初乗へん
KOGAさんの受け取り、納車の日。
僕は意気揚々と、高揚した気分で、これからの自転車生活を妄想しながら、逸る気持ちが足をいつも以上に早く動かし、一路店へと歩んでいた。
そう、歩んで。
冬の晴天下、僕は徒歩であのお店へと。
これはKOGAさんを得たことによって、これまで使用していた車を売り払い、これからずっとKOGAさんと共に生きていくという所信表明のようもの、というわけではない。そもそも車は生活の必需品売り払うなんてできない、まだ所有している。なのに、これまでずっと来店の時には運転していた車を何故今回はしていないのかというと、それはKOGAさんに乗るためである。自転車を買ったのだから店から乗って帰るのは当たり前のことと思う人もいるだろうから簡単に説明しておくと、ロードバイクは簡単に車輪の着脱が可能、それはすなわち車で持ち運ぶのは比較的簡単ということである。だけど、何故そうしなかったというと、初めは車で運んでそして初乗りをする予定であった。が、寒いが天気はすこぶる良かった。こんな気持ちの良い好転の日。交通機関やタクシーを使用していくのは普通ならばそれはすこぶる当たり前の思考なのだが、僕はそれが少しもったいないような気持ちがして、歩いてき、そして帰りはKOGAさんに乗って帰宅という選択を。
店まではそれなりの距離があった。
だけど、昔から歩くのは苦ではないし、ここ最近ではロードバイクに乗るために自主練というわけではないが、健康のため、それから運動能力向上のためにちょっとした距離の移動ならば歩くようにしていた。
だから、店まで徒歩一時間近くかかるのも全く問題ではなかった。
むしろ、歩くことによって気分が徐々に高まっていくような気さえした。
まだKOGAさんに乗ってもいないのに、身体が熱くなっていくような気が。
そう感じたのは錯覚ではなかった。というのも、防寒のために僕は着こむとまではいかないが、それでも対策は施していた。ヒートテックを上下に纏い、トレーナにダウンジャケット、下半身は動きやすいようにストレッチジーンズ、手袋、足元はスニーカー、そして背中には財布免許書と重要なものを入れたリュック。一時間近い軽い運動、ヒートテックが汗に反応して熱を持つのには十分であった。
約束してあった時間の約十分前に店に到着、KOGAさんと一週間ぶりの再会。
久し振りに逢ったKOGAさんは、ほんの少しだけど印象が変わっていた。前回購入したアクセサリー類を着けただけで、雰囲気が変わっていた。
改めて見惚れてしまう。
有体の表現になってしまうが、かっこよく、なっていた。
さあ、これで後は乗って帰るだけ。
とはいかなかった。フィッティングの微調整をしてもらい、そして実は前回忘れていた、失念していたことを。
それは防犯登録。
ロードバイクでは、それを行わない人もいるという話だが、一応しておいたほうが良いのではと僕は判断した。だが、防犯登録を行うと警察から発行されているシールを貼る義務がある。このシール、ロードバイクには、KOGAさんには似合わないような気が。
店に来てからそう考え、しかし万が一という可能性もあるし、どうしたものだろうと思案しつつ、フィッティングに際KOGAさんに触れた時に、今後よろしくお願いします、という挨拶をし、その後防犯登録のシールを貼ってもいいかどうかお伺いを立てた。
「いいわよ、別に。そんなシール一枚で私の良さが消えてなくなるわけじゃないから」
と、あっさり承諾の言葉を。
さあ、これで全て済んだ。
走るという観点においてはもう問題はない。
店員さんがKOGAさんを押し、店の外へと。
僕はその後に続く。自分のものになったのに、他人に大事なKOGAさんを委ねることへの不満のようなものがなかったといえば、そんなものは一切なかった。というのも、店の中には高価な商品が沢山、そんな中を慣れていない僕が押して歩くには危険だ、ぶつけないように気を付けるが、それでもこれから先に未来に胸を膨らませ、注意散漫になってしまい、多額の弁償をという可能性だってある。そうならないように、慣れた人間に任せておくのがこの際最も良いことである。
店の外へ。
背負ってきたリュックからヘルメットを取り出した。これはアルミフレームのロードバイクを注文した後に、量販店で購入したもの。最初はヘルメットは必要ないかなとも考えたけど、調べるうちに絶対にいるとその考えを改めた。
安物ではあったが購入時は嬉しくて何度も着脱し鏡の前で自分の姿を確認したけど、最近ではあまり被っていないヘルメットを久し振りに頭の上に。
KOGAさんを店員さんから受け取る。
僕はKOGAさんに跨り、両手を伸ばしてハンドルへ、シフトへと指先を伸ばし、そしてブレーキを軽く握りこんだ。
「あらためて、これからもよろしくお願いします、KOGAさん」
「こちらこそよろしくね。……でも、その前に一ついいかな」
「……はい?」
「あのね、右脚の裾上げておいたほうがいいかも。ああ、それとシューズの紐もないようにしたほうがいい」
「あの、どういうことですか?」
一つといいながら、二つの注文を出したことへのツッコミはあえてせずに、僕は言われても皆目見当もつかないKOGAさんの真意を訊ねた。
「ペダリング中に裾が汚れたり、巻き込まれて破れたりするの。そうならないようにバンドなんかも売っているんだけど、それで巻けば大丈夫なんだけど。まあ、でも裾を上げているだけでも大丈夫、問題ないから」
「そうですか……それで紐はどういう理由で?」
「そっちはね、裾と同じような理由だけど、それ以上に厄介なことが起きる可能性があるの」
確かにスニーカーの紐もズボンの裾同様にヒラヒラしていてKOGAさんが言うようなことになる可能性は高い。
けど、
「厄介なことっていうのは?」
「紐がクランク、チェーンに絡まってしまうかもしれないの。それでチェーンが外れるだけならば、まあ問題はないけど、最悪それが原因で怪我をするかも」
怪我するのは嫌だな。そうなると多分、コケてだろう。KOGAさんに傷がつくのはもっと嫌だな。
僕はKOGAさんを店員さんに預け、裾をまくり、それからスニーカーの紐を内へと押し込む。
そして再びKOGAさんを受け取った。
「じゃ、今度こそ……って、何度言うのも変ですけど、あらためてよろしくお願いします」
「よろしくね」
さあ、これから楽しいロードバイク生活が、KOGAさんといっしょに日々が始まる。
土踏まずでもなく、爪先でもなく、その中間の位置をペダルに乗せる。
記念すべき一踏み目。
期待していたような踏み心地ではなく、軽い、足だけど肩透かしを喰らったような感覚が僕の中に生じた。