旅先で出逢った少女
これは僕が高校生だった頃の話。
二期制の高校だったから、9月の終わりから10月の頭にかけて 秋休みってのがあったんだよね。例年は5日ぐらいなんだけど、その年は土日が上手く噛み合って9日間の休みになったんだ。
僕はその9日間を使って旅に出たんだ。家族との折り合いも悪かったし、学校に友達も居なかったしね。
前期の終業式が終わって家に帰ったら着替えて、あらかじめ用意していた大型のリュックサックを背負って出発。多分5分も家にいなかったね。
埼玉の自宅から向かう先は東北地方最大の都市。
新幹線でも良かったんだけど、急ぐわけでも無いので途中の景色を眺めながら在来線を乗り継いで夜には到着したんだ。
適当なビジネスホテルにチェックイン。部屋に荷物を置いて夕飯を食べに行ったんだ。
ホテルを出て駅前のアーケードを歩く。大都市だし、金曜日の夜だけあって人が多かった。
ふと、一軒のラーメン屋が視界に入ったんだ。
いや、正しくはラーメン屋の前に居る黒い服を着た女の子だ。
背丈は小学校高学年から中学生ぐらいの少女が店の前に立っていた。
少女はアーケードを行き交う人達を見ているみたいだった。
近付くに連れて細部がわかってくる。
髪の長さは肩に掛かるぐらいで、前髪は眉毛にかからない程度に切り揃えられてる。そして黒い。
艶のある黒髪ではなくて、ひたすらに黒かった。
アーケードの煌々とした光の中でもまったく光を反射することなく、そこだけ別の空間であるかのように黒く、暗かったんだ。
そんな少女に表情は無かった。
じっと前を見つめているのに、どこも見ていない感じで、時々する瞬き以外に動かないんだ。
関わらない方が良さそうだ。そう思った僕は、少女へと視線を向けず、意識すらも向けないようにしながら前を通り抜けた。
視界の端から消えていく少女の服は黒い狩衣だった。
通り過ぎた後少し行った先にある牛タン屋に入ったんだ。そこは仙台に来るといつも食べに行くお店なんだよね。
店に入ったら店員さんが来て
「いらっしゃいませ。ニ名様でよろしいですか?」
って聞いてくるんだ。
後ろに別の客が入ったのかなと思ったんだけど、「一人です」って返す前に、「二人です」って女の声がしたんだ。
びっくりした。
その声が聴こえた位置が僕の直ぐ側だったんだよ。しかも後ろではなくて真横から。
後ろからならまあ、分からなくはないんだよ。ドア開けて入ったら目の前に人が居たら起こらなくはないだろうし。
だけどさ、普通知らない人の真横、それも耳許ってありえないでしょ。
反射的に距離をあけるようにしながら振り向いたら、さっき見た少女がいた。
アーケードで見かけた時の無表情ではなくて、ニヤニヤとした笑みを浮かべながら。まるでいたずらが成功した時のような堪えきれないで思わず出てしまったかのような笑みを。
逃げようとしたけど、店員さんが席の案内に来てしまったのでそのまま流されるように席に着いたんだ。
ふと気が付いたことがあって、僕は正面の席に座った少女に対して警戒心を強める事にしたんだよね。
少女の背丈では僕の耳許で声を出すなんてできないんだ。
当時の僕の身長は170cmで振り向いたときの少女の頭は僕の胸辺り。恐らくは高さ140cmぐらい。爪先立ちしても僕の耳許に相手の口は届かない。ましてや、僕に触れずになんて……
ニヤニヤしたままの少女。僕は気にしないことにして店員に注文を伝える。
店員が少女を見遣る。けど少女はこちらを見たまま店員へと一瞥もしないんだ。
仕方ないから自分の分だけで注文を済まそうとしたけど、何とはなしに少女にも自分と同じ物を注文した。
店員はほっとしたような表情で注文を繰り返して下がっていった。少女はニヤニヤを止め、こっちを見ていた。
僕は少女を気にしないようにポケットから文庫本を取り出し読み始めたんだけど、少女の視線が突き刺さっていまいち集中できなかった。
しばらくして頼んだものが届いた。二人分を置いて店員はさっさと居なくなる。
食べ始める僕を見たまま動かない少女。無視して食事を進める僕。
多分周りの客も異様な空気に気が付いたんだと思う。それまで賑やかだったのに矢鱈と静かだった。
僕が出す食器の触れ合う音以外は聞こえない。
数分後、食事を終えた僕が少女の方を見ると手を付けられていない食事があった。
