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挫折へん


 辛い。

 苦しい。

 しんどい。

 キツイ。

 腰が重い。

 太腿が痛い。

 吐きそう。

 上手く息ができない。

 呼吸が荒くなっていく。

 なんでこんなことをしているんだ。

 苦痛と後悔と苛まれてしまう。

 KOGAさんの声が苦しみに悶えている僕の頭の中に絶えず聞こえてくるけど、励ましてくれるそんな声でさえ鬱陶しく感じてしまう。

 黙っていて欲しい、何も喋らないでいてほしい。

 僕を奮い立たせるために言ってくれていることは十分承知しているけど、今はその声に応えるような気力も体力もない。

 KOGAさんのペダルを踏む脚を止めたら。

 ペダルに乗っかている足のどちらかをアスフォルトの上に置けば、この苦しみから解放されるはず。

 そう分かっているのに、僕の足と脚は未だにKOGAさんのペダルの上に。

 何でこんなことしようと思ったんだ。数秒前にした後悔をまたしてしまう。こんなことを何度しても救われないのに。

 永遠に続くかと思われた苦しみが。

「下を見ないで、上を見て」

 KOGAさんの声が。

 この言葉に従うような体力、気力がない。した方が良いとは分っているし、そういう知識も事前に仕入れてきたけど、行うのは難しい。

 難しいけど、このままでは終わりたくない。そんな一心で気持ちをなんとか奮い立たせ、顔を上げ、KOGAさんを、ペダルを踏み込む。

 余り状態の良くないアスファルトの向こうに新緑の緑が映った。

 その緑はずっと続いていた。

 まだかろうじて残っていた気力が一気に0に。

 それと連動するように体力ゲージも0に。

 ここで僕の足はKOGAさんを離れ、地面、アスファルトの上へと。


 僕はKOGAさんと新しいことに挑戦しようとした。

 それはヒルクライム。

 山の神や、登りが得意なおじさんがよく練習で行っているという有名な峠があった。その場所は僕の家からわりかし近い。県境を越えないといけないけどKOGAさんとならば楽々に行けるほどの距離であった。

 そこに上ってみようと思い立ち、それをKOGAさんに相談すると彼女も賛同してくれた。

 というわけで、天気予報とにらめっこをしながら挑戦する日を選び、いざ山登り、ならぬ峠越えを。

 具合のいいことに、県境を越えて峠にいくけど、峠の頂上はこれまた県境で、そこを越えると自分の住んでいる県へと戻ってくる。そしてそのまま下っていけば、自宅へと戻れる。円環のようなコース設定。距離も5、60キロといった感じである。

 挑戦と書くと、大業のように聞こえるかもしれないけど、そこに向けて特訓めいたことは特にしなかった。

「今はまあ距離走るだけで練習になるからね」

 というKOGAさんの言葉を受けて、暇があればKOGAさんに乗り、そして近所の坂を少し上るくらい。

 当日、追い風に乗って件の峠の麓まで。

 上り始める前に予め買っておいたクリームパンを一つ頬張る。サイコンをリセット。

 さあ、いざ挑戦。

 最初は良かった。

 思いのほか脚が軽くて、もしかたらアウターギアでも意外といけるんじゃ、自分でも思った以上に成長しているんでは、そんな風に錯覚するくらいに。

 そう、錯覚だった。

 すぐに脚が重たくなってきた。重たいギアを踏むのが大変になってきた。

 数秒前の思考を即座に撤回。インナーギアに落とす。

 リアのギアも徐々に軽くしていく。

 上り始めてまだほんの少しの位置なのに、頭の中に後悔の二文字が。

 それでもKOGAさんを走らせる。

 標高はおおよそ400メートル程で、その行程も数キロくらい。

 まだ三分の一も進んでいないのに、いつの間にかギアは一番軽い状態に。それでも脚の回転、ケイデンスが高ければKOGAさんは軽快に上ってくれるはずだけど、この段階で僕の脚はもう棒のよう、遅い鈍間な回転に。

