滅亡で特定の野生動物が激増する事もなく、人間の食べ物を食べていた野鳥の数も特に減ってはいない。
人間の愛玩動物として知られていた犬や猫も、生態系に沿ったレベルで生息していた。
地球人は、恐竜の様な歴史に残る生命体にはなれなかったという事。
俺達も肝に銘じなければ。
さて、陸に上がるとするか。
怪しまれる事もないだろうが、魚のフリはやめて空から着地しよう。
島の森にある小川と、小さな水辺。
ここがこの島の生物にとってのオアシスなのだろう。
俺達だって、流石に海水ばかりは飲めないからな。
森の奥にある洞窟には、コウモリの群れ。
ははは、やはり俺は地球人に見えるのかな?
随分手荒い歓迎だぜ。
小さな島は、あっという間に調査出来る。
地球人の死体は見当たらないが、何やら生活の痕跡はあるな。
もしかしたら、浜辺を探せば地球最後の人類が生きているかも知れない。
この仕事は、俺が独り占めさせて貰う。
……浜辺は静かなものだ。
流木らしきものを杭にして、ほつれたロープで小さなボートが停めてある。
だが、このボートは破損していて、もう随分長い間海には出ていない様子だ。
このボートの持ち主が生きていたとして、地球人の事情を考えればかなり高齢になっているだろう。
ボートを修理して、再び海に出るだけの気力と体力が残されているとは思えない。
……!?
あったぞ! 随分古びたテントが。
どうやら、移住した時に持ってきたんだな。
もう骨組みが見えていて、所々人工物で継ぎ接ぎしている。
地球人が文明を捨てても、地球人が海に捨てた文明の端くれは腐らずに浜に漂着する。
困ったものだな。
いや、テントの主にとってはありがたいものなのか。
余り深入りするとまずいかも知れないが、好奇心には逆らえない。
このテントの中に何があるのか知りたい。
細い小枝に、乾いた雑草……。
こいつは火起こしの素材だ。
まだ湿り気のある素材……間違いない。
この島に地球最後の人類が生きている……。
「動くな! ここに食い物はないぞ!」
背後に響く、地球人の声。
長い年月をかけて覚えた地球の言語は英語だけだったが、良かった。
この地球人は英語を話している。
「……す、すまない。俺は敵じゃない。地球の調査にやって来た、エンケラドス星人だ」
喋っている自分でも、茶番じみた台詞だと痛感する。
地球の風土、地球人のメンタリティーを研究した結果確信を得たのは、俺達エンケラドス星人にとって、地球人は恐れるに値しないという事実。
もっと強引に地球を侵略してもいいのだが、それでは後進に研究材料を残せないからな。
「……エンケラ……お前は何バカな事言っているんだ? お前は英語を喋り、見た目も普通の人間じゃないか? 何処から来た?」
どうやら、俺の正体はバレていないらしい。
俺はゆっくり背後を振り返ると、そこには真っ白な髪と髭が伸び放題の2人の初老の男が、小さな錆だらけの拳銃を持って立っていた。
「……お前、かなり若いな。地球の人間は、2150年を最後に、政策として新生児を絶ったはず。お前の年齢なら、2150年以降に生まれた計算になるぞ。説明して貰おうか!」
初老の2人組は、年齢と食糧事情もあってすっかり痩せこけていたものの、怪しいものには手を出していないのか、血色は悪くない。
余計な欲や願望に振り回されず、運命と大自然に逆らわずに生きてきた証明だろう。
「……すまない、俺は事故か何かで記憶を失い、この状況をすっかり忘れちまっているんだよ……。宇宙人って事にすれば、頭がおかしい奴だと思って、怪しまれても皆見逃してくれていた。でも、俺はそんなに若くはない。信じてくれ」
俺自身、少し悪ノリし過ぎだとも思ったが、折角興味深い話題が出たからには、キャラクターを捏造してでも聞いておかなければ損だ。
「……まあいい、記憶喪失の奴は見た目が若いって聞くからな。この10年、他の人間とも会わなかったし、正直、サバイバルするには俺達の年齢が限界だ。きっともう、人間は殆ど死んじまったんだろうな。退屈しのぎに話をしようぜ」
「クリスは喧嘩っ早い所もあるけど、頼れるパートナーさ。ああ、僕はトミー。ココナッツミルクしかないけど、飲むかい?」
クリスという男がリードし、トミーという男がサポートする。
初老の男同士ではあるが、両者の間には単なる相棒ではない雰囲気を感じる。
この2人はゲイなのかも知れない。
「……いや、いいよ。記憶を失っていても、もうココナッツミルクは飽き飽きだよ」
体力の衰えた地球人が、この地で安全に食べられるものと言えば、ココナッツしかないだろう。
俺はそれなりに無人島生活を積んでいる様な素振りを見せ、クリスとトミーを安心させた。
「……まず、今が西暦2191年の4月だと考えてくれ。人間は戦争や環境の問題と戦いながら、どうにか繁栄を続けていた。だが、環境破壊のツケを払わされるかの様な自然災害と、それに伴う核兵器の暴発で大打撃を受けたんだ」
内容は深刻だが、クリスは嬉々として昔話に花を咲かせている。
エンケラドス星でも、当時の地球の状況は認識していたが、大気汚染を懸念して調査には行かなかった。
「……俺達の先祖は懸命に復興に挑んだものの、文明に甘えて怠惰になり、互いを出し抜く事しか考えなくなった人間の退化は取り返しがつかず、人間はその発展の歴史に終止符を打った。2150年からは新生児の誕生を許さず、生き残った人間はそれぞれ野生で生活する事で、運命を大自然に委ねる決断をしたんだ」
これまで幾度となく危機を乗り越えてきた地球人も、復興と発展の資本である地球そのものに見捨てられたら、流石に万事休すという事なのだろう。
転落のスピードが予想外に速かったが、おおむね俺達の推測通りだ。
「……僕達は、暖を取らずともどうにか生きていける土地を目指して、温暖な南半球に来た。幸い、僕達のグループはゲイと、女嫌いの男だけだったんだ。女を巡って争う事がなかったから、15年前まではそれなりに平和だったんだよ」
トミーの話の内容も、ほぼ俺の推測通り。
だが、15年前に一体何があったのだろう?
