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名前の無い物語  作者: 梶島
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『孤魂野鬼-guhunyegui-』

黎雪麗

さあ、目醒めなさい。

漆黒の夜の底に蠢く数多の彷徨える魂――わたしはそれを、冒涜するもの。

それが神に対する叛逆だったとしても、わたしはこの好奇心を、抑えることができない。

たとえ罪人と言われようと、道を究めるためであるならば、重い枷ごと纏ったまま歩きましょう。

智という果てしのない道を愚直なまでに突き進むのに、その程度の荷物など軽いもの。


さあ、目醒めなさい。

わたしの可愛い、忠実なるしもべ。




「ああ……どうして私の娘が、このような惨い目に遭わなければならないのだ」



時は600年ほど前に遡る。

今は滅び消えた国、鳳華国のとある貴族の屋敷の一室で、男性は嘆いていた。

紅色を基調とした豪奢な装飾の施された寝台に身体を横たえた少女の白くか細い手を、まるで暖めようとするかのように握りながら。

男性は短く切り揃えた清潔感のある髪型をしており、纏っている服も高貴さを意味する紫の布を使って丁寧に設えられた上品なものだった。

彼はこの屋敷の主であり、この街の中ではそれなりに権力を持つ貴族である。


しかし、15年前に愛する妻との間にもうけた娘は数年ほど前から急激に体調を崩し、今では寝台から起き上がることすらも叶わない状態が続いていた。

呼吸はか細く、微かに上下する胸だけが彼女が生きている証のように思える。

閉じられた瞼には長い睫毛の影が落ち、ただでさえ血の気が無く白く痩せ細った顔を儚げに見せるのを手伝っていた。

背中あたりまでに伸びた躑躅つつじ色の髪は枕に散り、もう何年もまともに櫛を通していないことが察せられる。

櫛を通そうと思っても、上体を起こした体勢が数分ともたないのだ。


「旦那様、薬酒の用意が整いました」

「早く、早くそれを」


召使の一人が薬酒の注がれた酒器を盆に乗せて持ってくると、男性はすぐさま立ち上がり駆け寄った。

薬酒を零さぬよう酒器をそっと手に取り、娘の傍へと屈み、口許へとそれを持っていく。

召使はすぐに盆を寝台の傍にある台座に置き、娘の上体を起こして薬酒を飲ませるのを手伝った。


「さあ。口を開けなさい」

「おとう、さま……」


応える声は小さい。

ゆっくりと開かれた瞼。

髪と同じ躑躅色をした虚ろな瞳は焦点が合っておらず、自分の父親を視認できているのか果たして怪しいほどの衰弱ぶりだった。


小さな酒器を口許に押し付けられ、微かに開いたくちびるの隙間にそれを流し込まれてゆく。

こくん、と、たった一口で飲み干せるかどうかの液体を嚥下することすら、今の娘には困難であった。


ああ、どうして我が娘がこんな目に。


将来困らないようにと、娘にはあらゆる勉学や武術、芸術などの教養を叩きこんできた。

それをまるで海綿のように次々と吸収していき、新しい知識を得るごとに目を輝かせてもっともっとと次をねだる少女は、間違いなく自慢の娘だった。


この世界の最高神である、オメガ・クロノスフィアを呪わずにはいられない。

娘に、このような目に遭う謂れなど無いはずだ。


「お嬢さまのご加減は如何かしら?」


そこに、透き通ったソプラノが通る。

いつの間にか男性の傍に立っていた女性は、鮮やかな空色の髪を頭のてっぺんで纏め、薄い布を幾重にも重ねた服装をしていた。

少し釣り目がちな蒲葡えびぞめ色の瞳を細め、寝台に横たわる娘を見下ろす。

どこか超然とした態度を諌めるでもなく、男性はその姿を認めるとすっくと立ち上がり、縋るような声をあげた。


璃茉リームォさま……!」


璃茉、と呼ばれた女性は、この辺りではかなり有名な仙人だった。

生死の輪廻から既に外れ、符術を主として五行を操り、空すらも自由に駆け、そして薬師としての一面も持ち合わせている。

娘に与えている薬酒の調合法を教えたのも、璃茉だった。


彼女が忽然と現れたのを、不自然と思ったり違和感を抱く者は居ない。

璃茉は、そのくらいのことができたとしても驚かれないほどの能力を持った仙人であることを、この場に居た誰もが理解していたからである。


「旦那さま。こうしてお伺いしたのには理由があります。少しお話がしたいのです。しかし此処では場所が良くない。場所を移して、お時間を頂けないかしら」

「はい、璃茉さまがそう仰るのであれば」


男性は恭しく頭を下げると、璃茉の頼みを快諾した。

頼み、と言うにはあまりにも一方的であったが、男性にとって璃茉は娘の命を繋いでくれている恩人である。

無碍にできるわけもないし、頭も上がらないだけでなく、この街で絶大な信頼を得ている彼女が無意味な行動をする愚か者でないことなど、分かり切っているから。


場所は、男性が普段仕事をしている執務室へと移された。

召使が鳳華茶を二人分用意して、向かい合って座っている二人の前に置くと、一揖して部屋を後にする。

璃茉が、召使にも話を聞かれたくない、と言ったからだ。


「旦那さま。こうしてお話をさせて頂くのは、他でもないお嬢さまのことであります」

「娘が」


お嬢様のこと、と。

璃茉の発した単語に、男性は目を見開いた。


「このままでは、お嬢さまの命は持ってあと半月、いいえ……10日でしょう」

「そんな!」


信じがたいことを打ち明けられた衝撃で、男性は立ち上がった。

娘を治すためなら、なんだってやってきたというのに。


璃茉に教えられた薬酒の原料には、入手するのが困難なものもあった。

しかしそれをどうにか集め、薬酒を召使に作らせた。

気の淀みが原因ではないかと思い、陰陽師を呼んだりもした。


自分に尽くせる手は全て尽したし、なにより、愛する娘が自分より先にこの世を去るだなんて、考えたくもない。

璃茉は憐れむように袖で口許を隠しながら、こう告げた。


「それで……ご提案があるのです。せめて、お嬢さまがお亡くなりになった後、魂が彷徨わぬように、名のある僧侶に弔わせればと。その仲立ちを、わたくしにさせて頂きたいのです」

