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第9話.私の夫は、人間でした。Ⅴ

 


 私は、そうして彼の傍から姿を消した。

 ……いや、逃げたのだ。私には、どうしてもそれが耐えがたいことだったから。

 自分でもおかしな話だとは思う。

 一緒に居たいのに、彼を失うのが怖いから――私は彼から離れなければならないのだ。





 ふたりで購入した家を出た私には、何のあてもなかった。

 スフィニアにはああ言われたが、エルフの里に戻るつもりは毛頭無かった。

 だって、きっとイヴァンは私を探す。里に戻ったら、すぐに彼に見つかってしまうと思ったのだ。



 しかしいつまでも立ち尽くしているわけにはいかない。

 私一人ならともかく、お腹には子供が居る。冬を迎える前と言っても外気は肌寒い。

 私は乗合馬車に乗り込み、さらに西の方角へと移動することにした。

 手持ちのお金は少ないが、馬車代くらいなら平気だ。大きくなったお腹を撫でながら、私は不安な気持ちをどうにか抑えようと空を見上げた。



 ――人間を不老不死にする方法を探す。



 私はずっとその方法を追い求めていた。

 でもそれは見つからなかった。図書館の文献を読みあさり、山奥の地母神の祠を拝み、聖堂の司教に聞こうにも……そのヒントすらも見つからなかった。

 ただ、そうしてあらゆる土地を巡っている最中に、西の町の外れに廃屋があったのを思い出した。

 以前まで住んでいた老人が半年ほど前に亡くなってから、管理人もおらず放置されているそうだが……あの家を借りれば、お腹の子と共に生活できるのではないか、と思った。

 そこで誰にも知られず、ただひっそりと生きていきたい――思いはそれだけだった。





 斯くして私の新たな生活が始まった。

 それは孤独で心細く、寂しい暮らしだったが、それでも私には希望があった。

 その生活を始めた三ヶ月後に、お腹の子が無事出生したためである。





「まま、ままぁ」

「はいはい、ママはここよ」



 舌っ足らずな声で呼んでくる幼子に応えて、私はその子を抱きしめる。

 私とイヴァンの娘……イリヤは、順調に成長していた。

 子供の変化というのは毎日が目まぐるしくて、私は目の回る思いをしながら子育ての日々に奮闘している。



 イリヤの外見は私によく似ていた。

 耳はピンと長く尖っているし、髪の毛は光に透ける黄金の色合い。

 顔立ちなんて、本当にそっくりだと思う。

 しかし肌は健康的に日に焼けていて、私はそれを目にする度に複雑な気持ちになった。



 というのも、イリヤは単なるエルフでも人間でも無いからだ。

 彼女はエルフと人間の血を持つ存在――"ハーフエルフ"としてこの世に生を授かった。

 またどこからか私のことを知って家を訪ねてきたスフィニアが、その存在について教えてくれたのだ。エルフと人間が交わると生まれるとされる混血の種族がハーフエルフなのだと。

 そしてハーフエルフの寿命は、不老のエルフにより近いものだとも。



 最初にそれを知ったとき、私は何を思ったのだったか。



 膝に載せていたイリヤが、困ったように「ママ?」と首を傾げていたから……私は、それを聞いて泣いたのだったと思う。

 でもどうして泣いたのかは自分でも分からない。その頃の私は冒険者として日銭を稼ぎながら、イリヤを育て、苦手な家事に必死に明け暮れているばかりで……何かを深く考えるだけの余裕がなかった。

 というよりも自ら、思考することを放棄していた。意識がどんどん暗い方向に落ちていくのは、我慢がならなかったから。





 だけど、そんな生活が続いたある日。

 十歳になったイリヤが、夕食を食べ終わった後にぽつりと言った。



「ねぇお母さん。わたしのお父さんは人間なんだよね?」



 皿の後片付けを済ませたイリヤは、テーブルに頬杖をついて窓の外を眺めていた。



 テーブルの上には、彼女の教材である青と黄色の表紙の分厚い本が二冊と、ノートと羽ペンが広げてある。

 町の学者に気に入られたイリヤは、彼から字の読み書きを教わり、暇さえあればこうして家でも勉強をしているのだ。

 青表紙は学者のお下がりである人間の、黄色の表紙はスフィニアがお土産に持ってきたエルフの文字が刻まれたものである。どちらもイリヤは覚えが良く、二人からよく褒められていた。

