九話
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俺達は早速クエストへ出かけた。
「今回の依頼は、シタギドロトカゲでしたね」
「うむ! どうやら、始まりの街に潜んでいるらしい。日夜、女性の下着を狙う不届きな魔物である!」
メリルの言った通り、シタギドロトカゲは人間の住む地域に生息する魔物だ。下着を盗むということ以外、基本的には無害な魔物なので街に潜んでいても討伐が後回しにされたりする。故に、新人冒険者向けのクエストとして斡旋されることが多い。
「まさか、ギルドからこの依頼が回されるとは思いませんでした。職員の方々からは、何やら睨まれていた気がしましたし……。お二人は何をやらかしたのですか?」
と、新しく『アルティメットワン』に加入したメンバーのイシスが、俺とメリルに訝しげな視線を向ける。
いや、さすがに何かやらかした記憶はないんだよなあ……。最近だと、ビッグスカンクの臭いをギルドの中に撒き散らしたくらいで。
あ、それか。
俺は気付いたが、メリルの方が気付いていない様子で。
「余は何もしておらんぞ? 余は問題など起こしたことはないのだからな!」
こともあろうに、そんなことをのたまった。
この女、基本的に自分が悪いとか微塵も考えないからなあ……。
「はあ……そうですか。では、早速シタギドロトカゲを探しましょうか」
「うむ。目撃情報によれば、件の魔物は女のマッスル亭なる宿屋に、よく現れるそうだ」
「宿屋ですか。お客さんの下着が盗まれでもしたら、被害を被るのは被害者だけではありません。一刻も早く、解決しましょう」
メリルとイシスの会話を聞いた俺は、首を傾げた。
女のマッスル亭だあ? それって俺がバイトしてるオカマ――げふんげふん。宿屋の名前だ。どうして、あんな物好きしか集まらないところにシタギドロトカゲなんか出てくるのだろうか。
そんなことを考えながら、二人の後に付いて件の現場まで足を運ぶ。やはり、俺のバイト先で間違いないようだ。
「ふむ、一見普通の宿屋のようだな」
「シタギドロトカゲは女性の下着を好んで盗みますからね。女性客が多いのでしょうか?」
「聞いたことはないが――」
「悪い。ちょっといいか?」
俺は二人の話題が膨らんでいく前に、会話に割って入った。
「どうしたのだ?」
「ああ、いや……。まあ、実はこの宿屋。俺が冒険者稼業の合間にバイトしてるところなんだ」
「ほう? そうなのか」
「では、シタギドロトカゲについて何か知っているのですか?」
「いや、悪いが聞いたことねえな」
いや、まあ、普段仕事中にダラけてるから気づかなかっただけかもしれないけど。
「とにかく、最初に俺が話を通すから。二人は……あれだ。店の中に入っても驚くなよ?」
俺がそう言うと、二人は怪訝そうに首を傾げる。
「普通の宿屋なのだろう?」
「驚くなというのは……どういう?」
「まあ……。うん。良い奴らではあるんだよ。良い奴らでは……」
俺はそう呟きながら、先陣を切って宿屋に入る。すると、早速筋肉隆々とした厳つい体格をしたお兄さんが登場した。この宿屋の従業員で、勿論顔見知りだった。
「いらっしゃいませ〜。って、あら? あらあら? アッシュちゃんじゃなあい? 今日はバイトの日だったかしらん?」
従業員のお兄さんは、頬に手を当てて腰をくねらせている。ぶっちゃけ、動きが気持ち悪い。
後ろにいる二人を尻目で一瞥してみたが、案の定ドン引きしている。ですよねえ〜……。
「ええっとだな……。今日は冒険者の仕事で来たんだよ。聞いた話によると、ここらでシタギドロトカゲが出たって」
「まあ? そうなの? ちょっと待っててね〜。今、店長を呼んでくるわ!」
「お、おう……さんきゅ」
「んもう……あたしとアッシュちゃんの付き合いじゃないのお〜。いいのよ、別に〜」
そう言ってお兄さんは、店の裏へと引っ込んで行った。
「ふむ……アッシュはもしやそういう趣味が――」
「ちっげえよ! そんなわけないだろ!? ちょ……ち、違うぞ? 違いますよ! おい、その疑わしい目をやめろ!」
メリルは胡散臭そうにしている分、まだ信用してくれているらしい。しかし、今日出会ったばかりのイシスは、もはや俺と目を合わせようとはしていなかった。それどころか、
「まあ……趣味は人それぞれですからね」
「だから、違うよ!?」
それから数分後、店主が来るまでには何とか誤解を解くことに成功したが。俺のライフがごっそりと削られた。
店主が来てすぐに、俺はここへ来た用件を話した。
「なるほど……それで来たのね」
「ああ。何か知らないか?」
「うーん……。確かに、ここら辺で目撃情報が多いわねえ。私も、お客さんから聞いたわ。でも、ほら……うちの宿屋って、女の人来ないでしょ? だから、被害に受けたとか、そういうのは無いのよねえー」
「まあ、そうだよな……」
働いてる俺も知らないのだ。なら、店主も知らないだろう。そう考えて踵を返し、二人に声をかけようと――。
「きゃああああ!? ま、魔物よおおお! 魔物が現れたわ!」
「え」
野太い悲鳴が店内に轟いた。店内にいた従業員、客が一斉に声のした方向へ目を向ける。と、そこには――従業員のお兄さんと対峙するように立つシタギドロトカゲの姿が!?