「璃茉さま、それはあまりにも残酷すぎます。娘はまだ生きています。それなのに、死んだ後の話をしなくてはならないのですか」

「これはお嬢さまのことを考えて言わせて頂いているのです。亡くなられた後に手を回しても、遅いのです」

「しかし」


納得しない男性に、璃茉は手を伸ばした。

上向きにされた掌の上の空気が、ぼんやりと霞む。


「これが、近い将来のお嬢さまです」


そこには、目を閉じた少女を揺さぶる男性の姿があった。

しかし、少女に瞼を開ける気配も無く、すぐ傍で男性とその妻、娘の母親が泣き崩れる。

璃茉の掌の上で再生された未来予知の幻影に、男性は絶句した。


「後悔してからでは遅いのです。僧侶は、今から連絡を取れば7日後にはこの街に着きます。どうか、ご一考くださいまし」


璃茉が手を握ると、幻影は霞のように消え失せる。

そのまま、重たい沈黙が二人の間に降りた。

璃茉は目尻に朱を差した涼やかな目元を男性にじっと向けたまま、ただ答えを待っている。


分かっていた。

既に生死の輪廻から外れた璃茉にとって、人間ひとりの死など、些末なことであると。

それをこうしてわざわざ声をかけて、最上級の弔いをしてやろうとしてくれるのは、彼女の厚意に他ならないのだと。


俯いた男性は、太ももの上で握った拳を痛くなるほどにぎゅっと握ると、絞り出すような声で答えた。


「……わかりました。璃茉さま、その僧侶さまを、呼んでください」

「わかりました」


頷いて、璃茉は再びゆっくりと頭を下げる。


「どうか、あまり悲しまれぬように。お嬢さまは、苦しみの世界から解放され、楽になれるのです」


頭を下げたまま、璃茉は僅かに口角を上げた。


男性が知る筈もない。

璃茉が教えていた薬酒の原料に、娘をゆっくりと弱らせる毒が含まれていたことなど。


それから11日が過ぎた頃、娘は遂に言葉を発することはおろか、介助されても上体を起こせないほどに弱り果てていた。

男性は、この時が来てしまったか、と覚悟する。

最愛の娘と、今生の別れを告げなければいけない時が来たのだと。


「旦那さま」


涼やかな声が通る。

そこには、僧侶らしき袈裟を纏った男性を連れた璃茉が居た。


男性は今度こそはっきりと理解する。

璃茉は、娘が死ぬタイミングを分かっているはずだ。

彼女が現れたということは、つまり。



ほどなくして、少女は呼吸をしなくなった。



娘の死体は、璃茉と僧侶の手によって棺桶に移される。

真っ白い花で埋められ、死に化粧を施された頬には、数年ぶりに朱が色付いていた。

胸の上で組まれた指は細く、彼女がずっとまともな食事すら摂れなかったことを伺わせる。

もうずっと娘の青白い顔ばかり見てきていた男性にとって、こうして最後の最後に化粧の力とはいえ顔色の良い娘の姿を見ることが出来たのは、何とも言えない気持ちだった。


そうして、葬儀はしめやかに行われる。

涙に濡れた時間は、静かに流れ、そして、終わった。

永遠の別れを告げて、棺桶は冷たい土の中に埋められる。


そのはずだった。


「全く……これだからただの人間っていうのは楽なのよね。さぁ、起きなさい」


璃茉は自分の屋敷に娘の死体を持ち帰っていた。

あの時棺桶に収めるふりをして、転送符術によって自分の屋敷に送り、棺桶の中には幻影の死体を作り出していただけで。

土の下に埋められたのは、花だけが入れられた空っぽの棺桶。

