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名前の無い物語  作者: 梶島
9/20

『虚ろな双つの太陽と(前)』

榾火揺狐

キースヴァイト・ブリックバレー

それは、遠い遠い昔。

岩が水の流れに磨き抜かれ、丸くなり、やがて消えてしまう程の永い時。

それに『置いて行かれる』存在は、幸福なのか不幸なのか。

これは、そんな『置いて行く』者と『置いて行かれる』者、そしてそれを『受け継ぐ』者の物語。


神国アズマ。

ジャングリラの東方に位置するこの国では、他の大陸と比べると少々異色な文化が栄えていた。

例えば食事であったり、服装であったり、習慣であったり。


勿論、他の大陸の文化が没個性なわけではない。

当然それぞれの国なり街なり、なんらかの個性はある。

それでも、神国アズマの持つ特色は『異色』と言う他に無いのだ。


そんな神国アズマの、山に囲まれたとある村。

この村では、妖狐である女性、榾火揺狐(ほたびようこ)を神のように祀っている。


もちろん、一番に崇めるのはアズマを治める天帝や創造神たるオメガ・クロノスフィアであるが、身近な『神様』として、揺狐は親しまれていた。

揺狐は見た目こそ20代程度に思えるが、9つに分かれた狐の尾にぴんと立った狐の耳を持つ、見た目からして判然と分かるれっきとした妖怪である。


長い睫毛が縁取る釣り目は金色に輝き、瞳孔は縦に長く人ならざる雰囲気をより強くさせていた。

髪もまた狐色で腰のあたりまで長く伸ばしており、金糸のようにさらさらと風に靡く。

服装はどこか巫女を思わせるような白衣しらぎぬで、肩を露出させており袖は別パーツとして分かれていた。

紅の袴を途中で切り落としたようなプリーツスカートからはすらりと長い脚が伸び、紅い鼻緒の付いたぽっくりを履いている。

狐火と風を操ることに長けており、なんの能力も持たないただの人間からすれば神格化されるのも頷ける程度には実力も持ち合わせていた。


もちろんその能力が人に害を与えるために行使されることはない。

実際に揺狐が住んでいたのは村の近くにある森の中の小さなお社だったが、それでも村人は熱心に揺狐の許へと通い、供物を捧げたり、祈ったりするのが当たり前だった。

揺狐も村人達には関心と愛着を抱いており、相談事には一緒に悩み、解決できそうなものであれば手を貸すことにしている。


つまり、害のない妖怪。

そして、歳を取ることも無く、何世代にも渡って村の人間たちを見守り続けてきた。

身近に居る、超常的な能力の持ち主。


それは、信頼され、頼られるものだ。


さて、そんな揺狐の許に、今日は少々毛色の違う来訪者がやってきた。

時刻はそろそろ村人が夕餉を作り始めるころ、空が紅く染まり始めるころ。


「……貴女が、榾火揺狐さま……ですね?」


揺狐の許に現れたのは、二人の女性。

双子なのだろうか、顔のつくりはほぼ同じであり、燃える焔のような真っ赤な釣り目がちの瞳が揺狐をじっと見据えていた。

透き通ったソプラノは耳に心地よく響くが、かと言ってそれが彼女達を信頼する理由になりはしない。


揺狐から見て右側に立つ女性は、目と同じ紅い髪を腰のあたりまで真っ直ぐに伸ばしており、左側に立つ女性は肩口あたりで切り揃えたセミショート。

ただ前髪はどちらも瞼の上あたりで真っ直ぐに切り揃えられていて、どことなく神経質そうな印象を揺狐は受けた。

二人ともアズマ風ではない、繊細なレースとフリルのあしらわれた膝下丈のワンピースを身に纏っている。

首元には指輪にチェーンを通したネックレスをかけており、指輪の頂点には小さな赤い石が嵌まって輝いていた。


「ふむ。如何にも儂が榾火揺狐じゃが。……おんしら、アズマの者ではないな?」


すう、と目を細め、揺狐は二人を一瞥すると余所者であることを指摘する。

別にアズマの者でなくとも人間の相談事くらいは聞き入れるが、それでも『慣れ親しんだ村の者』で無いというのは警戒心を張らせるには充分な理由たり得る。

仮に自分の身体を狙って来たのだとしたら応戦できるだけの戦闘力は持ち合わせているし、『妖狐の肉を食らえば不老不死になれる』とかなんだか言われていてもおかしくないのでひとまずは警戒しつつ応えた。


