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butterfly effectー追憶の蝶が羽ばたく時ー

作者: 小鳥遊あん

蝶が飛んでいる。

白くて小さな蝶だ。

ふわふわとまるで綿毛が漂ってるかのように目の前を飛んでいる。

そっと掌を差し出すと少しだけ様子を伺う様に手の周りを旋回してからゆっくりと指先に舞い降りて(はね)を休めた。

白く透き通る翅はまるで硝子(ガラス)細工の様で触れれば簡単に壊れてしまいそうだった。

(しばら)く翅を休めていた蝶がふわりと羽ばたき風がそよいだ。

小さくて儚げなのにその羽ばたきは力強かった。


butterfly(バタフライ) effect(エフェクト)


ふとそんな言葉が頭に浮かぶ。

確か一匹の蝶の羽ばたきが遠くの国で嵐を起こす、そんな意味合いだったと思う。

この小さく儚げな蝶の羽ばたきもどこかで嵐を呼ぶんだろうか。

少しずつ遠ざかっていく蝶を見ているとふいに小さな衝動が湧き上がってきた。


波紋が広がる様に衝動が心と身体の中に広がっていき手が空中を彷徨う。


『撮りたいー』




目を開けると真っ暗だった。

「…夢、か」

そう呟くと乾いた口の中に冷たい空気が流れ込んできた。

寒さに顔をしかめながら枕元の時計を見るとまだ夜明け前だった。

寝直そうと目を閉じても眠気は戻って来ない。

俺は眠る事を諦めてため息を吐つきながら起き上がる。

寒い。

今日は一段と冷える。

灯りを付けると“ユキ”がゆっくりと側にやって来た。


「ごめんな、こんな早くに起こして」

頭を撫でるとユキは嬉しそうに尻尾を揺らす。


俺の名前は(たちばな)紫苑(しおん)