視線を上げると少女と目が合った。笑っていた。ニヤニヤ笑いではなく何故か微笑んでいたんだ。
微笑んだまま少女が自分の分を折敷ごと手で押し出してくる。
正直、ニ人前もいらなかったけど、注文して手を付けないのも嫌だったから少女に押し付けられた分を食べ始めることに。
『ジュクセンを口にしたね』
少女が言葉を漏らす。その時は何の事だかわからなかったんだ。
その後二人分の会計をして店を出ると、後ろから少女に抱きしめられた。
数秒立って少女が離れたから振り向いたらそこには誰も居なかったんだ。
人ではないことに納得しながら、僕はホテルへと戻ったんけど部屋の空気が重かったんだよね。
荷物を置くときに入った部屋とは空気が全然違った。
僕の荷物はきちんと置いてあるし、ドアを確認したら部屋番号も合っている。
余りに異質な空気に部屋を変えて貰おうとフロントに電話をしたら、団体が入ったので満室になってしまい部屋は変えられないと言われた。
諦めてさっさと寝ることにしたんだけどね、ベッドに入ると四方八方からの視線。物理的な圧迫を受けているような感覚。
それでもしばらくしたら眠りにつくことができたんだ。
まあ、深夜に目が覚めたんだけど。
目を開けるとベッドの周りには沢山の黒い人影。
僕は動けない。
影はこっちを見下ろして何か呟いてる。
恨み言のようだけど聞き取れない。街の喧騒のように一音一音が聞き取れず何か言っているとしか判別できなかった
段々と影がベッドの上に乗ってくるんだけど、ベッドが沈み込むことは無かったんだ。
人影が手を伸ばしてくる。
(あ、これ死んだかな)
伸びてくる手を見ながら思ったんだ。
枕元に一番近い影の手が僕の顔に触れそうになった時、鈴の音がどこからか聴こえてきた。
どこからか、というかドアの内側からだったんだけどね。
ともかく、鈴の音が鳴った。そうしたら影がピタリと動きを止めたんだ。
ドアの方から誰かがゆっくりと近付いてくる。その動きに合わせて影が散っていくのがなんとなくわかった。
イメージは悪いけど、フナムシの群れに向かって歩いて行くと、一定の範囲のフナムシが散らばって逃げていく感じに似てた。
『誰か』が一歩進むたびに鈴の音。鈴の音がなるたびに影が散っていく。
その誰かが近くなるにつれて僕の心に安心感が宿る。
遂にはベッドに乗っていた影が消える。部屋の中にもう影は居なかった。
いや、一体だけいた。鈴の音と共に歩いてきた黒い影が。
とはいえ、敵意も害意も無いその影に僕は安心していたんだけど。
そいつが僕の額に手をあてる。その途端、僕の意識は無くなった。
次に目を覚ましたときには窓の外が白み始めていた。起き上がろうとすると腕が重い。
そちらを見ると何か黒いのが居た。というか、昨夜遭遇した少女だった。
こちらをじっと見つめていた。
目が合う。逸らせなかった。
そのままの体勢で見つめ合っていると少女が呟いた。
『仮にも私からの神饌を直接受け取った者に手を出す不届き者はもう居ないでしょ。暫くは妙なものは寄ってこないよ』
何のことかと思っていたら、少女が続けた。
『名も無きとはいえ、これでも私だって一柱に数えられる存在なんだから』
一柱、どうやらこの少女は神様らしい。
となると昨夜のジュクセン、とは熟饌の事なんだろう。
少女が神だとすると、たしかに昨夜僕は神様に熟饌を御供えしたことになるし、それを直接下賜された事になる。
日常生活で使われない言葉だし、思いっきり肉料理だから考えに至らなかったんだよね。
そんなことを考えていたら少女が更に続けた。
『昨夜のあいつらは誰かが拾ってきたんだね。恐らくは遊び半分で霊の溜り場にでも行って来たんだろうね』
『昨夜会ったのは偶然だけど、どうやら君は山の神様に縁が有るみたいだし、山の神様の誼で助けてあげることにしたんだよ』
どうやら僕がとある山の神様に縁があることは視ればわかるらしい。
その縁で今回助けて貰えたのなら、縁のある神様のところに詣でた方が良いのかもしれない。
そう思いつつ少女の方を見るとそこには木の枝が一本在るだけだったんだ。
小枝をヘッドボードに置きながら予定を考える。
休みはまだ8日ある。北海道の本家に行くだけの資金は十分あるし、帰りは小遣いでも貰えばいいかな、と思いつつベッドに潜り込んだ。
まだ早朝だし、ゆっくり寝よう。
そう思って目を閉じる。仄かに桃の香りが漂ってきた。よく眠れそうだった。