しかし墓荒らしでも居ない限り、それが露見することもないだろう。

このあたりでは有名な貴族である彼の墓を暴く命知らずなど、居るはずもない。


少女の額には、朱で呪文の描かれた札が貼りつけられている。

これこそ、璃茉が死体を操る際に使う符であった。


「…………はい」


ゆっくりと起き上がりながら開けられた瞼の隙間から覗く躑躅色の瞳はぼうっと仄暗い光を湛えて、璃茉を見上げる。

ふ、と鼻で笑った璃茉は娘の頭を撫でると、言い聞かせるようにこう告げた。



「よくお聞き。あなたは私の最高のお気に入りで最高傑作、一番のしもべよ。あなたの全てはわたしの全て、あなたの力は全てわたしの為に使うのよ」

「はい、璃茉さま」


頷いて、少女は寝台から降りて立ち上がる。

背の高い璃茉と比べると幾分か背の低い少女は、並べばまるで姉妹のようでもあった。


璃茉は、少女を気に入っている。

なにせ、高い教養の持ち主というだけでなく、武芸も嗜んでいるのだ。

無駄に頭が回るのはしもべとしては不適切なので知能は落としたが、武芸の心得がある少女というのはなかなか珍しい。

しもべとして最高の素材としか言うほかなかった。


いつか手に入れたい、と思っていた矢先、少女が少し重い病に臥せったと聞き、薬酒の作り方と偽ってゆっくりと弱らせる毒酒を作らせる。


貴族の男性が薬学に明るくないことは知っていた。

娘に色々と教えていたのは家庭教師であり、父親はただ土地を転がしていただけの成金のようなものである。

そんな男など、騙すのも容易い。


「今日からあなたの名前は『(レイ)雪麗(シュエリー)』よ。それ以外の名前は捨てなさい。まぁ、覚えていないだろうけれど」

「れい、しゅえ、りー」


雪麗、と名付けられた少女は、反芻するようにその名前を反復した。


「ふふ……可愛い雪麗。最高の、わたしのしもべ。わたしから離れてはいけないわよ。あなたは、わたしを守るために居るのだから」

「分かりました、璃茉さま。わたしの力の全てを、璃茉さまのために」


膝をつき、雪麗は恭しく頭を下げる。



貴族の男性は知る筈もない。

死んだはずの娘が、生死のあわいのどちらでもない状態のまま、璃茉のしもべになり果てたことなど。


時計の針はゆっくりと回る。

生死の輪廻から外れた雪麗は、いつしか両親を置いていった。


そうして雪麗の存在を覚えている者が誰一人として居なくなった頃、とある邪仙の手によって鳳華国は海に沈む。

拠点を失った璃茉は雪麗を連れて、神国アズマへと渡った。


「全く……まぁ、これであなたが居るはずの棺桶も永遠に海の底だから、都合がいいわね」


海風の吹きつける船の甲板の上で、蒼茫を見渡しながら璃茉が呟く。

雪麗はただそれに「はい」とだけ答えた。


「さぁ、雪麗。アズマには未知の術が沢山ある。わたしはそれを識りたい。全知に、至ってみせる」

「はい。わたしは、そのために璃茉さまをお守りします」

「そうよ。あなたはわたしの矛であり盾。なんて可愛い、わたしの雪麗」


微笑んだ璃茉に、雪麗はゆっくりと頭を下げる。


――神に対する叛逆だったとしても、わたしはこの好奇心を、抑えることができない。



たとえ罪人と言われようと、道を究めるためであるならば、重い枷ごと纏ったまま歩きましょう。

2016/7/6

某弾幕ゲーに影響されすぎましたごめんなさい。

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