二十歳の大学生。

ユキは13才になる雑種の犬だ。

雪の日に家ウチにやって来た真っ白な犬。

末っ子の俺は妹が出来たようで嬉しかったのを今でも覚えている。

人間にすれば70才位のおばあちゃんで最近は耳も遠くなり動作もゆっくりになったけど大切な家族だ。


上着を羽織りお湯を沸かしているとユキがリードを咥えてやって来た。

「なんだユキ珍しいな。散歩に行きたいのか?」

俺の前にちょこんと座り甘えた顔で見上げるユキに話しかける。

最近は寒さと歳のせいで自分から散歩をねだる事は殆どなかった。

まだ外は暗いし寒い。

出来るなら出たくはなかったけど可愛い妹の久しぶりのおねだりを無下にするのは忍びなかった。


「わかったよユキ、ちょっと待ってな?」


俺は身支度を整えてから淹れたての熱いコーヒーを魔法瓶に注ぐ。


「お待たせ。じゃ行こうか」


大人しく待っていたユキにリードをつけると嬉しそうにまた尻尾を揺らした。

嬉しそうなユキを見て久しぶりに海に行こう、と決めた。

ユキも俺も海が大好きだった。

小さい頃はよく疲れ果てるまで波打ち際で遊んだ。

ちょっと遠いけど着く頃に海から昇る朝日が見れるかもしれない。

そう思いながら玄関のドアを開けようとして手が止まる。


「ごめんユキ、もうちょっとだけ待ってて」


俺は部屋に戻り棚の上のカメラを暫く見つめてからそっと手に取る。

カメラに触れるとピクッと身体が震えブレーキ音が頭の中に響き右頬の傷が熱を持って疼いた。


小さい頃からカメラ好きの祖父の影響で写真を撮るのが好きだった。

高校の頃は小さなコンテストで賞を取ったりして写真を撮る事は俺の生活の一部になっていた。

だけど2年前写真を撮っている時に事故に巻き込まれて以来“撮りたい”と思う事はなかった。

どこに行っても、何を見ても心が揺れなかった。


目を閉じて深く息を吸い込む。

瞼の裏でまた蝶が飛んでいた。

暗闇に降る雪の様に白く輝きながら羽ばたいている。

優しく力強い羽ばたきを見つめていると熱と疼きが引いていくのがわかった。

ゆっくりと目を開けてカメラを優しく握りしめる。

そしてもう一度深呼吸するとユキの待つ玄関へ急いだ。




車のドアを開けると冷たい空気が体を包み込む。

「うわっ、寒っ」

思わず出た声と一緒に息が白く漂う。

「ユキー。寒いけどおまえホントに大丈夫か?」

後部座席でウトウトしていたユキを起こして抱き抱える。

ユキはちょっとだけ眠そうな顔をしたけど車に戻りたがる素振りはなかったからゆっくりと地面に下ろす。

ユキは潮の匂いと波の音を感じているのか鼻と耳をしきりに動かしてから俺をじっと見た。


「久しぶりの海だしユキの行きたい所に行っていいよ」

そう言うとユキはゆっくりとでも迷いなく歩き始めた。

行き先をユキに任せながら歩いていると波の音と一緒に何かの音が聞こえてきた。

音のする方に目を向けると遠くに人影が見えた。


波打ち際に横笛を吹く人が居た。

海辺で楽器を演奏する人はいるけどこんな真冬の早朝は珍しい。

人が居ない時を狙って来ているのなら邪魔したくないのにユキはどんどん人影の方へ進んで行く。


笛はフルートなんかじゃなくてお祭りなんかで見かける素朴な笛みたいだった。

優しくて力強くてどこか懐かしい笛の音色が波の打ち寄せる音と共に響き渡る。

はらりと空から雪が降ってきた。

雪が降り注ぐ中、寒さを感じさせずたおやかに動く細い指と凛とした横顔を見て俺の心と身体が大きく揺れた。



俺は野原に立っていた。

土と草と仄かに甘い匂いが立ち込める暖かな陽射しに包まれた野原。

あちこちに可憐な野の花が咲いていて愉しげに笑いさざめく声が遠くに聴こえる。

『ここは…?』

何が起きたのかわからずぼんやりと辺りを見回していると白い小さな蝶がひらひらと舞うように飛んで来た。

様々な花が咲き乱れる中、蝶は薄紫の花に止まった。


『この花はー』

そう思っているとすぐ後ろで懐かしい声がした。


「綺麗な紫苑(シオン)ですね」


そう、蝶が止まった花は“紫苑”だ。

花言葉は『追憶』そして『君を忘れない』。

俺は懐かしい声の主を探して振り返ろうとするとまたグラッと身体が揺れた。



花の咲き乱れる野原は消え、真冬の海が目の前に広がる。

足元を見るとユキがぐいぐいとリードを引いていた。

『何だ今の?白昼夢?いや、違う。あれは記憶ー?』

混乱している俺に構わずユキは更にグイッっとリードを引き思わず握っていたリードが手から離れた。

いつもは大人しいユキの力の強さに驚いているとユキは波打ち際に向かって駆け出していた。


「…あっ…待てっ、ユキッ!!」


俺の大声でユキはピタリと足を止め、そして人影がゆっくりとこちらを向いた。


その瞬間俺にふわっと優しく暖かな風が吹いた。

暖かな風は土と草と仄かな甘い匂いがした。


『butterfly effect』


またその言葉が頭に浮かぶ。

この暖かな風はあの夢の中の小さな蝶の羽ばたきが起こした、そんな気がした。

風を身体に受けながら降り注ぐ雪と振り向いた波打ち際の姿を見つめた。


『撮りたい』


強い衝動がふつふつと心の底から湧き上がって心と身体を揺らす。

俺は震える手でカメラを握りしめ風に後押しされる様にゆっくりと一歩踏み出す。


たった一歩。


でも大きな一歩を俺はしっかりと踏み出した。

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