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第4話.僕の妻は、エルフでした。Ⅳ



 彼女が臨月を迎えたその日。

 仕事を終えて家に帰ると、エルティーリアは蒼白な顔色をして木椅子に座っていました。

 猫足のテーブルの上に、彼女が気に入っているカップが二人分置いてあったので、誰か客人が来ていたようです。



「どうしたの? 何かあった?」



 僕は木椅子の横に膝をつき、彼女の顔を覗き込みます。

 彼女はしばらく僕の言葉に応えず、こちらを見向きもしませんでしたが……やがてぽつりと言いました。



「……アナタ老けたわ、イヴァン」



 僕は思わず「ひどいよ」と笑いそうになりました。

 しかし、笑いは形作る間に固まりました。



 僕を力なく見下ろす彼女の顔が、出逢った頃から全く変わっていなかったからです。



 艶めくような髪の毛も。

 煌めく光を放つ眼差しも。

 白く瑞々しい肌にも張りがあり、未だ少女そのものの姿形をしています。



 十代の僕たちが出逢ってから、もう十年近い歳月が過ぎていました。

 僕の外見は、その間にだいぶ変わりました。人間なのですから、過ごしてきた年月の分、人生の年輪が身体に刻まれてゆくのは当たり前のことでした。



 変化するのは外見だけではありません、体力も徐々に衰えてきています。

 怪我が治るにも時間がかかりますし、病気をすれば治るのにも時間と労力がかかります。

 近頃は冒険者を続けるのも難しいように思い始め、近いうちに役所かどこかで就職できればと考えていました。



「もうどうすればいいのか分からない」



 ガタガタと、彼女の身体は音が出るほど強く震えています。



「エル……」



 僕は彼女が膝の上で固く握りしめている両手に触れようとしましたが、その手は彼女自身によって振り払われました。



「ごめんなさい。怖いの、怖くて仕方が無いの。……だってイヴァンはすぐに死んじゃうわ」

「そんなことはないよ」



 僕は否定しましたが、彼女はとうとう涙を零し、ボロボロの表情で泣き崩れました。



「今日も明日も、明後日も、一年だって十年だって……そんなの、ほんの一瞬じゃない」



 僕は絶句しました。

 彼女はそう言いましたが……僕にとっては、そうではなかったからです。

 一日は過ぎ去ってみると短いですが、思い出は花びらのように積み重なっていきます。

 一年はとてつもなく長く感じるし、二年、三年、十年後ともなれば、それは果てしの無いほど長い時間にさえ感じます。



 けれど彼女にとっては違ったのです。

 一日も、一年も、十年だって、彼女の永く続いていく人生においては、等しく瞬きのような時間だったのです。

 その瞳の中、何かの間違いのように映り込んだ僕の姿を、彼女はどこまでも懸命に留めようとしてくれていました。

 しかし、何時までもそんなことは出来ないのだと……いつか、目を閉じないといけないと分かっているから……だからこそ、苦痛に顔を歪ませているのでした。



 それを聞いた僕は動転しました。

 彼女の剥き出しの部分に、初めて直に触れたような気がしました。



 ……どう伝えたら。

 ……どんな言葉で語ったら、僕の思いは正しく――彼女に届くのでしょうか?



