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第8話.私の夫は、人間でした。Ⅳ

 


「子供が欲しい」と最初に言ったのは彼の方だった。



 それまでも何度か、彼とそういった触れ合いはしていたし、決して嫌いではない。彼に触れられるのが嫌なはずがない。

 それでも私は彼とキスを交わし、肌を重ねながら、泣きそうになるのを何度も堪えた。

 彼はきっと、私のために子供が欲しいと言ったのだ。



 私たちは何度も、生まれてくる子供の話をした。

 明るく望ましい未来の話ばかりをした。というのも私が寿命の話をしようとすると、彼はいつも困った顔をするからだ。



「産まれてくる子はアナタに似ているかしら。私に似ているかしら」

「どちらがいい?」

「……どちらでも」



 それは心からの回答だった。どちらに似ていたって、私は嬉しいわ。

 でも彼の望む答えは違う。だって私がそう答えると、ほんの少しだけ眉を下げて、困ったように笑うのだもの。

 私はそんな愛おしい彼に、心の中で話しかける。



 分かるわよ。

 だって私、アナタの妻なんだもの。

 イヴァン、アナタは――生まれてくる子が、自分に似ていたらいいと思っているんでしょう?

 そうすれば私は孤独にならずに、子供と支え合って、この広い世の中でだって生きていけると思っているんでしょう?



 だけど勘違い甚だしい。この男はまるで分かっていないのだ。

 アナタに似ている誰かは、決してアナタの代わりにはならない。





 それでも時は、私をあざ笑うように刻一刻と過ぎていく。

 私のお腹はどんどん大きくなっていく。焦りは暴発せんばかりだったが、お腹の子を抱えたまま、ヒントも何も掴めていない不老不死の方法を探すことなど、文字通り自殺行為だ。

 私は大人しく家に留まり、編み物をしながら、ただ思考だけを漫然と垂れ流していた。



 どうしようもなく私は無力だ。

 大切な人に傍に居てもらうための方法さえ、見つけられないなんて。



 そんなことを考えていたある日、コンコン、と玄関の扉がノックされた。

 机を使ってゆっくりと立ち上がり、私は「はぁい」と返事をしながら扉に近づいた。

 しかし開いた扉の先に立っていた人物を目にして、目を見開く。




 ――誰?




 その人物は目深に黒いフードを被り、その場に佇んでいた。

 一見すると、男か女かも分からない。……外見だけならどう見ても、不審人物だ。

 緊張する私の目の前で、その人がフードを脱いだ。



 現れた人物の顔を見て私は目を丸くする。



「……ニア!」



 フードの主の正体は、私の実の姉であるスフィニアだった。

 姉といっても、私とは五十歳ほど歳が離れている。エルフにとってそれは珍しいことではないけれど。

 里を出てきて以来、スフィニアとは全く会っていなかった。私は感慨深く、自分とはあまり似ていない硬質な美貌の姉を見つめた。



「久しぶりね。でも、どうして私の居場所が分かったの?」



 私がそう言うとスフィニアは苦笑した。



「お前の容姿は目立つから。目撃情報を辿っていって自然と……な」

「そうだったの。とりあえず入って」

「ああ。ありがとう」



 ……スフィニアの苦笑の理由に、私は少し遅れて気がついた。

 エルフの挨拶に「久しぶり」なんて言葉は無い。

 悠久の時を生きる種族にとって、時間とは、流れていることをわざわざ知覚することすら困難なものなのだから。





 私は二人分のカップに温かなたんぽぽコーヒーを入れ、スフィニアの向かいの席に座った。

 しばらくスフィニアは、家族の話や、向かいの家が新たな子供を授かった話などをしていたが……やがて私の膨れた顔をちらと見遣り、こう言った。



「単刀直入に言う。里に戻ってこい、エルティーリア」

「……嫌よ」



 私は首を横に振る。

 スフィニアが私を連れ戻しに来ただろうことは想像していた。

 だから、ほとんど溜め息を吐きながら否定した。しかしスフィニアは怯まずにすかさず言い放った。



「人間はすぐに死ぬ。お前には、その死期を看取る覚悟があるのか?」

「――――」



 カップに添えた私の手が、震える。

 それをちらり、と見遣りながら……スフィニアは続ける。



「次第に弱っていくのだぞ。醜く老いぼれ、声は嗄れ、足腰が弱り、立ち上がることさえ困難になる。髪の毛は灰色がかっていき、異臭が漂うようになる。ソレはかつて愛した男とは全く別の、奇妙な生き物に成り果てる」

「やめて!」



 私は思わず耳を塞いだ。

 その拍子に、お腹の中の子どもがひどく暴れる。その子を抱える私の呼吸が大きく乱れているからだ。

 目眩がする。動悸が激しい。必死に見て見ぬ振りをしていた現実を、スフィニアは私の目の前に容赦なく突きつけてくる。



 しばらく、室内には冷たい沈黙が訪れた。

 スフィニアが一口、コーヒーを飲む。私は顔を上げられなかった。

 もう何も言わずに、彼女に、帰ってほしいとさえ思う。けれどそう現実は甘くはなかった。



「お前が里を抜け出して、何年だと思う?」

「…………」



 私は答えなかった。

 だって私は、なるべく一日を数えないようにして毎日を過ごしていたのだ。

 フゥと物憂げに息を吐いて、スフィニアが言う。



「十年だ」

「……十年……」

「それはエルフにとって、瞬きにも満たない時間だ。……まだ分からないかエルティーリア」



 おずおずと私は顔を上げた。

 スフィニアはまっすぐに私を見つめていた。射貫かれるようで、身が竦む。



「愛しているからこそ、お前はあの男から離れるべきではないのか?」

「……え?」

「エルフと結ばれるのは人間にとって幸福か? 否、違うだろうな。同じ年月を重ねられぬ存在と共に在ることは、ただの不幸だろうよ。お互いにな」



 喉元に刃物を突きつけられたような気がした。

 ……いいえ、そうじゃないのかもしれない。私は彼の手を握りながら、もう片方の手でずっとその刃物を握りしめていたのだ。



 私たちが共に在るのは、不幸せだったの?

 私は、愛する彼にずっと刃物を突きつけていたの?



「今なら間に合う。なぜなら、お前はまだ瞬きもしていないからだ」



 スフィニアは立ち上がった。

 フードを被り直したので、どうやら帰るつもりらしい。しかし私は見送るために椅子から立ち上がる気にもなれなかった。



 呆然とする私をスフィニアは振り向き、最後にこう言い残した。



「我らの里に帰ってこい、リア。お前の居場所はここではない」



 そして私は、彼の傍から消えた。





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