プロローグ
プロローグ
ガルビア半島の南東に位置する城塞都市オースレン。
世界でも有数の商業拠点として知られるこの大きな町を、切り立った崖の上から一人の少女が見下ろしていた。
美しい町並みは戦火に焼かれ、燃え広がった炎がレンガ作りの家屋を淡く照らしている。
視線の先では都市を守るオースレン騎士団と敵軍の航空魔導兵団による激しい戦いが繰り広げられており、そこかしこで爆発が起こっていた。
ここからは町の景色が一望できる。
平時であればここは恋人たちで賑わう人気のデートスポットなのだが、この惨状の今となってはただ焼け落ちていく町並みを記憶に焼き付けるためだけの場所になっていた。
自分が幼い頃によく遊んだ公園や、学生時代に足繁く通っていたカフェは、今や見る影もない。
この町のシンボルである大きな時計塔も、今まさに崩れ落ちようとしているところだった。
「さあ、行きましょう」
少女は迷いを断ち切るようにさっと振り向くと、後ろに控えていた2人の少年に声をかけた。
その様子を見て青髪の少年が心配そうに声を掛ける。
「いいのか?」
「うん。もう大丈夫」
少女は短くそう返すと、軽く顔を伏せ少年たちの間を通り抜けていった。
しっかりとした力強い返事だったが、その声には強い悲しみが含まれている。
それも当然だろう。
自分の生まれ育った町が今まさに消えて行くところなのだ。
「あいつら好き放題やりやがって!」
町の上空から爆撃魔法を放つ敵兵に向けて赤髪の少年が声を荒らげる。
その怒りに呼応して左手の甲に刻まれた紋章が赤い稲妻のように明滅する。
今にも爆発寸前といった感じだ。
「落ち着け。今はラトリアの護衛が優先だ。行くぞ」
「ああ、分かってる!」
赤髪の少年は憤懣やる方ないと言った表情を浮かべていたが、すぐに少女───ラトリアの後を追いかけた。
青髪の少年はそれとは対照的に冷静沈着な面持ちで後に続く。
双方ともこの世界の人間とは桁外れの強さを持つ転生者とはいえ、あの大軍を前にしては五分もいいところだ。
それにこの2人が戦線に加われば相手側の転生者が出てくる可能性も高い。
そうなれば敗北は必至。
例え相手の転生者と互角の勝負ができたとしても、ラトリアを守りきれなくなりゲームオーバーである。
ほんの一ヶ月前まで剣の重さも知らぬ普通の高校生として生活を送っていたのだ。
目の前で起きた出来事に感情の制御が効く訳もない。
それでも自分の怒りを抑え、この任務の意味を理解してくれていることに、少女は心の中で感謝する。
この森の先で侍女が逃走用の馬を用意して待っているはずだ。
一行は進むスピードを早め、待ち合わせの場所へと急ぐ。
決死の思いでラトリアが逃げる時間を作ってくれているオースレン騎士団のお陰で、追手が来るまでにはまだ相応の時間がかかるだろう。
だが飛行できる向こうとこちらでは移動速度に段違いの差がある。
彼らの働きに報いるために、少しでもアドバンテージを稼いでおきたいと言うのが本音だ。
「お嬢様〜、こちらです〜!」
森を抜けた先にある小道でラトリアを待っていた侍女がこちらを見つけ近づいてくる。
全力疾走のようだが、走るのが苦手なのか理想的なフォームとは程遠いドタドタという効果音が似合いそうな感じだった。
こんな緊迫した状況だと言うにも関わらず、彼女はいつもと同じ間の抜けたトーンでしゃべる。
「も〜、ヒヤヒヤでしたよ〜。あ、こちらです!急ぎましょう!」
待ち合わせ場所では他の使用人達がテキパキと支度を整え、いつでも出発できる状態になっていた。
「水と食料は時間がなくて5日分しか用意できていないです。でも、それ以外に必要そうな物は粗方積んでありますのでご安心を」
間の抜けたトーンとは裏腹に荷物について簡潔に説明をすると、侍女はラトリアの出発を促した。
「お嬢様、お気をつけて!ご無事をお祈りしております!」
侍女はニコニコした表情でラトリアを見送る。
こんな状況でもいつもと変わらぬ彼女のお陰で少し心が落ち着いた。
「ありがとうターシャ。あなた達も───気をつけて」
「はい!」
これから使用人たちはここで時間稼ぎのために敵を迎え撃つ。
もう再び会えることはないだろうという確信の中、自分に尽くしてくれた使用人達へ最後の礼を送る。
ラトリアは馬を走らせると一度も振り返ることなく先へと進んだ。
それはこれ以上懐かしいものを見続けていると心がバラバラに砕け、自分を見失ってしまいそうだったからだ。
ラトリアの心境は複雑だった。
故郷を置いて逃げること、皆が自分のために犠牲を払ってくれていること、そして何故こんな戦いが始まってしまったのかということ。
この戦いは理不尽に満ちている。
それでも今は自分の向かう先にある反撃の一手を信じて進むしかないのだ。
「おい、あれ!」
突如、赤髪の少年が空を指差し声を上げる。
追手が来たのかと思いその方向を見やると、上空に光のラインが走り巨大な召喚陣が形成されている。
そして一瞬の間を置き、その中から白く輝く大きな鳥が現れた。
あれは神獣の類だろうか。
翼に炎をたたえ、光の帯を引きながらゆっくりと滑降している。
ラトリアはその姿を見てオースレンの伝承を思い出す。
「白き鳥は勝利の導き。向かう先に己の道を切り開く」と。
これはきっと我々の行く先を導いてくれる存在に違いない。
ラトリアはそう思うと、溢れそうになる涙をぐっと堪え、天を翔ける白い鳥へ思いの内を叫んだ。
「皆の思いは私が───私が紡ぎます!白き鳥よ、我々に勝利を!」
───続く