第1話 かなめさんと迎えた朝
美味しそうな匂いにつられて、休日の朝に目を覚ます。ボヤける目を手の甲で擦りながら時計を見ると、時刻は午前8時。休日の朝にしては少し起きるのが早い気がした。
ベッドの方を見ると、布団がきれいに畳まれていた。
”御堂さん?”
身体を起こすと、エプロン姿の女性が台所で何か作業しているのに気付く。金色の髪を後頭部で結び、ポニーテールにした御堂さんだった。
「御堂さん」
「あっ、渡瀬さん。おはようございます」
笑顔で振り返った御堂さんの姿は、金色の髪も相まって、まさに天使の様だった。
「すみません渡瀬さん。キッチンと冷蔵庫の食材を勝手に拝借させてもらいました」
「別に構いませんけど、何をしていたんですか?」
「実は、朝ごはんを作っていました」
そうしてテーブルに並べられたのは、ごく普通の朝ごはん。昨日の晩に予約炊飯で炊いていたご飯をお茶碗に盛り付けると、目玉焼きにソーセージ、お味噌汁といった定番メニューが食卓に並んだ。
何故だろうか、普通のメニューなのに見るだけで食欲が湧いてくる。
「泊めていただいたお礼です。味は自信ありませんが…」
「では、いただきます」
それにしても、こうして普通の朝食を食べるのはいつ頃以来なのだろうか。
ズボラな性格のせいで食事はほとんどコンビニか、買ってきたおかずを炊いた白米で食べるくらいだった。コンビニに行く気力のない日は、カップ麺だけで1日を過ごすこともある。
そんな普通の朝食は、見た目も良ければ味も素直に美味しかった。想像していた以上の味に、思わず頬を緩めてしまう。
「ど、どうでしょうか?」
「こんな美味しいご飯、久しぶりに食べた気がします」
「本当ですか、良かった!」
御堂さんは両手を組んで笑顔になる。まだ少し顔のアザが痛々しいが、それを感じさせないほど笑顔が美しい人だ。
不思議だ。
こんな人が、何故俺に匿って欲しいと言ってきたのだろうか。そんなことを考えると、どうしてもその事情が気になってしまう。
「あの、かなめさん」
「はっ、はい。なんでしょうか?」
「自分で良かったら、何があったのかお話を聞きます」
しかし、その話題になるとかなめさんの表情は暗くなる。その悲しげな表情を見てしまった俺は、それ以上詮索しないことを決めた。
「や、やっぱり話さないと、ダメでしょうか?」
「いえ、何というか。御堂さんを見ていると、小さい頃の自分自身に見えてしまって…」
「え…」
「自分は、子どもの頃に親からずっと虐待されていたんです」
俺は、子どもの頃に受けた親からの虐待について、御堂さんに全て曝け出す。今となっては、よく近所から虐待の通報がなかったと思う。元々、父が近所でも強面で有名だったせいか、誰も面倒ごとに首を突っ込もうとしなかったのだろう。
現実とは非情なものだ。
しかし、そのおかげで俺は父を反面教師に、自分の人格形成に勤しんで今があるわけだが。
「そうだったんですね…」
「俺の過去のことですし、事情を知らないかなめさんにはお節介でしたね…」
「いえ、そんなこと。渡瀬さんの過去の事を知ることができましたし、何よりこんな私を心配してくれたのは、その…」
御堂さんは身体をもじもじさせる。
「すごく嬉しかったです…」
そう言いながら、両手の人差し指同士をつんつん合わせる御堂さんに、俺の心は見事に落とされてしまった。
これが一目惚れ、というものなのだろうか。
「これからどうするんですか、御堂さん?」
すると、御堂さんは俯いてしまう。気のせいか、身体が少し震えている様にも感じた。
「そ、そうですよね。これ以上、渡瀬さんに迷惑かけられませんし…」
「もし行くとこなかったら、行くところが見つかるまでうちにいませんか?」
「へっ?」
「今流行りのシェアってやつです。一人より二人の方が何かと楽しいですし、御堂さんがもし迷惑じゃなければ」
流石に他人の男と部屋をシェアするのは断るだろう、そう考えていた。すると意外にも、御堂さんはその提案に乗り気だった。
「邪魔になりませんか…?」
「邪魔なんかじゃありませんよ。むしろ、御堂さんは初対面相手でも、朝ご飯作ってくれる優しい人ですし、こうして一緒にいると楽しいですよ」
すると、御堂さんは両手で顔を隠す。手の隙間から見える顔は、ほんのり赤くなっていた。
「うちの仕事は夜勤もありますし、毎日という訳にはいきませんが、これから一緒にご飯作ったりしませんか?」
「え、えっと…その、渡瀬さんが良ければ…」
「じゃあ決まりですね。今日からお願いします、御堂さん!」
俺がそう言うと、御堂さんは両手を握ってきた。
「あ、あの。私の事は御堂じゃなくて、その、かなめと呼んでください…」
「わ、分かりました。じゃあ、自分も隆太で結構です。よろしくお願いします、かなめさん」
「はい!」
こうして、全く素性の知らないかなめさんと同居することになった訳だが、まあ問題は色々あるわけで。
「あ、部長。おはようございます、渡瀬です」
『んだよ、休日の朝っぱらから』
電話の相手は、休日の朝に電話され明らかに不機嫌そうな上司の唐津部長だった。
「実は、急遽同居することになりまして…」
『同居?誰と?』
「女性です」
すると、少し間を置いて怒声が飛んできた。
『あのな!そういう事はな!事前に相談するものなんだ!分かってんのか!?』
「すみません。なにぶん、急遽決まったことで…」
『お前、俺の下についたとき教えたろ!ホウレンソウ!報告、連絡、相談!』
「それで、朝早く失礼だと思いましたが今連絡を…」
『すでに同居してるんだろうが!遅いわ!』
「申し訳ありませんでした」
『ったく、次から気をつけろよ。今回はお咎めなしにしてやる。明日、出勤したら詳しく聞く』
何だかんだ言って、部長は隠し事さえしなければ許容してくれる。
部長の納得した言葉の後、通話を切って前を向くと、かなめさんが涙目になりながらこちらを見てきた。
「あ、あの、かなめさん?」
「す、すみません、わたっ、私のせいですよね…」
どうやら、電話の内容が漏れ聞こえていたらしい。
「あ、いや、大丈夫ですよ?結構怒鳴られましたけど、オーケーみたいですし」
「ぐすっ、ほ、本当ですかぁ?」
泣き顔になるかなめさんも可愛い。
「大丈夫ですって、上司の許可も取れましたし、今日からここに住んでください」
俺がそう言うと、かなめさんの顔が一気に明るくなった。
「せっかくの休日ですし、少し外に出掛けましょう」
「えっ?」
「良かったら、近くのデパートにでも服を見に行きませんか。それ1着だと、不便だと思いますし」
流石に、ずっと俺の服を着てもらうのも申し訳ない。ちょうどこの前に入ったボーナスにも手をつけていない。
「で、でも、お金が…」
「帰りにスイーツでもどうですか?」
その瞬間、困り顔だったかなめさんの表情が笑顔に変わった。