「ぬおっ!? あ、あの気味の悪いギョロ目はまさしくシタギドロトカゲ! あっさりと見つけたな!」
「見つけたというより、向こうから出てきた感じですが……。しかし、好都合です。ここで討伐しましょう」
メリルとイシスが武器を構える。それを俺は慌てて制す。
「ちょ……ここで暴れて店の物壊したらやばいだろ! まずは客の避難が先だ」
「おお? アッシュにしては、まともなことを……何だか気に入らんぞ!」
「はあ? 俺はいつでもまともだろーが……。まあ、口だけでもこう言っておけば、あとでいくらでも責任転換できるからな」
「平常運転で安心だ!」
うるさいよ、メリル。
俺達の会話を聞いて、メリルの傍らに立っていたイシスが、俺に蔑むような目を向けてきているが気にしないことにした。
「おら! シタギドロトカゲは俺達に任せて、下がれ!」
「分かったわ!」
店主は従業員と協力して、客の避難誘導を始まる。しかし、相手がシタギドロトカゲだからか、客は面白半分に見物したりしている。いや、そりゃあ、危険度は低いけども。
「っ……アッシュさん!」
「おおっ!?」
と、俺の注意が別のところへ向けられていた隙に、シタギドロトカゲは成人男性の半分くらいしかない小さな体で、身軽に店内を跳び回る。そして、俺達を混乱させると、次の瞬間――メリルから悲鳴が聞こえた。
「あ……ッ――!?」
そんな声にならない悲鳴だったが、メリルは外套の上から胸元を抑え、顔を真っ赤にして縮こまってしまった。
おい、まさか……?
「メリル……あの一瞬で、トカゲに下着盗られたのか?」
遠慮がちに聞くと、メリルは涙目でこくこくと頷く。
何て早業!? などと感心していると、
「きゃあああ!? 私のブラジャーがあ!?」
「あ!? あたいのブラも!?」
と、店内で避難誘導をしていた従業員達が、次々と悲鳴を上げ出す。見ると、店内を跳び回っていたシタギドロトカゲの体には、ここの従業員のものと思われるサイズの大きな下着が沢山巻かれている。
「あいつ……見境いないな……」
あの魔物、女性下着だけじゃなくて、オカマの下着でもいける口なのか……。とはいえ、俺や男性客の下着は奪いに来ないところを見ると、やはり女性下着をメインに狙っているようだ。いや、奪われた下着はメリルのもの以外、全部オカマのなんだけど……。
「くっ……これ以上はさせません! アッシュさん!」
イシスはこの状況を看過できないのか、女性だというのに率先して前へと出る。そして、徐にトカゲの前で両手を広げた。まるで、自分の下着を奪えと言っているようなものだ。
「お、おい! そんなことしたら、お前の下着が」
「いいんです! 魔物が私の下着を奪っている間に、アッシュさんが魔物を捕まえてください!」
「ええ……あいつ、動き早いしいー」
「敏捷極振りなんですよね!?」
いや、まあそうなんですけど……。
そうこうしている間にも、シタギドロトカゲはイシスに的を絞ったようで、身に纏った下着達と共に、イシスに向かって突進。そのまま、イシスの下着を奪うかと思いきや――シタギドロトカゲは、無防備なイシスを無視し、出入り口から店外へと逃げ出してしまった。
戸惑うイシス。
「あ、あれ……? な、なぜ……」
「…………」
不思議に首を傾げているイシスだが、俺は気付いてしまった。恐らく、あの魔物の目にはイシスが女に映らなかったのではなかろうか。
