錬金術師の超強力接着剤
テーブルをはさんで僕の向かい側には、リンちゃんが座っていた。
リンちゃんは僕の姉の子供。
レンちゃんのお姉さんだ。
中学2年生になるはずだが、学校と折り合いが悪いらしく、休みがち。
学校を休んでいるとき、こうして僕の家に遊びにやってくることがある。
「リンちゃん。僕が何を言いたいか、わかるよね?」
と僕は問いかけた。
リンちゃんはキラキラとした、でもどこか自信なさげな瞳をじっと僕に向けて、「どうかしたのかな?」という顔をしていた。
「あのね、僕の身体が、椅子に引っ付いてるの」
「うん」
「リンちゃん、あっちに置いてあった接着剤、使ったでしょ? 椅子に接着剤を塗ったよね? そういうことしちゃダメだよね。僕、もう立ち上がれないよ?」
「うん」
とリンちゃんは大きくうなずいた。
そして、秘密を打ち明けるように続けた。
「しまうまおじさん、どっちの椅子に座るかわかんなかったから、こっちの椅子にも接着剤を塗ってたの。私も動けない!」
「うん……そう……」
僕はため息をついた。
「リンちゃんが使った接着剤はね、特別な接着剤なの」
「特別な接着剤?」
「そう。錬金術師が作った接着剤だから、自然に剥がれることはないの。僕ら、もうずっとこのままだよ」
「そうなんだ!」
「ほうほう!」という顔をして、リンちゃんが何度もうなずいていた。
「反省してないな」と僕は思った。
「あのー、困るでしょ。椅子に引っ付いてたら。考えてみてよ、このままだとどうなるか」
「うーん?」
「学校にも行けなくなるよ?」
「学校に行けない……」
リンちゃんはつぶやいて、「それはいいかも!」という顔をした。
「いや……そうなるか……。学校以外でもさ、外に出かけることもできないよ?」
「そうだね。家でゲームしてるしかないよね。あっ、ねえ、ゲームしよ!」
とリンちゃんが言った。
「反省してないな」と僕は思った。
「あのさ、こんなことをして、この後どうするつもりだったの?」
「この後?」
とリンちゃんは首を傾げた。
「もしかしたら、うまく引っ付かないかもしれないと思ってたの」
「うん」
「椅子に引っ付かなかったら、隣の部屋の、長田さん。いるでしょ?」
「うんうん、長田さん」
長田さんにはよくお世話になっている。
リンちゃんとも知り合いだ。
「長田さんを連れてきて、長田さんの頭をしまうまおじさんの腰のところに接着剤で引っ付けて、合体させて、ケンタウロスみたいにしようと思ってたの。長田ウロスだよ!」
「ダメでしょ……」
僕はため息をついた。
「そんなことをしたら、長田さんの負担が大きすぎるでしょ。長田さん、ずっと中腰になるんだよ? さすがにきついよ。あと、長田ウロスだと、長田さんメインみたいになるでしょ。どっちかというと、僕がメインなわけじゃない? しまうまウロスだと思うよ」
「うーん」
リンちゃんは首をかしげてから、「ゲームしよ!」と言った。
「反省してないな」と僕は思った。
僕らの座っていたのはキャスター付きの椅子なので、キコキコと音を立てて、モニターの前に移動した。
「ねえねえ、私、レインボーコースのショートカット、できるようになったんだよ!」
「へえ!」
「それはすごい」と僕は思った。
僕は落下せずに完走することもできない。
この日は調子が悪かったようで、リンちゃんのショートカットは何度やってもうまくいかなかった。
リンちゃんはしきりに首をかしげて、くちびるを尖らせていた。
ゲームの合間に、キコキコと音を立てて、僕は冷蔵庫からジュースを取り出した。
コップやおかし、手を拭くためのウェットティシュもキコキコと集めた。
リンちゃんはコントローラーから手を離して、おやつを口に入れ、ジュースを飲み干すと、「ほかのゲームをやろう?」と言った。
今日はほかのゲームの気分らしい。
相手を吹き飛ばす格闘ゲームも、恐竜を倒すハンターゲームも、リンちゃんは僕よりはるかにうまいのだけれど、プレイするたびに首をかしげるのだった。
何度目かの休憩のときに、僕は言った。
「ね? 椅子に身体が引っ付いてると、ゲームしにくいでしょ?」
「うーん……」
「ずっとこのままだと、嫌でしょ?」
「……」
リンちゃんはくちびるを尖らせていた。
「あとね、トイレに行きたくなったとき、どうなると思う?」
「えっ? どうなるんだろ?」
「いい? 便座がこうあって」
と左の手のひらを90度に曲げて、便座の形を作った。
「それから、僕がこうなってるでしょ?」
右手で同じような形を作る。
「で、テトリスって知ってる?」
「もちろん! 私、かなりうまいよ!」
「うん、じゃあ今度対戦しようね。で、僕をくるっと回して、テトリスみたいに、こう、組み合わせて」
リンちゃんが「???」という顔をした。
「こう、ガシッと組み合わせて、トイレをすることになるの。椅子が引っ付いてるからね、こうなっちゃうんだよ」
「えー!」という顔をする。
「えーって顔をしたって、椅子が引っ付いていたら、こうなるんだよ。実際さっき、僕はこの体勢でトイレを済ませてきたからね」
また「えー!」という顔をする。
そして、
「普通の大人のひとは、そんな恰好でトイレはしないよ?」
と言った。
「大きなお世話だよ」と僕は思った。
「椅子がくっついていたらね、こうなっちゃうの。嫌でしょ?」
「うん……」
「だいたい、将来好きな人ができても、椅子に引っ付いたままなんだよ。接着剤で椅子に引っ付いたままの女の子なんて、相手にされないよ?」
リンちゃんはじっと床を見つめた。
「うん……そしたら、私……」
いままで見たことないほどの真剣な表情だ。
「ありのままの、椅子に座ったままの私を好きになってくれる人を探すことにする!」
「前向きな子なんだよな」と僕は思った。
***
ひととおりゲームをやって、ひととおりお菓子を食べたら、リンちゃんも反省したようだった。
きちんと話せば、わからない子ではないのだ。
「もう二度と、こういうことしちゃダメだからね」
「うん、もうしない。今度テトリスしようね!」
「うん、テトリスはするけど、とりあえず錬金術師のひとに連絡するね」
リンちゃんが「???」という顔をする。
「錬金術師のひとが作った剥離剤を使わないと、接着剤をはがせないからね」
それからしばらくお菓子を食べたりジュースを飲んだりして、剥離剤を持った長田さんがやってきて、ようやく僕らは椅子から立ち上がることができたのだった。
「長田ウロスもダメかな?」
「もちろんダメだよ。長田さんの負担が大きすぎるからね」
長田さんはわけもわからず、ニコニコしているのだった。