第0話 かなめさんとの出会い
「私を匿ってください!」
それが、渡瀬隆太(俺)と、訳ありのかなめさんが同居することになったきっかけの一言だった。
◇
成人式から3度目の春。
大学を中退し、ようやく公務員として就職した俺は、これまでの奨学金や諸々の返済を終え、ある程度貯金が貯まったのを機にアパートへと引っ越す事にした。
5階建ての3階、301号室。角部屋で日当たりも良く、月7万円の家賃(内3万円は職場からの住宅補助)、敷地内駐車場ありの良物件だった。
この辺りは大学や高校が多い学生街のためか、比較的治安も良く交通の便も良い。何より、自分が満喫出来なかったキャンパスライフを楽しむ彼らを見ていると、気が滅入ることもない。
『おす、隆太。元気にやってる?』
「ぼちぼちかな、そっちはどう?」
雨の降る夜、煙草片手にベランダにもたれかかり、久しぶりに学生時代の親友、夏樹と連絡を取っていた。
夏樹は東京に住んでおり、1から運送業の会社を設立していた。学生時代に少しやんちゃしていた夏樹が、会社を立ち上げるまでになっているのは驚いた。
『前の会社の頃から業績上げててさ、同僚から独立して会社作ってくれないかって頼まれたんだ』
「凄いな、ノウハウあっても会社設立なんて、俺にはそんな勇気これっぽっちもないからなぁ」
『俺も最初はびびったよ。今では下っ端でも月40万は貰えるくらいおっきな会社になったんだ』
「よし、退職後は雇ってくれよ」
『ははっ、任せとけって。東京に来た時は、またあの時みたいに酒でも飲もうぜ』
「おうよ。また連絡する、仕事頑張れよ」
『そっちもな、んじゃな』
「おう」
通話終了ボタンを押し通話を終えた後部屋に戻り、スマートフォンをベッドに放り投げる。放り投げたスマートフォンがマットレスの反動で飛び跳ねる。
「みんな、楽しそうだな…」
話を聞けば、学生時代の友人たちは様々な世界で活躍しているそうだ。
スポーツ、アーティスト、大企業。中にはクラスのひょうきん者に至っては芸人になったと言う奴もいた。
中には結婚して幸せな家庭を築いている奴もいる。
それに比べて、俺はどうだ。
スポーツ推薦の大学を挫折して中退、とりあえず公務員にはなったものの、幹部に昇進しなければ給料も上がらないし、仕事柄世間から厳しい目で見られる毎日だ。
子供のころに親から虐待を受けてきたせいで、中々ものを言えない性格な上、異性との付き合い方が分からずに、仮に付き合えたとしても長続きしない。
出会いもなく、合コンも連敗中。
”漫画みたいに、幼馴染みと付き合いたいなぁ”
生憎、初恋相手の幼馴染みは私立中学に進学して以降は、連絡を取り合ったりなどしていない。友人経由で連絡することは可能だが、ほぼ音信不通と言える。
部屋に置いているバランスボールで背中を伸ばしながら、そんな事を考えていた。憂さ晴らしにもう一本煙草を吸おうとした時だった。
ピンポーン…。
滅多に鳴ることのないインターホンが押下される。ふと壁の掛け時計を見ると、時刻は夜の11時。
宅配ではないとすれば、一体こんな時間に誰か何の用なのだろうか。
面倒を避けたかったのでしばらく無視していたが、それでも間を置いて再びインターホンが鳴る。
「ったく、誰だよこんな時間に…」
時間も時間だ。
一応、念のために玄関に置いていた木製バットの位置を確認しながら、内鍵をつけた状態で扉を開ける。
「えっ?」
そこに立っていたのは、雨に濡れ、びしょびしょになった女性。金髪が特に印象的な、美人な人だった。
しかし、俺はこの女性を知らない。
なによりも一番目についたのが、体中に出来た真新しいアザや傷跡。その上、少し痩せているように感じた。
女性は俺を見つめる。何も言わなかったので、俺から意を決して話しかける。
「あの、どちらさん?」
「私を匿ってください!」
「え…?」
唐突すぎる答え。
一瞬どうして良いか分からず困惑する。
「今晩だけでも良いんです。お願いします」
「あ、あの。ちょっと落ち着いて、とりあえず人目につくから中に入ってくれませんか?」
俺は女性を部屋に招き、とりあえず濡れた身体を拭いてもらうためにバスタオルを手渡した。
コーヒーメーカーで温かいコーヒーを煎れ、自分と女性の分をテーブルに置く。
「砂糖とミルクはどうします?」
「ミルクがあれば…」