「そうですね。私達は西の大陸から参りました。……名乗るのが遅くなって申し訳ありません。私はプリムラ、こちらは双子の妹のアンスリウムと申します」


プリムラ、と名乗ったのはセミショートヘアーの女性のほうで、隣に立つロングヘアの女性を妹と紹介する。

それと同時に軽く頭を下げ、次には膝を折って片膝をついては片膝を立てる姿勢になった。


「揺狐さまには……どうか、私達の願いを聞いて頂きたいのです」


アンスリウムが、プリムラの言葉を引き継ぐようにやってきた意図を伝えて来る。

ふむ、どうやら命を狙いに来たわけではないらしい。

まだ完全に信用しきれるわけではないが、とりあえず話だけでも聞いてやろう、ということにした。


「……分かった。(やしろ)に上がれい、話を聞こうぞ」


揺狐は片身を引き、社の扉を開ける。

一応は簡素だが揺狐が寝泊まりできるだけのスペースはあるので、三人入って話を聞くことくらいはできた。

失礼します、とそれぞれ一揖し、プリムラとアンスリウムが揺狐に続く。


「生憎だが人をもてなす造りはしとらんでな。茶は無いが勘弁せい」

「お気になさらず。……私達も、寝食は不要ですので」


揺狐は上座に胡坐をかいて座り、向かいに並んで座るプリムラとアンスリウムに軽い謝罪をした。

しかしプリムラはゆるく首を振ると、言外に自分達も人外であることを答えてくる。

その言葉に、揺狐の眉が微かに動いた。

人ではないのなら、人外である自分を頼ってわざわざ他の大陸から渡ってくるのも不自然に思えたからだ。


「……ほう。で? 儂に聞いて欲しい願いとは、なんじゃ」


ならば、おそらく彼女達の『願い』は、急を要する。

そう思ったので、性急に思えるくらい率直に尋ねた。

すると、アンスリウムは紅玉の瞳を微かに伏せ、幾許かの間を置いて応える。


「――私達の『死』を、見届けて頂きたいのです」

「……『死を見届ける』?」


やにわに発せられた『死』という言葉に、揺狐の金色の双眸が見開かれた。

しかも、それを『見届ける』ときた。

一体どういう意味なのか、それを尋ねる前に、プリムラが語り出す。


「揺狐さまはご存じでしょうか。……私達、『晶石人しょうせきじん』の存在を」

「しょう……あぁ……話くらいには聞いた事がある。……実物を見るのはおぬしらが初めてじゃが」


『晶石人』。

パワーストーンや鉱石が、永い時間をかけて人の姿を取ったもの。

基本的に女性型しか存在せず、子宮にあたる部分に『聖核コア』と呼ばれる大きな宝石があり、生殖能力は無い。

寿命はおよそ、人型になってから5000年。

生きている間『聖核』はゆっくりと育ち続け、寿命を迎える頃にはレモンほどの大きさになる。


そして――死ぬその瞬間に体は霞のように消え失せて、ただ『聖核コア』だけが残る。

その『聖核』は莫大なマギアの籠った魔石でもあり、『聖核』目当てに乱獲されたという悲しい歴史も背負っていた。


都市伝説程度に聞いた話だったので、さすがの揺狐もこれには少しばかり驚くことになる。

まさか、本物の晶石人が、しかも自分から現れるとは。


「私達は、おそらくもう長くありません。……しかし、『聖核』が誰かの手に渡って悪用されてしまうのは避けたい」

「そこで思ったのです。長い歴史を持つアズマの者なら盤石であり、『聖核』を託すに相応しい、と」


なるほど、と。

得心した揺狐は頷いた。

それで白羽の矢が立ったのが自分である、ということを理解したからだ。

 

