第1話 少年の日常
第1話 少年の日常
陰鬱な空気が漂う集合住宅の一室。
少年は虚ろな目でテレビに映し出された光景を眺めていた。
『今年もあと残りわずかでぇす。皆さぁん、準備はいいですかぁ〜!』
若い女性アナウンサーが品のない金銀の刺繍が入った赤い晴れ着を棚引かせ、耳障りな甘ったるい声で何やら騒いでいる。
『残り30秒、間もなくでーす!』
カウントダウンが始まった瞬間、画面の向こうにいる人々は誰しも声をひそめ、ソワソワとした表情を浮かべながら新年の到来を待ちわびていた。
この薄暗いリビングで一人うずくまっている少年とはまるで対照的に。
(まったく。揃いも揃って頭が悪そうなヤツばかりだ。こいつら本当は新年なんか微塵も祝ってないだろ。ただ意味もなく騒ぎちらしたいだけの馬鹿だ)
少年は弱冠17歳という年齢にはあまり相応しくないひねた感想を心の中で呟く。
不快と思いつつもテレビを消せないのは、この空間から一切の音がなくなってしまうのが気分的に嫌だったからだ。
唯一の光源かつ音源であるテレビを消してしまうと、まるで海の底に沈んだようになってしまう。
『……3、2、1、2038年! ハッピーニューイヤ~!』
画面の向こうではカウントダウンの終了と共に盛大な花火が上がる。
年が明けたというのに、この部屋は相変わらず静かで暗い。
おまけに暖房もついていないので、指先の感覚がなくなるほど寒い。
少年が暖房を付けなかったのは、特に深い理由がある訳ではなく、単にエアコンから出る黴臭い空気を浴びたくなかっただけだ。
このリビングは普段誰も使っていないため、表面上はきちんと整理されているように見える。
だが細部に目をやると手入れが行き届ていないのが良くわかった。
エアコンの掃除自体は自動清浄ボタン押すだけで終わるのだが、こんな夜中にやってもただ近所に騒音を撒き散らすだけなので、今は寝室から持ってきた毛布で寒さを凌いでいる。
『わぁー! 見てくださいこのお節! すっごぃ豪華〜!このお魚なんて、まるで牛肉みたいですぅ〜。』
画面の向こうでは先ほどの女性アナウンサーが重箱を抱え、まるで脳波が停止したかのようなコメントを発している。
どういう食育を施されたら魚が牛肉の味になるのか。
よく見れば、これもまた趣味の悪いお節である。
ブランド牛のステーキ、尾頭付きの鯛、大きな伊勢海老など、どれも魅力的なラインナップだが、主張が強すぎて誰が主役か分からない。
他のメニューもカロリーと虚栄心の塊のようなものばかりで、味な脇役など存在しない。
これでは食べ切る前に胸焼けを起こしてしまうだろう。
少年はその映像にささやかな声で嫌味を送ると、テーブルの上に用意してあったカップ麺に手を伸ばす。
ほんの数分前、年越し蕎麦の代わりにとお湯を入れたカップ麺。
部屋の気温のせいで瞬く間に冷めてしまったが、少年はそんなことなど気にも止めず無心で麺をすする。
「ずずー」
醤油と化学調味料で構成された味の濃いスープ、冷えてボソボソになってしまった麺、申し訳程度に入った粗末な具。
今日この世界にこれ以上まずい食事もないと思うが、慣れ親しんだ味に少しだけ心が温まる。
正月だというのに、この家には少年以外の人間は誰もいない。
何も今日たまたま家族が留守にしているという訳ではない。
これがこの家庭の日常なのである。
彼の両親は365日ほぼ毎日どこかへ出掛けている。
何をやっているのかは全く知らないが、他人と一緒にいるだけで無駄にエネルギーを使ってしまう少年にとっては、むしろいてくれないことの方がありがたかった。
幸い生活費は好きなものが食べられる程度にはもらっているし、普段の生活で突然の出費があることもないので、子供の面倒を見ているという点に関しては十分といっていいだろう。
むしろ誰にも干渉されず自由気ままに時間を過ごせるのは、ある意味最高の贅沢かもしれない。
ぴろーん♪
突如、薄青色のディストピア空間に無機質な電子音が鳴り響く。
音の発信源はソファの肘掛けに置いてあるスマホのようだ。
少年は面倒くさそうな表情を浮かべ、スマホを手に取る。
───新しいメッセージが届いています
「はぁ…」
少年は深い溜息をつく。
この閉鎖された空間に唯一干渉してくる存在。
───東堂かなめだ。