第5話 かなめさんのスマートフォン
職場でかなめさんのことを調べてはみたものの、名前や生年月日、住所以外の残念ながらめぼしい情報は見つからず、かなめさんに対する行方不明届も出ていなかった。
一応、アパートの近隣住所で名前の登録があったころから、何らかの事件に巻き込まれている恐れが懸念され、上司からはとりあえず彼女の動向と周囲に注意する様に伝えられた。
「そうは言ってもなぁ…」
「どうしたんですか隆太さん?」
区役所へと向かう途中、心の声が隣を歩いていたかなめさんに聞かれてしまった。
「い、いえ、何でもありませんよ」
「そうですか。とても難しい顔をしていたので…」
どうやら、顔に出ていたらしい。子どものころに反論することを許されなかったせいか、自分の意思を表情で訴えかける癖がついているのは、よく言われていた。気をつけてはいたが、ふとした拍子で悪い癖が出てしまった。
「悩みがあったらいつでも聞きます。だから、一人で抱え込まないでくださいね」
そう言って笑顔を見せてくれたかなめさん。
かなめさんは不思議な力を持っている。こうして頭の中がごちゃごちゃとしている時、かなめさんに声を掛けてもらうだけで、どういうわけかスッキリとする。言葉では説明するのが難しいが、気持ちが楽になると言った方が分かりやすいだろうか。
おそらく、この感覚は演技では感じない。かなめさんが元から持っている不思議な力なのだろう。
そうこうしている内に、区内にある役所へと到着した。
「着きました。とりあえず、住民票の写しを貰って住基カードを作ってもらいましょう」
「じゅうき、かーど?」
「住民基本台帳カードです。そして、住所変更を済ませる流れです」
「あ、あの、隆太さん。私、自分の身分を証明するもの、持ってないんです」
「その点に関しては自分が説明します。自分はその後席を外しますので、かなめさんが職員さんに事情と過去について説明してください」
先に事情を説明すれば、大方役所は理解を示してくれる。後は、住民票の閲覧制限を掛けて貰えば、新しい住所に足がつく事はない。
役所の中へ入ると、中の人の視線が集まる。かなめさんの金色の髪と青い目は、やはり珍しいのだろう。
フロアで巡回していた職員さんが声を掛けてきてくれた。
「おはようございます。本日はどの様なご用件でしょうか?」
「今度、彼女と同居する事になったので、住所変更をお願いしたくて。あと、閲覧制限も」
そう言って、俺は自分の免許証とうちの会社で発行された健康保険証を職員さんに手渡す。それを見た職員さんは事情を察してくれたのか、俺たちを別室へと案内してくれた。
「お待たせしました」
「すみません、わざわざ別室をご用意していただいて。」
「いえ、とんでもありません。事情はよく分かりました。彼女さんからお話を書きますので、彼氏さんは少し席を外していただけますでしょうか」
「はい、外で待っています」
彼氏じゃないんだけど、と思いつつ別室の外で待つ事数十分、かなめさんが俺のことを呼んでくれたので中に入った。
「彼女さんからお話をお伺いしました。こちらで住基カードを再発行し、住所変更も行わせていただきます。あと、制限の方も」
「はい。お願いします」
「では、待合でしばらくお待ちください」
どうやら、説明が上手くいったらしく、職員さんが手続きを進めてくれた。俺はかなめさんがどんな説明をしたかは分からない。かなめさんはこちらを見てにっこりと微笑む。
「上手くいった様で良かったです」
「いえ、その。ごめんなさい」
「え、何で謝るんですか?」
「私、あの人に対しての説明ではちゃんとお話できたんですけど、実は、それはまだ隆太さんにお話しできていない内容なんです。隆太さんに話さず、こんな時だけ都合よく話す自分がわがままだと…」
「いいんですよ」
「えっ?」
「心の整理が付いてからで。自分はかなめさんの過去をあれこれ詮索する気もありませんし。何より、かなめさんが話したくない様な話をするより、笑える話をする方が好きですから」
「でも、いつかは隆太さんに…」
最後は小声で呟いていたので聞こえなかったが、かなめさんはそれ以上なにも言わなかった。
しばらくして事前に手渡されていた番号札の番号が読み上げられ、かなめさんは住基カードを受け取る。免許証やマイナンバーに比べて身分証としての信用は少し低いが、何もないよりマシだ。
「えっと、渡瀬さん。御堂さんの住民票についてはこちらで制限を掛けさせてもらいました。理由はあれでよろしかったですね」
「はい、そうです」
「分かりました。そちらから必要書類を持参されると開示に応じる場合もありますが、ひとまずはこれで大丈夫と思います」
「ありがとうございました。もし何かあれば、ご連絡させていただきます」
「分かりました。それではお気をつけてお帰りください」
区役所を出た俺とかなめさんは、その足で近くの携帯ショップへと向かう。かなめさん用のスマートフォンを1台契約するためだ。
「こ、これが全部携帯電話なんですか?」
携帯ショップに並んでいる多種多様な携帯電話を見て、興奮しショーケースの中をかじり付くように見るかなめさん。
「いらっしゃいませ。ご用件は何でしょうか?」
「この方に新しく携帯電話を契約して貰いたくて」
「では、新規プランの説明をします。その後に機種を選んでください」
「だそうです、かなめさん。かなめさん?」
かなめさんは展示用に設置されていたスマートフォンを夢中で操作していた。
「かなめさん、かなめさん!」
「あ、はっ、はいっ!?」
契約の説明が終わり、かなめさんが手にとったのは俺と同じ機種のスマートフォン。それを大事に抱えて携帯ショップを出たかなめさんが、不意に見つめてきた。
「あ、あの隆太さん。良かったら、その、私の電話番号を登録してもらえますか」
「自分の番号ですか。えぇ、もちろんです」
慣れない手つきで番号を登録したかなめさん。
「ありがとう、隆太さん」
そう言って嬉しそうに微笑む。
俺とかなめさんの距離が、少しだけ近づいた様な気がした。