「成程、成程な。それで儂に、おぬしらが死んだ後に遺る『聖核』を引き取れ、と。……しかしまたどうして儂なんじゃ? 長命で能力を濫用しない者は他にもおろう。それこそ西の大陸にも」


腕を組み、頷きつつも、それでもまだ自分が選ばれた理由がよく分からないので尋ねる。

なにもわざわざアズマに渡ってまで『聖核』を託す人間を探さずとも、西の大陸にも似たような人外は居そうなものだ。

自分はアズマから、いやこの社から出ないのでほぼ井の中の蛙大海を知らず状態であり、事情をよく知らないからこそ生まれた疑問だった。


「西の大陸はまだ国として不安定です。そしてアズマは……あまりこのようなことを口にするのは本意ではありませんが、人外に対してあまり寛容ではありません」

「それでも信頼を得て永く生きている揺狐さまの話を、アズマで聞き込みしているうちに知って、私達の生きた証を引き取って頂くのに最も適していると判断しました」


80点。

そう思った。

完全に納得するには20点ほど足りないが、まぁ許せる範囲という意味で。

それに、わざわざ別の大陸から渡ってきたこの姉妹を無碍に扱うのも良心が咎める。


「分かった。おぬしらの望み、しかと聞き入れよう。しかし……つまり、死ぬまであの村で過ごすつもりということかの?」

「そのことなのですが……」


アンスリウムが、少し言い淀んだ。

プリムラに目配せし、アイコンタクトを数度交わした後、決意したように二人の視線は再び揺狐に向けられる。


「私達を、揺狐さまの炎で燃やしては頂けないでしょうか」

「……は?」


姉妹の言葉を理解するのに、幾許かの時間を要した。

自分の炎で燃やしてくれ。

それが意味するものは。


「つまり、なんじゃ……おぬしらは、儂に、手を下せと言うのか。おぬしらを、殺せ……と」

「はい」


双子の双眸は、はっきりとした意思を宿していた。

自分達の『聖核』を揺狐に託すのに、確かに最も確実な方法は揺狐に殺して貰うことだ。

しかし。


「断る」


揺狐は頑とした声で断った。

プリムラとアンスリウムの双眸は冷たい光を宿し、ただ揺狐の言葉をじっと聞いている。


「儂は基本的に人間の味方じゃ。純粋な人間ではないがおぬしらも一応は庇護対象じゃ。それを殺めるなど言語道断。儂の信条に反する」

「……まぁ、そう仰られるだろうなとは思っていました」

「なら最初から言うな。引き取る気も失せようぞ」


目を閉じて、まるで予定調和だったとでも言いたげな態度を取るアンスリウムには、不機嫌そうな声を投げかける揺狐。

『聖核を濫用されるのが怖いから、確実に引き取る方法として殺してくれ』なんて志願、聞き入れられるわけがない。


「では、私達が死を迎えるまで麓の村で過ごせるように取り計らって頂けないでしょうか。……晶石人である、ということは隠して」


妥協案なのか、それとも最初からこの提案をするつもりだったのか真意は不明だが、プリムラが次の案を出してくる。

目を細めて、その言葉を咀嚼した後、揺狐は諦めたようにはぁと溜息をついた。


「構わんが、その前に村の反物屋に行かんとならん。その服装はいやに目立つ」