冷蔵庫から余っていたクリープを取り出し、女性のコーヒーに入れる。
身体の傷以外、身なりは普通。
この女性が俺の部屋にやってきた理由がいまいちよく分からない。
「あの、どうしてここに?」
「ベランダで煙草を吸っているのが見えて、もしかしたら入れてくれるかなって…」
「何があったんですか?」
すると女性は、ふるふると顔を横に振る。
「ごめんなさい。言えないんです…」
「こんな時間にずぶ濡れになって、他人の家に泊まらせてくれって言うくらいだから、おおよそ何があった検討つきますけど…」
俺はそう言って、部屋干ししていた仕事用の制服を指差す。それを見た女性はあからさまに動揺し始める。
「あ、あの…。私のことは誰にも言わないでください…」
「別に言いませんよ」
「えっ…?」
「別にこれ以上は理由も聞きません、言いたくないのでしょう。一晩泊まるだけなら構いません。自分は渡瀬隆太、あなたの名前は?」
「み、御堂、かなめです」
「御堂かなめさんですね。お湯は抜いてしまったのでシャワーでも浴びてきてください。濡れたままでは風邪引きますし、服は適当なものを準備しておきます。洗面室の洗濯機を使ってください」
「あ、あの!」
立ち上がった御堂さんは、俺に深々と頭を下げてきた。
「あ、ありがとうございます!」
「気にする必要はありませんよ。冷めないうちにコーヒーだけでも先に飲んでください」
コーヒーを飲んだ御堂さんは、案内した浴室に入っていく。後々余計な事を言われないように鍵を閉めるように伝え、寝巻きに使えそうな服を衣装ケースから取り出す。
「何も持ってなかったよな…」
素性は後々調べるとして、御堂さんは財布や携帯はおろか、荷物と呼べるような物は一切持っていなかった。という事は、もちろん替えの下着も持っていないだろう。
当たり前だが、女性物の下着は持っていない。
洗濯して乾くまでの間、気を使わせないように厚手のパーカーとスウェットを用意する。
しばらくしてシャワーの音が止み、浴室から御堂さんの声が聞こえる。
「あ、あの。申し訳ないのですが、替えの服を貸していただけませんか?」
「扉の前に置いておきました、良ければ使ってください」
すると鍵が開き、少しだけ扉が開く。扉の前に置いていた服を細い手が服を掴むと、再び扉が閉まる。
「ふ、服を貸していただいて、ありがとうございます…」
しばらくして、洗濯機の音と共に浴室から御堂さんが出てくる。御堂さんは俺の用意したパーカーとスウェットを着ており、サイズも少し大きいが紐で縛っているのでズレる心配もなかった。
その下には下着を着けていないだろう。不覚にも御堂さんの引き締まったその身体を、頭の中で少しだけ想像してしまった。
「お腹減っていませんか?」
「あっ、いえ。お気になさらず…」
そう言って椅子に座る御堂さんだったが、おかわりのコーヒーを飲んでいる最中、何度かお腹を鳴らしていた。
”そういえば、カレー残ってたな…”
俺は作り置きしていたカレーライスを冷蔵庫から取り出し、レンジで温める。ラップを外した時に漂うカレーの香りに、御堂さんは目を輝かせていた。
「余り物ですが、よかったらどうぞ」
「い、良いんですか?」
「コーヒーばかりじゃお腹は膨れませんし。どうぞ」
すると、御堂さんはスプーンを手にしてカレーライスを食べ始める。なぜか、涙を流しながら。
「お、美味しいです…」
心の中で“インスタントなんだが…”と思いつつ、カレーライスを食べる御堂さんを対面で眺めていた。
御堂さんがカレーライスを食べ終えた後、タライに溜めた水に食器をつける。俺はまずソファーに横になり、タオルケットを被る。
「あの、洗面台の引き出しに新品の歯ブラシがあるので使ってください。寝るならそこのベッドで寝てください」
「あ、いえ。私がソファーで寝ますので…」
「僕の方が椅子とかで寝るのが慣れてますから、遠慮しないでください」
「でも…」
「私は明日休みなので、起きるのが遅くなります。もし帰るときに寝ていたら、着替えた服を分かりやすい所に置いててください」
俺は御堂さんにそう言ったあと、ゆっくりと目を瞑った。
「おやすみなさい、御堂さん」
これが、俺と御堂さんの出会った雨の日のこと。
「おやすみなさいです。渡瀬さん」
そして、これから始まるかなめさんとの同居生活の始まりの日だった。