初乗へん 4
旧街道を2キロ程、軽やかに進む、想定していたよりも断然車の量は少なく、走りやすかった。
信号で停止。
交差点を、高架下を超えると、途端に道幅が狭くなった。
そして運が悪いことに、横を通る車の数も増えた。
ついさっきまでは順調だったのに、いきなりコントロールが難しくなったような気が。
別に何とも思わなかったのに、ハンドルが急に遠くなったような気が。
重心がズレた、バランスが崩れたみたいに真っ直ぐに走らせるのが困難に。
遠いと感じるハンドルを必死に掴み、できるだけ真っ直ぐに、ふらつかないように、後ろから迫ってくる車にぶつからないに、迷惑をかけないように前だけを見て、というか前しか見る余裕がない状態で、KOGAさんを走らせた。
その間、KOGAさんが僕に何か話しかけてくれているような気もしたが、そこに耳を貸すような余裕は、この時の僕にはなかった。
ようやく狭い道が終わった。
これで一安心かもと思いきや、今度は大きな橋へと差し掛かる。
橋には歩道があり、自転車走行可能の標識があり、そして広かった。
無理せずに歩道走行を。
しかし、見えない敵が僕に襲い掛かってきた。
風。
北西の方角。川上から吹きつけてくる横風が、僕とKOGAさんを車道側へと、ガードレールへと押し付けつけようとしてきた。
この季節の風は、颪と呼ばれており非常に厄介であった。
さっきまでは旧街道で軒に家が立ち並んでいたので風の影響はほとんどなかったけど、橋の上では遮るものがなにもなく、強い風が無慈悲に僕とKOGAさんに襲い掛かってきた。
今から思えば、あの時の風はまあ強かったけどそれでも走らせるのが難しいというのものではなかった。その後幾度なく横風で苦しめられ、怖い経験をした。それに比べれば何ということはない風速である。
けれど、当時の僕には困難であったことには間違いなかった。
「無理しなくても構わないわよ、降りて押してもいいわよ」
そんな僕にKOGAさんのアドバイスが
今度はKOGAさんの言葉を聞くだけの精神的余裕のようなものがあった。
この言葉に素直に従う。
無理を通して、我を貫いて、横風に流されてガードレールに激突するという失態は避けたい。そんなことになったらKOGAさんが壊れてしまうかもしれない。
KOGAさんから降り、押して歩く。
橋を越え、再びKOGAさんに乗車。
また道沿いには家が立ち並んでいたので、風の影響も少ない。
そんな中を軽いギアで走った。
程なくて、僕が提案した農道に到着した。
到着してすぐに僕は後悔をした。自分で提案しこの選択を。
農道は広く、そして車の姿は皆無であった。一見走りやすそうなのだが、見渡す限りの田畑、風がまともに吹き付けてきた。
そしてそれだけではなく、最近田起こしでもしたのだろうか、至る所に乾いた泥の塊が。
ロードバイクではなくマウンテンバイクで走る方が相応しい状況であった。
そんな場所でアウターギアを初体験するなんて。重たいギアを踏むということは速度が出るということ。インナーギアの低速走行でも横風の状況下では真っ直ぐ、思ったようにKOGAさんを走らせることができなかったのに、速度を上げればそれはなおさら困難に。さらには路面状況も悪い。
それに向かい風で重たいギアを踏むのは大変そうだ。
……そうだ、追い風の時にだけアウターギアを使えばいいんだ。そしてそれ以外は軽いギアでゆっくりと安全に走れば。
よし、そうしよう、そう考えた。そして風上に移動しようとした。
そんな僕にKOGAさんが、
「それじゃギアをアウターに入れてみようか」
と、軽い口調で注文を。
「あの、風上に移動してからアウターに入れようと思っているんですが」
「いま、ここで入れて」
「でも、それじゃスピードは出ませんよ」
「いいから、いいから」
風上に向かってKOGAさんを走らせた。ペダルを回すけど全然進まない。そんな中で左手のシフトをブレーキレバーと一緒に内側へと押し込む。
少し抵抗を感じ、そしてほんの少し遅れてガチャンという音が。ギアがアウターへと変わった合図だった。
重たくなった。
同時に、ペダルの回転が遅くなり、速度も落ちた。
「これじゃアウターに変えた意味はないんじゃ」
「いいの、これで。速度を出すのが目的じゃないいから」
「……それはどういう意味ですか?」
重たくなったペダルを無理やり踏みながら質問を。
しかし、KOGAさんからは質問への返答はなかった。代わりに、
「アウタートップにしてね」
と、さらに注文が。アウタートップとは一番重たいギア。
最初に踏んだ、というか回した一番軽い状態がギア比1.56、これを一番重たい状態、アウタートップにすると4.73。その差三倍以上。
KOGAさんの意図が全然分からない。けれど、僕はそれに従うことに。
ペダルを回しながら右手のシフトを何度か押し込み、リアギアを一番外側へとしようとするがそこまでたどり着けない。
「下を見ない、前を、なるべく遠くを見てゆっくり走るのよ。あ、でも踏み込んだら駄目よ」
僕の頭の中にKOGAさんの声が飛ぶ。
言われたとおりにしようとするけど、上手くできない。重たいからどうしても力で踏み込んでしまおうとしてしまうし、遠くを見れない、真っ直ぐに走らせることができない、蛇行になってしまう。
それでも、なんとか農道の端まで。ただ言われた通りにはできなかった。まだギアは余っていた。
「それじゃ、もう一回。今度は追い風だからギアを一番重くできるはず。それでまた端まで行ったらアウタートップのままで戻ってくる」
「……あの、これに何の意味があるんですか?」
今度は向かい風になるから重たいギアは有効になるとは思うけど、折り返すのでは無意味になってしまうのでは。
「練習。重たいギアを踏むための筋力アップと、体幹、それとペダリングの。無理に押し込むのではなく、無駄のない効率の良い踏み方をするための」
もしかしたらKOGAさんが僕を虐めるために、無理難題を押し付けているのではと、頭の片隅でふと思ってしまったけど、それは全くの杞憂であった。KOGAさんは僕のことを考えてくれていたのである。
それを少し嬉しく思いながら、KOGAさんを走らせた。
何往復も。
その間、ドロップハンドルの持ち方を色々と変えながら。
ロードバイクは、ドロップハンドルの持ち方によって使う筋肉が変わる……らしい。これをうまく使いこなせば疲労が軽減するというが、この日の体感ではそれはよく分からなかった。
ただ憶えているのは、下ハンを握った時、すごく低く感じ、視界も同時に低くなり、低速での走行だというのに、ちょっとだけ怖かったということ。