「それもそうですね。お金でしたら持ち合わせがありますので、反物屋で着物を仕立てて貰いましょう。それから、村長さんに掛けあって頂けると助かります」

「あい分かった。しかし今日はもう日が遅い。……三人で過ごすにはちいとばかし狭いが、今夜は此処で過ごすと良い。夜が明けたら、村に降りるとするか」


話している間に、外はもう紺碧が満たしている。

それに対して姉妹は、迷いの無い声で「分かりました」と返すのだった。


深夜、プリムラとアンスリウムを社に置いて、揺狐は散歩に出る。

数個の狐火を傍に浮かし、光源として。

これは特に日課にしているわけでもないが、人間を襲いかねない熊や猪などを見かけたら追い払うくらいのことはしていた。


……違う。

居づらいのだ、あの空間に。

死を予期し、覚悟し、生きた証を託しに来た二人と共に過ごすのが、居づらい。

死期を悟っているということは、晶石人の寿命である5000年近くを生きて来た証明になる。


――それが二人分ともくれば、一万年。


ただ村人たちの悩みを聞くのとは訳が違う。

まさか人外にまで頼られる存在になろうとは、と額に手を当てながら、近くの木に凭れかかった。


どうやら川の近くまで歩いてきてしまったらしく、水の流れる音がする。

何となく川の傍まで行ってみると、水流は月と星の仄かな光と狐火の光を反射して煌めいていた。

川べりにある大きな石に腰かけて、ぽっくりと靴下を脱ぐと川の水に足を浸す。

足を入れたことで水流が妨げられ、ぐるぐると2つ渦を巻いた。

足を引き抜くと、水流は元に戻り、2つの渦も消える。


――似ている。


何故かふと、そう思った。

今出来た渦を生んだのは揺狐であり、殺したのも揺狐だ。

それがまるであの姉妹のように思えて、どことなく居心地が悪くなる。


何故だろう。

今まで人の死になんて何百人も立ち会ってきたというのに、あの姉妹が死ぬことが、嫌なものに感じられる。


まさか――重圧を感じているのか? この自分が?


そうだとしたら、おそらく――彼女達の場合、生きた証がモノとしてはっきりと残ってしまうから。

一万年の想いを受け取る覚悟が、決まっていないのだろうか?

それだとしたら全くのお笑い草だ。

神のように崇められているというのに、肝心の精神はまだまだ未熟なようだ。

ふ、と自分にひとつ嘲笑を零すと、川に浸した足を軽く袖で拭い、靴下とぽっくりを履き直すと社に向かって来た道を戻り始める。


夜はまだ、明けない。



社の扉を開けると、プリムラとアンスリウムは向かい合って何かをしていた。


「なんじゃ、おんしら。寝とらんかったのか」


寝食は必要ない、と言ってはいたが、そういう人外も大抵夜は寝るものだ。

なにせこのジャングリラの住人の大半を占める『ただの人間』は夜には寝るものなのだから、それに合わせるのが普通である。

それに陽の明かりも無く暗いので、なにか行動するには危険、という理由もあった。

社の祭壇に灯した蝋燭だけが部屋を照らしており、入ってきた揺狐に振り返ったプリムラとアンスリウムの顔には深い影が落ちる。


「ええ……ちょっと、私達の能力を使っていたところです。私達は二人で一つ……」

「……揺狐さまがお休みになられるのでしたら、私達も」


……結局、能力で何をしていたんだ?