「一緒にいたい。アナタともっとずっと一緒にいたい。お願いだからずっと私の傍に居てよ!」



 考えようとするのに、戦慄く彼女の慟哭が心を穿つようで、とても平静ではいられませんでした。

 息が荒くなり、視界が歪みました。目眩がしておかしくなりそうでした。

 そんなことが。そんなことが叶うのなら僕だってずっと君と――いや、違います。僕はそんなことが言いたいんじゃありません。



 激しい感情の奔流に胸を抑えながら、僕は口を開きました。

 おそろしく、掠れた声が漏れ出ました。



「君にとってほんの一瞬だとして、その一瞬が光り輝いているなら、僕はそれで十分なんだよ」

「私は、十分なんかじゃない。ずっと、ずっとずっとずっと、アナタと一緒にいたい」

「そんなことは出来ない。僕は人間で、君はエルフなんだから」

「――――――――、」



 息を呑んだ音がしました。



 数秒が経ちようやく、これではまるで突き放したようだと気がつきましたが……遅かったようでした。

 ぼんやりと見遣れば、彼女は傷ついた顔をしていました。泣いて怯えて、縋った子供が、親に手のひらを叩かれたような、そんな顔をしていました。



「……私にアナタの気持ちは分からないし、アナタにも私の気持ちは分からない」



 彼女は静かに泣きながら、立ち上がりました。

 その背中を引き留めようとしましたが、彼女を傷つけた僕には何の言葉も見つかりません。

 沈黙する僕に、最後に彼女が言いました。



「どうか、同じ人間同士で結婚して……幸せになって」



 そうして翌日。

 彼女は、僕の目の前から姿を消しました。

 大きなお腹を抱えて、僕の元を去っていったのです。



































 ――あれから、十年もの時間が経ちました。



 僕は今、こうして君に手紙を書いています。



 たくさんの町を巡り、足が動かなくなるまで歩きましたが、どこに行っても君の影も形もなく、見つけることはできませんでした。

 君が戻っているかもしれないと何度も"ヌアリスの森"にも行きましたが、もう僕はあの泉に辿り着くこともままなりませんでした。



 僕は今、重い病に侵されています。

 医者によれば、そう長くはないだろうと言うことでした。



 自分の死期を悟ったとき、思い出したのは君のことでした。

 ……いえ、その言い方は正しくありませんね。僕はいつでも、夢の中でさえ、君のことだけを考えていたのですから。



 そう、これは最初から、君に読んでほしいがための手紙でした。

 君が僕にとってどれほど眩しく、鮮烈で、美しい少女であったのか。

 君と過ごした時間がどれほど優しく、温かく、愛に満ち足りた時間だったのか。



 もしかしたら君に伝えきれなかったかもしれない想いを、この手紙に書き綴ることにしたのです。

 たとえこの手紙が君の目に触れなかったとしても、それでも、どうしても書かなければと思ったのです。



 君は今、元気でいるでしょうか?

 お腹の子は無事に生まれたでしょうか?

 その子は男の子でしょうか? 女の子でしょうか?

 君に似ているでしょうか? 僕に似ているでしょうか?



 ああ僕は、あの日……君が「どちらでも」と答えた理由すら、ちゃんと分かっていなかった。

 思い返すと、僕は何度も君を傷つけ、そのたび君は、笑顔で傷ついた心に蓋をしていたのでしょう。

 だから君は、他の人と幸せになってだなんて、僕に残酷なことを呟いて去って行ったのでしょう。



 実はあれから――君が私の元を去ってから、知り合いの女性から告白をされたことがありました。

 ずっと好きだった、この歳になってもまだ諦めきれない、と赤い顔で告白されて……心が全く動かなかったと言えば、嘘になるかもしれません。



 こんなことまで書いたら、嫉妬深い君は怒り出してしまうかもしれませんね。

 それでもその瞬間、僕が思い出したのは君の拗ねた横顔だったのですから、やはりどうしようもないくらい、僕は君に惚れ込んでしまっているようです。



 それか君はとっくに新たな伴侶を得て、毎日を素敵に、楽しく過ごしているのかもしれません。

 それならそれで、もちろん、喜ばしいことです。……いえ、それもやはり嘘かもしれません。

 出来れば君に、僕のことを――時折思い出す程度には、考えていてほしい。僕は恥ずかしながら欲深く、我儘な男なので、どうしてもそう思わずにはいられないようです。



 ――別れの日、君が言ったとおり。

 確かに僕には君の気持ちが分からないし、君にも僕の気持ちが分からないかもしれません。

 でもそれは、エルフと人間でなくとも、きっとそうなんです。

 他者と完全にわかり合うことなんて、どうしたって難しいことだから。

 だから僕たちはあの日、傷つけ合って、君は僕の傍を離れていったのでしょう。



 ……でもね。



 ねえ、可愛いエルティーリア。

 本当はそれで良かったのかもしれないと、僕はそう思うんだよ。



 分からなくても良かったのかもしれない。

 分からないなら分からないなりに、想いが続く限りに君の気持ちのことを考えていたなら、それだけで良かったのかもしれない。

 だって、そうやって君のことを考えているだけで……どうしようもなく、途方も無いほどに、僕は幸せな気持ちになるんだから。



 だから改めて言わせてください。

 面と向かって伝えられないのは、本当に悔しいんだけれど。




 僕の妻は、エルフでした。

 僕の妻は、エルティーリアという名の女性でした。

 他の誰だって代わりにはなりません。君だけが、僕の愛する唯一の人でした。



 それだけはどうか、君に












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