シタギドロトカゲが奪っているものは、ブラジャーだけだ。メリルは未成熟ながらも膨らみはあるし、ここの従業員はオカマだけどバストはある。それを女性の胸部と同列視していいかは別として、そこはシタギドロトカゲの許容範囲内だったのだろう。トカゲは彼らのブラジャーも奪っていった。
では、なぜイシスのは奪わなかったのかと言うと――。
「あんまりにも断崖絶壁だから女として識別されなかったんらだろうなぶべらっ!?」
思ったことをそのまま口にしたら、イシスが遠慮なく俺の頬を拳で撃ち抜いた。突然で踏ん張れず、俺は床にノックダウンされる。幸い、イシスは攻撃力が高くないので、そこまでダメージはなかった。しかし、俺の防御力が低いので、結果的に痛いということに変わりはない。
「殴りますよ」
「もう殴ってるじゃん……」
「そんなことより、魔物が逃げてしまいましたね……」
「あ」
俺は慌てて飛び起き、出入り口まで走る。少し確認したが、もう近くにはいないようだ。ふと、店内へ目を向けると。
「こんなんじゃ、暫くはお店再開できないわね……」
と、店主が呟いた。
いや、それは困る!
「ちょ、ちょっと待ってろ! 俺の足ならあいつに追いつける! だから、閉店とかやめろよ!? 適当に仕事してても給料がもらえる楽で割りの良いバイトなんだからな!」
「あ、アッシュちゃん……。あなた、それ、中々言っちゃいけないやつだと思うのだけれど……」
そう言った店主の言葉など無視し、俺は大慌てでシタギドロトカゲを追いかけるために店外へ。
どこへ行ったのか、しらみつぶしに探そうかと思ったが、少し離れたところから女性の悲鳴が幾重にも渡って聞こえてきたので、俺はその方向に向かって駆け出す。
暫く走ると、案の定シタギドロトカゲが道行く女性達の下着を奪っている現場に遭遇した。
「おいこら! てめえうちの従業員の下着を返しやがれ!」
『シタギギギ!?』
シタギドロトカゲは俺に気付くと、奪ったばかりの下着を再び体に巻き付けて逃走。
あの野郎!
俺はその後を追ってひたすら走る。と、何かのイベントが丁度行われていたのか、妙な人集りにぶつかる。トカゲは、その小さな体躯を駆使し、人混みを掻き分けて器用に駆け抜ける。と、その人混みの中にいた女性が一人、また一人と悲鳴を上げる。
「あいつ……逃げながら下着を奪って行ってやがる……」
ここまで来るとそのコレクター根性にむしろ関心するわ……。
俺は人混みを迂回している時間はないと考え、姿勢を低くし、シタギドロトカゲの如く人混みを掻き分けて疾走。人混みを抜けた後、なおも俺とシタギドロトカゲの追走劇は続く――。
そして、ようやく俺はシタギドロトカゲに追いつく。
「どらっしゃあああああい!」
俺はシタギドロトカゲに飛び付く。
『シタギー!?』
シタギドロトカゲはそんな悲鳴を上げると、俺と一緒に前のめりに倒れた。その際に、シタギドロトカゲが盗んできた下着の数々が宙を舞い、俺に大被さる。何か、妙に生暖かくて興奮――げふんげふん。
「よっしゃおらあ!! 捕まえたぞ! このトカゲめえ! 絶対に逃がさんぞ――あ」
俺は暴れるトカゲを逃さまいとするが――俺の貧弱のステータスでは抑え込むことができなかった。
トカゲはスルリと俺の拘束から逃れると、脇目も振らずに逃げ出した。
残されたのは、女性の下着を頭から被った――一見するとド変態な男の姿が、そこにはあった。というか、俺だった。
何事かと、一部始終を目撃していなかった野次馬が続々と集まり、そして――。
「きゃああああ! し、下着泥棒よおおおお!」
「ご、誤解だあああああああああ!?」
この誤解を解くのに、1時間を要した。