100キロ 往路へん
当日、目覚ましのタイマーの設定時間よりも大分と早く目が覚めてしまった。これは初めての挑戦に少々興奮気味であり、昨夜なかなか寝付けない、まるで遠足前日の子供のような心境であり、その興奮のようなものは睡眠中にも僕の中から霧散することなく、なお残っており、それが要因で早く目が覚めてしまったのだが、これによって睡眠不足になり、身体が重たく感じてしまう、KOGAさんと100キロを走るにはコンディションが悪い状態かというと、実はそうではなく、睡眠時間自体はいつもよりも少し短いくらいだけど、体調はすこぶる良い、絶好調といっても過言ではないようなものであった。
これに乗じて、すぐさまKOGAさんに乗り、走り出すということはしなかった。
まずは準備を。走り出す前にすべきことを。
朝食を。エネルギーの補充を。
いつもはパン食だが、パスタを茹でてそれを食す。炭水化物はエネルギーに代わりやすい。かつて皇帝と呼ばれたF1パイロットもテスト中やレースウィークに、なにもソースをかけずに食べていたという。流石に素で食するのは味気ないので、たらこパスタにしたけど。
次に、着替え。寝巻のままで走るわけにはいかない。
いつもKOGAさんに乗る時の格好プラス、今回は未知の距離への挑戦ということで普段は穿かないスパッツをストレッチジーンズの下に。これは予想される臀部の痛みの軽減のためであった。KOGAさんに乗り始めてからとくにお尻の痛みはなかったが、ネットで情報を収集すると、ロードバイクで臀部の痛みが尽きものであるというのをよく目にしていた。だからこそ、サイクル用のパンツにはお尻の所にパッドは入っている。ならば、スパッツではなくサイクル用品を使用すればいいのに、そういう商品が世に流布しているのになぜ使用しないのか? どうしてスパッツにしたのか? それはこの時の僕はまだサイクル用のパンツ、レーシングパンツを穿くような勇気がなかったからであった。レーパンの下には何も着用しない、つまりノーパン状態である。この当時の僕はそこまでして走る必要はないと考えていた。それがこの先で考えに変更があるのだが、それはまだほんのちょっとだけ先の話である。
話を戻す。準備が完了してすぐに出発を、ということはしなかった。
出発予定時間は十時前。まだまだ余裕があった。
早く起きたのだから、予定を繰り上げてもと思われる方もいるだろうが、僕が前倒しにして出発しなかったのはとある理由があったからだった。
逸る気持ちを抑えようとするのだが、ソワソワとしてしまい、落ち着かなくて、結局予定の十五分前に玄関へと。
そこでKOGAさんに、
「おはよう」
と、挨拶。
「おはよう。じゃあ、早速だけど私の中をキミので満たしてくれるかな」
という、少々下ネタ気味の発言をあえて無視しつつ、KOGAさんのタイヤにエアを注入。
家を出て東へと走り出す。しばらく走ると線路が見えてくる。それに並走するように走るとこの市の主要駅へと。
駅前を抜け、国道には出ずに、裏通りを。
この通りは、KOGAさんに始めた乗った時の走ったあの旧街道。
つまり、僕が浮かんだルートはまずは旧街道を南下すること。
この選択は正解であったといえる。国道よりも道幅は狭いものの、車の往来はかなり少ない、走りやすい。
走りやすさ、それから若干の追い風に僕はKOGAさんのフロントギアをアウターへとチェンジ、左のシフトレバーとブレーキレバーを同時に内側に押し込もうと指先に力を入れた。
「そんなに焦らないの。まだまだ走り始めたばかりなんだから、最初からとばしちゃうと後半大変になるわよ」
押し込む前のKOGAさんの指摘が。
この指摘はもっともであった。何しろ未知の距離の挑戦するのだ。調子が良いからと言って最初から全力で走るのは。ゆっくりと安全に走る。それにこれはレースではない。仮に100キロ走って、それでも体力有り余っていたとしても何ら問題ではない。
KOGAさんの言葉に従い、もうしばらくインナーギアで。
左手に保育園が。建物の中から園児の元気な声が。
この声を聞き、この時間にして正解であったという思いが。というのも、ここの保育園があることは知っていた。だからこそ通園の時間、つまり送迎の親御さんの車で混むことを予想していた。だが、この予想ももしかしたら外れるかもしれないとも考えていた。学び舎を出てから早十年以上過ぎている、子供もいないし、身近にも存在していない、だからいつごろから休みになるのかという記憶が曖昧であった。春分の日に近いこの日時、学校が、幼稚園が、保育園が休みなのかどうか定かではなかった。それ故に、登校時間からずらして出発したのであった。
旧街道をインナーミドルで。
幾度となくフロントギアをアウターに変えようという誘惑に駆られたけど、それを抑えてしばし走行。
やがて、追分に。ここで旧街道とお別れを。
次に選択したルートは先とは打って変わって失敗であった。道幅が狭いのはさっきまでの旧街道と同じくらいなのだが、平日の昼前というのに交通量が事前に予測してよりもはるかに多い。それだけでも十分に神経を使うのだが、おまけに路面状態がすこぶる良くない。一見舗装し直したようで綺麗に見えた。だが、走ってみると道の凸凹が酷くて、油断すると轍にタイヤを取られて変な方向に行きそうなのをなんとかコントロールしながらKOGAさんを走らせる。
程なくして、この道ともお別れを。
ここから先は工業道路であった。
工場の立ち並ぶ中を走る。こう書くと、危険そう、事実大型車がバンバンと通る道であるのだが、それでもついさっきまでの道とは違い、路面状態は良好で、路側帯も広く、なおかつ人がほとんど歩いていないような歩道もあり、自転車走行が可能な標識も。
やや追い風で走りやすい道。
「入れてもいいわよ」
KOGAさんの誤解を招きかねないような言い回しが終わるか終わらないうちに、僕は押し込む。
フロントギアをアウターに。
脚が重たくなるけど、それが少し快感に。重たいギアを踏みこむ。KOGAさんの速度が上がる。今度はリアメカを操作、右側の変速レバーを内側に。
ペダルに力を込める。KOGAさんの速度が上がる。脚に感じる重たさが少し軽くなる。また変速。サイコンの速度が上がっていく。
52T-15T。サイコンの時速表示が35を少し超えたところで僕は加速するのを止めた。
まだまだ速度を上げることは一応可能ではあったが、まだ全行程の三分の一も過ぎていない。序盤で無理をしてしまうのは。それとブレーキの問題も。KOGAさんについているコンポはティアグラ。街乗りには十分だけどレースにはあまり向いていないもの。そのブレーキでレースに近いような速度で走る。万が一、何かしらの不測の事態に見舞われた時に上手くブレーキを制御してKOGAさんを無事に停まらせることができるような自信はない。だから全力で漕ぐということはせずに、余裕を持った走りを。
約3キロ程の直線。途中信号がいくつかあったけど、そのほとんどに引っかかることなく走ることができた。
直線の最後は橋だった。
ここでフロントギアをインナーにして、ついでリアのギアも少し軽く。
橋を越えると緩やかな右カーブ。そして景色が一変。一面の田畑に。
その間をややのんびりと。ちょっと頑張りすぎた筋肉をクールダウン。
すると、目的地のコンビニが見えてきた。