「……仲間達が、安全な肉を求めて動物を狩ろうとしていたんだが、肉欲しさの余り、洞窟にいる野生のコウモリに手を出しちまったんだ。変なウイルスがあったんだろう。暴れて互いに殺し合い、俺達は浜辺の外れまで、少し若い奴は隣の島へ逃げたんだよ」
さっきの死体は、この島からの逃亡者か……。
「俺の記憶は、この辺りの島しかない。他の地域では、女が新しい地球人を産み育てているなんて話はないのか?」
俺の質問には、誰も答えない。
長い沈黙の後、普段は強面のクリスが両目を押さえ、絞り出す様に語り始めた。
「……新しい命が孤独にならない様に、人間は理性で新生児を絶っていた。でも、男と女だ。愛し合う事は止められない。しかし、男は都合が悪くなると、女と子どもを見捨てる外道に堕ちていたんだ。女同士も嫉妬から対立し、やがて人間不信から女と子どもは海に身を投げたんだよ……」
トミーはクリスの肩を抱き、浜辺の奥にある簡易墓地に指を差す。
流れ着いた死体を、彼等なりに供養していたらしい。
「……人間なんて、最悪さ。俺達だって、後5年や10年生きていたって何の意味もない。ただ、自分じゃ死ねないから生きているだけだよ」
クリスとトミーは肩を震わせながらすすり泣き、クリスは手にしていた錆だらけの拳銃を俺に差し出した。
「……ここでお前に会えたのも、何かの縁だ。お前はまだ若い、ひとりでも生きられる。コイツで俺達を撃ち殺してくれ! お前は地球最後の人類として、もっと未来へ、それこそ宇宙人と会えるまで生きてくれ!」
俺にはクリスが、感情が高まる余り自暴自棄になっている様に見えた。
だが、真っ直ぐこちらを見つめるトミーの目も、既に覚悟が据わっている。
「……大丈夫だ。銃は錆だらけだがちゃんと動くし、弾は乾いた所で保管していた。暴発はしねえよ。元警官の俺が言うんだ、間違いない」
クリスの言葉を受け、俺は自分の胸に話しかける。
この2人の存在を知るのは、宇宙で俺だけだ。
そして、2人とも生きる希望を失っている。
加えて、地球最後の人類である彼等の死因は、何者かによる射殺となる。
後進達にとって、これ程素晴らしい謎があるだろうか?
俺はもう、200年近く生きている。
地球人の姿に化ければ若く見えても、後100年は生きられない。
この真実は、俺が墓場まで持って行く。
「……分かったよ。俺は記憶を失って幸せだったんだな。2発で終わらせるよ」
拳銃を拾う俺を見て、心から安らいだ表情を見せるクリスとトミー。
「……あ、そう言えば、まだ君の名前聞いてなかったね。記憶喪失とは言え、何かメモくらいあるだろ? 聞かせてくれないかな?」
俺の名前を聞かせて欲しいと、トミーがせがむ。
俺は、地球人に俺の名前が読めない事を残念に思いながらも、砂に名前を書いて見せた。
「……え? Бφ? 何これ、ロシア語か何か?」
「……最初に言っただろ。俺はエンケラドス星から来た宇宙人だとな。楽しかったぜ。あばよ」
俺の最後の挨拶は、突如として彼等の顔を青ざめさせるに十分なインパクトがあったが、弾丸は容赦なく撃ち込まれる。
極めて正確に左胸を撃ち抜き、その場に崩れ落ちるクリスとトミー。
その瞳からは、まだ言いたい事が残っていた様な気がするものの、もう遅い。
バシャアアァ……
地球の歴史を書き換えた瞬間、大きく浜辺に打ち寄せる時代の波が、俺の名前を消していく。
「……こちらБφ、βμか? ナウロッパ島には地球人はいなかったよ。本部に知らせてくれ、地球人の絶滅はサモア諸島で、その時期はおよそ半年前だとな」