 勉強熱心なところは、私にもイヴァンにも、あまり似ていないと思う。



 そんなことを思いながら――私はタオルを畳みかけた姿勢のまま、しばらく何も言えなかった。

 イリヤが自らの父親に興味を示したのは、初めてのことだった。

 今までは、何か幼いながらも悟っていたものがあったのか、私には何も訊いてこなかったが……それでも、年頃の少女なのだ。自分の父親に興味を抱くのは何もおかしなことじゃない。

 そう覚悟していたつもりだったのに、答える声は僅かに震えた。



「……ええ、そうよ」



 心臓が静かに、服の下で騒ぎ立てている。

 きっとイリヤは、二口目にはこう言うことだろう。『お父さんに会いたい』と。

 私は母親として、純真な娘の願いを叶えてあげるべきだろう。

 でもそれと同時に、私はイリヤがその願いを口にすることを恐れていた。



 しかし、イリヤが口にしたのは、私の想像していたものとは少し――否、まったく別の言葉だった。



「お母さん、お父さんに会いたいんでしょ?」

「……え?」



 私は驚きのあまり何度か瞬きをした。

 ()()、イヴァンに会いたい?……イリヤはそう言ったの?



「だってよく、窓の外を見て溜め息を吐いたり、物思いにふけってるし……会いたいんでしょ? 違う?」

「でも、今さら戻るなんて」

「うーんと。つまりお母さんって、家出してるんだよね?」

「家出って」



 私は愕然とした。

 一大決心の末にあの家から去ったのに、まさかそんな幼稚な言葉で片付けられてしまうなんて!

 けれどイリヤは、ショックを受ける私に何やら呆れたような目を向けてくる。



「スフィニアおばさんが言ってたよ。リアは二回も連続で家出をしているのだー、って」

「……い、一回目はともかく、二回目は離婚よ。離婚は家出とは言わないわ」

「お父さんにはちゃんとそう言ったの?」

「…………言ってないけど」

「じゃあそれは家出だね」



 私は急激に恥ずかしくなってきた。

 ……というか私ったら、どうして十歳の娘と赤裸々にこんな話をしてるのかしら?

 しかもイリヤの口調が穏やかで、横顔が妙に大人びているものだから……何だか自分の方が子供で、大人の女性と話しているような不思議な気分になってくる。



 でもそれは、少しも不快じゃない。

 その理由にはすぐに気がついた。

 ……イリヤの話し方は、少しだけ彼に……イヴァンに似ているのだ。



 するとイリヤは頬杖をやめて、椅子ごとくるりとこちらに向き直った。



「お父さんは他の女の人と良い感じになって再婚してるかもしれないけど、そのときはそのときだよ」

「なっ!」

「そうなったらわたし、落ち込むお母さんをちゃんと慰めてあげるから!」



 私はいよいよ頭を抱えたくなった。

 本当に、こういう知識はどこから仕入れてくるのかしら?

 スフィニア、は無いとして……学者先生のしわざ?



 だとしたら今度、注意しておかなくては……なんて考える合間にも、イリヤはてきぱきと話を続けている。



「まぁとりあえずね。ひとまず会いに行けばいいんだよ、お母さん」

「……でも、迷惑だと……思うのよ」

「お父さんはそんな人じゃないと思う」



 一度もイヴァンに会ったこともない娘が、何故だか自信満々に胸を張って言う。



「というか、わたしも会ってみたい。自分の父親に」



 そのせいか、私は――そんなイリヤの言葉に、最終的に頷いてしまったのだった。




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