それは分からないが、追及したところで本当の事を言うかは怪しい。

別に知らなくとも構わないだろう、そう思ったので「じゃあ儂は寝るぞ。蝋燭を消す。良いな?」と尋ね、二人が首肯するのを見れば、指先から風を起こし蝋燭を消した。


次の日、朝もやに霞む太陽を背に、揺狐と姉妹は麓の村へと歩き出す。

ゆうべの『能力』。

気に掛からない訳ではないが、知り合って日が浅い人間の事をあれこれ詮索するのは上品とは言えないだろう。

それが、死を託してくる相手だったとしても。


「揺狐さま、もう少し急ぐことは出来ませんか」

「構わんが、この獣道におぬしらは付いて来られるのか? おぬしらに合わせとるんじゃが」


後ろからアンスリウムの声が飛んで来た。

急がなくとも、村の反物屋は逃げないし、そもそも早すぎるくらいだ。

着いたところでまだ店を開けていない可能性の方が高いと言うのに、急ぐ理由がよく分からない。

それこそ『今すぐに死にそう』であるならば話は別だが、昨日姉妹は『死を迎えるまで村で過ごす』と言ってきたのだ。

ならば、そうすぐに死ぬわけでもないのだろう。


「いえ……ただ、ゆうべ私達が占った結果、今日は村で多くの血が流れる日になりそうなので」

「……は?」


プリムラの言葉に、がばりと振り向いて口をぽかんと開けたまま硬直した。

そんな揺狐を見て、アンスリウムが言葉を続ける。


「私達はルビーの晶石人で、『近くで流れる血』を見透かすことができます。……今日、動物によるものか人間によるものかは分かりませんが……何かが起こりそうでして」

「そういう大事なことはもっと早く言わんか! 急ぐぞ! 少々手荒な手段に出るが、適当に受け身を取れ!」


大声でプリムラとアンスリウムを叱咤すると、揺狐は懐から愛用の扇子、香翔扇(こうしょうせん)を取り出す。

それを開き、一度勢い良く振り下ろしてから振り上げた。

すると、揺狐達の足元から烈風が吹き荒び、たちまち三人の身体を宙へと放り投げる。


「はッ!」


揺狐は巧みに香翔扇を振りながら風を操り、村へと向かって飛んでいく。

時間にして僅か20秒ほどで、村の上空へと到着した。


流石に、伊達に5000年生きていないらしい。

プリムラとアンスリウムは、拳から着地し、重力を利用して地面を思い切り抉り取るようにしていた。

晶石人は地属性の魔法の扱いにも長けるので、衝撃を相殺したのだろう。

揺狐は香翔扇で着地点から上空に吹き上げるように風を発生させ、ふんわりと着地する。


「揺狐さま! 揺狐さまが来て下さったぞ!」

「ようこさまぁ! たすけてぇ!」


村は既に混乱の渦のど真ん中だった。

その元凶は、体長2m近くはあろうかという大きな猪。

大きな牙を剥いて、ふぅふぅと息を荒げている。

退治しようとしたのか、鍬を傍らに置いた青年の腕からは確かに流血しているのが見て取れた。


――プリムラが言った通りになった。

そう思えば、次に取る行動を決めるのは早い。


「おぬしに恨みは無いが、人間を守るのが儂の役目でな……悪く思うな!」


香翔扇で風を発生させつつ地を蹴ると、揺狐と猪の距離はあっと言う間に縮んだ。

それから右手を突き出すと大きな狐火を発生させ、猪を燃やし尽くす。

表現しがたい悲鳴を上げ、猪は炎を纏いながらのたうち回り、やがてどさりと倒れて動かなくなった。

揺狐の狐火は揺狐の意のままに動く性質を持っているので、もう充分だろうと判断して狐火を消すと、黒焦げになった猪の死体がただ残る。

 

