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第7話.私の夫は、人間でした。Ⅲ

 


「それで、君に一緒に来てもらえたら嬉しいなって。もう、君の居ない人生は考えられないから……」



 それから間もなくのこと。

 私は彼に、そんな言葉をもらった。



 嬉しくて仕方が無かった。嬉しすぎて、弾みで涙が出るくらいに。

 だってもう、私が彼と居るのは当然のことだと思っていたから……彼も同じ気持ちだったと知って、嬉しくないはずがない。



 彼についていくということは、故郷を離れるということだ。

 それでも、と私は思った。家族も友人も、大切だけれど……どちらかを選べと言うならば、今の私は迷わず彼を選ぶ。彼の手を取る。

 だから里に別れの挨拶も残しはしなかった。そもそも、彼との関係は家族にも誰にも秘密にしているし、素直に事情を明かせば反対されるのはわかりきっていたから。



 ただ弓矢と、彼にもらった首飾りを身につけていればそれで十分だ。

 もしかしたらそう思い込むことで、故郷に背を向ける悲しさを紛らわせていたのかもしれない。でも、そのときの私は後悔しなかったのだ。



 だって彼との新生活は、本当に楽しかった。



 知らない町。しかも人間だらけの場所で過ごす最初の数年間は、それなりの緊張感もあったと思う。

 人間と混じって生活するようになったエルフが居るといっても、それはまだごく少数だ。正体を隠さず生活する私に、好奇心や警戒心を向けてくる人も少なくは無かった。

 でも彼と共に冒険者稼業に励み、困っている人を積極的に手助けしている間に、自然と私たちのことを受け入れてくれる人が多くなってきた。



 宿屋住まいの私たちを心配して、時折家に呼んでくれたり、差し入れにと手作りのお菓子をくれる婦人もあったくらいだ。温かい人たちに囲まれて、私たちは毎日を笑顔で過ごしていた。



 そして資金が貯まってくるとイヴァンは私の手を引いて、町の全土が見下ろせる時計塔へと向かった。

 お酒も飲んでいないのに赤い顔をした彼が、



「エルティーリア。これからもずっと、僕の傍に居てほしい」



 そう言って銀色に輝く指輪の入った小箱を、目の前に差し出してくれたとき――そのときの私の気持ちは、言葉ではとても言い尽くせないだろう。



 私は間違いなく幸福だった。世界中の誰よりも。

 本当に、幸福だったから――いろんなことから目を背けて、笑っていられた。





「起きてよイヴァン。ねぇってば」

「うーん……疲れてるんだよエル……」

「もう、昨日もそんなこと言ってたわよ。仕方の無い人ね」



 町に祝福されて小さな結婚式を終え、二人きりの家での生活が始まった。



 私はイヴァンの冒険者稼業を手伝いつつ、料理や洗濯など、近所の主婦たちに教わり少しずつ家事らしいことを覚えていった。

 というのも今まで、そういった細々なことは全てイヴァンが担当してくれていたのだが、何だかそれでは申し訳ないと思ってきたのだ。



 前日、夜遅くまで他の冒険者と共にイノシシ狩りに明け暮れていたというイヴァンは疲れた様子で、太陽が頂点にのぼってからも寝台の中に丸まっていた。



 私は困って、そんなイヴァンの背中を揺すっていたのだが、



「きゃっ」



 急に腕を引っ張られたと思えば、そのままイヴァンの腕の中にすっぽりと収まってしまった。



「僕は仕方が無い男だから、君と一緒に惰眠を貪りたい」

「……本当に、仕方の無い人だわ」



 甘えて頬ずりしてくるイヴァンの額を、ぺしっと人差し指で叩いてやる。だってちょっと、伸びてきたおヒゲがじょりってするんだもの。

 でもイヴァンは嬉しそうに表情筋を緩ませて、そのまま再び寝息を立て始めてしまった。



 私はふぅ、と息を吐いて、そんな彼の胸元におとなしく頬を寄せる。

 一通りの家事は終えている。いっそこのまま、二人で好きなだけ眠るのも良いかもしれない。

 でもそんな和やかな思考を遮る音が、私の耳元にドクンと脈打っていた。



 ……鼓動が、速い。



 私は密かに息を呑み込む。

 本当に、イヴァンの鼓動は速い。初めて彼と触れ合った瞬間から知っていたけど……私の胸に収まったそれと比べて、ずっとだ。

 二倍。三倍。それ以上かもしれない。

 眠っている、穏やかな瞬間でさえも――尋常でない速度で、イヴァンは鼓動を刻み続けている。



 私は緩く首を振る。

 分かっている。人間なのだから、そういうものだ。当たり前のことだ。

 生き物によって、一生の間に打つ鼓動の数は決まっているのだというもの。



 ……だけど、と私は思う。



 もしも、このまま目を開けないまま、彼が――そのか弱い心臓を、止めてしまったら?



 普段は目を背けている悪い想像は……途端に、ちっぽけな私を頭から喰らうように襲いかかってくる。

 じんわりと、全身に汗が滲む。彼の吐息が頭にかかるたびに震える。恐怖のあまり、彼のシャツの裾を爪が食い込むほど強く握りしめる。



「怖い」



 声に出すと、瞳から次から次へと溢れるように涙が出てくる。



 この人を失う?

 優しくて温かな、私だけのイヴァンを失う?



 何だそれ。何だそれは。

 耐えられない。耐えられない耐えられない耐えられない!

 だって考えるだけで頭が沸騰しそうになる。思考が爆発しそうになる。涙腺が弾けて、転げ回りたくなる。



 だって私は、もう彼の居ない日々を思い出すことも出来ない。

 彼に会う前の私は、いったい何を考えて息を吸って、ごはんを食べて、夜眠ることができていたのだろう?



 彼は私に温もりを与えた。

 安らぎを与えた。そしてとっておきの寂しさまでもを教えてしまったのだ。



 それなのに――あと何十年か、時の歯車が動いた先の未来に……彼は居ないの?



 私は眠るままの彼の手を、そっと引き寄せる。

 脈がある。温度がある。そうだ、そうであるべきだと思う。

 私が生きている限り、彼は死なないべきだ。

 彼の心臓は、私と一緒に止まるべきなんだ。



 だって――



「イヴァン……」



 嗚咽をどうにか抑えようと両手で口元を塞ぎながら、私は泣き続けた。




 そうでなければ私は――彼の居ない世界で、生きていくことなんて出来ない。




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