 サイコンの速度表示は一桁台。

 悪い時には、悪い考えが。サイコンを見た時、少し操作して今何キロくらい走ったのかをつい確認してしまう。

 全然進んでいない。数字で表れた事実に愕然としてしまう。

「顔上げて、前と上を見て。そうしたら酸素が入ってくるから、苦しいのが治まるから」

 KOGAさんの助言が。

 顔を上げるとほんの少しだけ苦しいのが緩和されたような気が、空気がさっきまでよりも多く肺を満たしたような気が。

 でも、気のせいだったのかもしれない。すぐに息苦しくなってしまう。

 それでもKOGAさんを何とか進ませた。

 本音を言えば蛇行させて走らせたいような心境だったが、この峠道は自転車だけの道路ではない、車も通る。

 その速度差を羨ましいというか、恨めしいような気分で見ながら上っていく。

 羨ましいと思うのは何も車だけではない、ヨロヨロと走る僕とKOGAさんを優雅に苦も無く抜いていくロードバイク。

 その背中はすぐに僕の視界から消えてしまう。

 これは比喩ではなく事実であった。

 こう書くと、そんなに速いのかと思われるかもしれないけど、それはちょっと違って、速いことは速いけど、流石にエンジンを積んだ車のような速度ではない。では、どうしてそうなのかというと、この峠道がワインデングロード、つまり九十九折りになっているからというのもあるが、僕自身に原因はあり、それはKOGAさんに指摘されてからも僕の視線が下を見ていたからであった。

 ともかく同じ自転車、ロードバイクのはずなのにこうも力量が違うのか、ほんの少しだけど自惚れていた自尊心のようなものがものの見事にへし折られてしまった。

「そんなに落ち込まないの。さっきの人は、私が見たところ相当走りこんでいるから。君も、私と一緒に成長すればあれ位走れるようになるから」

 そんな励ましの言葉をもらったけど、それが嫌みのような聞こえる精神状態であった。

 そんな状態であったけど、僕はまだKOGAさんから降りなかった、ペダルの上に両足があった。

 懸命にペダルを回そうとするけど、回せない。

 なので、立ち上がり漕ぐ。

 冷静に判断ができていたならば、同じ坂でも比較的傾斜の緩い個所を走行していたであろう。それが多少遠回りになっても、通る方が良い、それにダンシングよりもシッティングのほうが筋肉の疲労が少なく、楽であると思考できただろうが、肉体的にも精神的にも疲弊したような状態ではそんなことを考えているような余裕なんてものはなく、一刻でも早くこの苦行、自らの意思で行っていることだが、を終わらせたいという渇望から最短ルートを立ち漕ぎで走ってしまう。

 この件でKOGAさんが僕に何かを言っていたような記憶がうっすらとあったけど、そのことは憶えていない。

 残り三分の一。

 九十九折りで、先が見えない状態に変化はなし。

 それでも後少しのはず。

 そう思って腰を下ろさず立ち漕ぎを続けた。

「見て、あんなにも遠くまで見える」

 KOGAさんの声が僕の中に。

 この声に促されて、これまでずっと下を見続けていた視線を遠くへと。

 ずっと続いている平野とそこを貫くように流れる三本の河川。その向こうには政令指定都市の高層建築物が。

 これが一望できる場所にまで自転車で上って来たんだ。

 少し、ほんの少しだけ元気ができていたような気が。

 と、思った瞬間、反対の考えが頭の中に浮かんできた。

 こんなも見晴らしのいい高さにまで来たのに、まだまだ先があるなんて。

 後、どれだけ走れば頂上に着くんだ。

 ついさっきほんの少しだけど上がった視線が再び下へと。

 KOGAさんが下を見るな、前を、上を見ろと言う。

 そして続けて、残りの距離を。

 その数字を聞いた瞬間、僕の中の気力メーターは0を通り越し、一気にマイナスへと振り切ってしまった。

 気力が尽きてしまうと力なんか出てくるわけがない。

 僕は峠の途中でKOGAさん降りてしまった。



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