「揺狐さま……! ありがとうございます。あぁ、揺狐さまが来て下さって本当に助かった」


村人たちが、まるで英雄を扱うかのように揺狐の周りに集まってきた。

しかし揺狐からすればあまりに突然のことで状況を把握しきれておらず、被害を確認しようと視線を巡らせる。


「儂の事は良い。それより、被害は?」


凛とした揺狐の声に対し、村人達は気まずそうに視線を彷徨わせた。

それから10歳程度の子どもである、佐智さちという少女が揺狐の袖をくいくいと引っ張る。


「どうした? 佐智」

「……十兵衛じゅうべえ、が……」


佐智に振り向いてしゃがみ、視線を合わせれば、佐智の双眸にはみるみるうちに涙が溢れた。

それ以上は言わないでも、分かる。

分かってしまった。


さっき視線を巡らせた時、見つけた赤い池のようなもの。

あれは、十兵衛だ。

佐智と同じくらいの年頃の、元気で明るい少年。

おそらく、真っ先に猪に狙われてしまったのだろう。


「十兵衛は……不幸だった。助けられなくて、済まなかった」


皮肉な事だ。


今、自分は死を目前にしたプリムラとアンスリウムの為に動いているのに、そんな矢先に守るべき対象である村人を一人殺してしまった。

結局、自分に出来るのは自分の両手が届く範囲で起こることに関してに過ぎない。

無力さが歯痒く、ぎり、と歯ぎしりをするも、既に失われた命を呼び戻すことは出来ないのだから、せめて弔いの意を示すことしか出来なかった。


「ところで、揺狐さま……こちらのお二方は?」


紙座で働く青年の志郎が、プリムラとアンスリウムを見て遠慮がちに尋ねてくる。

ああ、と頷いて、一つ決心した。


「こんな騒動があった後に言うのもなんじゃが、儂を頼ってきた西の者じゃ。しかし暫くこの村で過ごさせてやってほしい。だから着物を作って貰いたいんじゃが……」

「分かりました、それならばすぐに採寸を行いましょう」


反物屋の主人が、頷いてすぐに自分の店へと走っていく。


――なんとなく、分かっている。

村人たちは、猪の襲来を早く忘れたい。

だからこそ、すぐに『日常』に戻りたい。

そんな状況だからこそ、揺狐の唐突な願いも渡りに船、というわけだった。


それに、人間はか弱くすぐに死んでしまうもの。

残酷なようだが、いちいち感傷に浸っている暇はない。


きっと、姉妹の事もそう――。

10年の十兵衛も、一万年の姉妹も、どちらにも等しく訪れる『死』という現象。

それを受け入れる覚悟が、十兵衛のお陰で出来たような気がする。


「こっちじゃ」


プリムラとアンスリウムを導き、反物屋の主人に続いた。

それからは主人に二人を任せ、揺狐は街の中をぶらぶらすることにする。


――肉の焼けた匂いがする。


揺狐が丸焼きにした猪は解体され、食用の干し肉として加工することができそうだが、毛皮は焼け焦げてしまっているので使い物にならないらしい。

猪の焦げる臭いが鼻孔に染み付いたようでどうにも不愉快だった。


それに、村の活気がどう見ても落ちている。

猪が現れて騒動が起き、焦げた臭いの残る表に出たくないという気持ちは痛いほどに分かるので、仕方ないと思った。

無力だ。

ただそれだけをひしひしと感じながら、姉妹の服が出来るまでの時間を潰す。


そろそろ終わったろうか。

結局村の中を逍遥するだけで誰とも会話することが無いまま反物屋に戻った。

すると、そこにはアズマ風の着物に身を包んだプリムラとアンスリウムの姿が。


「ほぉ、なかなか似合うではないか。……しかしその柄は見慣れぬな」

「ええ。私達が持っていた布を使って頂いたのです。私達の名前は、西の大陸に広く分布する花と同じなので」

「なんと? そうじゃったのか」


プリムラとアンスリウム。

その名前はどうやら花の名前と同じらしい。

確か、晶石人は自然発生的に生まれるので、名前も自分で勝手に付けたり、もしくは心に自然と浮かんでくるものだと聞いた事がある。

この姉妹もそのようにして、勝手に付けたかもしくは心にたまたま浮かんだ名前が花と同じだったのだろう。


「どちらも赤くて美しい花です。……揺狐さまにも、本物をお見せ出来たら良かったのですが……」

「まぁ、それはいつか西にでも渡ったら探してみるわい。そんな機会があればじゃがのぉ。この村の者は儂を頼って来るからそうそう離れられんでな」


どこか申し訳なさそうに言うアンスリウムには、にかっと笑って返す。

それからは、反物屋の主人のツテで、空き家となっている村の南部に位置する家を一軒貸して貰えることになった。

プリムラとアンスリウムはそこに住むことに決まる。


「……揺狐さま、これを預かっていて頂けますか」


その家に到着したところで、姉妹が振り向いた。

懐から取り出して差し出してきたのは、元の服装の時に首から提げていた指輪付きのネックレス。


「この石は紅玉……るびー、か? おぬしらの……」


そこまで言いかけたところで、プリムラが口許に人差し指を立てる。

そういえば、『晶石人であることは伏せて』と言っていたか。


「『その時』が来たら、この指輪が教えます。なので、この指輪に何かあったら……私達を迎えに来てください」

「あい分かった。何かあれば社に来い。儂で出来ることなら力を貸そう」

「お気遣い、痛み入ります」


そうして、姉妹とは別れた。

二つの指輪が通ったネックレスを託されて。

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