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昔から母はまだ幼かったクレアの前で不思議なことをよく言っていた。
『あ、やっぱり! パン屋のショーン君とあのイケメン騎士はデキてたのね』
『それにお隣のククリ君も小さい頃から整った顔をしていたけどあっち要員だったみたい。幼馴染みのロン君と結婚したらしい』
『あー、やっぱりここは本当にBⅬに優しい世界なのね。顔の綺麗な男の子は大体そうなのよ! すごい世界だわっ』
びーえる? お母さん、びーえるって何?
『あらあらクレアにはまだ早い世界のお話よ。でもそのうちクレアにも分かるわ』
母の言うびーえるというのが何なのかは数年後に母に説明されて理解した。
クレアの初恋は兄の親友のオースティンという少年だった。
いつもクレアの家に遊びに来ていた優しくてかっこいい少年のことを好きになるまでそんなに時間はかからなかった。近所の子供達のリーダーだったオースティンにクレアは特に可愛がられており、もしかして両想いなのでは? と淡い期待もしたがそれはただの勘違いで、オースティンは大好きな兄の妹であるクレアの面倒をみているだけだったのだ。
兄は女のクレアよりも綺麗でオースティンが好きになるのも納得だ。納得だし理解も出来る。オースティンだけじゃなく、兄もオースティンに惹かれていることが分かりクレアは二人を見守ることしか出来なかった。
それでもやはり二人が恋仲になった知った時は悲しくて一人泣いてしまった。そしてそんなクレアを母が慰めにやってきた。
『クレア、大丈夫?』
大丈夫と言いながら涙を流すクレアを母は優しく抱き締める。
母はクレアがオースティンのことが好きなことに気が付いていたらしい。
『この世界は女の子に厳しい世界だけど、いつかクレアのことを大切に思ってくれる相手が必ず現れるわ』
女の子に厳しい?
『そうよ! イケメンがイケメンを好きになる世界。同性同士で結婚だって出来るし、そんな様子を毎日観察出来るなんて最高! って私も生まれ変わった時には思ったもの。イケメンの相手は高確率でイケメンなのよね!』
母にはこの世界とは別の世界で生きた記憶が残っていると言うのだ。
その世界では男性同士の恋愛をボーイズラブ。略してBLと呼び多くの婦女子にひっそり尊ばれていたとか……この世界では男性同士の結婚も一般的だが、母が前に生きていた国ではそうじゃなかったらしい。
他にも色々説明されたがあまり理解出来ず、クレアはほとんど聞き流してしまった……
母が言うように確かに美形な男性の伴侶は男性というパターンは多い。
この国の正妃様も他国から嫁いできた王子様で、陛下が正妃様を溺愛しているのは国民みなが知っている。
歴史に名を残すような有名人や、今現在私が素敵な人だなと思い浮かぶ男性には素敵な男性の伴侶がいる。もしかしたら母の言うことは真実なのかもしれない。
『イケメンを好きになってもクレアが辛い思いをするだけかもしれないわよ。あなたこっそり面食いでしょ』
クレアは自分とよく似た母の顔をじっと見る。
兄のように美しく愛嬌があるわけではなくぱっとしない平凡な顔立ち。いや、ちょっと待って! 母の言うことが真実なら納得できないことがある。
母の結婚相手である父だ。
『まぁ、クレアの言いたいことは分かるわ。パパのことでしょ? 私にもそれが最大のミステリーなのよ。パパは絶対にそうだと思ったんだけどね』
クレアの父は王城で働く所謂エリートで母の法則でいうならば絶対に伴侶は男性になるだろう美形の部類に入る。そんな父は不思議なほど母を愛していた。
子宝にも恵まれ、クレアには兄の他に二人の弟もいる。クレア以外は完全に父親似で将来有望だ。色々な意味で。
そんな父と兄弟達に囲まれて育てば面食いにもなる。母の言うことを信じたくなかったが、きっとそれが事実なのだろうと現在のクレアは身にしみて感じていた。
現在クレアは17歳。
騎士になるために騎士学校に通っている。剣技も攻撃魔法もいまいちだが癒しの魔法を得意としており、最上級生となった今年度から女子寮の寮長をしていた。
今日は兄とオースティンの結婚式に参加するためにクレアは学校に外出届を出しており、せっかくだから泊っていけという家族を振り切って帰寮したのだが結局消灯時間を大分過ぎてしまった。
近道を抜けてようやく見えた女子寮の横の植木の前で誰かが膝を抱えて蹲っているのが見えてクレアはもしやと立ち止まる。
こじんまりとしているのでロイドではなさそう。
一瞬浮かんだ考えを振り払うようにクレアは頭を左右に振る。きっとロイドはもうここには来ない。
ロイドとはクレアの恋人だった男の名前だ。
昨夜別れてしまった元カレ。別れた理由はロイドに他に好きな人が出来たから。ロイドはクレアには勿体無いほど良い男だった。
騎士学校の風紀委員長をしていて、背もスラっと高く、美しい顔立ちをしている。優しくて穏やかな性格をしていたロイドは、クレアに出来た初めての恋人だった。
クレア達が通う騎士学校では節度を求められるが生徒同士の恋愛を禁止していない。年頃の子供達が集まれば惚れた腫れたがあるわけで、堂々付き合う生徒もいればこっそり付き合う生徒も多くいる。クレアとロイドは後者だった。
母が言う法則通りならロイドはBL要員と呼べるレベルの素敵な男だ。引く手数多のロイドがなぜクレアを選んでくれたのか、選ばれたクレアも不思議に思っていた。地味で目立つことのないクレアと、ロイドは全く正反対の男だったから。
ロイドが告白してくれて始まった内緒の恋だったが、クレアは毎日何もかもがキラキラ輝いているように感じて楽しかった。好きと言われ舞い上がって付き合うことににしたが、まだそこまでクレアの気持ちは伴っていなかった。それでもロイドを知ればきっと好きになると思った矢先の別れ。
寂しくないといったら嘘になるが、食事が出来なかったり眠れなくなるほど落ち込んでいない。元気といえば元気だ。
「ちょっと、あなた。もう消灯時間が過ぎているわよ。こんなところでどうしたの?」
クレアが声をかけると蹲っていた人物がのろのろと顔を上げる。
暗くてぼんやりとしか見えていなかったが、目を凝らすと姿形がはっきりしてきた。
ぼさぼさの髪に青白い顔。それに特徴的な分厚い黒縁の眼鏡をしている。
顔が半分以上隠れていたが、クレアはこの人物が誰なのかすぐに分かってしまった。