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100キロ 往路へん 3


 ロックを解錠した後、買ったばかりのクリームパンの封を開け、一つ取り出し、頬張った。甘さが口の中に広がった。と、同時に枯渇した体内のエネルギーが充填されていくよう気がした。気がしたのはたぶん気のせい。食べてすぐに効果があるわけではない。人間の身体はそんなに便利にできているわけでない。そんな気がしたのはプラシーボ効果であるとちゃんと理解してはいるが、そんな気がし、そしてまだまだ先は長いけどこの挑戦が成功するように思えた。

 ヘルメットを被り、グローブを嵌めて、KOGAさんと再び走り出す。

 コンビニを出て程なく住宅街へ。

 それが過ぎるとまた田畑が。

 道はずっとフラットであり、舗装状態も良好であった。

 走りやすかった。

 それに加えて左後方から吹き抜ける潮風が、僕の背中を軽く押してくれた。

 ギアを再びアウターに。

 潮の、海の匂いを風に感じた。その瞬間、そういえばこの道は海の近くを通っていることを思い出した。ならば、しばらくはアップダウンはないはず。そう考えて僕はKOGAさんのリアを一段重たくした。速度がさらに上がった。

 ペダルを押す足、クランクを回す脚にちょっとした抵抗のようなものを感じる。これがなくなった時、また一段ギアを上げる。

 ヘッポコで、へなちょこで、貧脚ではあるけど、気分はロードレーサーであった。

 その気分に乗じて、プロのようにこのまま走りながら補給に挑戦してみようかという大それたものが不意に僕の中に。

 根拠は特にないけどできるような気がした。

 クリームパンは背負っているリュックのサイドネットに入れてあった。一応手の届く範囲にあった。

 実行するべく、KOGAさんから右手だけを放そうとした。が、その瞬間僕の脳裏のとある考えがよぎった。これは片手走行は危険という安全面の話ではない。グローブを着用している。まだ新品ではあるけど、それでも何度か着用していたし、それにこれまでの距離ずっと嵌めて続けていたわけである。表面上は綺麗であっても目に見えない微細な菌が付いている可能性がある。そんなグローブでクリームパンを掴み口に中に。衛生面の話であった。だが、待てよ。もし仮に想像したように良くないものが付着していたとしても、胃の中へと流し込んでしまえば。強力な胃酸が除去するのでは。

 一度放しかけ、握り直し、再びハンドルから右手を放そうとした瞬間、KOGAさんの、

「危ない」

 という警告の鋭い声が。

 最初、僕がこれから行う片手での走行を諫める声だと思った。だが、考えてみればこれまで片手での走行は幾度となくしていた。後続の車の自分のこれからの行動を伝えるための手信号を何回か出して経験が。なのに、何故KOGAさんは危険だと言うのだろうか? 次に浮かんだのは、一応手が届く範囲内にあるとはいえ、少々無理な動作でクリームパンを取ることがバランスを崩す、ひいては転倒に危険性があるという忠告だろうか? 

 違うと思ったのは、KOGAさんの付けたしの言葉があったからではなかった。

 まずは音が聞こえた。車のエンジン音が急接近してきた。

 僕とKOGAさんの横を猛スピードで駆け抜けていく車にはこれまでも何度か遭遇したことがあった。手を伸ばせば触れるような距離をかなりのスピードで通り抜けていく、多少の怖さはあったけど、KOGAさんが鋭い声で僕の警告を出すほどではない。

 何故?

 その答えをKOGAさんに訊く前に判った。

 気配というか、肌で危険というものを感じた。

 そしてそれは間違いではなかった。

 急接近してきた車は僕の横につくと、途端の急減速を、僕とKOGAさんと並走を。しかもギリギリの距離を。

 嫌な予感がした。

 その予感は外れてはくれなかった。

 ブレーキ音をさせ、急激に速度を落とした車は僕の横に。つまり並走を開始。

KOGAさんの真横をピッタリと着けていた。何か一つ、それこそ双方のどちらかがミスをしたとか、路面状況の変化で、大きな事故を引き起こしかねないような状態に。

一トン近い鉄の塊が真横に存在し、なおかつそれが次の瞬間には自分へと向かってくるまもしれない。カーボンの車体と鉄の車体の間隔は数十センチ。普通ならば圧迫感を、恐怖を覚えるような状況であったのだが、この時の僕はどういうわけだかあまり怖くなかった。自分のことなのに、何処か他人事のように感じられた。

というか、見えた。

それなりの速度で走っていたはずなのに、景色がゆっくりと動いているよう気が、眼鏡をかけているから視力は良くないはずなのに、どういうわけだか車のドライバーの挙動が見えたような気がした。

ハンドルが左に切られた。つまり、僕とKOGAさんへと車は接近。

数十センチの間隔が、数センチに狭まった。

「左に行くわよ」

 KOGAさんの声がした。

 と、同時にKOGAさんは左へと舵を。

 道路の左側にはガードレールも、歩道も存在していなかった。もし仮に、そのようなものが存在していたのならばKOGAさんはそんなことは言わなかったであろう。何かしらが存在していたのならば自損事故になってしまうから。

 舗装状態に良い道から外れた。途端に砂利道に。KOGAさんが不安定に。

 咄嗟にコケると。思った瞬間、さっきまでの何とも思っていなかったのに急に恐怖心が僕の中に。

 怖さは身体を強張らせる。ハンドルを強く握りしめる。KOGAさんの挙動がより不安定に。

「私を信じて。大丈夫だから、絶対にコケないから。だから、力を抜いて」

 この言葉が僕の中の恐怖を中和した。硬くなっていた筋肉が少し弛緩した。

 KOGAさんの挙動が安定し始めた。

「脚を止めて、それからゆっくりとブレーキね」

 この言葉に従う。クランクの回転を止める。KOGAさんの速度が落ちていく。頃合いを見計らい、ゆっくり、ジワリと前後のブレーキをかけていく。

 程なく、KOGAさんと僕は安全に砂利道の上で停車した。


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